第42話 VS百鬼の団


 円形闘技場は熱気に包まれていた。


 すり鉢状の闘技場に押し寄せた観客は、指輪争奪戦の本戦が開幕するのを今か今かと待ち構えている。石造りの舞台に司会の男が現れた。客席で歓声が上がる。司会兼審判を務めるのは騎士科の教師で、今年の指輪争奪戦を取り仕切っている人物だ。


 彼が開幕を告げるのが聞こえた。


 再び歓声が上がり、熱気が蠢くのを感じる。


「只今より第一試合を開始する! 白門『篝火の団』! 黒門『百鬼の団』! 入場!」


 呼び込む声に促され、ティリーはチャールズとファルコと共に闘技場へ足を踏み入れた。これまでで一番大きな歓声が上がる――とはいえ、それが自分たちへ向けられたものでないことは理解していた。


 ぐるりと観客席を見渡し、ティリーは口を開く。


「ほとんど百鬼の団の応援みたい」

「う、うん、そうだね……あんまり評判は良くないけど、なんだかんだ、中央貴族が中心の団だから……」

「まあ、観客のほとんどは帝都の人間だしな。悪名だって知名度ってことだろ?」

「そっか。じゃあ、残念だったね。チャールズ、黄色いカンセイっていうの、欲しかったんじゃないの?」


 チャールズは女性にモテるために、日々身嗜みに気をつけ、しつこいくらい髪を弄り、顔の美醜を気にし、生まれ持った地味さを必死に覆そうとしている男である。


 そんな彼にとって今回の舞台は絶好の機会だったはずだ。もちろん、悪友たちの敵討ちが眼前の目的ではある。だが女性――だけでなく、多くの人々の注目を浴びながら、存分に活躍できる晴れ舞台の側面を期待していたに違いない。


 それにも関わらず、圧倒的な注目度の差を突き付けられた。残念がっているのではと思って尋ねると、チャールズは肩を竦める。


「今日は、いらね」


 なんでもない風に答えたチャールズに、ティリーは内心であれれと首を捻った。


「事前の通告通り、篝火の団は人数の都合上、二名少ない状態で戦うことになる。篝火の団の三番手と百鬼の団の一番手は前へ!!」


 舞台上の教師が声を張り上げる。


「んじゃま、行ってくるわ」

「いってらっしゃい」

「チャールズくん、む、無理しないでね!」


 ティリーとファルコは、円形の舞台に登って行くチャールズを見送った。


 対戦するふたりが姿を現すと、歓声がますます大きくなる。チャールズと向かい合うのは大柄な相手だ。タイロンほどではないが立派な体躯で、相対する彼をにやけた顔で見下ろしていた。


(あ……)


 ふと、思い至る。


「しくじったな」

「え!?」


 つい漏れ出た言葉に隣のファルコが反応した。


「しっ、しくじったって何!?」

「え? ああ、うん……控室にごはん忘れちゃった」

「……へ……?」

「どうせ出番はないしね。串焼きとか、丸くくり抜いたフルーツが入った果実水とか、肉団子が串に刺さったのとか、サンドイッチとか、持ってくれば良かったなあって」

「観戦するにもほどがあるよ!?」


 口にこそしていないが、お気楽なティリーを咎めるような必死の顔だ。どうやらファルコはチャールズのことを心配しているらしい。二週間足らずの間に随分と仲を深めている。


 友人――と呼べるほどの仲ではなかったであろうが、決して他人の距離ではない、ツィロとタイロンの犠牲を目の前で見たファルコ。悪友――幼馴染みの危機に駆けつけることすらできず、無力感に苛まれていたチャールズ。ふたりには何か通じる部分があったのかもしれない。


「これから、チャールズくんが戦うのに……」

「心配?」

「……大丈夫、なんだよね?」

「うん」

「ほ、本当に?」


 舞台上のチャールズは武骨なナイフを持ち、剣を構える相手と向かい合っている。


「チャールズはタイロンやツィロに比べたら体格には恵まれてない」

「え?」

「戦士や騎士っていうより、どちらかと言えば斥候向きのタイプだよ。でも、男爵領に残って斥候になるための特殊訓練を受けなかった。わたしと学園に来て、前線で戦うって道を進み始めてる」

「どういう、こと?」

「んー……どういうこと、だろう?」

「え?」

「なんだか、話してる内にわからなくなっちゃった」


 話を打ち切ったティリーに、ファルコは何か言いたげな顔をした。しかし舞台上の教師が手を上げたため、口を閉じる。


「両者、指輪は持っているな?」


 指輪争奪戦の決勝戦だ。本戦出場者は左手の薬指に指輪をはめなければならない。左手の薬指は心臓に繋がる指とされる、神聖な指だ。教師は両者の指を確認し、声を張り上げた。


