第9話 おんなのこ
――昼休み。午前の座学が終わり、生徒たちに束の間の自由時間が訪れる。騎士科の建物がある敷地内の中庭に彼女はいた。春の風が芝生の青い香りを運ぶ。
ティリーは悪友の三人に囲まれ、昼食のホットドッグにかぶりついた。周りの三人――タイロン、チャールズ、ツィロの頭には大きなたんこぶがあり、食事をすることもなく恨めしげな視線を向けてくる。ホットドッグを食べ終えた彼女は「フン」と鼻を鳴らし、タイロンの昼食である馬鹿デカいパンに手を伸ばす。
「ああああ! 俺の特製ニクニクパン!!」
分厚い肉の塊と、ひき肉をこねて丸めて焼いた塊が挟まったパンである。緑の野菜や赤いトマトなどなく、茶色の塊だった。だが、自称美食家の大食漢が自分自身のために用意したパンだ。非常に美味しい。
黙々と頬を膨らましながら食べるティリーと、昼食を取り戻さんと飛びかかりそうなタイロン、それを止めるチャールズとツィロという異様な光景。同じ騎士科の生徒たちからも遠巻きにされているが、東部から来た彼女たちはまったく、これっぽちも、微塵も気にしていない。
そこへ近付く男がいた。
「お前らの声、向こうまで聞こえてたぞ」
四人の幼馴染み、トムだ。
ひとり別の学科に入学した彼は、ひと足遅れて騎士科の中庭へ来た。騎士科の敷地には他の学科の生徒がめったに来ない。そのため騎士科の白い制服の中、黒い制服を身に纏っている彼はひどく目立っている。しかしやはり彼もまた、他人の目など気にしていないようだった。
トムはくっついて騒ぐ三人を「はは、三馬鹿はどこでも三馬鹿だな」と笑いながら、ティリーの隣に腰を下ろす。
「聞いたぜ、ティリー。お前、停学明け早々、クラスの女子生徒を公開謝罪に追い込んだらしいじゃねえか。騎士の風上にもおけないって、経営管理科でも噂になってたぞ」
「あっ、バカ!!」
声を挙げたのはチャールズだ。ツィロと共にタイロンを押さえている彼は、自称美しい顔を盛大に歪めている。
「トォォォムゥゥゥ……!!」
ぐわし、とティリーはソースのついた手でトムの頭を掴んだ。そして彼が疑問をこぼす余地すら与えず「ふんぬ!」と思い切り頭突きをした。
「うぐっ」
「わたしはなんにもしてない! 向こうが勝手に謝ってきたの!」
「っ……なんて説得力のない……」
トムはひたいを押さえて苦悶の表情を浮かべている。一方のティリーは憮然とした顔でトムを睨んだ。
「あーあ、忠告したのに」
チャールズが哀れみの視線をトムへ向ける。その横で、ようやく落ち着いたタイロンが自身の丸い頭を指差した。
「俺らも同じこと言って食らったんだ。拳骨」
「腫れ上がっちまってよ。エラい目に遭ったぜ」
ツィロが肩を竦める。
フン、とティリーが鼻を鳴らした。
登校早々、クリスティーナ=ニュンケ子爵令嬢に頭を下げて謝罪をされた。小柄で、まるでリスのような令嬢はポロポロと涙をこぼし、ティリーはそれに上手く対処できなかった。その結果、停学明けの問題児がか弱い子爵令嬢を公開謝罪に追い込んだ、という、どちらにとっても不名誉な噂が出回ってしまったのである。
噂の火消しなど器用な真似はできない。
彼女にできることと言えばせいぜい、昼休みに悪友たちから昼食を奪い取り、不満を発散するために暴食をすることくらいだ。ホットドッグ、肉を挟んだパンを食べ終え、卵たっぷりのサンドイッチと、彩り豊かなパストラミとサラダのサンドイッチを手元に残している。そこに新たに、強奪したマッシュポテトとフライドフィッシュが追加された。
ティリーは卵のサンドイッチにかぶりつく。
「む?」
騎士科の中庭にいた生徒は彼女たちを遠巻きにしていた。しかし、こちらに近付いて来る者たちがいる。三人の女子生徒だ。しかもその中のひとりは教室で泣きながら謝罪をしてきた、クリスティーナ=ニュンケである。
思わず目を見開いた。
「フェッツナー男爵令嬢……っ!」
クリスティーナがふたりの令嬢よりも一歩前に出る。
「お、おかしな噂が出回ってるみたいで……その、本当にごめんなさい!」
「なっ!?」
子爵令嬢が勢いよく頭を下げた。ティリーはビクッと肩を跳ねさせ、卵のサンドイッチにかぶりついたまま固まる。
「公開謝罪再び!!!」
