第60話 ごめんね、トム【放課後】・後


 鍛錬場には放課後の自主練に勤しむ生徒がチラホラいた。騎士科の鍛錬場はいくつかあるため、ティリーは『丁寧なお願い』をして場所を譲ってもらった。その結果、鍛錬場から人がいなくなる。


(バスケットは……ないか……)


 目的の物は見当たらない。これから探し回らなくてはならないことを思うと、面倒くさすぎて溜め息が漏れた。


 彼女は振り返る。来る途中に武器庫から拝借してきた剣は、ずっと握っていたためだいぶ手に馴染んでくれた。


 何度か握り直しながら目線を上げれば、トムの姿が視界に入った。相も変わらず暗い表情を浮かべている。何を考えているのか不明だが、手合わせしたいと言うのなら付き合ってやろう。


「はじめる?」


 ティリーが問えば、トムは頷いて剣を構えた。返事すらしないとは、余程、思いつめているらしい。


「じゃあ、いくよ」


 軽く地面を蹴って攻撃を仕掛ける。


 今朝、身体の感覚を取り戻す調整を終えた。確認のためにも誰かと手合わせをしたかったところだ。相手がトムであるなら不足はない。


 一撃、二撃と剣を振れば、彼は攻撃を受け切った。ティリーのクセや力加減をよく知っている男だ。タイミングを計ったかのように反撃される。重さが乗った、いい一撃だった。


「日々の鍛錬は大事だね」

「あ?」

「この前は鈍ってきてると思ったけど、うん、悪くない。コツコツやってる結果が出てるよ」


 剣の――戦闘の才能に恵まれた彼女だが、意外にも、日々の鍛錬の積み重ねを重要視している。地道な努力ができる者が強いと知っているからだ。才能に胡坐をかけば堕落し、命を落とすと、父親から口を酸っぱくして言われていた。


 トムの剣をさばく。


 彼の息は乱れている。苦しげな声を漏らしながら、それでも懸命に剣を振るう姿は切実だ。


 難しく考えすぎる性質の男が、難しく考えた結果、思考を放棄したくなったのだろう。ティリーにもわかる。剣を振っている間は余計なことを考えずに済む。目の前の敵と、自分自身と、握る剣のことだけを考えていればいいのだ。


 ティリーは容赦なくトムを叩きのめす。彼は何度も倒れたが、その度に立ち上がって向かってきた。


 意識がある限り置き続けるだろう。そう判断したティリーは、最後はトムの意識を刈り取って地面に転がした。ボコボコのボロボロだ。鍛錬場の扉の外でこっそり覗いていた学生が「うわー……」と、誰ともなく引いている声を漏らしていた。


 トムが気を失っている間にバスケットを探す。


 鍛錬場を回ってみたがどこにもなく、覗いていた学生を捕まえて尋ねれば、代わりに探してくると言ってくれた。制服の胸のラインは一本。一年生だ。指輪狩りで優勝して以降、面倒事を代わってくれる一年生が何人かいた。


 学年の顔役になるということは、こういうことなのかもしれない。慕ってくれているのか、取り入ろうとしているのか。これまで話したこともなければ、見たことすらない人間が声をかけてくる。


(まあ、面倒事を引き受けてくれるのは、ありがたいんだけど)


 何はともあれ、バスケットは彼らに任せて、ティリーはトムの元へ戻った。


 うつ伏せで倒れていた彼を反転させる。仰向けにされたことで意識が戻ったのか、トムは呻き声を漏らしながらゆっくりと目を開けた。


「ティ、リー……」

「どう? 少しはスッキリした?」

「……ッ、ああ、でも……身体中、痛ェわ……」

「明日はもっと痛いよ。筋肉痛すごそう」

「ハ、ハハ……考えたくも、ねえな……」


 トムが上体を起こす。胡坐をかいた彼は苦笑し――それから、深く息を吐いた。どことなく元気がないように見える。満身創痍で疲弊しているから……ではなさそうだ。


 ティリーは隣に腰を下ろし、彼が口火を切るのを待った。


 しばらくの間、沈黙が流れ――


 ――どのくらい時間が経ったろうか。鍛錬場の扉が開き、さっきの男子学生たちが「バスケットありましたよ!」と戻って来た。


「ありがとう。その辺に置いといて」


 そう声をかけると、彼らは「どういたしまして!」「また何かあったら!」「いつでも呼んでください!」と口々に言って、分厚い扉を閉めていなくなる。賑やかだったのは一瞬だ。すぐにまた鍛錬場は静けさに包まれる。


 だが騒がしい空気に触発されたのか、トムが口を開き、ティリーの名を呼んだ。


「うん?」

「覚えてるか?」

「何を?」

「前に……あの日『百鬼の団』の襲撃が成功したのは、裏で状況を操った奴がいるからだって、話したこと」


 ティリーは目を細める。


「わかったの?」


 トムは声に出さず、ただ頷いて是と答えた。


「誰?」

「……すまない……」

「ん?」

「すまない、ティリー……全部……俺の、せいだった。俺が迂闊で、無責任なことを言ったから、彼女は……」


 トムは俯くと、両手で頭を抱える。黒髪を掴むようにぎゅっと指で握っていた。そんなに強く引っ張ったら毛根が痛そうだと、どこかズレたことを考えながら、彼女は彼を見る。


(俺のせいねえ……)


