第58話 首輪と手綱【放課後】:Sideミヒャエル
今日は一日中、暖かく、天気も良かった。そのせいか午後の実習では教師陣が非常に元気で、同じく非常に元気な学生を相手に、普段よりも厳しく激しい授業を行っていた。
(……つかれた……)
特段元気だったわけでもない三年生――ミヒャエル=エンデはひいひい言いながらなんとか実習を終え、疲労困憊の様子で騎士科の校舎を出る。これから団室で『篝火の団』の集まりがるのだ。とはいえ、狭い室内に全員は入れないため、一年生、二年生と時間を分けて連絡事項を伝えなければならない。
何を間違ったか、今年、篝火の団は一年生が大活躍をしてしまい、結果、大躍進を遂げてしまった。来年は指輪争奪戦優勝の功績が考慮され、もう長い間、専用になっていた団室から、もっと広い部屋へ移動することになるだろう。
正体不明の渦に巻き込まれている、不安定な感覚だ。騎士科での学生生活も三年目に突入し、それなりに世慣れしてきているが、現実をドーンと構えて受け止めるのは難しい。足元が安定しない原因が、人間であるなら、なおさら。
各団の団室がある『団室棟』へ入る――
「あ……」
「ん?」
出入口を入ったところに、ひとりの男子生徒がいた。立派な体躯で堂々とした立ち姿の彼は同じ学年の――マティアス=フォン=ハルティングだ。
東部辺境伯家の後継者という権威と、恵まれた身体と才能を併せ持つ人物で、ミヒャエルとは年齢以外まったく共通点のない相手である。一年生の頃から何かと話題に事欠かない有名な生徒だったため、ミヒャエルは彼をよく知っていた。向こうは自分のことなんて認識すらしていないのだろうけど――
「お前は……ああ、ミヒャエル=エンデか」
「えっ!?」
名前を言い当てられ、思わず足を止めてしまった。常に学年の顔役として名前が上がる相手が、ヒエラルキー下位の自分を認識している。衝撃だった。
「な、なんで、名前を……」
「何故だと? 面倒を抱え込んだ男を知らないはずがない」
「面倒って……」
「ふっ、苦労するぞ」
言葉ではそう言いながら、マティアスはどこか楽しげな雰囲気を纏っている。機嫌良さそうに鼻で笑った彼と、ミヒャエルは戸惑いながら向かい合った。
マティアスが『面倒』と称した対象の正体は、十中八九、ティリー=フェッツナーと彼女の悪友三人のことだろう。四人は東部地域の人間だ。本来であれば、東部辺境伯家の後継者であるマティアス=フォン=ハルティングが団長を務める『暁の団』に入団するはずだったこと、そして、彼女たちが目の前の彼と衝突したことは、聞き及んでいた。
縁もゆかりもない『篝火の団』に入団してきた四人は、出会ったその日から乗っ取りを宣言するし、紛れもなく『面倒事』だ。
「苦労する、かな? 苦労をかけてもらえるほど、あの子たちは、頼ってなんてくれないと思うよ。ほら、僕……というより、うちの二年生、三年生は先輩って感じしないから……」
苦笑しながらそう言うと、マティアスが眉を寄せた。迫力のある見た目の彼が不快を示す表情をすると、同い歳ではあるが怯んでしまう。向こうが権力者である分、余計にだ。
「手に負えないなら、さっさと手放しておけ」
「え……?」
「アレは躾けられる犬ではなく獣だ。手を噛まれるどころか、喉笛を食いちぎられるかもしれんぞ」
「あー……うん、そうかもしれない……」
赤い獣に食い殺される想像は割りと簡単にできた。
一年生と自分たちのどちらが上の立場かと言われれば、それは間違いなく一年生たちのほうだ。そのことをまったく悔しいとか、おかしいとか思わないのが、篝火の団の二、三年生たちなのである。
マティアス=フォン=ハルティングにはそれが理解できないのだろう。ヘラヘラ笑うミヒャエルに鋭い視線を向けてくる。
(そ、そんな目で見られても……)
内心でビクビク怯えながらも、必死に平静を装う。上手く装えずにヘラヘラした表情になってしまうのだが、おそらくマティアスはそれさえも納得してくれないのだろう。彼の弱者嫌いは有名な話だ。
自分に厳しい真面目な男だという話は、二年以上も同じ学舎にいれば自然と耳に入ってくる。そして、ソレと同じくらい他者に厳しいことも、話に聞いていた。
おそらく、ティリー=フェッツナーをはじめとする、あの面々と合わない。相性は最悪だろう。一緒にいるところを見たことはないが、水と油の関係であることは予想がついた。
「悪いことは言わない。強大すぎる力を扱えないのなら、放棄しておけ。持て余せば災いだ」
「そう、なの?」
「蛮勇が愚策か謀略か……アイツらを欲しがる団があれば任せてしまえ」
「あ……」
実際、指輪狩りで優勝したティリー=フェッツナーたちを欲しがる団はある。ミヒャエルに接触してくる団もいくつかあり、その度に彼は『本人に聞いてみて』と返事をしていた。
「僕は、彼女たちが移籍するって言うなら、止めないよ」
「それは、自ら手放す気はないということか?」
「手放す云々って言うか、そもそも、彼女たちに関する権利を、僕は持ってないって言うか……でも、来年以降のことを考えたら、数合わせでいてくれるだけでもありがたいし……」
後半はブツブツ呟くように告げれば、マティアスの眉間の皺はドンドン深くなっていく。ミヒャエルは内心で悲鳴を上げた。
(っていうか、なんでこんなに気にしてくるんだろう?)