三馬鹿のテンションが一気に上がった。ギロリとティリーが睨めば三人はそれぞれ自分の口を押さえたが、にやけて半月状になった目は隠せない。
唯一声を挙げなかったのはトムだ。彼は静かに口を開く。
「ニュンケ子爵令嬢」
「っ、は、はい!」
「悪いと思ってんなら頭上げてください」
「でも……」
「公衆の面前で謝罪されたら噂が上塗りされるだけだって言ってるんですよ。女の立場が弱い騎士科ってところで、女が女をイジメてるって思われんのも、女が女にイジメられてるって思われんのも、どっちも不名誉なことでしょ」
「そ、それは……」
ニュンケ子爵令嬢がトムの言葉に揺れていると、彼女の両脇にいたふたりの女子生徒が動いた。
「クリスティーナ、彼の言う通りよ」
「そうよう。いろんな人たちがこっちを見ているわ」
友人に言われたからか、クリスティーナはのろのろと顔を上げる。大きな目には涙が浮かんでいたが、こぼれ落ちてはいない。固まったままだったティリーは、それを見てようやく卵のサンドイッチを咀嚼するに至った。
視線を感じる。気の強そうな顔の女子生徒だ。吊り上がった目が猫のようだった。
「フェッツナー男爵令嬢、まずは謝罪させてちょうだい。ああ、頭を下げたりはしないから安心して」
「ん」
卵のフィリングのなめらさかを堪能しながら頷く。
「あたしはタニヤ。アデ子爵家の長女よ。それでこっちがスピラ男爵家の――」
「パウラよう。よろしくね」
タニヤ=アデと反対に、パウラ=スピラはおっとりとした雰囲気の少女だ。クリスティーナを含め、三人とも白い制服を着ており、どうやら騎士科の所属らしい。
ティリーは口の中の物を飲み込む。
「わたしはティリー=フェッツナー、です」
「ええ、知っているわ。東部のフェッツナー男爵家は有名だもの。同じ学年に入学するひとり娘がいるって聞いて、あたしたち、会えるのを楽しみにしていたのよ」
「東部の『赤狼騎士団』の名前は中央でも轟いているのよう。それにね、騎士科の女子生徒は少ないもの。同じ学年でくらい仲良くしたいでしょう?」
「仲良く……それはつまり――」
きゅ、とティリーは唇を引きしめた。そして芝生の上から立ち上がる。彼女は目の前の三人の女子生徒を順に見て、真面目な顔で再び口を開いた。
「と、友だちになってくれると、いうことでしょうか?」
あまりにも真剣な顔をしていたからか、クリスティーナたちが顔を見合わせる。そして目配せをすると、彼女たちはティリーに笑顔を向けた。若く、瑞々しく、それでいて気品を感じさせる花のような笑みだ。
クリスティーナがやわく微笑み、頷いた。
「ティリーさんって呼んでもいいですか?」
「はっ、はい!」
「私のことも名前で呼んでください。私、貴方とお友だちになりたかったんです。あの日、教室で助けてくれた日から、ずっと」
ふわふわの茶色い髪が、春の暖かな風で揺れる。彼女のまろい頬がほのかな桃色に染まり、小動物――リスを思わせる相貌が愛らしい。
(お友だち……女の子のお友だち……!)
頭の中で祝福の鐘が鳴った。ティリーはそそくさとクリスティーナに近付くと、彼女の手を取る。小さく、柔らかい手だ。
「クリスティーナさん、これからよろしくお願いします!」
「はい! ティリーさん、仲良くしてください!」
ぶんぶんと繋いだ手を振っていると、パウラとタニヤがくすくす笑った。
「あら? あたしたちとは仲良くしてくれないの?」
「それは寂しいわあ」
「っ、いえ! タニヤさんとパウラさんも! よろしくお願いします!」
背後から四人の生温かい視線を感じたが、ティリーは気にしない。
将来の団員候補として集められた少年たちと暴れ回り、悪童の名を欲しいがままにしていたため、これまでに同年代の女の子たちと交友を持つ機会はなかった。だがそれは同性の友人を求めていなかったということではないのだ。
後ろのメンツは『悪友』だが、前の彼女たちは『お友だち』である。汗臭くないし、花や果実のような甘い香りもした。触れれば壊してしまいそうだ。だがそれでも求めてしまいたくなるほどに、彼女たちはひどく愛らしく、美しいもののように見えた。
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