第15話 暁の団の拠点にて:前
アンデルセン帝国学園のシンボルである古い鐘塔。時刻を告げる役目を担う塔は、学園のどの建物よりも背が高く、古いながらも未だ現役だ。低い鐘の音が学園中に響き渡り、午後の授業の終わりを告げる。
その日ティリーの所属する一年七組の最後の授業は、八組と九組と共に、基礎訓練の合同授業だった。体力向上を目指す厳しいカリキュラムに新入生はヘロヘロで、ほとんどの生徒が土の地面に伏せっている。死屍累々。そんな中でティリーは呼吸を整えながら、汗を拭う。その顔に疲労の色はほとんど見えない。
「あいつ、バケモノかよ……平然としてやがる……」
「はあはあ……女子生徒用の、メニューだからだろ……」
「バカか……あいつは、男子生徒用のメニュー、こなしてたぞ……」
数こそ少ないが、騎士科には女子生徒もいる。その数少ない女子生徒のほとんどは武門の家系の貴族令嬢だ。体力や腕力などの男女差以前に、入学時点で実力に大きな差があることを、教師陣は織り込み済みだった。
貴族令嬢である女子生徒が男子生徒用のカリキュラムを同等にこなせないのは当然のこと。身体を資本とし、肉体についてのプロである教師たちがわからないはずもなく、座学以外の授業や訓練では、配慮がなされている。
もっとも、配慮イコール甘やかしとは違う。女子生徒たちは一か所に集まり、男子生徒たちと同じく、息も絶え絶えになっていた。そこにはクリスティーナ=ニュンケの姿もある。
しかしそこに彼女と友人になったティリーはいない。彼女は八組に所属するチャールズと組んで、男子生徒用のメニューをこなした。合同授業は三組ずつで行われるため、四組にいるタイロンや五組のツィロとは重ならない。
「ゼー……ハー……ハズレクジ……」
ティリーの足元でチャールズが漏らす。
体力強化の男子生徒用のメニューは、男爵領で行っていた訓練とさしたる変わりはなく、チャールズにとっては特段厳しいものではない。ただしそれは自分のペースでこなすことができれば、という前提があってのものだ。ティリーにつき合わされ、今にも吐きそうな彼が『ハズレクジ』を引いたと思うのも無理はない。
「情けないね、チャールズ! 入学して訓練サボってた?」
「う、るせ……この、体力バカめ……」
「チャールズがこの調子なら、ツィロとタイロンもか。明日から早朝の走り込みをはじめよう!」
「っ……すまん、同士たちよ……!」
自分のせいで早朝の走り込みがきまった。チャールズは大の字になって寝転がり、この場にいない同士たちに謝罪する。
頭の中で走り込みのルートを考えていると、ふらつきながらひとりの男子生徒が近付いてきた。顔に見覚えがある。クラスメイトだ。同年代の中にいれば均整の取れた身体つきだが、長年に渡って屈強な騎士を見てきたティリーの目には、どこか頼りない細身の青年に見えた。
「フェ……フェッツナー男爵令嬢……い、ま……少し……いいか、な……?」
「うん?」
「……ティリーはいいけど、あんたのほうが良くなさそうだな……」
チャールズが寝転んだまま鼻で笑う。
「……否定はしない、けど……」
そのクラスメイトは肩を上下させながら苦笑した。息が荒い。話しかけられはしたが、彼の様子を見る限りスムーズな会話ができるとは思えなかった。
「とりあえず喋れるくらい回復してよ。今のままだとあなたが何言ってるのかわからないから」
「あ、うん……」
はっきりと言うティリーに彼は顔を引きつらせる。しかし言い返すわけでもなく、おとなしく息を整えていた。
やがて呼吸が落ち着いたのか、彼が深く長い息を吐く。すでに回復したチャールズは寝転ぶのをやめて、清潔な白いタオルで顔を拭いていた。顔に土がついているのが耐えられないのだろう。子供の頃からそうだった。
