第40話 騎士科総長


 マクシミリアン=フォン=ヴィッテルスバッハ。御年七十二歳――


 かつて帝国の騎士団を率いたことのある人物だ。三十年ほどまえ、四十代の男盛りの時に当時の皇帝の推挙を受けて学園の教師として赴任した。当時は隣国との情勢が不安定だったため、未来の武人や騎士の教育、育成に重きを置く政策指針が示されたからだ。


 その後、わずか十年で枯葉帝国学園騎士科のトップである『総長』の椅子まで上り詰めた。それから二十年以上、マクシミリアンはその座に座り続けている。屈強な体躯は老いとは無縁のようだが、反対に、すっかり白くなった髪とヒゲから『白翁殿』と呼ばれることもあった。


 貴族の子息令嬢が、一部の例外を除き通う帝国学園。そのトップに二十年に渡り君臨し続けている彼は、帝国内の武門や軍閥家系の貴族に対し、多大なる影響力を持っている。


 担任のティモ=オクスはマクシミリアンに席を譲り、後ろに控えるように立っていた。三十代前半という彼の年齢を考えれば、ティモが学生だった頃も、マクシミリアンは総長だったのだろう。先ほどよりも表情は硬く、やや緊張した面持ちだ。


「ティリー=フェッツナー」


 マクシミリアンが低い声で彼女の名前を口にする。内容はなんでもないことで、張り上げているわけでもないのに、腹の奥底に響くような声だった。


「そなたが今回の件に関与しているのか否か、真実はもはや関係ない」

「へ?」

「学園として重要なのはこの件に関し、どこを落としどころに持っていくかだ。問題はすでに騎士科の中だけでは収まらず学園全体に波及している」

「ああ、うん、なるほどなるほど」


 難しい言葉を理解しきれず適当な相槌を打てば、総長――ではなく、その後ろの担任教師が顔を顰める。怒りではなく、呆れが滲んだ顔だ。白いヒゲの白翁殿は表情を変えないまま、ティリーを見据えてきていた。


「私が赴任した当初の騎士科は――」

「む?」


 なんの脈絡もなく始まりそうになった昔語りに彼女は首を傾げる。マクシミリアンはほんの一瞬だけ言葉を止めたが、そのまま話を続けた。


「――戦える兵を育てるための場所であった。当時の情勢ゆえの教育方針だ。優秀な成績の者の中には卒業後すぐ戦場へ行く者もいた。だが情勢が落ちつき、平和となって久しい今、騎士科で育てるのは、武に長けた戦えるだけの兵ではない」

「よくわかんないけど、確かに、強くなろうって授業ではないかも」

「今の時代で求められているのは戦闘力ではないからだ。攻撃的な能力ではなく、防犯や護衛など守備的な能力と、規律に従い騎士道を重んじる精神に重きを置く時代になった」

「ふーん」

「フェッツナー!」


 どうでも良さそうな反応を返す彼女に、総長が入室して以来、口を閉じていたティモが声を上げる。


「もう少し真面目に話を聞いてくれ」

「まじめに? でも、わたしに求められてるのは攻撃的な能力だから。だって魔物相手に騎士道がどうのって通用しないでしょう?」

「それはそうかもしれないが……」

「同じことをそなたの父も言っていた」

「父上?」


 現フェッツナー男爵のオラフも帝国学園の学生だった。年齢を考えればマクシミリアンが知っていてもおかしくはない。


「彼も在学中の三年間、多くの問題を起こしていた。卒業式の直後、伯爵令嬢を攫って領地に戻った時、誰も驚かなかったほどだ。ああ、あの男ならばやりかねない……と、皆が納得した」

