第38話 駆け巡る噂:Side Various


 それは久し振りに雨がやんだ、火曜日の朝のこと。


 帝国学園は広い敷地を、ぐるりと高い塀に囲まれている。塀の外――『大門前』には侯爵家以上の高位貴族の馬車が列を成していた。その登校風景自体は日常のものなのだが、今日は一段と騒がしい。時折、女子生徒の悲鳴すら聞こえてきた。


 伯爵位以下の貴族の子息令嬢や平民は、少し離れた場所にある『正門』の付近で、大門前の異変を察知し、首を傾げている。騎士科の学生専用の『黒門』付近でも、向こうで何か起きているらしいぞと、やや遅れて話が聞こえてきた。


 何が起きたのか、その全容を聞いた生徒たちの反応はさまざまだ。





Sideクルト


 朝一番、クルトはコンラートが在籍する五組の教室に飛び込む。


「た、大変だよ! 聞いた!?」

「ああ。面白いことになったな」

「面白い!? 何言ってんの!?」


 呑気どころか、むしろ楽しげな顔の友人に、クルトは思わず声を上げた。


 課外演習に出た二年生の班のひとつが、予定を過ぎても帰ってこない。そんな話が出回ったのは昨日のことだ。


 聞くところによれば、十人規模の班は盗賊討伐の依頼を請けて出発し、金曜日、土曜日、日曜日の三日で解決、帰還する行程だったらしい。しかし任務終了の連絡もないまま、月曜日の放課後になっても、生徒や引率の教師が帰らなかった。


 事態を重く見た学園側は、三年生の実力者を揃えて対応することにしたそうだ。クルトたちの直接の先輩である、マティアス=フォン=ハルティングやアクセル=アッカーマンも駆り出されることになったと言っていた。


 クルトやコンラートは、問題の裏にいるのが誰か、おおよその予想がついている。だからこそ、再びマティアスたちと彼女が揉めることになれば面倒だと、戦々恐々としていた。


 だが、学園側が動こうとした寸前で、事態は動く。


「大問題だよ……本当にマズいって……!」

「そうか? いっそ愉快だと思うが」

「黒門ならね!? まだ……まだ良かったよ! でもさ、大門前はダメだろ!」


 今朝、大門前に集まった高位貴族の子息令嬢――彼女たちが見たのは――


「ありえないよ! 全裸の男子生徒を門に吊るすなんて!!」


 異性の肌を直接見るのは初夜――というのが、貴族の令嬢における常識的な考え方だ。そんな令嬢たちが登校して来た時、最初に目に入るところに、衣服を剥かれた全裸の男子生徒が吊るされていた。


 すぐに職員が下ろそうとしたが、縄の結び目は固く、なかなか解けなかったらしい。しかもナイフで切らせないためにか、縄には油が染み込ませてあったとか。現場は阿鼻叫喚。女子生徒は悲鳴を上げて馬車に逃げ帰り、カーテンを固く閉ざした。


 学園側は男子生徒を下ろしたあと、事件の詳細がわかるまでは何も言わないようにと、緘口令を布いた。だがそんなものは意味をなさない。朝のホームルームが始まるよりも前に、吊るされていた男子生徒の名前が広まった。


 それは、エッケハルト=フォン=ローレンツ。


 行方不明になっていた班のメンバーで、中心的な役割を担っていた人物だ。『百鬼の団』の二年生で評判はあまり良くない。しかし中央貴族の中で力のある家の嫡男のため、それなりの人数が彼の周囲にはいる。


「騒ぐほどじゃない。フェッツナー男爵家の人間の復讐にしては可愛いものだろ」

「可愛いって……」

「仲間をやられたんだ。両手両足圧し折って魔物に食わせてもおかしくない」

「……怖いんだけど、ソレ……」

「身内に手厚く、時にどこまでも冷酷になれる。羨ましくなるほど、いい家門だ」


 そう話すコンラートの相貌は、甘い。基本的に無表情な男だが、一緒にいる内になんとなく感情が読めるようになった。


「けど、少し思うところもある」

「って言うと?」

「エッケハルト=フォン=ローレンツを吊るしたのが彼女なら、自らの手で服を剥ぎ、裸にしたということだ。少々妬ける」

「おまえさ……」


 クルトはじとりと目を細める。


「なんか、開き直ってるだろ? 婿入り候補の件を知ってる俺相手にだったら、恋愛の話してもいいって思ってるよな?」

「ああ」


 政略としての婿入りを狙っているだけではないのだろう。日々問題を起こし、騎士科の話題の中心にいるティリー=フェッツナー。彼女の話を耳にする度に機嫌が良くなり、無表情の貌に感情を乗せる友人は、おそらく、恋心というものを抱いている。


(女の趣味悪いね……とか言ったら怒りそうだ)


