第17話 暁の団の拠点にて:後

 東の辺境領が脆弱だと言われるのも、その原因がフェッツナー男爵家であると言われるのも、ティリーにしてみればどちらも納得がいかないものだった。困惑の表情が不満と怪訝な表情へ変わっていく。


 彼女の剣呑さを湛えた金の目を、マティアス=フォン=ハルティングは正面から受け止めていた。もっともティリーの目には緊張で上下する喉仏も、彼の首の産毛が粟立つのも、ひたいと頭皮の境に汗が滲むのも見えていたのだが。


「東部は弱くない」

「そう思うか?」

「魔物や賊が出没してもすぐに対処できてる。貴族の領地が没落したり、大損害が出るほどのダメージもない……はず?」


 戦後処理は苦手だ。彼女はちらりと自分の隣へ目を向ける。トムが頷くのを見て、間違っていないのだと自信を持ち、辺境伯の孫へ向き直った。


「大損害はない、か……そうだな。魔物が現れても、賊が現れても、辺境伯家が赤狼騎士団を派遣して即座に終息させることで、これまでの歴史の中で東の辺境領が危機に陥ったことはない」

「うん!」

「それが間違いだと思わんか?」

「間違い……?」

「本来であれば貴族の各家が、魔物にも賊にも対応できるだけの軍備と騎士団を有すべきなのだ」


 それは、ティリーが考えたこともない主張だった。


 物心着いた頃から剣を振り続けて腕を磨いた。全ては赤狼騎士団を継ぎ、東の辺境領を脅かす外敵を排除するだけの力を得るためだ。体力も腕力もつき、自分――単純な筋力などで男に劣る女の身体をどう動かせば、最大限の力を発揮できるかも実地で研究した。


 自分の身体の一部のように剣を扱えるようになる頃には、脈々と受け継いだ血の影響もあるだろうが――剣と生きる道が天職だと思えていた。先祖が、祖父が、父がそうであるように、いずれ自分も赤狼騎士団を継ぎ、剣を振って生きるのだと確信していた――なのに。


 マティアス=フォン=ハルティングが両手を組んで握り締めた。


「東の辺境領の貴族は最低限の武力しか持っていない。歴史を辿れば理由はわかる。貧しかったからだ。他の辺境領に比べ、東の土地は痩せているからな。軍備を整え、騎士を所有するだけの費用を捻出できなかった。だが今は違う」

「ああ。長年の肥料の研究や地道な植樹活動、技術の発展による河川工事が実を結んで、痩せていた土地は肥沃になった」


 マティアスに続き、アクセルがやわく目を細めて言う。そこには故郷である東の辺境領に対する深い想いが滲んでいた。


「東の貴族は裕福になった。今ならば各家が武力を保持し、辺境領全体の力を底上げすることができる。そのためにはフェッツナー男爵家を切る必要があるのだ」

「どうしてそこに繋がるの?」

「……お前は――否、お前たちフェッツナー男爵家に属する者は、東の貴族たちが自らの領地を害された時、どう行動するか知っているか?」


 ティリーは首を横に振る。


「領民を避難させて防御を固めるのだ。そして赤狼騎士団を待つ」


 彼の口元が皮肉げに歪んだ。


「守りを固めて待っていれば必ず助けがくる――誰もがそう思っている。土地は肥沃になり、領民と共に立て籠もるだけの兵糧は常備しているからな。籠城などの消極的な戦闘であれば、少ない兵力でもこなせるというわけだ」


 彼女は口を引き結んで金の目を細める。


 マティアスらの側から見ればそうなのだろう。実際、ティリーは――赤狼騎士団は、辺境伯家から四翼鷹(しよくのたか)――特殊技術で手懐けられた魔物で通信手段に用いられる――が飛んでくると、指定の領地へ馬で駆けつける。その時に領地の兵は領民の避難や防衛に注力しており、積極的に戦闘を行ってはいない。


「赤狼騎士団が守ってくれる。戦ってくれる。それまで持ち堪えるのだ、と――そんな意識がある限り、東の騎士も兵も強くはならない。武力の拡大や成長に必要なのは危機意識だ。お前たちがいたのでは、それが芽生えん。俺は――」


