第22話 帰国

 容保が大坂の戦線離脱の責任を取って、藩主の座を養子の喜徳よしのぶに譲ったのは、慶応四年(1868年)二月四日のことである。喜徳は徳川慶喜の弟に当たり、満十二歳(数え年では十四歳)の少年に過ぎない。

 容保はこの時に重臣を集めたうえで、正式に大坂での不始末を詫びた。

「皆にはあらためて謝りたい。如何なる理由があろうとも、皆に黙って大坂城を抜けて戦場離脱したことは、間違いのない事実だ」

「殿、あらかたのことは皆存じております。殿が望んで我らを置き去りにしたのではないことも十分に承知しておりますので、どうかその話は、もうおやめください」

 代表して容保に話かけたのは、前年に主席家老となったばかりの梶原平馬である。

「皆には更に詫びねばならぬ事態となった。実は、上様の気持ちの中には、既に薩長と再戦する意思はない。これまで幾度も説得を試みたが、翻意はして頂けなかった。近々、上野の寛永寺大慈院にて、蟄居謹慎のうえ、恭順の姿勢を貫くつもりでおられる。我が力及ばず、まことに残念でならぬ」

 この慶喜恭順のことに関しては、既に江戸中で様々な噂や憶測が飛び交っており、驚くというより、やはりかという失望の方が、大きいように感じられた。

「御老公(隠居した容保への尊称)、上様が恭順を決めたのは、神保修理が東帰を勧めたことがきっかけという専らの噂でございますが、それは真実でございましょうか」

 その声の主は家老・田中土佐だった。戦地で必死に戦い、命がけで逃れてきた田中土佐にしてみれば、その噂が本当であれば許せない話だった。自分たちが死に物狂いで戦っている最中に、仲間を裏切るような発言を、仮に少しでもしているとしたら、例えそれが同じ家老で盟友の神保内蔵助の息子であったとしても、決して看過できないことでもあった。

 その時同席していた神保修理が話そうとするのを、容保は手で制して自らが答えた。

「確かに修理は東帰の話をしたが、それは上様に対してではなく、老中・板倉勝静殿に対するものである。一藩の家老が、上様に対して軽々しく口を開くなど、出来ることではないことくらい皆が知っておろう。しかも、幕府に対する反発が強い西国では、不利と判断した修理が、一旦江戸に戻って再起を期するべきと言上したに過ぎず、恭順するなどとは夢にも思ってもいなかったはずだ。そうであろう、修理」

 神保修理は黙礼して相違ないことを伝えた。

 しかし、周りはそれでは収まらない。今度は内藤介右衛門が発言した。

「しかし、東帰などという発言をしなければ、上様が恭順などという策を思いつかなかったのではありませんか。そもそも、我らが必死の思いで戦っている時に、上様側近の老中殿に具申するなど、不謹慎極まりなし。断じて許せぬ」

 この声に「そうだ、そうだ」の声が各人から零れ出た。確かに、田中や内藤の言うことは尤もなことだが、ここで修理を窮地に追いやるのは拙い、と判断した容保は即断した。

「皆の申すこと、よく分った。修理には只今より、和田倉門内藩邸上屋敷において蟄居謹慎を申しつける。よいな」

「承知仕りました」

 神保修理は一言だけ述べ、深々と礼をし、その場から立ち去った。

「我らはこれからどうなるのですか」

 こう発言したのは砲兵隊長を急きょ務め、負傷兵全員を戦艦に無事誘導した山川大蔵である。それは全員の声を代表した質問でもあった。

「間もなく、我が下にも登城禁止と、江戸府外への退去命令が出さるであろう。まこと不本意ではあるが、朝敵の汚名を被り、領地没収は免れぬこととなろう」

「御老公はそのような不条理を、甘んじてお受けなさるおつもりですか」

 家老・萱野権兵衛が容保に迫り寄った。

「むろん、黙っているつもりはない。会津に戻り、帝に対し奉り恭順の姿勢を示しつつ、和平工作を進める。しかし、敵は官軍の面を被った薩長軍である。我が藩も直ちに軍制改革に着手し、兵器を近代化させて、来るべき戦いに備えるつもりだ。我らの正義を示さずして、先祖代々に対し顔向けが出来ぬ。これからが正念場となる。皆、宜しく頼む」

 容保は頭を下げた。

「御老公、勿体のうございます。顔をお上げくだされ。我らはもとより、御老公と命運を共にする覚悟でございます。薩長など怖れるに足りません」

 梶原平馬が言うと、後から皆が声を上げた。

「殿、戦いましょう」

「我らはいつでも覚悟が出来ております」

「今こそ会津士魂を天下に示しましょう」

など、次々と声が上がった。

 その声に目を潤ませながら、容保は再度頭を垂れた。

 

 二月十五日、申の下刻を回った頃合いか。既に大提灯が灯されている。江戸城・和田倉門の馬場に江戸詰めの藩士が、続々と集まってきていた。全藩士が揃うのも時間の問題だろう。

