第31話 無力感:Sideチャールズ
脳筋の友人たちの中で比較的に頭が切れる男、トム。彼は男爵領へ出発する前に、チャールズ、タイロン、ツィロの三人を呼び出して言った。
『絶対にひとりで動くなよ? タイロンとツィロは学園の敷地に入ったら常にファルコと一緒にいろ。チャールズ、お前はティリーから離れんなよ』
自分がどうこう考えるより、頭のいいヤツに考えさせたほうがいい。そう思っていることに加え、特に反論もなかったため、チャールズたちはトムが残した言葉に従っていた。
数日前に振り出した雨は未だにやむ気配がない。湿気で毎朝髪を整えるのがひと苦労だ。おかげで最近は普段より三十分も早く起きるハメになっている。
一階から二階へ続く階段に、チャールズは足を広げて座り膝に肘をついていた。眠たげな顔で欠伸をこぼす。待ち人はまだ来ない。
放課後になったら一年九組を襲撃し、指輪の保持者を打ちのめす予定だった。しかしいくら待っても戦力のティリーが来ない。ひとりで突撃しようかとも思ったが、狼の獲物を横からかっさらう気は起きなかった。
(あいつ、いつ帰って来んだよ?)
そう考えて一度、七組へ行ってみた。しかし彼女は不在で、チャールズはこの場所へ戻って来たのだ。それから三十分以上が経過したが彼女は現れない。
心配ではなかった。帝国学園の騎士科のレベルは高いかもしれないが、すでに戦場の前線に出て、魔物討伐をこなしているティリー=フェッツナーが、騎士見習いごときに後れを取ることはありえない。
むしろ危険なのは……。
「俺か……!?」
指輪狩りで暴れまくっている『篝火の団』の一員。中でも甚大な被害をもたらしているティリーに同行し、同じく暴れているチャールズを狙う者がいるはずだ。幸い、彼が所属する八組は早い段階でティリーに制圧されており、やり返す気概のある学生は、現在病院送りにされている。
呑気に欠伸をこぼしている場合ではないのかもしれない。思い立ったが早いか、チャールズはいそいそと身を隠すことにした。
先ほど七組に立ち寄った時、ティリーの友人のクリスティーナが、彼女は淑女科へ行ったと言っていた。普段のティリーなら呼び出しなど無視しそうだ。けれど呼びに来たのがクリスティーナの先輩だったらしく、彼女はついて行ったとか。
(女友だちができて浮かれてやがんな)
すぐに帰ってくるかと思ったが、未だに姿が見えないことを思うと、なんらかの理由で足止めを食らっているのだろう。ティリーの足を止めることができるのは、自分に好意的な可愛らしい女子生徒か、美味しい食事か、馬鹿強い敵か、使い勝手のいい武器くらいのものだ。
チャールズは足音を消して廊下を進む。彼はタイロンやツィロよりも気配を消すのが上手い。派手で華やかな見た目を装っていなければ、身を隠さなくても、誰の目にも留まらないだろう。その気になればティリーの背後を取ることも可能だ。もっとも襲いかかる瞬間に漏れ出す空気に気づかれ、攻撃が届くことはないのだが。
ひと気が少ない廊下を進む。雨音が大きく聞こえた。
と――
「あ?」
正面から誰か走ってくる。だんだん大きくなってくる人影の輪郭がくっきりし、それが最近つるむようになったファルコだとわかった。
「ファルコか?」
「チャールズくん……!」
目の前で止まったファルコは肩で息をしている。真っ青どころか血の気を失い白くなった顔に大粒の汗を滲ませ、目には涙の膜が張っていた。
「お前、どうした? ひとりか?」
「っ、は……ティ、ティリーさんは……!?」
「いねえよ。淑女科のなんとかって人に呼ばれて――」
「たっ、助けて……っ、チャールズくん! ツィロくんと、タイロンくんが……!」
「あ?」
何か起きていると、瞬時に察した。
指輪狩りで穴となるファルコをひとりにするなというのが、トムの言いつけだ。チャールズと同様にトムに信頼を置くツィロたちがそれを破るとは思えない。チャールズは舌打ちすると、ファルコの腕を掴んで廊下の隅へ寄った。周囲に目を送り、人がいないのを確認する。
ふたりの不在。まるで逃げるように走っていたファルコ。おそらく今は身を隠さなければいけない時だ。
チャールズはファルコを見下ろし、口を開く。
「何があった?」
