第41話 十六橋突破

「なにっ、母成峠が破られただと」

 梶原平馬は驚きのあまり、その後の言葉を失った。

 会津・鶴ヶ城に、その第一報がもたらされたのは、日付が二十二日に変わった深更のことである。命からがら逃げ帰った藩兵の報せであり、その様子から疑いようのない事実だった。

 勢至堂口や中山口には、大軍を詰めて守っていたが、最も手薄の石筵口から母成峠を越えて来るとは、予想すらしていない。大鳥圭介率いる旧幕軍を中心に、せいぜい七百程度の軍勢しか配置しておらず、完全に裏をかかれた形だ。

 緊急の報せで続々と家老が登城してきた。田中土佐、神保内蔵助、萱野権兵衛、それに家老に昇進したばかりの佐川官兵衛だった。上座には藩主・松平喜徳、そして容保と弟で桑名藩主の定敬が控えている。定敬は北越戦争の終結を受けて、立見艦三郎率いる藩兵と共に会津に逃れて来ていた。

 會津藩最大の失態は、非常時の対応について、この時に至るまで何の策も打ち出していなかったということである。

 一同に重々しい空気が流れている中、口火を切ったのが萱野権兵衛だった。

「総督、どうする。精鋭の朱雀・青竜は殆ど出払っている。残るは玄武隊の老兵と白虎しかおらぬぞ」

 それは全員が同じ思いのことで、総督である平馬すら妙案が思いつかない。

「各地に散らばっている精鋭も、母成峠が突破されたことは耳にするはず。追って城に駆けつけるはずです」

 これも平馬の苦し紛れの想定でしかなく、積極的な策ではない。

「先ずは、玄武と白虎で守り抜くしかござらぬ。猪苗代城もそう簡単には突破されぬです」

 この「はず」さえも当てにならない。戦という緊急時には、少しでも甘い想定は、決して許されないということを、後で一同が身を持って痛感することになる。

 その時、藩主父子の御前にも関わらず、どかどかと足音を立てるように入って来た者がいた。閑職に追いやられていた西郷頼母である。

 西郷は開口一番に怒鳴り散らした。

「だから、恭順すべきと言ったではないか。戦などで立ち向かおうとするから、こんなことになる。そもそも、京都守護職などという厄介な役目を背負わなければ、こんな事態に陥ることがなかったのだ。この責任は誰が取るというのだ」

「西郷殿、殿と御老公の御前で無礼であろう。そもそも、貴殿をこの席に呼んだ覚えはない。この席にいてはならぬ御方ですぞ」

 西郷の無礼な振る舞いだけは看過出来ない、と咄嗟に判断したのは、年長の神保内蔵助だった。

「無礼を承知で申し上げておる。かくなるうえは、ここにいる全員が腹を召すしかなかろう」

「黙れ、西郷」

 その声の主は、なんと容保だった。容保がここまで大声を張り上げて、家来を咎めたのは過去にも先にも、これが一度限りである。

「腹を召す覚悟など、お主になど言われずとも、とうの昔に皆が出来ておる。その前に、左様に無礼千万なことを、どの口が言っておる。謹慎を解いて白河口を任せたにも関わらず、大軍の上に胡坐をかき、失策続きで過去にない数多くの者を死に追いやったのは、どこの誰じゃ。その責任も取らず、のうのうと生き恥を晒した挙句に、そのような暴言を吐く者を、予は断じて許すことは出来ぬ。もう二度と我が前に顔を出すことは許さぬ。どこへでも行ってしまえ。追放じゃ」

 その場で切腹を命じなかったのが、せめてもの容保の温情だった。さすがの西郷も、容保の叱責には何も返すことが出来ない。一礼するとその場を引き下がり、長子吉十郎を連れて、何処ともなく立ち去った。その後、頼母父子の姿が確認されるのは、戊辰戦争最後の地、箱館である。

「大声を出して済まなかった。続けよ」

 容保は危急の対応を進めるよう、平馬を促した。

「母成峠を突破された今、敵が本城めがけて攻め寄せるは明らか。問題は十六橋方面から来るか、それとも些か遠回りとはなるが、大寺方面から侵攻してくるかです」

 平馬の意を受けて、策を述べたのは萱野権兵衛である。

「敵は猪苗代城を避けて、多少遠回りは覚悟の上で、大寺方面から攻め入るものと考えるのが妥当でしょう。幸い、ここには桑名殿がいらっしゃる。それがしが桑名殿の案内をして、大寺に布陣しようと思うが如何でござろう」

「十六橋方面は如何いたしましょう」

 軍略には素人の平馬であり、ここは年長の方々に任せるしかない。ここでようやく口を開いたのが、家老になりたての佐川官兵衛だった。ここまでは遠慮していた、というのが正直なところだったが、非常時とあっては悠長なことを言っている場合ではない。

「これまで、敵は我らの裏ばかりを突いてきております。此度も、大寺ではなく猪苗代城を牽制しながら、十六橋に向かってくることも考えられます。ここはそれがしが、兵を集め十六橋を破壊し、敵の侵入を防ごうと思います」

「そうして貰えると有難い。時間が稼げれば各方面から精鋭部隊が帰還し、敵との戦闘も五分に渡り合えるであろう」

 こう言って、安堵の顔を浮かべたのは田中土佐だった。


 ちょうどこの頃、新選組隊士を率いる山口次郎は、磐梯山方面から逃れてきた大鳥圭介との再会を果たしていた。

 山口は、土方が米沢方面に援軍を求めて去った後に、残った隊士と相談し、方針を変更していた。城内に戻るよりも、自分たちの働きが活かせるのは戦場である、との意見が多かったためだ。他の軍勢と合流のうえ、敵の城下侵入を防ぐことが出来れば、それが一番会津藩と容保の御恩に報いることが出来るとの判断からだっだ。

