第51話 赤に染まる:Sideファルコ
指輪争奪戦で優勝した団を讃える表彰式が進行していく。
今の今まで死闘が繰り広げられていた円形闘技場の舞台に、白翁殿が堂々と立っていた。剣を持つ者なら知らない人はいない、騎士科の総長マクシミリアン=フォン=ヴィッテルスバッハ。ファルコにとっては憧れと口にするのも憚られるような、偉大な英雄的な存在だ。
そんな存在が目の前にいた。
手を伸ばせば届きそうな距離だ。こんなに近くにものすごい人――伝説のような人がいて緊張しないはずがない。大勢に注目されていることより、目の前に白翁殿がいることで、彼は今にも泣き出してしまいそうだった。
「『篝火の団』ファルコ、優勝おめでとう。今後も研鑽を積み、帝国学園騎士科の名に恥じない存在であることを期待している」
「っ……あ、あり、がとうございます……!!」
完全に声がひっくり返る。
無理もない。ファルコは心の準備がまったくできていないまま、この舞台に立つことになったのだから――
――決勝戦の第一試合、『暁の団』のコンラート=フォン=ルーカスとの勝負はティリー=フェッツナーの勝利で終わった。馬乗りになり、顔面をひたすら強打し続けていた彼女が止まったのは、敵が意識を失い、抵抗できなくなってからだ。
ゆらりと立ち上がり、拳から血を滲ませた狂犬がニヤリと笑う。どこからともなく悲鳴が上がった。審判を務めていた白翁殿が勝者の宣言をすると、医療班が慌てた様子でコンラートを運んで行く。
二番手に出て来たのはクルト=レッシュだ。青白い顔をしながらも武器を構え、ティリーと相対する。彼女は武器を変えてツーハンドソードを手放していた。しかし武器が小さくなったからとはいえ、狂犬と称される彼女の苛烈さは健在だ。
そこからの四人、彼女は剣を片手に持ちながら、ほとんど殴る蹴るの徒手空拳で相手にしていた。騎士科の学生なら武器を使え……と、野次が飛ぶこともない。それほど荒々しく、他者を圧倒する暴力を、赤い髪の女子生徒が振るっていた。
「なんで武器を使わないんだろう?」
ファルコがチャールズに尋ねれば、ティリーと長年の付き合いの彼は肩を竦めた。
「そのほうが余計なこと考えなくていいからじゃねえの?」
「え? どういう意味?」
「単純な話、ティリーにとっては相手を殴って気絶させるほうが、剣で相手してぶっ殺さないように手加減するよりも簡単だってことだ」
「それって……いつでも、こ、殺せるってこと……?」
他の人に聞こえるはずもないのに、つい声を潜めてしまう。彼女が強いのはわかっているが、どのくらいかと考えた時、簡単に人を殺せるほどだと結論付けるのは、気が乗らない。きっとそれは彼女が、知人以上友人未満の――同じ団の仲間だからだ。
「相手を殺してもルール違反じゃねえ。とはいえ、さすがのアイツでもここを血の海にするほど狂っちゃいねえよ」
舞台を見上げながら言う彼の目には、羨望と憧憬の感情が浮かんでいる。圧倒的な力というのは人を魅了するのだろう。
観客席を見上げて様子を窺えば、恐怖や嫌悪の表情を浮かべる観客に混じって、熱い眼差しを舞台上の彼女に向ける者がチラホラいた。特に騎士科の上級生や本職の戦士や傭兵だと思われる顔触れは、ティリーを注視している。騎士の面々に眉を寄せている者が多いのは、彼女の戦い方が『騎士の戦い方』とかけ離れているからだろう。
ティリーはあっと言う間に暁の団のメンバーを倒していき――途中、失神した令嬢や淑女がいはしたが――大歓声を浴びながら優勝を決めた。ファルコが気になったのは騎士科総長のマクシミリアンの顔だ。戦闘が行われている時からずっと、彼は何を考えているのかわからない、険しい顔をしていた。
指輪争奪戦の優勝団が決まると、そのまま表彰式兼閉会式が行われる。当然、ティリー=フェッツナーが舞台に残ると思っていたのだが、彼女はゆったりとした足取りでファルコとチャールズのところへ降りて来た。