「ソノセツハドウモ」


 どこかで聞いたようなニュアンスの言葉を発すれば、総長は頷いた。どうやら的外れな言葉ではなかったらしい。


 両親の大恋愛については、父の口から直接聞いている。入学式での母との馴れ初めの話に至っては、耳にタコができるほど聞いた。


「突出しているのは男爵家本家の人間だが、フェッツナーの名を持つ者は、多かれ少なかれ問題を起こす。近々で言えばそなたとの従兄たちだろう」

「ソノセツハドウモ!」


 使うタイミングは間違っていないと自信を持てた言葉を繰り返す。


 ティリーの従兄たちはすでに卒業していて学園にはいない。快活で気のいい青年たちで、今は前線に出て、魔物相手に元気に暴れ回っている。


「フェッツナーだけに言えたことではないが、今の時代となってもなお、戦地に身を置く若者たちはいる。そのような者たちにとって、騎士科のカリキュラムは――否、騎士科そのものが生ぬるく感じてしまうのは当然であろう」

「総長、それは……」

「時折現れるそなたらのような存在は、生ぬるい空気や温度を瞬間的に上昇させる。心地の良い温度に慣れた若者には耐えられぬ。騎士科において卒業まで残れる生徒はただでさえ少ない。そして……そなたのような存在がいる世代は、例年よりもさらに卒業生の数が減るのだ」


 ティリーはマクシミリアンを真っ直ぐ見返した。敵意は感じないが、己を見定めようとする気配は感じる。強い魔物と向かい合った時の緊張感に似た感覚だ。


(入学式の時は遠くてわからなかったけど、このおじいちゃん、すごく強い人なのかもしれない。ちょっとくらいなら――)


 攻撃を仕掛けてみてもいいだろうか――そんなことを考えた瞬間、マクシミリアンの視線が鋭くなった。その変化に不思議とやる気が削がれる。


「馬鹿な真似はやめておきなさい」

「うん」


 ふたりのやり取りに担任教師は「え?」と状況がわかっていないようだった。だがティリーもマクシミリアンも気にせず、会話を続ける。


「そなたの父――オラフ=フェッツナーがいた世代は、帝国学園騎士科至上、もっとも卒業生の数が少ない。だがその反面……例年に見ないほど有能な人材が育ち、残った、黄金世代でもある」

「え?」

「今の近衛騎士団を統括する総団長も同窓生だ。閉鎖的とされる海軍の上層部にも多く食い込み、各地の武門の当主として名を上げている者も少なくない。彼らは皆、生ぬるいだけの学生生活では生まれず、多くの生徒を振るい落とす波乱と過酷な状況の中で生まれた人材だ」

「その話は、今朝のこととなんの関係があるの?」


 要領を得ない。もしかすると自分の理解が追いついていないだけかもしれないが。ティリーは浮かんだ疑問をそのまま口にした。


「単純な話だ。そなたの存在が、生ぬるいだけの水槽に投じられた焼石となるのであれば、切り捨てることはない」

「うん?」

「現状維持は退化と同じだ。数年に一度、あるいは数十年に一度、鈍り切った現状を破棄せねばならない。情勢も落ち着き、平和な時代になった。だがそれが未来永劫続く保証はない。戦える人間がいなくなることはあってはならんのだ」


 低い声が再び、彼女の名を紡ぐ。


「問おう。そなたは一石と成るのか、否か」


 真っ直ぐな目に自分の顔が映っていた。真剣な空気を纏う白翁殿――帝国学園騎士科の総長に、ティリーは――


「そんなのわからないよ」

「何?」

「周りがどうなればいいとか、考えたこともない。わたしはやりたいようにやるし、やれることをやるだけだから」

「……そうか」


 緊迫した空気が霧散する。マクシミリアン=フォン=ヴィッテルスバッハは目を閉じると、抑揚のない声で言った。


「ティリー=フェッツナー。もう行っていい」

「うん」


 彼女は総長とその後ろの担任に背を向ける。


「指輪狩りは優勝できそうか」


 扉を開けて出る寸前、低い声が投げかけられた。ティリーは振り向かずに上げた手をひらひらと振る。


「よゆーだよ、よゆー」


 部屋の中のふたりがどんな顔をしていたかは不明だが、彼女の態度に担任が「フェッツナー!」と声を上げるのが聞こえた。


(それにしても、結局どういう意味だったんだろう? ……ま、それはトムに考えてもらえばいっか)


 普段と変わらない軽い足取りで彼女は廊下を進む。途中、指輪をつけている生徒を見つけた。昏倒させて奪い、そのままトムたちが待つであろう、篝火の団の団室へ向かうのだった――。



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