第19話 婚約者候補一号くん(非公認):前

 男爵領を出て帝都へ来て、およそ一か月が経過した。ティリーを含めた五人組は帝都の隅にある小さな屋敷に滞在し、料理人と三人のメイドと共に学生生活を送っている。


 屋敷を所有してるのは帝都で幅を利かせる豪商バズ=ピエールだ。彼が営むピエール商会は魔物の皮や骨などを使用した武器の販売を行っており、フェッツナー男爵家は仕入れ先にあたる。関係は良好で付き合いは古く、男爵家の子供が学園に通う時は代々この屋敷――白い壁に緑色の屋根が特徴的家である――通称『緑の爪先』で世話になっていた。


 夜明け前――


「タイロン、チャールズ、ツィロ。あなたたちは最近たるんでる。昨日の授業でチャールズと組んだ時、わたしは衝撃を受けた。ああ、こいつら鍛錬サボってるなって。というわけで、今日から特訓をはじめるから!」

「たるんでるのはチャールズだけだ! コイツ、帝都に来てから美容だなんだのにウツツを抜かしてやがるからな!」

「ふざけんな! お前だって帝都グルメの食べ歩きで自主練減ってんだろ!」

「だいたいなんで俺たちだけなんだ! トムは!? あいつだって男爵領にいた時と比べて運動量減ってるぞ!」


 三人からブーイングが飛んでくる。


「セイシュクに!」


 ティリーは拳骨で黙らせた。


 学園生活における『団』のことはもちろん、自領の将来に関わることなど、考えなければいけないことは山ほどある。トムには『なんとかなるって』と軽く返しはしたが、ひと晩やそこらで答えが出るはずもない。


 暁の団の団長と揉めた翌日の、早朝。


 帝都にはまだ薄闇の帳が降りていた。パン屋や新聞配達員など、朝早い職種の人間が動き始めるのと時を同じくして、ティリーは三馬鹿の部屋に乗り込み、三人を叩き起こした。そしてぎゃあぎゃあ喚く彼らを力技で黙らせると、引きずって屋敷を出る。


 そして向かうのは学園だ。ティリーは三人を走らせた。後ろから追いかけて行き、速度が落ちると尻を蹴っ飛ばす。帝都を全速力で駆け抜ける姿は異様だが、幸運にも、まだ人の行き交う時間ではない。


 当然、まだ門は固く閉ざされていた。だが、門が閉まっているから入れない……というわけではないのだ。ティリーを先頭に、四人は門をよじ登った。当然、見つかれば罰則は免れない。品行方正を求められる貴族の学園だ。もしかすると停学処分になってもおかしくはない。四人は細心の注意を払い、敷地内に侵入した。


 入ってしまえばこちらのものだ。敷地内には校舎と離れた場所にはなるが、学生寮も併設されている。要するに門の中に生徒はいるのだ。あとは寮生を装って行動すればいい。ティリーは未だにぶうたれる三馬鹿をつれて、騎士科の演習場に入った。入口のドアは意外と器用な男、タイロンが針金を使って開ける。


「入り込むのは危ないんじゃねえか?」

「バレたら停学もんだぞ?」

「ティリーは二度目だな。三回で保護者の呼び出しがあるらしいぞ」


 男爵領で行っていた訓練を帝都でまでしたくはないのだろう。チャールズもツィロも、絶賛鍵と格闘中のタイロンも不満を口にしている。だがしかし、それを聞くようなティリー=フェッツナーではない。


 鍵が開くのと同時に三人を演習場に追い込み、訓練用の剣を軽く振って支度をする。三人も逃げられないことなど、とっくにわかっていたのだろう。軽薄な言葉を発しつつも、装備に余念はなく、言葉とは反対に緊迫した雰囲気を纏っていた。何やらアイコンタクトもしている。ティリーを相手にどう戦うか確認しているらしい。


(少しはたるんでたの、引き締まったかな)


 彼女が軽く剣を振るだけで、空気が切れる音がする。


 そして、はじまりは、なんの前触れもなく訪れた。


 三馬鹿――彼らの選んだ戦法は、奇襲だ。ティリーが気持ちを整えるより先に攻撃を仕掛けてくる。それは卑怯でもなんでもない。一対一の儀礼を重んじる騎士の決闘ならばともかく、この場にいるのは、敗北が死に直結する道を行く次期男爵と、そんな彼女と共に死線に行く戦士の卵たちだ。