 とはいえ、彼の抱く恋心など、可愛らしいものだ。何せ『暁の団』の団室ですれ違った時が一番近付いた瞬間で、それ以降、話しかけたことすらないのだから。好きな相手に声をかけることも近付くこともできず、活躍した話を聞いて恋心を募らせる毎日――


「乙女か」

「ん?」

「……いーや、なんでもない。そろそろホームルーム始まるし、クラスに戻るよ」

「そうか。わかった」


 本当にしたい話――エッケハルトのことや、百鬼の団の動き、指輪狩りのラストスパートの話などは、半分もできなかった。だがまあ、変に恋心をこじらせられても困る。たまに恋愛話を聞いて気を落ちつけさせることができるなら、それがいい。


 教室を出たクルトは深く息を吐き、未だ騒がしい騎士科の廊下を歩き出したのだった。





Sideスミロ


 帝国学園騎士科の二年生、スミロ=ヴァルデがコトの一部始終を聞いたのは、火曜日の昼休みのことだ。課外演習から帰還してみれば、何やら学園中が騒がしい。クラスの友人に話を聞いて、スミロはつい笑ってしまった。


 笑いすぎて友人は引いている。


「今の話のどこに笑う要素があるんだよ……」

「ははっ、だって全裸で吊るすって……そんなの考えてもやらないだろ、普通」

「いやいや。普通は考えもしねえって」


 友人は引きつった顔で言う。


「全裸だぞ? 全裸。社交界の縮図みたいな学園でそんなの晒してみろ。貴族として死ぬぞ」

「本当に死ぬよりマシだろ?」

「どうだかな。誇り高い貴族なら、本当に死ぬほうがマシだって言うかも」

「お前は?」

「俺? はは、しがない子爵家の三男だぜ? 名誉より金、金より命だ。でもさ、吊るされたエッケハルトは違うだろ?」

「ローレンツ伯爵家の嫡男か」


 ローレンツ伯爵家といえば中央貴族の中でも有力な家だ。スミロの生家であるヴァルデ伯爵家とは、事業や政局に関することで、決して少なくない確執がある。


 奇しくも同学年であるため、入学当初からエッケハルトはよくスミロに因縁をつけて絡んできた。スペアのスペアは生きるのが大変だなと、顔を合わせる度に言われていた。


 スミロは家同士の確執にあまり興味はない。そのため基本的に聞き流していたのだが、エッケハルトはそれが気に食わなかったようだ。実の兄を追い落とそうと考えているのか……と、ありもしない陰謀論をぶつけられたこともある。おそらくスミロのほうが成績が良く、腕も立つため、妬みもあったのだろう。


「これから大変だろうな」

「ん? なんだお前、よく絡まれてたってのに、エッケハルトの心配してんのか?」

「べつに嫌いじゃないしな。鬱陶しくはあったが、ま、わかりやすく有力貴族の嫡男様をしてるなって思ってた」

「スミロ、お前……そういうとこだぞ?」


 友人の呆れたような視線に、スミロは首を傾げた。


「そういうとこって?」

「『アンタに興味アリマセン』って反応。俺もアイツが好きなわけじゃねえけど、敵意向けてる相手に『ああ、そう』みたいな態度取られたら、そりゃ腹立つだろ。求めてる反応が返ってこないからしつこく絡んできてたんだよ」

「そうなのか?」

「そうなの!」


 同格の伯爵家ではあるが、スミロは三男で、エッケハルトは嫡男だ。敵対する派閥の家の子に因縁を吹っ掛けるのは、嫡男としてのプライドや義務、家の方針だと思っていた。だからスミロは嫡男も大変だなと他人事のように流していたのだ。


 期せずしてエッケハルトが絡んでくるのをやめない理由を知った。だが、だからとはいって今後相手をするかと聞かれれば否と答えるだろう。積極的に関わりたい相手でもないし、そもそも、望む反応を返したところで絡むのをやめるような人間だとも思えない。


「まあ、スミロの反応がどうとかってのはともかく、エッケハルトはあれだけの醜態を晒したんだ。おとなしくなるだろ……もしくは辞めるかもな」

「そうか」

「……ほら、そういうとこだ。お前さ、たまには女のこと以外にも興味持てよ。来るもの拒まずでやってると、その内、痛い目見るぞ?」

「ん? ああ、大丈夫だ」

「ああ? 何が大丈夫なんだよ。いくら剣の腕が立つからって、ベッドで刺されたら対処できねえだろ?」

「違うよ。やめたんだ、そういうの」


 ポカンとした顔の友人がポツリと「色情魔のお前が?」と漏らす。自分に好意的であるはずの友人の評価がソレでは、他の人間からの評価はもっと酷いかもしれない。それを聞かれなければいいんだが……と、スミロは苦笑して頬を掻くのだった。






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