 彼は現辺境伯――祖父とも父親とも似ていない。大きな身体も、柔和でない態度も、腹の底で何を考えているかわからないような食えない人間――ではないところも。マティアス=フォン=ハルティングがはまったく似ていなかった。


「俺が辺境伯となった時、育てた新しい力を持って東の地を治める」


 個の突出した力ではなく集団の力を武器にするのだ――と、マティアスは続けた。展望を語る男の堂々とした声と纏う空気は、似ていないとはいえ、広大な領地を治める責任を負う辺境伯家の威厳を感じさせるものだ。


 ティリーもそれを感じた。


 感じた、が――


「やっぱり、意味わかんない」

「……おい、隣の。説明してやれ。どうやらこいつは話を理解できないようだ」


 マティアスがティリーから視線を外し、溜め息と共にトムへ目を向ける。


「あー……ティリー、つまりだな、御孫殿の言いたいことってのは――」

「東の貴族を強くして新しい武器にする。そのためには古い武器である、赤狼騎士団もフェッツナー男爵家も切り捨てる。以上!」

「なんだ。わかってんじゃねえか」


 彼女が聞いた話をまとめて口にすれば、トムが目をまたたかせた。彼のその反応にティリーは眉を寄せる。何を言っているのかはわかる。わからないのは、どういう意味なのか、だ。


「新しい武器を手に入れるのに、なんで前の武器を捨てるの? 壊れてもない、まだ使える武器なのに」


 疑問は次々と浮かんでくる。


「両方使えばいいだけでしょう?」

「なんだと?」


 正面の彼の目が鋭くなった。


「そもそも、今いる貴族が強くなりたいなら、鍛錬して、装備を整えて、実戦で経験を積むしかないよ。全部自分たちでどうにかすることでしょ? そこにうちの赤狼騎士団は関係ないと思う」

「関係ない? 赤狼騎士団がいるから危機意識が生まれないと言っただろう。追い込まれて初めて人間は進化する。危機は成長の糧だ」


 その言葉にティリーは沈黙し、しばし思案して――首を横に振った。


「ううん。やっぱりヘン! おかしい! 赤狼騎士団がいるから強くなれないっていうのは、どう考えてもヘンだよ。本気で強くなりたいなら勝手に強くなればいい。あなたの語った将来の話は、東の辺境領の貴族みんなの……えっと、なんだろう? 気持ち? 考え?」

「総意か?」


 隣でトムが言う。


「そう、それ! ソーイなら、赤狼騎士団があるかないかは関係ない。みんなが本当にちゃんと強くなろうと思ってるなら、血反吐を吐いてでもやるはずだよ。死ぬかもしれない実戦に身を投じてでもね。それをできない言いわけに、今、どこの誰よりも戦っているフェッツナーを捨てるって? そんなのヘン!」


 ティリーはマティアス=フォン=ハルティングの考えを否定した。彼が正面きって堂々と展望を語ったのだ。それを否定する彼女も堂々としたものだった。東の辺境領が強くなるために武力を高めるのと、赤狼騎士団の有無は関係ない。それは別の話だ、と――


 展望を否定されたマティアスの顔に憤怒の色が浮かぶ。怒鳴ろうとしているのか、彼の口が開き――


 ガン、と。


 団室のドアが勢いよく開いた。


 言葉を発しようとしたマティアスはもちろん、室内にいた全員の視線がそちらを向く。ティリーは咄嗟に腰を半分浮かせ、何があっても瞬時に対応できる体勢を取っていた。


「………………」


 誰もが言葉を発しない。


 そこには頭から血を流し、白い制服の一部を赤く染めた男子生徒がいた。胸の金の線は一本で、どうやら一年生のようだ。背が高く、血に濡れてなおわかるほどの端正な顔立ちをしている。


「俺ほどではないが! 俺ほどではないが……血も滴るイイ男、だと……? っ、そのままくたばっちまえ……!」


 チャールズが恨み節をこぼした。誰がどう聞いても、明らかに嫉妬心丸出しだ。つまり血まみれの青年はそれほど美しい相貌ということである。


 そんな彼を、ティリーは見据えていた。


(強いかもしれない)


 目を細める。


 鋭い眼光と視線が絡み合った――。








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