 山口ら新選組は、落ち延びて来る母成峠からの一団との合流を求めて、再び磐梯山の麓を歩き出した矢先に出くわしたのが、大鳥ら旧幕兵だった。

「大鳥さん、これから鶴ヶ城に向かわれるのですか」

 山口は訊ねた。松明たいまつの灯りでも分かるくらいに、軍服は破れ大鳥の顔はやつれ果てている。母成峠における戦闘の激しさが伺えた。

「誰かと思えば、新選組の斎藤さんか。會津はもう終わりだ。俺たちは米沢を通って仙台に行くよ」

 その言葉を聞いた山口は大鳥に激しく迫った。

「大鳥さんたちが江戸を脱走して、戦を続けてきたのは、会津藩の救済ではなかったのですか。負けが込んできたからと言って、そんなに簡単に会津を見捨てるのですか」

 このように惨めな敗戦の後でも、大鳥は冷静だった。

「勘違いして貰っちゃあ困るなあ。俺たちは会津藩の救済だけが目的で、戦をしているわけじゃないぜ。私利私欲で幕府を倒した薩長が許せないのさ。そんな奴らに一泡も二泡も吹かせてやりたい。あわよくば今の新政府とやらを転覆させるために戦っている。だから、俺たちの戦いはまだまだ続くのさ。悪いが、会津藩から感謝されることはあっても、君たちのように会津藩への恩義を感じることは何ひとつとしてないからね」

「それでも、窮地に陥っている会津藩の仲間を、見過ごしていくというのですか。幕臣のとしての義はないのですか」

「悪いが今はそんな余裕はないぜ。俺たちも今は生き延びるだけで精一杯だ。それに母成峠じゃあ、銃器がお粗末なのは同情するが、必死に戦ったのは俺たちばかりで、會津の兵の中で俺たちと生死を共にして戦ったのはほんの僅かでしかない。そこに恩義も何もあったものじゃないくらい分かるだろう。斎藤さんよ」

「もうその名は止めていただけませんか」

 山口はこう返すのが精一杯だった。確かに旧伝習隊の連中に、同じ思いで戦えという方が、無理というものだ。

「もう行かせて貰うぜ」

 こう言って、大鳥圭介ら伝習隊の一行は、米沢街道の方向に向かっていった。その姿には未練や後ろめたさが少しも感じられないのが、山口には少し羨ましかった。


「急げ、いつ薩長軍が攻め来るか分からない。早く橋を壊せ」

 佐川官兵衛も自ら鶴嘴つるはしを手に、十六橋を壊しにかかっていた。すでに八月二十二日の午後一時を回っている。作業に入ってから、まだ僅かの時間しか経っていない。

 予定では遅くとも午前十一時には作業を開始する予定だった。遅れたのには理由がある。直ぐに集まると思った隊員が集まらなかったのだ。それは白虎隊を始めとして、奇勝隊、敢死隊といった、僧侶・農民兵・町人兵・猟師の急きょ招集であり、無理もない遅れだった。

 もしも、集まった順に先発させるということを行っていれば、ここまで焦る必要もないはずだが、戦い一辺倒の官兵衛に、そのような機転が利くはずもなかった。

 十六橋は日橋川に架かる石橋である。昔、弘法大師がこの地を訪れ、十六の塚を築いて橋を渡した逸話から、この名となっていた。

 焦る佐川官兵衛をよそに、石で造った頑丈な橋だけになかなか、取り壊し作業が進まない。

 そうこうしているうちに、斥候に出ていた白虎隊の一人が、急いで駆け戻りながら叫ぶ声が聞こえてきた。

「敵襲、敵襲」

 拙い、来てしまったか。もう止むを得ない。官兵衛はすぐさま決断した。

「橋を壊すのは中止だ。銃を持たない者は逃げろ。銃を持つものは土壕に入るか、木陰から敵に応戦せよ」

 万が一の時のために、多少土壕だけは作らせておいたのが功を奏した。

 しかし、ここでも銃器の性能の差が如実に表れた。味方にはゲーベル銃の数すら限られており、火縄銃が大半という情けない状況だった。


「撃て、撃って、撃って撃ちまくれ」

 先鋒を任された土佐藩の川村与十郎は、駆けながら声の限りに叫んでいた。橋の袂には大勢の會津藩兵がいて、手作業で橋を壊そうとしているのが見える。

『間に合った、橋がある』

 与十郎は心の中では安堵の気持ちが勝っていた。敵には大砲で橋を崩す余裕すらないのだ。母成峠からの道をひたすら駆け下りて来た。途中で難渋すると思われた猪苗代城からの攻撃も、敵が城を焼いて逃げたお陰で、何の支障もなくここまで来た。

 唯一の不安材料が、この十六橋を先に破壊されていることだった。もしも、橋がなければ、渡河にあたり時間を要するだけでなく、兵に犠牲が出たかもしれないが、それも杞憂に終わったようだ。

 敵の姿が見えるようになってきた。どうやら、まともな軍備をした兵は少ないようだ。大半が火縄銃ではないか。

「よし、皆よく聞け。敵は火縄銃が大半、よくてもゲーベル銃だ。敵が撃ち終えてから、また撃ってくるまでに時がかかる。その間隙を縫って、突撃するぞ」

 薩長軍は會津軍の銃砲が鳴り止んだ瞬間、一斉に銃を乱射しながら、十六橋めがけて突っ込んだ。敵が一目散に逃げていく。

「進め、会津城下は近いぞ。進め」

 与十郎は再び声の限り叫んでいた。


(第四十二話『士中白虎二番中隊の悲劇』に続く)

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