第18話 血まみれの美青年
『暁の団』の団室に入って来たのは、端正な顔立ちの青年だった。
彼の整った貌は血まみれだが、それでもなお人目を惹く美しさを保持している。頭からポタポタ垂れ落ちる血液で、白い制服の肩口が赤く染まっていた。この姿のまま団室まで来たのを考えれば、外では騒ぎになっているかもしれない。
「コンラート! きみ、どうしたんだ!?」
悲鳴のような声を上げたのはアクセル=アッカーマンだ。焦った顔で目を見開いている。そのまま彼は思わずといった様子でソファから腰を上げて、青年――コンラートへ駆け寄った。
アクセルが隣に並ぶと、コンラートの背の高さが際立つ。アクセルも長身の部類ではあるが、血まみれの彼はそれ以上だ。前髪の隙間から鋭い目が見えた。先輩であるアクセルに話しかけられているにも関わらず、コンラートの目と意識はティリーへ向けられている。
美青年と視線が絡み合い、ときめく――なんてことはない。そんな思春期の男女の甘い雰囲気など微塵もなかった。あるのは緊張感と警戒心だ。
(この男、もしかすると……)
団室の中にいる人間の中で、自分に次ぐ実力者かもしれない。三馬鹿はもちろん、あるいはトム以上に腕が立つであろう、強者のにおいがする。瞬時に抱いた勘を、ティリーは大事にしていた。
「あいつ、暁の団のメンバーだったのか」
後ろでツィロがポツリと呟く。
「知り合いか?」
「同じクラスだ」
タイロンの問いにツィロが答えた。
「コンラート=フォン=ルーカスって言ったか」
「ルーカス? 伯爵家だっけ? 確かけっこうデカい家だよな?」
そう言ったチャールズに、ツィロは「お前、よく知ってたな」と感心したように言う。
彼女は三人の会話を、全体の内の二割の意識を割いて聞いていた。耳に入ってきた名前を舌先で軽く転がす。不思議なもので、得体のしれない強者は、名前を与えた瞬間に存在が凛と象られたかのようだった。
魔物討伐に出る前、ティリーは魔物の名前や特徴、特性などを頭に叩き込んだ。机に向かうのを嫌い、実戦で覚えていけばいいと喚いたのを叱ったのは、父親のオラフ=フェッツナー男爵だった。
得体のしれないものほど恐ろしいものはない――
そう話す父の顔があまりにも真剣だったから、ティリーは渋々ながら机に向かった。時折、寝落ちしてはひたいを机にしこたまぶつけたし、ベッドに寝転びながら読んではウトウトして顔の上に本を落下させたりもしたが――とにもかくにも、学ぶべき最低限の知識はなんとか身につけたのだ。
お互いに視線を逸らさないまま、沈黙を貫く。
ティリーの意識する相手は、マティアス=フォン=ハルティングから、コンラート=フォン=ルーカスへと完全に移り変わっていた。だが、睨み合いは唐突に終わる。
「コンラート」
マティアスが血まみれの彼の名を呼んだからだ。コンラートは団長であるマティアスの声に反応し、意識を彼のほうへ向けた。
「何があった?」
「べつに何も」
「その姿で何もなかっただと?」
「絡まれたけど、勝ったんで問題ないっす」
「ふざけているのか?」
「え、いえ……」
話すのが苦手なのだろうか。素っ気ない受け答えをしている。それに加えて追及された彼は微かに溜め息を漏らし、負傷しているであろう頭を掻いた。
「あ」
傷に触れたのか出血が増す。本人よりも、彼の傍にいたアクセルの顔のほうが血の気を失っていた。
「ああコラッ、そんな乱暴にするから!」
「すんません」
「謝らなくていいから医務室に行くぞ!」
アクセルがコンラートの腕を引いて団室を出て行こうとする。体格差はあるがアクセルが主導で動けているところを見ると、きちんと首輪はつけられていて先輩には従うようだ。視線が逸れた時から張りつめていた緊張感は霧散しており、ティリーはコンラートへの警戒のレベルを下げた。
「マティアス、俺はついて行くが、きみは――」
「客を置いて出て行くわけにはいかんだろう」
後ろから「客だなんて思ってねえだろ」と声が聞こえた。聞こえたのはタイロンの声だったが、おそらくその場にいる全員が同じことを思っていただろう。
