第33話 帰って来た男
ティリーは医療棟を歩き回り、病室をひとつずつ開け放って行く。意識のある患者や見舞の生徒はティリーの姿にぎょっとしていたが、彼女は気にしない。その内、気付いたが、どうやら奥に行くほど重傷者の病室になっているようだ。
(この部屋にもいない)
足はどんどん奥へ進んで行く。
病室のドアを開ければ眠っている者も多く、包帯の量も増えていた。しかしまだツィロもタイロンもいない。焦燥を落ち着けるように、ティリーは深く息を吐く。もっとも、それにほとんど効果はなかったのだが。
途中で医療棟の男性スタッフとすれ違い、声をかけられた。
緊急ですか。怪我をしているのですか。濡れていては風邪を引きます――など、そのスタッフはひと通りの心配をしてくれた。ティリーが答えずにいると、身体的に問題はないと判断したのか、今度は衛生観念がどうと注意の言葉を投げてくる。やや早口で感情の乗った言葉。今のティリーには鬱陶しく、耳触りだった。
彼女は片手でスタッフの白衣の胸元を掴む。
「ぐっ」
「今日、運ばれてきた男子生徒。巨漢とヒゲヅラ。どの部屋?」
「な、何……?」
「どこ?」
「っ、うっ!」
掴んだ白衣を上に吊り上げれば、彼は苦しげな声を上げた。そして腕を動かして奥を指差す。
「この、三つ先の……」
「わかった」
ティリーが手を離せば、スタッフは咳込みながら首元をさすった。苦しげで、自分を見つめる目には怯えの感情が滲んでいる。
「ありがとう……あと、ごめん」
ほんの少しだが頭が冷えた。ティリーはそれだけ言い残し、彼が告げた病室のほうへ進んで行く。
横開きのドアを開ければ、ベッドが四つ並んでいる。血と土で汚れた騎士科の白い制服が壁にかけられていた。ぐっしょりと濡れているようで、その下には水溜まりができている。
四つあるベッドの内のひとつに包帯まみれのツィロがいて、隣のベッドに、同じく包帯でぐるぐる巻きにされたタイロンがいた。わざと足音を立てて近付く。飛び起きてくれればと微かな期待があった。
(起きない……)
巨漢のタイロンには病室のベッドは狭そうだ。ただでさえ大きな顔だったのに、怪我のせいで腫れてさらに膨らんでいる。見えている場所でさえそうなのだ。包帯を巻かれた――つまりより深い傷を負った部分は、なおのこと酷いのだろう。
隣のベッドに近付く。
ツィロの意識もなかった。かろうじて上下する胸に安堵する。だが状態を確かめようと掛けてあった布団をはがし、眉を寄せた。
(腕……折れてる)
治療されているため度合いは不明だが、固定された左腕が骨折を物語っている。なんにしても完治するまで――これまでと同じレベルで戦えるようになるには、長い時間がかかるだろう。
バクバクと心臓が早鐘を打つ。将来、自分が女男爵となり『赤狼騎士団』を率いる時、三馬鹿は共に前線で戦うのだと、ずっと思っていた。それが当たり前で、今はそのための修行期間なのだと。なんの疑いもなく、そんな将来を思い描いていた。
何が悪かったのか、わからない。何をどう間違えたせいで、ツィロとタイロンが意識不明の重傷を負っているのか。苛立ちが募る。敵への怒りもあるが、どちらかといえば、自分自身への苛立ちのほうが大きい。
ティリーは小さく唸った。
獣のような唸り声――は、ふと止まる。
病室のドアをジッと見つめていると、やがて足音が聞こえて来た。だんだんと近付いてくる足音はドアの前で止まる。そして少しの間ののちにドアが開いた。
そこに立つ人物を視界に捉えたティリーは目を見開く。
「トム……」
「よう、酷い有様だな」
フェッツナー男爵領に行っていたはずの彼が、そこにいた。
普段は気分によって髪型を変えているトムだが、今日は何もしていない。それどころかぐっしょりと水に濡れており、服も制服ではなく私服だ。
「人のこと言えないと思うけど。濡れ鼠四号」
