第44話 不完全燃焼と求婚


 不戦勝が決まってしまった。


 ティリー=フェッツナーはぶすくれた顔で入場してきたばかりの白門へと向かう。その後ろに続くチャールズは暴れるチャンスを逃した狂犬にニヤニヤとした笑みを投げ、ファルコは戦闘回避できたからか安堵の表情を浮かべていた。


 白門をくぐる直前、観客席から青年――トムが降ってくる。状況を見て駆けつけて――飛び降りて――来たのだろう。髪型をちょくちょく変えるこだわりのあるトムは、今日は黒い前髪をオールバックにし、後頭部で後ろ髪の半分と一緒に結んでいた。


「まさか棄権してくるとは思わなかった。残念だったな、ティリー」

「うるさい!」

「機嫌直せって。向こうの肩を持つわけじゃないが、相手が『フェッツナー』なら、そういう選択肢もアリだと思うぜ?」

「そ、そうだよ……誰も怪我しないで済んで、良かったじゃない……」

「やめとけやめとけ、ファルコ。今のティリーと話すのはヤブヘビだぞ。そういう危ない橋を渡るのはトムに任せとけって」

「聞こえてるから!」


 身体を動かし暴れられるせっかくの機会を奪われた。戦いの直前の気持ちの昂りを早々に挫かれた。戦闘になれば忘れられると思っていた腹部の違和感も続いている。まったく思う通りに進まず、妙に苛立ってしまう。


 撤退も戦略のひとつということは理解している。得られる利益よりも被る不利益が大きければ、そこに必ず達成しなければいけない事柄でもない限り、撤退は賢明な判断だ。ティリーの頭の冷静な部分は『蛇頭の団』の選択に理解を示している。そう、頭の冷静な部分は示してはいるが――気持ちがスッキリしないのだ。


(面白くないものは、面白くない)


 ぶすくれた顔のまま白門を通り、控室まで続く薄暗い通路を進む――


「む?」


 正面から誰かが歩いて来た。遠かった人影の輪郭がだんだんはっきりしていく。ティリーだけでなく後ろの面々も気付いたようだ。


 前から近付いて来るのは『暁の団』のメンバーだった。


 ティリーと同じクラスのクルト=レッシュと、暁の団の団室ですれ違った――ツィロとファルコのクラスメイトの――コンラート=フォン=ルーカスは知っている。その他の三人はどこかで見たような、まったく知らないような、少なくとも彼女の記憶の中に明確に残っている顔ではなかった。


「へえ、第二試合はすぐ始まるのか」


 トムがふと漏らす。


 円形闘技場に控室はいくつもあるが、中央の舞台へ続くゲートは、白門と黒門の二か所しかない。暁の団は篝火の団と同じく白門から入場するのだろう。


 自分が戦えなかったのに、彼らはこれから思う存分戦うのだ。実に妬ましい。ティリーは眉を寄せて近付く面々を睨みつけた。


 鋭い視線に気付いたらしく、クルト=レッシュがぎょっとした顔で足を止める。見覚えのない顔の三人もつられるように歩みを止めた。しかし、コンラート=フォン=ルーカスはひとりだけ、長い足を動かして距離を縮めてくる。


 特に声を掛け合う間柄ではない。


 彼女はそのまま前に進んだ。そしてコンラートとすれ違おうとした時――


「何?」


 目の前に長身の彼が立ち塞がった。背が高い。端正な貌は見上げる場所にあり、長い前髪の奥の目がティリーを静かに見下ろしていた。何を考えているかわからない無表情。敵意は感じないが、邪魔である。


「どいて」


 お世辞にもティリーの機嫌はよろしくない。イライラしながら言えば、コンラートが薄い唇をそっと開いた。


「コンラート=フォン=ルーカス」

「うん?」

「俺の名前だ。ティリー=フェッツナー……嬢……」


 彼女の名前を紡いで、コンラートは口を閉じる。相変わらず無表情のままだ。話が続くのかと思えば続かない。名前を名乗られ、名前を呼ばれただけで、じっと見つめられティリーは首を捻った。


(だから、なんなんだろう?)