「いいよ。わたしたちも帰るから」
「ティリー?」
臨戦態勢を解いた彼女が腰を上げると、トムが『いいのか?』と言わんばかりの顔で見上げてきた。
「いくら話しても意味ないよ。向こうは赤狼騎士団をなくしたくて仕方ないみたいだし。わたしが何言ったってムダだよ」
「これがどれだけ大きな問題か話したはずだが、忘れてねえよな? 説得も交渉も投げ出すってことか?」
「そういうの向いてないから。ばかなんだよ。わたしも、向こうも」
理想のために強力な――命綱のような武器を捨てようとしている。とても愚かなことだ。
そして、それと同じくらい、領地の財政を根本的にひっくり返さなければならない事態が迫っているにも関わらず、頭を下げて縋ろうとしないのも、愚かなのだろう。けれど、首輪のついた狼にしても、強力な武器にしても――主人が捨てると決めたのなら、こちら側からできることは何もないのだ。
「帰ろう」
ティリーは動き出す。タイロンたち三人は目配せをしたあと、彼女のあとに続く。それから少し遅れてトムも続いた。
コンラートとアクセルとすれ違うように、ティリーは団室を出た。
(見られてる。ま、気にする必要もないかな)
凝視されている。コンラートから視線を感じたが、ティリーは振り向かない。彼女はしなやかな脚を動かして進み、そのまま扉をくぐった。
「おじゃましましたー!」
「しっつれーしまーす!」
「お大事にー」
軽い調子の三人がついて来る。
わざと軽薄にしているのではないのだ。彼らは実戦経験がなく、命の危機に陥るほど追いつめられたことがない。それでいて訓練では優秀な実力を誇っているため、三人は純粋に調子に乗っているのだ。それが何ごとも明るく楽しむ気質に繋がっていた。良いか悪いかはともかくとして、友人としては好ましい。
「自分たちが何を切り捨てたのか、わかった時に後悔しても遅いぜ?」
後ろからそんな言葉が聞こえた。慎重を喫して対応していたトムだが、どうやらすっかり言葉を選ばなくなっているらしい。
四人を引きつれる形でティリーは団室棟を出た――
(あー、お腹空いた)
午後の授業で身体を動かしたところへ、慣れない舌戦を繰り広げ、自分が思っていた以上に疲労が蓄積していたらしい。白い制服の上から腹を撫でる。
「腹減ったのか?」
そう聞いてきたのはトムだ。
「うん。食堂開いてる?」
振り返って問いかければ、彼は肩を竦めて首を横に振る。
「残念。この時間はまだ仕込み中だ。寮生の夜食提供までは、あと一時間半ってところだな。屋敷に戻れば何か用意してもらえると思うぞ」
「そう」
「こうなった以上、俺たちだけの手には負えない。男爵領に早馬を飛ばして――いや、コトがコトだからな。俺が直接報告に行く。ああ、それがいい。今後のことを決めて、辺境伯様にも伺いを立てて――」
「トム」
ぶつぶつと呟く彼を制す。
どう転ぼうとも剣を振って生きていくことしかできない自分と違い、内政を担う立場にいるトムはいろいろと考えてしまうのだろう。本来であれば男爵の後継者であるティリーも一緒に悩むべきなのだろうが、頭の中には分厚いステーキの画が浮かんでいた。
「まずはごはんだ。お腹が空いてる時に考えるとロクでもない方向に転がっていくよ」
「そう言うけどな、本気で、コレはマズいんだぞ? お前だって結局、団には所属できてないわけだ。今後の辺境伯家との付き合い方も、学園を卒業するためにどうすべきなのかも、両方考えねえと。だろ?」
「辺境伯家のことは結局、父上たちに任せるしかない。学園での、団についてのことは、ま、なんとかなるって。それよりも今はごはんだよ。お腹空いた」
トムが呆れとも困惑とも言えない、複雑そうな表情で見つめてくる。
そんな彼にティリーは「早く帰ろ」と言って、背中を向けて歩き出した。ついて来る足音がひとり分ずつ増えていく。三人の馬鹿でかい笑い声と、トムの小言が聞こえるが、ティリーは無視してもう一度、腹を撫でたのだった。
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