第23話 和戦両構え

 会津への帰国は実に五年ぶりだったが、何もかもが以前と同じで変わっていないように感じられる。山や川、そして城下の街並みの全てが懐かしく思えた。きっと、京における政争や戦闘とはまるで無縁の穏やかな歳月が、ここ会津の地には流れていたに違いなかった。

 ただ、そのような表向きの様子は違い、民の暮らしは苦しさを増しているはずだった。二年前の大火や凶作、それに厳しい年貢の取り立てによって、困窮を極めている民も多くいると思うと、容保の心は自ずと痛んだ。

『もう少しの間だけだ、どうか辛抱してくれ』

 心の中で祈るように叫ぶ容保だった。

 会津鶴ヶ城本丸に入った容保は、休む間もなく神保内蔵助を呼び出した。

「内蔵助、済まぬ。修理をみすみす死なせることになってしまった。この通りだ」

 頭を垂れた容保に向かって、内蔵助は気丈に振る舞った。

「御老公が謝ることではございません。どうか、そのようなお振る舞いはお止めください」

「いや、こうせねば我が気持ちが許さぬ」

「もとを質せば、修理が余計なことを、老中の板倉殿に申し上げたばかりに、招いた災難と申せます。自業自得に他なりません」

「いや、儂の目がもう少し行き届いていれば、かかる仕儀には至らなかったであろう」

「御老公、それはいささか違います。修理が具申して良いのは、あくまで御老公に対してのみ。上様直近の老中殿に策を具申するなど、己の分を弁えぬ不届き者でございます」

「しかし、修理の言動は、この国の行く末を憂いてのことである。東帰の勧めも、あくまで再起を図るための手段であり、決して内府公の蟄居謹慎と恭順を勧めるものではなかったはずだ」

「例え、そうだとしても、内府公が謹慎恭順の策を想起するに及んだ、最初のきっかけを作ってしまったとがは、決して消すことが出来ませぬ。修理が我が息子でなければ、それがしもまた、断罪を求めた一人かもしれませぬ。とにかく、御老公のお優しきお気持ちだけは、有難く頂戴いたしますが、決してご自身を責めてはなりませぬ。これはお願いでございます」

「わかった。その言葉で、少しは救われた気がする」

「御老公、ひとつ宜しいでしょうか。他に誰もいないこの機会ですので、敢えてお伺いしたいのですが」

「うむ、遠慮なく申してみよ」

「有難う存じます。これから申し上げることは、御老公のお気持ちを理解したつもりで、敢えて申し述べたいと存じます。二度と同じことは申しません」

「わかった」

 容保の許可を得て、内蔵助は意を決し口を開いた。

「されば申し上げます。かくなるうえは、武装解除のうえ、ひたすら恭順する旨を新政府に嘆願することをお勧めいたします」

 内蔵助の瞳は真剣だった。決して、思い付きや戯言ではない。その表情から覚悟が見て取れた。

「それが可能であれば、考えぬことでもない。しかし、今更そのようなことが通用する相手ではないことを、お主も知っておろう。特に長州は我が藩を憎しみの対象としている。内府公が既に謹慎恭順を決め込んでいる今、我が藩を討伐の対象としているのは紛れもない事実だ」

「それでも、禁門の変では、手を取り合って戦った薩摩がいるではありませんか」

「むろん、和平の道を閉ざしたわけではない。公用方の広沢を江戸に残してきたのは、そのためだ。しかし、その可能性は極めて小さかろう」

 広沢富次郎は薩長軍が江戸に入府後に、和平の道を探ることになっていた。

「その理由をお聞かせくだされ」

「薩摩の西郷の存在だ。奴は戦でこの国の体制を壊し、一からつくり上げようとしている。大政奉還の折は、当時の内府公が奉還しないことを前提として、倒幕の偽勅まで作っていたらしい。その後の江戸での騒ぎは知っておろう。庄内藩を故意に怒らせて、自らの藩邸まで焼き討ちにさせた男だぞ。自らの思い通りにするためには手段を選ばぬ。奴はまだまだ戦が足りないと思っている。この会津一円を焼け野原にしても、まだ足りないというくらいの恐ろしいことを考えている男だ。そのような男が牛耳る薩長を相手に、丸腰で恭順の姿勢を示しても無駄だということだ」