クラスメイトの彼はクルトと名乗った。東部貴族レッシュ男爵家の長男で『暁の団』に所属しているらしい。団長のマティアス=フォン=ハルティングが呼んでいる。放課後に『暁の団』に割り当てられている『団室』に来るように、と――彼はそう言った。
午後の授業を終えたティリーたちは、一度それぞれの教室へ戻って、担任の教師により連絡事項を伝えられた。その後、彼女はチャールズが呼んできたツィロとタイロン、話し合いにおける最高戦力のトムと共に、クルトに案内されて団室へ向かった。
団室は騎士科の敷地内にある建物『団室棟』にある。所属する団員数や前年度の功績などによって部屋が割り当てられており、優良な団ほど上の階の広い部屋を使うことができた。
広さや日当たりなどを含め、もっとも施設として充実している五階の部屋を団室として使用しているのは、学園最大規模の団『大海の団』だ。名うての武門が揃う南部貴族のほとんどが入団しているらしい。つまるところ、一枚岩の大集団である。
『暁の団』に割り当てられた団室は、四階にあった。序列としては学園八位の団で、小規模の団としては、かなりの高位にあたるらしい。
案内係のクルトを先頭に、ティリーはトムと三馬鹿を引きつれて中に入った。大きな黒板や本棚、数人掛けの机と椅子とは別に、ソファやローテーブルがある。まるで執務室と応接室がくっついたような部屋だ。
ソファにはマティアス=フォン=ハルティングが腰を下ろし、その隣にアクセル=アッカーマンがいた。入室したティリーたちにアクセルは気さくな笑みを浮かべて、軽く手を上げてくれる。仏頂面で睨んでくる、どこかの御孫殿とは違う。
「大勢引きつれて来たな」
フン、とマティアスが目を細めた。
「そんなにうちに入りたいのか?」
「どうかな?」
「そうだな。お前は最初から慣習で入ろうとしていただけで、どうしてもうちに入りたかったわけじゃない。その前提で聞く。何故ここへ来た?」
「呼び出したのはそっちだと思うけど?」
「先輩の呼び出しに従う殊勝さがあったとはな」
ふたりの間に火花が散る。ティリーとマティアスが睨み合えば、団室の中に重い空気が漂った。
「まあまあ、ティリー、落ちつけって」
「マティアスもだ。ほら、フェッツナー男爵令嬢。立っていないで座ってくれ」
互いの右腕が仲裁に入り、一触即発の緊迫した空気を緩ませる――とはいえ、ティリーもマティアスも互いから目を逸らさない。彼女は目を睨み据えたまま、ローテーブルを挟んだソファに腰を下ろす。
アクセルがティリーの後ろにいた四人を見た。
「きみたちも座るといい」
「イエイエ、俺たちはけっこう。見学者だから」
「トム。お前は座っとけ。ちゃんとした戦力だ」
「そうそう。俺らと違ってな! しっかりやれよ」
「ああ、そうかい。じゃ、お言葉に甘えて」
タイロン、チャールズ、ツィロはティリーが座るソファの後ろを陣取る。トムが隣に座った。長年の付き合いだ。軽い調子で言葉を発しはしたが、隣の幼馴染みが緊張しているのだとわかった。
「で? 呼び出しに応じた理由は?」
「あなたが、赤狼騎士団は要らないって言ったから。その理由を聞きに来た」
「駆け引きも何もなしか」
「そういうの好きじゃない」
「ほう。奇遇だな。俺もだ」
マティアスは同意の言葉を口にしたが、和やかな雰囲気にはならない。当然だ。どちらの目にも剣呑さが宿り、少なくとも、味方を見るめではなかった。
「赤狼騎士団を切るのは、いずれ引き継ぐ予定のわたしが――女だから?」
声を荒げず、静かに、問いかける。そこには『女』だと侮られる不快感など微塵も含まれていない。あるのはただただ純粋な疑問だけだ。彼女は東の王の孫と向かい合う。純粋な疑問だからこそ、答えを濁すことも、はぐらかすことも許さないと――
若い狼の金の目は、真っ直ぐ正面の人間を見据えていた。
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