「あ? 濡れ鼠? 仕方ねえだろ。この天候で男爵領から馬飛ばして帰って来て、そのまま学園まで来てんだぞ。それより……えらいことになったな」
「……ん」
ティリーが意識のないふたりに目を向けると、トムが病室の中に入って来た。濡れた足音を立てながら隣に近付いた彼は低い声で「ティリー」と彼女の名を呼ぶ。
「何?」
彼のほうを向くと――
「なに、してるの?」
トムは、深く頭を下げていた。
「指輪狩りでどう動くか、作戦を立てたのは俺だ。今回のことの責任は俺にある」
「作戦通りに動けば絶対成功するってことでもないでしょう? それにトムはここにいなかったんだし、状況はわからないわけで」
「それは言い訳にはならないだろ。現場にいないから策がハマりませんでしたって、どこの馬鹿軍師の言い訳だよ」
「とりあえず、頭上げなよ。話しにくい」
「だが……」
「それに殴りにくいから」
「……余計に怖くなった。顔上げんの」
と、言いながら顔を上げたトムは、引きつった笑みを浮かべている。無理に表情を作ったのだろう。彼にしては珍しく取り繕えていない。後悔に苛まれた顔だ。
「殴んねえの?」
「今はまだ」
「……責任感じてる身としては、感情のまま一発殴ってもらったほうが楽になれんだけどな……」
「わたしは何も言ってないよ。なのに勝手に責任感じて殴れって?」
「俺は――」
眉を寄せる彼が何を言うのか、ティリーは黙って聞くことにした。
普段、飄々として、冷静で、仲間内の中では一番大人の落ち着きのある青年だ。十代になったばかりの頃までは、同じように馬鹿騒ぎをしていたが、いつの間にかひとりで大人になってしまった。彼に任せておけばどうにかなる。そんな風に頼ってばかりだった。
(こういう顔、久しぶりに見たかもしれない)
トムは深く息を吐いて、静かに「見誤った」とこぼす。
「甘く見てたんだ。帝国学園っつっても、所詮はたかが騎士見習い。貴族の坊ちゃんたちを相手にするのは、俺たちなら楽勝だってな……圧倒的な力がある。あとは状況を見つつ、勢いで押せば問題なく行ける……そう判断した」
「判断したのはトムかもしれないけど、決定したのはわたしだよ。わたしだし、ツィロだし、タイロンだし、チャールズだ。みんながそれでいいと思って行動していた。そうでしょう?」
「責任の分散がしたいわけじゃねえ……」
「なるほど。じゃあ歯を食いしばって」
「あ?」
言うが早いかティリーの拳がトムの横っ面を打ち抜いた。さほど力を込めたつもりはなかったが、トムはふらつきながら壁に手をつき身体を支えた。
「なあ……歯を食いしばる時間、あったか?」
「殴ってくれって言ってたし、心構えはできていたんでしょう? まあ、殴りはしたけど、やっぱりトムに責任はないよね。あるとしたら、わたし。違う?」
「っ、何を――」
「とりあえず、これからのことを考えないといけない。どこでどう暴れるか、報復相手は誰なのか。その辺、しっかり決めないとね」
腹の奥の感情の火は消えていない。だが、自分と同じようなことをウジウジ悩んでいるトムを一発殴り、少しだけスッキリした。気持ちが前向きになり――敵への報復を決行しようという考えに至れたのだ。これも一歩前進である。
大きな音を出したのに、ツィロとタイロンは目を覚まさない。意識は深いところに沈んでいるのだろう。
全員に油断があったことは否めない。だったらもう油断しなければいい話だ。今はまだはっきりしない敵の全容が明確になった時、その喉元に食らいつく。その瞬間のために今は牙を研ぐ時だ。
「報復や復讐は自分でやるほうがスッキリするんだよ」
だから早く目を覚ませと、ティリーは悪友ふたりの手を、左右それぞれの手でぎゅっと握った。
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