「本戦第一試合! 篝火の団・チャールズ対百鬼の団・エッボ=アンデ! 試合開始!」


 先に動いたのはエッボだ。剣を振り上げてチャールズに突進してくる。


 巨躯から繰り出される突進の迫力に、隣のファルコが短い悲鳴を上げた。しかしティリーと舞台上のチャールズは動じない。迫力はあっても……遅いのだ。


 チャールズの動きは最小限だった。前傾姿勢を取り、音もなく、足場を蹴る。エッボと正面から相対し、衝突する寸前――わずかに身体を斜めにして、ナイフを動かした。


(おっ)


 彼のナイフが何をしたのか、その瞬間を目で捉えられた者は多くないだろう。


 おそらくエッボ本人すら、最初は何が起きたのかわからなかったはずだ。彼が己の身に起きたことを知ったのは、痛覚の情報より視覚からの情報が先行していた。その証拠にエッボが絶叫を上げたのは――指輪をはめていた左手の薬指が宙を舞い、鮮血が噴き出して、少しの間が空いてからだった。


「ぇ……」


 呆気に取られた声が隣で漏れる。


 騒がしかった円形闘技場に一瞬の沈黙が落ち――次いで、客席から悲鳴が上がった。それもそうだろう。客席には血を見慣れない貴族の夫人や女子生徒たちもいる。彼女たちにとって、指が撥ね飛ばされる瞬間など、見るに堪えない光景だ。


 ティリーの頭の中に『黄色いカンセイなどいらない』と、そう言ったチャールズの顔が浮かんでくる。つまり彼は最初から、こうするつもりだったのだ。悪友を襲ったヤツらへの報復である。


 騎士科に入学しておよそ二か月の学生から、指を奪うこと。それは、今後の人生を奪うことに等しい。生ぬるい報復ではなく、やるのであれば徹底的に。


「ティ、ティリーさん、指っ、指が……!」

「飛んでったね」

「こ、これっ、やりすぎなんじゃ……!?」

「わたしなら――」


 手首ごと撥ね飛ばしたよ。


 そう返せば、ファルコの顔から血の気が失せていく。


 エッボが剣を落として、膝を着いた。指が消えた部分を握って、困惑とショックで絶叫している。チャールズはやはり足音もなく、エッボの背後に立ち、武骨なナイフを振りかざした。


 刃が太い首を切り裂く――ことはない。チャールズは柄の尻の部分で、エッボのこめかみを強く殴打した。意識を失った巨躯が舞台上に沈む。


「勝者、篝火の団・チャールズ!!」


 教師が――審判が判定を下した。学生参加の行事だ。舞台の下に待機していた医療班が素早く上がってきて、エッボ本人と彼の指を回収していく。


 騎士科の学生が本物の武器を手に戦うのだ。当然、流血沙汰になることは、戦う本人も観客も理解していただろう。しかし頭でわかっていることと、実際に目にしたあとの気持ちが、解離していないとは限らない。


 沈黙が落ちた中、審判を務める教師が声を上げる。


「百鬼の団、次の選手は前に!」


 動きを止めていた百鬼の団の二番手が、仲間に背を押される形で舞台上へ上がった。顔色は随分と悪く、指輪がはまった左手の薬指をしきりに撫でている。


 舞台上に残っていたチャールズは落ちついているようだ。武骨な、禍々しいナイフをくるりと回していた。


 正反対の両者の様子――勝負はすでについている。


 その後、チャールズはあっさりと五人抜きを果たした。全員が全員、自身の左手の薬指に木を取られており、隙だらけだったことが敗北の要因のひとつだ。なんでもないような顔で戻ってきたチャールズを迎えるファルコは、引きつった顔をしていた。だが第一声が「だ、大丈夫だった?」だったことを考えると、関係が悪くなることもないだろう。


「怪我、してない?」

「おう。全然」

「そ、そっか……」

「……ま、いろいろ思うところはあるかもしれないが、俺は後悔も反省もしてねえ。やるべきことをやったって思ってる」


 真剣な声音に、ファルコは口を閉ざし――そのまま、微かに頷いた。長い時間をかけた付き合いがあるわけではない。それで充分だとばかりに、チャールズは小さく、吐息のような笑みをこぼした。


「チャールズ」

「……ん?」

「とりあえず、おかえり」

「ああ。ただいま……で、残りのヤツらはどうする?」

「残り? んー、本人たちがやるでしょう?」

「本人……? な、んの話……?」


 ティリーとチャールズは顔を見合わせる。そして理解できていないファルコのほうを向き、どちらからともなくニッと笑った。


「報復も復讐も仕返しも、自分でやらなきゃスッキリしねえんだよ」

「舞台に上がって来たのは五人だけど、ふたりを囲んでたのは、まだいるよね」

「ああ。あとは復活したアイツらがやるさ」


 指一本程度で納得するふたりじゃない、と。


 重い空気が漂う円形闘技場に、どこか場違いな、ふたりの笑い声が響くのだった――








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