「さ、三人でいたら、襲撃されたんだ……」
「誰にだ? 知ってるヤツか?」
「違う団の人も、いたけど……ほとんどが『百鬼の団』だった……と、思う。一年だけじゃなくて、二年生もいた……っ!」
「二年? それ、ルール違反だろ」
「見てる、だけだった……逃げ道を塞いで……それで、タイロンくんが残って、逃がしてくれて……ツィロくんも……途中で、追い込まれて……僕を……!」
「場所は? 案内し――」
案内しろと言おうとして、チャールズは言葉を飲み込んだ。
敵は大勢がいるだろう。タイロンとツィロがやられたなら、同程度の実力である自分がどうこうするのは難しい。案内のファルコが同行しているのなら、余計に。勉強のできない馬鹿だが、戦況を読むことはできる。男爵領にいた頃はそればかりやっていたのだ。
無策で乗り込めば、追い込まれる。
チャールズは拳を握った。
腹の奥で怒りの感情が渦巻いている。物心つく前から共にいる友人たちが敵に囲まれて、十中八九、動けずにいるのだ。それなのに頭の中の冷静な自分が飛び出そうとする足を縫い留めている。それになおさら、腹が立つ。
「クソッ!!」
握った拳を壁に叩きつけた。
ファルコが短い悲鳴を上げる。苛立ちのままもう一度拳を壁に叩きつければ、その箇所は熱を持ち、じんじんと痺れた。痛みを感じるだけの、余裕は、まだある。彼は制服のポケットに手をつっ込み、小さなノートを取り出した。
「それは……?」
「トムが残してった『手引き』ってヤツだ」
自分の不在中にあらゆる問題への対処を記した虎の巻。その中でファルコが独りになった場合のページを開く。何をすべきか一から十まで書いてあった。
「……ファルコ、寮に行くぞ」
「え?」
「ガイハクトドケってのを出さねえといけないんだろ? ソレ出して俺らが暮らしてる屋敷に来い。そこに身を隠せ……って、書いてある」
独りになるということは、何か問題が起きて、タイロンとツィロがやられたということ。ふたりは正攻法でやられるほど軟ではない。つまり卑怯な手を使われた可能性が高く、戦闘禁止区域となっている寮も安全とは言い切れない――虎の巻にはそう続けられている。
「早いとこティリーと合流して、お前が全部話せ」
「え? 僕が?」
「こういう話はよ、間に人が入れば入るほどセイドってのが落ちる……って、前にトムが言ってた」
「っ、それはそうかも、しれないけど……じゃあ、ツィロくんたちは……このまま、置いてくの……?」
「ああ?」
冷静であらねばと、必死にそう装ってはいるが、元来、チャールズは血の気の多い男だ。咄嗟にファルコの襟首を掴み寄せ、壁に圧しつけた。苦しげな呻き声が聞こえても、彼は手に込めた力を緩めない。
「アイツらとはガキの頃からの仲間だ。俺が今、何したいかわかるか?」
「ぐっ……う……」
「お前をこのままほっぽって、アイツらのトコに行きてえんだよ。百鬼の団だか、二年だか知らねえが、ソイツらボコボコにしてぶっ飛ばしたくてしかたねえ! わかるか!? ああ!?」
「っ、ご……ごめ……っ!」
「クソッ!!」
チャールズはファルコから手を離した。彼は廊下に尻もちをつき、首元をさすりながら咽ている。
数字も言語も苦手だし、商売もできない。馬鹿だ馬鹿だと言われ続け、ムカつきはするが自身もそれに納得している。しかし、そんな彼も教えを与えられてきた。
魔物の討伐は主に自然の中で行われる。深い森、険しい崖、湿地帯……灼熱のように暑い日も、極寒の日も、豪雨の日だってあるのだ。魔物を滅するには、まず自分が生き残らなければならない。そのためなら動けない仲間を置き捨てていくこともやむを得ないと――教えられた。
今の最適解は、ふたりを置き捨て、生き延びる選択をすることだ。
「……俺が……チッ! 立てよ、行くぞ」
無力感に苛まれる。苛立ちの矛先は姿がわからない敵ではなく、己へ向いていた。チャールズはファルコの腕を引いて立ち上がらせると、自分が果たすべき役割を担いに行く。
(俺が、アイツみたいに強けりゃな)
頭に浮かぶのは、真っ赤な髪の彼女の姿だった――。
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