 難しいことを考えるのは苦手だ。考えすぎのきらいがあるトムが、考えて考えて煮詰めたソレの正体を察するのは無理である。


「またそれ? 前も言ってたね。俺の責任だって」

「今度は、本当にそうなんだ」

「じゃあ、何? また殴ればいいの? もうボコボコにしただけど、もっとやれってこと?」


 無性に、腹が立つ。


 自分から目を背けて、己の責任だと鬱々とする幼馴染みを、ぶっ飛ばしたい気持ちでいっぱいだ。小難しいことはわからないが、なんとなく、彼はティリーを見ていない気がする。物理的にではなく、心理的な意味で、トムがこちらから目を逸らしているのを、彼女は感じ取っていた。


「全部話してよ。責任がどうとかって話はそのあとでしょう? クロマクっていうのは誰だったの? なんで襲撃は成功したの?」


 苛立ちのまま話したせいか語気が少し強くなる。


 トムはポツポツと話し始めた。


 通常、襲撃を成功させるには入念な下準備が必要だ。情報と状況、必要な分の力がなければ成功しない。情報と襲撃に必要な力はあった。そこに状況まで揃ってしまった理由をトムは知ったらしい。


 話を聞き終わり、ティリーは口を開く。


「それで? 誰なの、状況を整えた人は? 名前は?」

「……言えねえ」

「はあ? なんで?」

「逆に聞くが、知ってどうするつもりだ?」

「もちろん報復に行くけど?」


 良くも悪くも、ティリー=フェッツナーは男女平等である。敵が男でも倒すし、女でも倒す。老人であっても、子供であっても、敵であれば容赦はしない。


「だろうな。だから言えねえんだよ」

「なんで?」

「なんででも、だ。どうしてもやるってんなら、俺がやる。俺の責任だからな。お前は手を出すな」

「なるほど。そこで責任どうのにつながるわけね」


 ティリーは腕を組んで、暗鬱とした様子のトムを見据える。


 トムが隠す人物はおそらく女だろう。もしくはとんでもない権力者。どちらにしても、ティリーが手を出すことで起こる『報復の報復』や、ティリーが被るであろう非難や不利益を懸念している。頭がいい人間だから、先の先まで読んだ上で、彼は沈黙を選んだのだ。


 彼女は静かに立ち上がる。


 そのまま黙って見下ろしていると、彼がゆっくりと顔を上げた。


「言いたいことは、なんとなくわかった。でもね、トム、きみはわかってないよ」

「わかってない……?」

「うん。責任を取るのは上の人間の役目だ。きみじゃない。わたしの、役目なんだよ」


 彼が一度、二度と、まばたきをする。


「参謀、側近、右腕……言い方はなんでもいいけど、どれであっても、わたしに代わって責任を負う役目はないから」

「ティリー……俺は、お前の役に立ちたいし、お前を守りたい。だから、言わせないでくれ」

「相手が女子生徒だから?」

「指輪争奪戦で優勝した一年生が、女子生徒を狙ったなんて……醜聞だ。お前の立場もなくなる。俺は、そうあって欲しくない」

「うん。ありがとう」


 トムが自分のことを思ってくれてのことだと、わかっていた。


 彼は子供の頃からティリーにくっついて来ては、何かと庇ったり、守ろうとしたりしてくれる。自分よりも弱い少年が周囲でちょろちょろするものだから、邪魔だと思った時もあった。成長しても変わらない。学舎が離れて、物理的な距離ができても、トムが傍から離れて行くことはなかった。


 だから彼女はお礼の言葉を口にする。


「でも、ごめんね、トム」


 そして、謝罪を。


「わたしに、秘密やウソはダメ。ウソは許さない。秘密は、秘密があることそのものを秘密にしてくれないと嫌。そうでないと、傍にはおけない」

「っ……」

「わたし、頭よくないから。傍にいる人の言葉に裏があるとか、ウソかもしれないとか、そんなことを思いながら一緒にはいられない」


 ショックを受けたような、愕然とした顔をする彼を、ティリーは静かに見下ろした。もしも彼がティリーを巻き込みたくなかったのなら、黒幕を見つけた、真相がわかった、俺の責任だったなんて、言うべきではなかったのだ。


 罪悪感か、責任感か――そのせいで飲み込み、消化しきれなかった想いが、今の事態を招いてしまった。トムもそのことに気付いたのだろう。自嘲混じりの笑みをこぼし、口を開いた。


 後日――


 淑女科のひとりの女子生徒が、学園へ休学届を出した。噂によると帰宅途中の馬車を襲撃され、淑女の証でもある髪を不審者に切られたそうだ。人前に出られなくなった彼女は、髪が伸びるまで休学を余儀なくされた。


 しかし、現場を目撃した第三者によれば、襲撃は酷く静かだったらしい。


 襲撃されたにも関わらず、彼女は泣き叫ぶことも、取り乱すこともなく、堂々とした姿だったとか。非常事態でも落ち着き払っていた様子が第三者の口から語られると、彼女をキズモノと蔑む声よりも、貴族の令嬢としての誇りが見事だと、むしろ評判は上がったとか。


 そんな事件を最後に、長いような、短いような五月が終わった。


 六月がくる――







//この度は拙作『ペンは剣よりも強いらしいけど、やっぱり剣を振り回したいショゾン』を閲覧いただき、ありがとうございます。第9回カクヨムコンに合わせて12月1日から投稿を始め、無事にここまで辿りつくことができました。


導入の『第一章:狂犬? 犬ではなく狼です』から、学園編『第二章:祝入学! ぴっかぴかの一年生!』『第三章:五月です。指輪争奪戦の始まりですね!』までをひと区切りとし、第60話をもちまして、第一部完!とさせていただきます。


カクヨムの投稿は初めてで何かと戸惑う部分もありましたが、フォローをしていただいたり、☆や♡、コメントやレビュー等で応援していただき、とても励みになりました。本当に嬉しかったです。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


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ペンは剣よりも強いらしいけど、やっぱり剣を振り回したいショゾン 32 @32nobu

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