第39話 ちょっとしたミスでした
騎士科の教師にはひとりひとりに個室が与えられている。一年七組の担任で、基礎剣術を担当する若手の教師――ティモ=オクスの部屋は、今年赴任したばかりということもあり、まだ荷物が片付けきれていない状態だった。
そんな部屋の中にティリーはいた。書類が積まれた執務机の前に立つ彼女は、呼び出されたことに対する不満を隠そうともしていない。ぶすっとした不貞腐れた顔で担任の教師と向かい合っている。
「フェッツナー、どうして呼ばれたかわかるか?」
「昨日サボったから?」
「……問題なのはサボった理由だ。なんで学園を休んだ?」
「んー、月曜日は学園に行きたくなくなるものだから?」
「その気持ちはわかる。わかるけど……!」
さほど歳の離れていない担任が頭を抱えて唸った。
トム曰く――担任のティモは元近衛騎士であるが、身内が政治的な闘争で敗北し、若くして城を去ることになったそうだ。その後の進退を考えていた時、母校の教職に推薦され、基礎剣術の授業の担当になった。通常であれば新任の教師が担任を任されることはないらしい。だが何故か彼は一年七組の担任に抜擢されたとか。
頭を抱えていたティモが深く溜め息をついた。そして、やや据わった目でティリーをじーっと見つめながら口を開く。
「単刀直入に聞く。フェッツナー、きみは二年生の課外演習の妨害と、今朝の暴挙に関わっているか?」
「どうして?」
「被害者に恨みや悪感情を持っている人間を探した時、きみの名前は早い段階で出てくる。彼と――否『百鬼の団』といろいろあったようだからな」
「えーと……ちょっと待って」
そう言ってティリーはポケットから一枚の紙を取り出した。折りたたんであったそれを開き、目を落としていく。
「あった」
「何がだ?」
「『わたしはなにもかんけいありません』」
「いや、棒読み!」
「あとは……『ひゃっきのだんにうらみをもつひとは、たくさんいるとおもいます。ひょうばんがわるいから。わたしをなざしされるのは、しんがいです』」
「待て待て待て。ソレ、アレだろ? 問答集だろ!?」
紙――カンニングペーパーに伸びてきた手を、一歩下がって避けた。トムが用意してくれた問答集を手に、彼女は次の問いを待つ。
「きみは……っ、自分が何をしたのかわかっているのか? 課外演習の妨害だなんて真似をして、ただで済むとでも?」
「『わたしはなにもかんけいありません』」
「一歩間違えれば死人が出ていた可能性もある」
「? 実戦なんだから、その可能性はいつもあるでしょ?」
何を言っているんだろうとばかりに、ティリーは首を傾げた。武器を持って戦うのだ。完全なる命の保障があるはずもない。
彼女があまりにも当然のように言ったからだろう。ティモが顔を顰めた。
「っ……同行した教師は責任を取って辞職したぞ。なんとも思わないのか?」
「んーと……教師のこと……教師のこと……あった。『いろいろとたりなかったからせきにんをとるはめになるのでは?』」
「どういう意味だ?」
「え? 意味まではわからないよ。書いてないもん」
あまりにも堂々と紙の正体を明かすティリーに、担任は顔を顰めたままだ。しかし彼女は気にする素振りもなく、向かい側のティモから目を逸らさないでいた。
「……報復のつもりなら、やりすぎだ。きみが関係している証拠が出れば、退学も免れないぞ」
「うん、そうかもね。でもたぶん、報復とか復讐って、やりすぎるくらいがちょうどいいんでしょう?」
「後悔はないようだが、愚かなことをしたな、フェッツナー。入学初日の停学とは比べ物にならない問題だ」
低くなった担任の声にも動じず、むしろティリーは首を傾げる。
どうも担任の教師――学園はティリーたちが犯人だと気付いているようだ。無理もない。ツィロとタイロンが百鬼の団に襲撃された直後に、同じ団のファルコが寮で情報を集める姿は、決して少なくない数の寮生に目撃されているだろう。丸一日もあれば学園はそのくらいの話を入手できてもおかしくはない。
とはいえ、即座に処罰されたわけではないのだ。こうして呼び出され、事情聴取のような面談をしているのは、トムの言った通り、証拠や確証がないからだろう。