 そもそも、彼女たちが将来相手にするのは騎士ではない。もしかすると騎士とやり合うこともあるかもしれないが、そんなのは極々稀で、もっぱらの敵は魔物や法を無視した賊だ。そんなやつらが『今から攻撃するよ!』など言ってくれるわけがない。


 つまるところ、三馬鹿の戦法は卑怯でもなんでもなく――さらにつまるところ、ティリーにとって奇襲をかわして反撃することは、なんら難しいことではなかった。


 ティリー=フェッツナーは悪友三人をボコボコにした。一か月もの間、ぬるい鍛錬しかしていなかったことを咎めるように、それはもう容赦なく、ボコボコにした。彼女自身も無傷ではなかったが、三人に比べればかわいいものだ。


 演習場の地面に伏せた彼らに「長居しないようにね」と言い残し、ティリーはその場をあとにした――。


 ――演習場を出たティリーは学園の敷地内を見て回ることにした。入学式から二週間が過ぎたが、初日に停学処分を食らった彼女にとっては、登校三日目である。さすがに校舎の中には入れないが、外を回ることくらいはできるだろう。


 朝の澄んだ空気が肌を撫でる。動いて火照った身体にはちょうどいい。夜が明ける頃には、四人分の着替えと朝食を持ったトムが登校――おそらく彼も門をよじ登ることになる――してくるはずだ。


 演習場の近くには武器を収納する倉庫があった。とはいえほとんどの学生は自前の武器と訓練用の武器を所持しているため、足を運ぶ生徒は限られている。


(む?)


 武器庫の扉がわずかに開いていた。


 昨日、誰かが施錠し忘れたのだろうか。武器庫の管理ができていないなんて、フェッツナー男爵領であれば厳しい罰則が科される大きな不始末だ。彼女はしなやかな脚を動かして進んで行く。足音はほとんどない。あえてそうしているのではなく、ティリーにとってはそれが普通のことだった。


 扉を閉めようと手を伸ばし、なんの気なく隙間から中を覗くと――


(人?)


 中には上半身が裸の男がいた。ズボンのベルトを絞っているところだ。脱いでいるのではなく、これから服を着ようとしているらしい。武器――鋼と錆止めの油、土と埃、木の棚などのにおいに混じって、汗とほのかな甘い香水、そして嗅いだことのない妙なニオイがした。


 ジッと見ていると、視線に気付いたのだろう。落ちていた襟つきの白いシャツを拾った男が振り返る。どことなく眠たげで垂れがちな目の青年だ。ティリーの姿を見止めて、彼の目がわずかに丸くなる。


 沈黙が落ちた。


「……誰だ?」


 少しして、青年が口を開く。咎める声音ではなく、純粋に不思議がっている雰囲気の声だ。


「ティリー=フェッツナー。一年生……そっちこそ誰? こんな時間に何してるの?」

「ティリー……フェッツナー……?」


 ティリーが名乗った瞬間、青年がハッとした顔をし、その表情はすぐ苦々しいものになる。まずいと言わんばかりの顔だ。何故そんな表情を浮かべるのかわからず、彼女は首を傾げた。


「何?」

「いや、そうだな……」

「……不審者?」

「それは違う」


 彼女の警戒を察したのか、彼は間髪入れずに否定する。それがますます怪しい。扉を閉めて閉じ込めるなら、まずは気絶させるべきか。そんな風に考えていると、青年が深い溜め息をつきながら近付いてきた。


(向こうから来てくれるなら距離を詰める手間が省ける。一瞬で落とそう)


 ティリーは彼の形のいい顎に狙いを定める。


「あー……俺は、スミロ。スミロ=ヴァルデ……二年で、きみの婚約者だ」

「……うん?」


 こんやくしゃ――と、ふにゃふにゃな発音で呟き、ティリーは目をまたたかせた。


 スミロは気まずそうに自身の首の後ろを撫でる。彼の首と鎖骨には、虫にさされたような赤い痕がついていた。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る