 返事をすべきなのだろうか。だとすればなんと返せばいいのだろう。


 黙ったまま見つめ合う――周囲には睨み合っているようにしか見えない――ふたりの後ろには、それぞれの団のメンバーが揃っていた。暁の団の見知らぬ三人がソワソワと状況を見守る中、何故かクルト=レッシュだけはコンラートを鼓舞するかのような目を向けている。


「コンラート」


 クルトが囁くようにコンラートに声をかけた。


「話、するんだろ?」

「ああ……」

「この機会を逃したら、次はいつ話せるかわからないよ。だって……明日は決勝戦で戦うことになるんだから。結果次第では話すタイミングはずっと先だ」

「そうだな……ティリー=フェッツナー」


 コンラートは表情こそ、そのままだが、声音がどことなく固い。緊張しているのだろうか。最初にかろうじてつけていた『嬢』の呼称も消えている。


「俺は『大海の団』を倒して、お前が待つ決勝へ進む」

「ふーん」

「明日、俺がお前に勝ったら……結婚してくれ」

「ふー……ん?」


 思いがけない単語が耳に入り、彼女はピタリと動きを止めた。


 その瞬間、通路は混乱に包まれていた。


 暁の団の面々はギョッとした顔で「は!?」「何言ってんの!?」「冗談だろ!?」と驚愕の声を上げ、クルトは「いきなり求婚するなよ!」と怒っている。


 一方、ティリーの後ろでは、ファルコが「わ、わあ……」と何故か照れて赤面し、チャールズが「顔がいいのに女の趣味は最悪だな」とこぼしていた。


 誰もが混乱する中、最初に平静を取り戻したのは――これまでティリーの隣で息を潜め、冷静に状況を窺っていたトムだ。パンッと手を叩き、一瞬でその場の全ての視線を自分に集めてしまった。


「悪いが、赤狼の娘の結婚相手は男爵様が直々にお選びになるんだ。ここで本人にどうこう言うよりも、あっちに直接言ってくれ」

「お前は……」

「俺? そうだな。このまま順当に行けば、未来の女男爵様の右腕だ」

「そうか。だとしたら長い付き合いになるな」

「あ?」

「婿入りすれば、俺もフェッツナーだ。コンラート=フェッツナー……男爵領に骨を埋める覚悟だ。死ぬまでの付き合いになる。そうだろ?」

「コイツ結婚する気満々だわ……」


 無表情――真剣な顔で淡々と語るコンラートに、トムの顔が引きつっている。婿入りが決まれば、それはそうなのだが、まだ何も決まっていない状態で語られると、なかなか不気味なものがあった。


「コンラート、その言葉が許されるのは、おまえの顔面がいいからだからな?」

「馬鹿言え。許されてねえよ」


 クルトの言葉をトムが即座に否定する。


 場が混乱していた。


(そういえば、この前もこんなことあったなあ)


 ティリーは赤髪を掻き、口を開く。


「トムも言ったけど、わたしの夫は父上たちが決めるから。わたしに言われても困る」

「釣り書きは送ってる」


 コンラートが微かに眉を顰めた。


「そう。だったらあとは待ってて」

「……フェッツナー男爵家の『赤狼騎士団』は、東部の男の憧れだ。ちょっと腕に自信がある奴なら、誰だって入団の夢を見るくらい。そこの一人娘への釣り書きなんて、山ほど届いてるんだろ?」

「たぶん?」


 父親――フェッツナー男爵のオラフに、将来の夫の詳細をはっきり聞いたことも、釣り書きを目にしたこともない。だが、学生生活は好きなようにしていいと言われている。


 ティリーの性質をよく知り、剣を与えた父が好きにしていいと言ったのだ。つまりそれは、学園で問題を起こし、淑女らしからぬと周囲に評価されても、将来に問題はない……ということだろう。少なくとも彼女はそう解釈していた。


「おまえの夫は、そこそこ強くて、健康で、素行や背後関係に問題がない……適うなら、一人娘が不快に思わない程度の美醜を考慮して選ばれるはずだ。条件が多いようで、少ない。候補はいくらでもいる」

「そうなの、かな?」

「ああ。だから、頭ひとつ抜けるための後押しをくれ」

「後押し?」

「明日、俺が勝ったら……コンラート=フォン=ルーカスを夫にしたいと、男爵に口添えしてほしい」


 夜を溶かしたかのような黒の目が静かに、けれど奥に熱を潜ませて、ティリーを見つめてくる。冗談ではなく、本気で婚約者の座を狙っているようだ。


(そんなに赤狼騎士団に憧れてるんだ)


 と、思いはするが、ティリーの返事は決まっている。


「ムリだよ」

「何故?」

「だって、勝つのはわたしだから」


 堂々と胸を張り、なんの躊躇も、勝利への疑問もなく、彼女はそう言った。無表情だった青年が黒の目を見開く。


 ティリーはコンラートの要求を求婚だとは捉えなかった。勝った時に欲しいものを口にしながら、負けた時に差し出すものを彼は言っていない。つまるところ、負けると思っていないのだ。それは、ティリーが敗北すると思っていることに他ならない。


 喧嘩を売られている。


 そう解釈したティリー=フェッツナーは獰猛な笑みを湛え、正面に立つ長身の青年の貌を見据えていた――




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