 これより二日前に、神保修理が切腹していた。

 修理の蟄居謹慎に飽き足らない一部の藩士らが、執拗に「修理を切れ」という声を上げ続けたために、三田の下藩邸屋敷にその身柄を移したところ、容保の命と偽った者どもが修理に自刃を命じたものだった。これからが大事というその時に、有能な若い家来を一人失ってしまった。

 容保は、その者どもを処罰しようと思ったが、梶原平馬や萱野権兵衛らに止められ、思い止まった。既に修理がこの世にいない以上は、藩内の結束を優先させるべきで、帰国を前にして、余計な波風を立てることだけは避けた形だった。

 一方、慶喜の強引で一方的且つ身勝手な謹慎に反発する藩外の主戦派の動きも、次第に活発化をみせていた。

 去る五日には、伝習隊四百人が脱走したが、彼らはいずれ歩兵奉行であった大鳥圭介と合流するという、専らの噂だ。

 また、七日には古屋佐久左衛門率いる歩兵一千八百人も、脱走していた。今は衝鋒隊と名乗っているらしい。

 新選組も、甲陽鎮撫隊として甲州方面に進出し、東征軍と名乗る薩長軍を、迎え撃つつもりとのことだ。副長の土方などは伏見での敗戦を機に、自ら総髪を切り落とし西洋人の頭を真似たうえに、銃での戦いを推奨し、先頭に立って調練を繰り返しているらしい。

 上野には慶喜の恭順に不満な旗本が続々と集結し、気勢を上げ始めていた。

 しかし、これには陸軍総裁となった勝安房守(海舟)の意図が透けて見えてくる。主戦派の過激な連中には、さっさと江戸府内から出て行って貰い、恭順派だけが江戸に残るといった呈をつくろいたいのは明らかだった。如何にも勝らしい巧妙な手口だった。

 容保も江戸再起の可能性が皆無となった今、未練など少しも残っていない江戸を一日も早く離れ、国元へ帰ろうと思った。

 弟の定敬も、早々に桑名の本領を薩長軍に占領されたが、藩の飛び地である隣国・越後の柏崎に赴くことになっており、柏崎では越後諸藩と連携を模索することになっている。

 ようやく、江戸府内の藩士全員が揃ったとの声を聞き、容保は腰を上げ全員の前に立った。

 皆の顔には期待と不安が入り混じった、複雑な表情が伺える。あらかたのことは上役から聞いて知っているのであろう。とは言え、ここはあらためて、自らの言葉で正式に詫びたうえで、心をひとつにして難局に当たる必要がある。容保は声を張り上げた。

「伏見方面での戦闘ではよく戦ってくれた。皆の奮戦に感激感涙している。あらためて礼を言う」

 容保は頭を下げた。既に涙している者も数多くみられた。容保は顔を上げ、再び話し始めた。

「巨大な要塞である大坂の城と幕府艦隊を味方に、我が指揮の下で一戦に及び、憎き薩長の奸賊を討ち払うつもりであったが、内府(慶喜)公に従い、皆には何も告げることなく、東帰に至ったこと、大いに恥じるばかりである」

 既に所々で嗚咽が聞こえてくる。このひと月余りが、如何に辛く苦しく悔しい思いだったかを、物語っている光景でもあった。

「もう皆が承知のことと思うが、内府公は恭順の意思を固められ、寛永寺に入り既に謹慎されている。我が會津藩に対しては不本意ながら、やがて討伐の命が下るであろう。しかし、皆が知っている通り、我らが朝敵の汚名を被るようなことは、何一つとしてやってはいない。畏れ多くも先帝より、多くの有難き信頼を得て、誠心誠意尽くして参ったことは、皆が一番知っていることであり、誇りとこそ思えども、何ら恥じることはない。我らは明日以降、この江戸の地を離れ国元会津へと帰って後に、恭順の呈を取り繕いつつも、水面下で和平交渉を進めることになる。しかし、官軍の面を被っただけの薩長が牛耳る、新政府からの不義理な要求には、断じて応じるつもりはない。その時は、我が藩の正義と至誠を天下に知らしめるべく、最後まで戦い貫く覚悟である。皆にはこれからも苦労を掛けることになるのは、我が不徳の致すところにて、まこと慙愧に堪えない。しかし、このまま引き下がり、奸賊の言いなりになることは、会津士魂にもとる行いであり、また土津公はにつこう(保科正之)をはじめとする先祖代々の御霊に対し奉り、顔向けが出来ぬ仕儀となる。国元に帰り次第、軍制を西洋式に改め、薩長に対抗できるよう新たに武器も購入する。どうか、これからも我が會津藩士としての矜持を胸に、命運を共にして戦ってほしい」

 容保の魂の籠った訴えに、藩士全員が雄叫びで応え号泣した。

「今日は無礼講と参ろう。今宵は皆で夜が明けるまで、伴にとことん飲み明かそう」

 和田倉門内の雄叫びと号泣が、歓声に変わった瞬間だった。


(第二十三話『和戦両構え』に続く)

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