第42話 士中白虎二番中隊の悲劇

「大変です、十六橋が突破されました。敵は戸の口原まで進出してきております」

 伝騎からの報せだった。

「まさか。猪苗代城兵は如何した。佐川殿はどうしたのだ」

 またもや、想定外の事態が起きている。梶原平馬は動揺を隠せない。

「猪苗代城兵も大半が母成峠の後方支援に回っており、城内が手薄のため、土津はにつ神社と城に火をかけた模様です。佐川殿が十六橋を取り壊している最中に、残念ながら、敵が押し寄せて参りました。今は、佐川殿率いる一隊と、猪苗代城兵が戸の口原に陣取り、敵と交戦中の模様です」

 平馬は共にその報せを聴いていた藩主父子を振り返った。

「今、城内から出せる兵はどれくらいか」

 容保が平馬に訊ねた。

「士中白虎隊のみでございます」

「わかった。白虎を率いて滝沢村まで出る」

「お待ちくださいませ。御老公にもしものことがあってはなりませぬ。代わりにそれがしが参ります」

 平馬の必死の諌止に、耳を傾ける容保ではない。

「お主はここに残り、藩主をお守りすると共に、各地からの伝令に対処するのだ。心配はいらぬ。危ない時は、必ず引き返す」

 藩主・喜徳よしのぶは未だ十三歳であり、確かに平馬が城内に必要なのだ。

「しかし、御老公をお守りする兵が少なすぎます」

 平馬の言うことにも一理がある。上級藩士の子弟である士中白虎は、全員でも九十一人でしかない。最も多い中級藩士の子弟である寄合白虎は、佐川官兵衛と共に戸の口原で戦っているはずだ。

「心配は要らぬ。守兵が少なければ、敵も予だとは気づくまい。この危急存亡の折、皆が必死で戦い、また、これからも戦おうとしている時に、予だけがどうして平然と、城内に籠っていられるというのだ」

 容保の決意の固さに、平馬も折れざるを得なかった。

 折からの暴風雨の中、容保が士中白虎隊を率いて、滝沢村の横山山三郎邸に入り本陣としたのは八月二十二日の夕刻近くだった。

 容保以下白虎隊が着到するとほぼ同時に、戸の口原から増援要請が届いた。容保は迷うことなく、二番中隊の隊長である日向内記ひなたないきに対し進軍を命じた。

 戸の口原は丘陵と湿地が交錯し、草木が生い茂る広茫たる原野である。

 風雨に晒される中、既に日も暮れてしまい、しかも運悪く味方の軍とも遭遇することないまま、原野に放り出された二番中隊の少年たちの心細さは、如何ほどであっただろうか。

 しかも、兵糧の携行もしないまま、進軍してしまったために、空腹と寒さで体の熱が奪われてしまうという状態であった。皆が身体を寄せ合いながら凌ごうとするが、未だ育ち盛りの若者ばかりである。

 不憫ふびんに思った初老の隊長・日向内記が、意を決し食糧を求めて向かったところは、味方の陣営だった。ところが暗闇と風雨の中にあって方向を失い、運悪く敵と遭遇してしまったから、もうどうすることも出来ない。銃弾を浴び頬に傷を負った挙句に道にも迷い、白虎隊士たちのもとに戻ることすら出来なくなってしまっていた。

 こうして、二番中隊の若い隊士たちは、空腹と寒さに耐えながらも、まんじりともせずに翌二十三日の朝を迎えることになる。

 辺りが明るくなり、霧の中で味方との合流を果たして、静かに喜んだのも束の間のことだった。

 原野一面に広がった濃霧の中から、忽然と姿を現したのは、薩長の主力を担う大部隊である。直ちに決戦の火蓋が切って落とされた。

 しかし、ここでも銃砲の質と量で遥かに上回る薩長軍の前に、會津軍はなす術もなく敗れてしまう。白虎隊でも小隊長の山内蔵人ら数人が銃弾に斃れ、代わりに指揮を取った十七歳の隊員・篠田儀三郎の指令で、命からがら退却する他なかった。