ティリーは担任のティモの話を聞き流しながら、今から数時間前のことを思い出していた――
――昼休み。
ティリーは『篝火の団』の狭い団室にいた。安っぽい横長のベンチに腰掛ける彼女の前には、ひとり掛けの背もたれのない丸椅子に座るチャールズとファルコがいる。校舎が違うため、トムは少し遅れてやって来た。
「お前、何やってんだ?」
開口一番、トムはティリーを静かに糾弾した。
「何って……バゲット食べてる……?」
丸々一本のバゲットにかぶりついていた彼女の口元には、パンくずがついている。見ればわかることを何故聞くのか。きょとんとした顔で見つめ返せば、トムはしばらく沈黙し――深い溜め息を漏らした。
「今何してるかの話じゃない。エッケハルトのことだ」
「うん?」
「裸に剥いて吊るしたな?」
「うん。言われた通りにやったよ」
「言われた通り?」
「うん」
彼女が自信満々に頷けば、彼の口から二度目の溜め息が吐き出される。
「誰が『大門前』に吊るすって言った?」
「うん?」
ティリーは目をまたたかせた。
「俺は『黒門』に吊るすって伝えたと思うんだが?」
「そうだっけ?」
彼女はチャールズとファルコを見る。
「俺はなんにも聞いちゃいねえよ」
「し、知らない……そ、そんな物騒な企てに、関与してないから……」
どうやら彼らは何も聞いていないようだ。つまるところ話は、言った言わないの水掛け論の様相を呈してくる。
「って、ふたりは言ってるけど、本当に黒門って言った?」
「ああ。言った」
「そっか。じゃあゴメン。間違えた」
ティリーは水掛け論にするまでもなく、あっさり謝った。
「間違えた?」
「うん。ちょっとしたミス」
自分の記憶とトムの記憶。どちらが正確かは考えるまでもない。頭の出来が違うのだ。絶対的に自信がある場での記憶以外、彼のほうを信じるのは自然なことだった。
トムの口から三度目の溜め息が漏れる。
「ちょっとしたじゃねえよ……」
「ダメだった?」
「黒門……騎士科で起きた少々のヤンチャは、学園からも家からも目こぼしされる。でもそこに、他の貴族も絡んできたら厄介だ。特に、年頃の令嬢に若い男の裸を見せるってのは……あああ……久しぶりに胃が痛い……」
そう言いながら、ついに彼は団室の壁に背中を預けてしまった。胃が痛いと言いつつ押さえているのは頭で、どうやら本気で悩んでいるようだ。
「そんなにダメだった?」
同じ問いを投げればトムは「わかんねえ」と、珍しく明言を避けた。
「まあ、間違いなく苦情はくる。その苦情に学園がどう対応するか、だな……もっとも、課外演習の妨害にしたって、全裸で吊るした件にしたって、証拠はない。幸か不幸か、百鬼の団の評判は悪いからな。その分、容疑者になりそうなヤツは山ほどいるしよ……しらを切り通せば、なんとかなる……可能性が高いのは、高い……?」
ブツブツ呟く彼は対応策を考えはじめたのだろう。だとすればティリーにできるのは座して待つだけだ。バゲットに直接かぶりつく。黙っていたチャールズと、口を挟めなかったファルコも昼食を再開させた。
そしてトムは昼食を口にしないまま、午後の授業もサボり、三人分の問答集を完成させてくれたのだ。あまりの周到さにティリーたちは驚いたが、トムは真剣な表情で言った。こういうものは早めに用意しておくべきだ、と――
――現在、トムが危惧した通り、ティリーは放課後になった途端に担任の教師に呼び出されている。
「フェッツナー、聞いてるのか?」
「んー、なんとなく」
しらを切り通せ。
難しいことがわからないティリーに授けされたトムの謹言だ。その通りにしていると、ティモ=オクスの部屋の扉が叩かれた。担任が「はい」と返事をする。誰だろうと思うような顔はしていない。つまり来訪をあらかじめ知っていたということだ。
扉を開けて白髪の男が入って来る。
(この人って……)
さすがのティリーにも見覚えがあった。
入学式の日、騎士科の総責任者として挨拶をしていた白髪の総長――マクシミリアン=フォン=ヴィッテルスバッハが、そこにいた。
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