第54話 辿りついた真相【昼休み】・前:Sideトム


 その人と直接顔を合わせるのは二度目だ。


「アイヴィ=フォン=バルツァー伯爵令嬢、少し、お時間よろしいでしょうか?」


 午前の授業が終わり、トムは彼女の元を訪ねた。できるだけ人のいないタイミングを狙ったが、経営管理科の男子生徒が淑女科の女子生徒に声をかける姿は目立っており、すれ違う生徒が興味深そうな視線を向けてくる。


 アイヴィが微笑んだ。微かな笑みを浮かべるだけで周囲の人間は目を奪われ、多かれ少なかれ下心のある者は、彼女に胸をときめかせる。


 彼女の美貌は入学する前から評判だった。南部バルツァー伯爵家の三姉妹と名高く、まるで花の精霊のようだと称賛されていた。入学しておよそ二か月が経った今『噂は大袈裟ではなく本当だった』というのが、学園の共通認識となっている。


「お久しぶりですね。そのように堅苦しくお話しにならないでくださいませ」

「そういうわけには参りません。あなた様は由緒正しい家柄のご令嬢ですから」

「ですが、以前はもっと気安くお話ししてくださったでしょう?」

「あの時は場所が場所でしたから。今は……衆目のある場で私が話しかけること自体、無礼だと糾弾される可能性すらありますので」

「そう……でしたら、場所を変えましょう。トム様もそれがお望みでしょう?」


 その言葉が、時間を要求したトムへの返答だった。


 アイヴィは優雅な動作で歩きはじめる。嫋やかで、静かで穏やかな空気は、余裕のある貴族令嬢のものだ。前に騎士科の校舎で直接話した時より落ち着いているように見えるのは、この場所が彼女のテリトリーだからだろう。令嬢に、騎士科の敷地内で平静を保てというのは無理な話だ。


 トムは彼女の斜め後ろについて歩く。見ようによっては従者に見える立ち位置だが、アイヴィと並んで歩くのは目立ちすぎる。この位置が誰に見られても妙な誤解を受けない、最適解だった。


 彼女には婚約者がいる。


 帝国学園騎士科の二年生、エッケハルト=フォン=ローレンツ伯爵令息だ。古い歴史を持つ伯爵家の長男で――トムたちにとっては因縁がある相手でもある。


 『百鬼の団』に所属するエッケハルトは、指輪争奪戦の穴をつく形で、トムの幼馴染み兼悪友のツィロとタイロンを襲撃した。その件に関してはすでに怒り心頭のティリーが過剰なまでの報復を終えている。


 だが、それで全てが解決したわけではない。


 前を行くアイヴィが選んだのは、図書館に併設された読書スペースだった。図書館にはひとりで集中して勉強をするための個室と、本を読むために机と椅子が用意されたスペースがある。昼休み、後者には人がいない。今は昼食の時間で、図書館は飲食禁止とされているためだ。


 大きな声でなければ会話もでき、開けた空間のため異性とふたりでいても咎められない場所だった。トムは椅子を引き、そこにアイヴィが腰を下ろす。咎められはしないが、あまり近すぎないほうがいい。トムは椅子を離して座った。


「この場所なら、以前のようにお話しをしてくださいますか?」

「……ああ。そのほうが俺も楽でいい」


 周囲の気配を探るが、近くに人はいないようだ。


 彼女について来たとはいえ、実質、つれて来たのはトムだとも言える。できる限り、アイヴィの要望に応えるつもりだった。もっとも、話をして彼女の答え如何では、礼儀正しくもしていられないのだが。


 ジッと彼女を見ると、やわい微笑みが返ってくる。


「嬉しいです。もう一度、お会いできたらと思っていましたので」

「俺に?」

「はい。皆さまのおかげで助かりました。そのお礼を改めてお伝えしたかったのです」

「お礼、ね……それは、あの日のことを言ってるんだよな? 階段から落ちたあんたを、支えたこと」

「ええ、もちろんです。他に何かありましたか?」


 アイヴィが大きな目をまたたかせた。


 貴族令嬢らしい優雅な雰囲気を纏っているかと思えば、不意に純真無垢であどけない表情を見せたりもする。彼女のそういう部分に惹かれる男は多いのだろう。だからこそ、婚約者のエッケハルトは、アイヴィを自分の支配下にでも置くように、高圧的な態度で接していたのかもしれない。


「百鬼の団がうち……いや、篝火の団を襲撃したことは知ってるか?」

「……ええ、噂で、少しだけ。わたくしの関与できることではありませんが、卑劣な行為であったと聞きました。婚約者のしてしまったこと……お礼よりも、お詫びを申し上げなければいけませんでしたね……」


 申しわけなさそうに眉尻を下げた表情は、見る者の憐憫を誘う。自分を虐げるような扱いをする婚約者であるにも関わらず、彼女は震える声で「本当に申しわけございませんでした」と、代わりに謝罪の言葉を口にした。


 そんな彼女を見つめていたトムは、感心してしまう。アイヴィ=フォン=バルツァーという人の在り方は、貴族令嬢の模範のひとつなのかもしれない。男爵領にいた頃、義父がよく『フェッツナー男爵家とは違った意味で、貴族は怖いぞ』と言っていたのを思い出していた。


「何も知らなかった、わけじゃないよな?」

「はい?」

「百鬼の団……否、エッケハルト=フォン=ローレンツのたくらみを、エリザベート=フォン=ウィルデン侯爵令嬢に密告したのは、あんただろ? 侯爵令嬢経由でティリー=フェッツナーに知らせてくれた。違うか?」

「それは……」


 言い淀む彼女は一瞬目を伏せたが、すぐに真っ直ぐな目をトムに向けた。誤魔化すつもりはないと言わんばかりの目だ。ふっくらとした形のいい唇が、そっと動く。


「……そうです。エッケハルト様たちの、恐ろしい計画を聞いてしまい……わたくし、どうすればいいのかわからなくて……エリザベート様にご相談させていただきました。そのことを、まさか知られていたなんて……わたくしの名前を、エリザベート様が出されたのでしょうか?」

「ん? いいや、違う。侯爵令嬢のサロンでの話は秘密厳守。外に漏れることはない。だからあんたも相談できたんだろ?」

「ええ……わたくしの倫理観に反していましたし、黙すことへの罪悪感があって相談しましたが、わたくしのしたことは……ある意味では、婚約者への裏切りです。許されることではありません……」


 悩んだ末の行動だったと、彼女は悲痛な顔で語る。震える声で、黙っていることへの罪悪感と、暴露してしまったことへの罪悪感、どちらがマシだったのかと……目には涙の膜が張っていた。




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