「申し訳ございませぬ。左様なこととは知らずに、大それたことを申し上げてしまいました」

「よいのだ。ただ、決して和平を諦めたわけではない。仙台と米沢にも、和平の仲介協力を願い出るつもりだ。和戦両構えで臨まざるを得まい」

「御老公、それであるならば、殿と御老公の名前で知己ある各藩に、朝廷に対し奉り弓引くつもりは毛頭なきことを、認めた嘆願書を作成して、送り届けては如何かと思うのですが」

「それは良い考えだ。やれることは全てやろうではないか。頼んでもよいか」

「もちろんでございます。それでは、早速取り掛かるといたします」

「うむ」

 この後、内蔵助は容保と現藩主となった喜徳の名で、尾張・肥前といった二十二藩に対して嘆願書を送付したが、結果は容保が思った通り、決して芳しいとは言えなかった。


「御老公、西郷様がお見えになりました」

「通せ」

 容保は帰国後直ちに、蟄居謹慎を申しつけていた西郷頼母の家老復帰を許している。容保の優しさでもあったが、危急存亡の時にあっては、一人でも多くの有為な人材が必要だった。神保修理亡き今となっては尚更だった。

 勝手に国元を離れて京に入京した挙句、容保に対して諫言し、怒りを買って以来の再会である。

「久しいな、頼母。息災であったか」

「お陰様で。数年の間、自邸に籠り煩わしい政事から、目を背けることが出来ました」

「皮肉か、当てつけか。まあよい。これから、しっかりと働いて貰うことになる」

「御老公、新政府に勝つことは容易ならざることでございます。何卒、恭順の意を表し謹慎くださいますよう」

「お主のことだから、そう言うと思っていた。しかし、それは出来ぬ」

「何故でございますか。今からでも決して遅くはございませぬ」

「早い遅い、の問題ではない。我ら會津藩は、先帝の叡慮に従い、つい数か月前まで御所の警備と京の治安維持を保って参った。それが一夜にして朝敵の汚名を蒙ってしまった。かような不義があって、お主はそれを看過しろと申すか」

「看過して下さい、とは申し上げておりません。何とか妥協点を探って頂きたいと申し上げております」

「その途はお主に言われずとも、既に模索しておる。公用方の広沢を江戸に置いて参ったのはそのためだ。仙台や米沢にも仲介を依頼する。内蔵助は全国の知己ある藩に嘆願書を出すと準備に取り掛かっておる。お主にはその手伝いを頼む」

「承知仕りました」

「しかしな、頼母。偽りの錦旗と幼帝を頂いた君側の奸である薩長は、決して甘くはないぞ。必ず、難癖をつけて我が會津を潰しに懸かるはずだ。それに対抗するには、断固戦うしか途はない」

「民が苦しみますぞ」

「のうのうと数年の間、禄を食んできただけのお主に、民を語る資格はない。それを分ったうえでの苦渋の選択をしている。これから我らがやろうとしていることは、決して目先の利害に囚われるのではない。人としての正しい道を、後の世に知らしめるための義戦でもある。そのために、我が命を捧げるのであれば、何ら悔いはない」

「そこまで言われるのであれば、もう何も申しますまい」

「お主には、いずれ大役を担って貰わねばならぬ時が来る。先ずは内蔵助と共に、各藩への嘆願書作成を手伝ってくれ」

「承知仕りました。では、これにて」

 頼母が退出したのを見計らって、容保は軽くため息をついた。ふと外の景色に目をやると、桜の花が綻び始めているのが見える。

「春か」

 思わず独り言を呟いた。この六年間は桜を愛でた記憶さえなかったことに気がつき、思わず苦笑する容保だった。


(第二十四話『平馬と継之助』に続く)

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