喧嘩別れした相手のことをずっと言ってくるなんて、その心理がわからない。なんだかんだ言いながら、同郷の後輩のことは気にかけているのだろうか。嫌いきれていない――
(――そんな顔じゃないか……)
できることなら向かい合っていたくない、険しい顔だ。
「早い内に手を打たずにいておいて、あとでどうなっても知らんぞ。まさか飼いならせると思っているのか?」
「え? 飼いならす? いやいや、無理無理!」
ミヒャエルはブンブン首を振る。
自分の力量で彼女たちを手懐けるなんて無理だ。否、ミヒャエルだけでなく、ほとんどの人間には無理な芸当だろう。ティリー=フェッツナーが首を垂れ、忠誠を誓うのはどんな相手か――考えて、気付く。
(ハルティング辺境伯家だ!)
目の前の彼は本来であればティリー=フェッツナーが膝を着き、従属を誓う相手だ。その権利を自ら放棄しておきながら、気にかけるも何もないだろう。
その考えに行きついた途端、一気に頭が痛くなる。今の時間が無意味なものに思えてきた。即座に逃げ出したい……そんな気持ちを抱いてしまったのがバレたのか――もしくは表情に出てしまっていたのか――マティアスが「暴れるしか脳のない獣だ」と毒を吐いた。
「後先を考えず、ただ今という時間の中で暴れることしかできない。騎士の名を冠するに値しないと、そう遠くない内にお前も知ることになるだろう」
「その時は、その時だよ。というより……もう、いいかな?」
口火を切った瞬間、これ以上は言うべきではないと、頭の中の事なかれ主義の自分が声を上げる。けれどその傍らで、いつかのティリー=フェッツナーの顔が浮かんでいた。
底辺にしがみついていた二年間だった。だがそれでも、ミヒャエルは有能なマティアスらと同じように、騎士科で生き残ってきた。多くの同級生が退学していく中で、三年目の学生生活を迎えることができたのだ。
少しくらい、自分だって、と……自負してもいいのかもしれないと、思った。
「彼女たちは……全然、懐いてなんてくれないし、僕のことを先輩だなんて思ってないだろうけど……それでも、いいんだよ。僕は――」
彼女たちのことを後輩だと思うことにしたから、と――そう言って、ミヒャエル=エンデは笑った。眉を下げ、困ったと言わんばかりの顔だ。とんでもないことを言っている自覚はある。それなのに、妙に清々しい気分だった。
「お前……情でも移ったか?」
「そうかもしれない。でも……飼いならすどころか、飼い殺せなかった人に、何か言う権利はないよね?」
気が大きくなってしまったのかもしれない。あの、マティアス=フォン=ハルティングを相手に、こんなことを言うなんて。でも、しかたがないだろう。頭の中にいるティリー=フェッツナーが、消えてくれないのだから。
あの日――ティリーたちをファルコに引き合わせた日、ミヒャエルは彼女たちに失望された。もともと期待なんてされていなかったのかもしれないけれど、自分たちの――後輩のために立ち上がらない先輩だと思われたのは、確かだ。
ここでマティアスに噛みついたところで、それをティリーたちが知ることはないのだろう。それでも黙って、同意するように愛想笑いをするのは、嫌だった。
だからミヒャエルは、言い返したのだ。
真顔で黙ったマティアスは、やがてフンと鼻を鳴らした。
「膝が震えているぞ」
「知ってるよ」
膝はガクガク笑っているし、きっと今日の夜、自分が言ったことを思い返して眠れなくなるのだろう。それでも今、この瞬間だけは精いっぱいの先輩の虚像で振る舞う。
深紅の狼は、首輪をつけさせてもくれないし、手綱を握らせてもくれない。でも、しょうがないと納得する。生まれ落ちた瞬間から、彼女は――いずれ赤狼騎士となる彼らも含め――そういう生き物なのだから、と。
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