「ティリーさん、お、お疲れさま」
「うん」
「体調は? もういいのか?」
「んー……どうだろう。よくわからないや」
チャールズの問いに答えると、ティリーはそのままふたりとすれ違うように、黒門のほうへ歩き出す。
「えっ、ティリーさん? すぐに表彰式が……」
「めんどくさいから、あとよろしくね」
「え!?」
彼女は振り向かず言うと、軽く上げた手をひらひら振って歩みを進める。ファルコは驚いて目を丸くしたが、すぐにハッとし、これからのことを考えた。自分にティリー=フェッツナーを止める力はない。
「チャールズくん、ど、どうしよ……」
「ファルコ。任せた」
「え!?」
隣のチャールズを見上げれば、彼はティリーが消えた門の先を見ていた。そしてそのまま彼女の背を追うように歩き出してしまう。
「チャールズくん!? 表彰式は!?」
「決勝戦で戦ってねえのに表彰だけされろって? 冗談じゃねえ。ンな、ティリーの手柄をかっさらうようなマネできるかよ」
そう言って、駆け出した彼の姿は、あっと言う間に見えなくなってしまった。
(決勝戦どころか、一試合も出てないんだけど……)
やがて表彰式が始まってファルコが舞台に上がると、円形闘技場に『なんでおまえだよ?』という雰囲気が流れた――
――だが一番そう思っているのはファルコ自身である。何故、ふたりを差し置いて自分が表彰されているのか。騎士科の総長の白翁殿に間近で声をかけてもらえる栄誉に興奮し、震えていても、その自問をし続けている。
入学する前から、指輪狩りの話は三年生にいる兄のヒンネルクに聞いていた。兄たちが――歴代の篝火の団がそうだったように、自分も予選開始早々に指輪を奪われて消えると思っていた。せめて怪我はしたくない。できるだけ優しそうな人に、自分から指輪を渡すという選択肢すら、彼の中にはあった。
それなのに……。
(優勝しちゃった……)
今後、弱小中の弱小と馬鹿にされ続けてきた、篝火の団の立ち位置がどうなっていくのか……考えるだけで胃が痛くなる。きっと、いろんな意味で注目されてしまうだろう。
観客席の隅で、身を隠しながら見ている、兄をはじめとする団の先輩たち。彼らもファルコと同じ気持ちのはずだ。もともと篝火の団にいるのは、そういう類いの学生であって、ティリーたちフェッツナー男爵領から来たような人間が異例なのだ。
彼女たちは強い。
その強さは荒々しく、そんな戦い方は騎士の卵として相応しくないと言う者も少なくはないだろう。それでも、今日、彼女の暴力を目にした人たちは――自分の身に危険が及ぶ時、学生の中の誰に守られたいかと尋ねられれば、ティリー=フェッツナーの名前を上げるはずだ。
そう考えるくらい、ファルコという気弱で実力も何もない少年は、赤狼の娘の強さに多大な信頼を寄せていた。たった一か月くらいの付き合いなのに、濃く、深い赤に染められ始めている。
だから彼は外野に騒がれようと、緊張で震え、涙目になりなろうとも、堂々とそこに立っていた。真っ直ぐ、マクシミリアン=フォン=ヴィッテルスバッハの目を見つめれば、今日初めて、総長は険しいままにしていた表情を緩め、目を細めた。
「非凡な人間の傍にいるのは苦労するぞ」
「っ、は、はい……」
「だが、振り落とされず傍に居続ければ、その経験は必ず糧となろう」
振り落とされずにいるのは、大変だ。全然ついていけず、ちょっと目を離せばすぐに背中を見失ってしまう。それでも――
追いかけてみます、と。
彼の小さくか細い声を拾ったのは、マクシミリアンだけだ。静かに頷く総長に、ファルコはふっと息を漏らす。
そして、見上げた空は青かった――。
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