 雨でぬかるんだ湿地の中を必死に駆け回り、ようやく辿り着いたのが、飯盛山の真下にある戸の口堰洞門だった。

 周りを見渡すと、逃げる時には一緒にいたはずの酒井峰治が、はぐれてしまって姿が見えない。敗走の途中に腰を撃たれて、歩行も困難な永瀬雄次や、既に呼吸すら苦しそうな石田和助もいる。無傷の隊士が両脇を抱えて、ここまで連れて来ていた。篠田が数えたところ、隊員は十七人に減っていた。

 篠田が目指したのは飯盛山の山頂である。迷わず洞門に飛び込み、冷たい水路を辿って城が見渡せる弁天社脇に抜け、あとはひたすら登るだけだった。

 士中白虎二番中隊の十七人が、ようやくの思いで辿り着いた山頂で、目の当たりにしたのは信じられない光景である。

 遥か向こうに見える城下が、黒煙と紅蓮の炎に包まれ燃え続けているのだ。その先には黒煙に煙る鶴ケ城天守閣があった。既に薩長の大軍が、城下に押し寄せていることは、疑いようのない事実だった。

「今すぐに下山して、城に向かおう」

 誰かがこう言った。その言葉に対して、真っ先に反応したのが、傷ついた永瀬雄次だった。

「皆は行ってくれ。しかし、俺はもう駄目だ。ここで介錯を頼む」

「俺も同じだ」

 石田和助も既に覚悟している様子だ。

 しかし、指揮を取っている篠田儀三郎の判断は違っていた。

「いや、待て。敵の数と銃の威力の凄さは、朝の戦で痛いほど思い知らされた。これから向かったとしても、城に入る前に皆銃弾の餌食になるに違いない。銃弾に斃れるならまだましだ。もしも、生きて虜囚りょしゅうの辱しめを受けるようなことにでもなってみろ。御老公やご先祖様に何とお詫びを申し上げたらよいものやら分らぬ。そうであろう」

 篠田は全員の顔を見回して続けた。

「我らの務めは終わった。ここで永瀬と石田だけを逝かせたりはしない。かくなるうえは、我ら全員潔く自刃のうえ、黄泉の国で落ち合おうではないか」

 この篠田の考えに異を唱える者は、誰一人としていなかった。

 それぞれが、鶴ヶ城の方角に向かって決別の礼をなした。全員が上級藩士の子息であり、屋敷は全員郭内にある。城の方向は、つまり自邸の方向でもあった。

 作法の違いは多少あれども、祈ることは皆同じである。先立つ不孝を詫びつつ、残された家族の無事、そして会津藩の存続を心から祈った。

 それでもいざとなると、自刃の仕方は様々だった。篠田ら年長者のように、作法に則り割腹の後で首の頸動脈に刀を当てて、自らを介錯する者は稀だった。最初から首の頸動脈に刀を当てる者、向かい合わせてお互いに心臓を突き合う者、地面や石の上に刀を立てて切っ先で咽喉を突く者と様々だった。

 飯盛山の山頂は、十七人の若者の鮮血で、辺り一面が紅蓮に染まった。

 その修羅場と化した山頂を、偶然にも発見した女性がいた。下級藩士・印出新蔵の妻ハツである。ハツは、鉄炮を持ったまま帰らぬ息子の心配をして、たまたま飯盛山まで探しに出て来ていた。

 血の海となった山頂を見て驚いたハツが発見したのは、未だ息のある飯沼貞吉だった。貞吉はこの時十五歳でありながら、文武に長けて背も高いことから、一つ歳を誤魔化して白虎隊に入隊していた。貞吉の父親は、白河口の戦いの折に、西郷頼母の馬の尻を叩いて逃がした飯沼時衛であり、頼母は義叔父に当たる。奇跡的にも、彼が一命を取り止めて、昭和の世まで生き長らえたことは、白虎隊の悲劇を物語る中での、唯一の光明だった。

 むろん、現代人の感覚で、少年たちの自刃を考えることは、全く意味をなさない。自分たちが生まれ育った会津の街や城が、目の前で燃やされているのを目の当たりにした時の絶望感は、きっと現代に生きる我々の想像を、遥かに超えるものであったに違いない。既に百五十五年という歳月を経過した今日ながら、同じく若くして命を散らした二本松少年隊士と共に、士中白虎二番中隊士の冥福を心から祈りたい。


(第四十三話『西郷家の受難』に続く)

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