第21話 主戦と恭順
「急げ。早ければ今日にも薩長軍が攻めて来るぞ」
山川大蔵は叫びながらも、自らも怪我人を引率して、中之島の埠頭へと、歩を進めていた。山川は、伏見奉行所での戦いで全身に重傷を負い、亡くなってしまった林権助の後を継ぎ、砲兵隊長になったばかりの、會津藩の若き智将である。欧州を視察して戻ったばかりだったが、運命の悪戯か、この戦いの渦中に巻き込まれていた。
突然、慶喜と容保らが城内から失踪した結果、皆が茫然自失の状態で、戦意を喪失している中にあっても、怪我人の手当や介抱に追われて、山川は休む間もなく城内を動き回っていた。
やがて慶喜や容保らが、幕府の艦船で江戸に向かっていることを知った大坂城内は、江戸での再起を図るものと期待し、直ちに大阪湾に集結していた榎本武揚らが率いる幕府艦隊と連絡を取り、一路江戸へと向かうことになったのである。
しかし、海路移動といっても、開陽丸は既に江戸に向かっており、富士丸・順動丸・翔鶴丸の三隻に分乗するしかない。しかも、榎本は城内に保管してあった武器・弾薬と軍用金十八万両を艦内に運び入れており、乗船可能な人員は一部の者に限られた。
そのうえ、いつ薩長軍が南下してくるか分からないとあっては、一刻の猶予も許されない危機的な状況である。会津藩家老である
かくして、なんとか藩兵の怪我人約百人を無事船内に収容し、一路江戸へと向かうことになったのが一月十二日だった。
その頃、江戸城では、フランス公使であるレオン・ロッシュと、東帰したばかりの慶喜の会談が行われようとしていた。
前日品川沖に投錨した開陽丸から、小舟で上陸した慶喜一行は、翌朝用意された馬で江戸城・西の丸へと入城した。
そこに帰城を今か今かと待ち構えていたロッシュがいる以上、慶喜も会わないわけにはいかない。何せ、これまでの幕府の西洋式軍隊導入や、横須賀の製鉄所・造船所設立に至るまで、フランスの協力なしには実現して来なかったのだから、いくら人の心を持たない冷徹な慶喜でも、国際意識だけは未だ心の片隅に残っていたとみえる。
ロッシュは通訳のメルメ・カションを通して、慶喜に薩長との再戦を訴えた。
「武器・弾薬はもちろん、軍艦も我が国が協力することで本国から許可を得ております。大君(慶喜)に味方する諸藩の協力を得て、全力で戦えば勝利は間違いございません。京の局地戦で一度敗退したくらいで、自らの大望を捨てるのは実に惜しいと思いませんか。このまま、大君が引き下がるのは、自らの非を認めるようなものでございます。是非、我が国と共に、薩摩・長州を討ち破りましょう」
しかし、既に恭順の意向を固めた慶喜は、頑なにロッシュからの申し出を拒否した。
「我が国における帝と朝廷の権威は絶対である。今の新政府が薩長や一部の公卿が牛耳る体制だったとしても、勅命とあれば、それに従わざるを得ないという国の風潮がある。それは西国を中心とする諸大名が、新政府に従っていることをみて頂ければ、一目瞭然のことだ。もし、これ以上、予が戦うとなれば、国内は乱れ戦乱の世に舞い戻ってしまい、それだけは何としても避けなければならない」
「しかし、正義は大君にあり、あくまでも戦うべきという方々も、多くいらっしゃるのではありませんか。その方々をどうするつもりですか」
フランス本国の意向を受けたロッシュも、そう簡単には折れるつもりはない。
「恭順は予の動くことのない意思である。その我が決定に背いて、あくまで戦いを望むとあれば、その者は我が家臣にあらず、逆賊と言われても仕方あるまい」
こういったやり取りが、幾度か繰り返されたが、ロッシュの説得にも一切応じることのない慶喜だった。
しかし、尤もらしい慶喜の言葉の内容は、残念ながら全く心に響いてこない。彼は本当に戦国時代に逆戻りすると思っていたのだろうか。それは否であろう。
当時の日本国内の争いは、欧米列強がアジア諸国を植民地化するなかで、その危機を我が国としてどう乗り切るか、という方針や体制に対する考え方の違いから起こったものである。群雄割拠などという「御山の大将同士の争い」は時代錯誤も
大義のために戦おうという者が、自分の周囲に山ほどいるにも関わらず、それを「自分の家来ではない。逆賊だ」という一言で片づけようとする無責任さは、何と情けないことであろうか。
この徳川慶喜という幕府最後の将軍の責任放棄が、彰義隊や會津・長岡を中心とする奥羽越列藩同盟の悲劇、そして箱館戦争、ひいては西南戦争という長きにわたる内戦に繋がっていったのである。それを、彼は水戸や静岡の地に於いて、どんな気持ちで見ていたのだろうか。
さて、ロッシュと慶喜の会談が行われていた頃、江戸の府内では、慶喜の恭順の意向などはどこ吹く風、とばかりに主戦論が沸騰していた。
幕臣の多くは、鳥羽伏見の戦いに至った経緯を耳にして、錦旗の陰に隠れた薩長の如き「君側の奸」を直ちに誅伐しよう、と直ちに義兵を募る動きをみせていた。
城内では、老中を中心とする幕閣をはじめとして、陸軍奉行並の小栗上野介や、歩兵奉行の大鳥圭介、榎本武揚らに容保や定敬が加わり、具体的な薩長軍返り討ち作戦まで、詰めるほどの盛り上がりである。
小栗上野介の案はこうだ。
「先ずは、薩長軍が江戸を目指して箱根を越えたら、我が海軍が駿河湾に集結し退路を断つ。これで敵は完全に袋の鼠だ。これを陸軍が粉砕する。あとは海軍が全艦隊で大坂・兵庫に進み敵艦を駆逐し、西国を牽制しつつ陸軍の上洛を待つ。これなら負ける気はしないと思うが如何であろう」
「鳥羽伏見の戦いでは、指揮官があまりにも情けなかった。そのうえ、大軍で押し寄せれば、敵も怖じ気づくであろう、という甘い目測もあった。小栗殿の策なら必ずいける」
こう発したのは桑名藩主の松平定敬である。慶喜に騙されて、むざむざと江戸に戻らざるを得なかった無念を、ここから晴らそうと必死である。定敬はこの後も自邸に戻ることなく、兄・容保の藩邸に寝泊まりし登城を繰り返すことになる。
無論、容保も強力な主戦論者の一人である。しかし、これまで慶喜の数年にわたる言動を間近に見てきた容保は、時には反目し幾度も裏切られた立場として、慶喜に期待は出来ないと思っていた。
容保は慶喜の頭の中に、「自己犠牲」という気持ちの欠片すら、存在しないことを既に見抜いている。恭順という言葉の陰に、自分だけは助かろうという本音だけが透けて見える以上は、翻意は極めて困難であろうと予測していた。
翌一月十三日には、前日の作戦会議を経て、江戸防衛の観点から、老中が各地の警備体制強化指令を打ち出した。駿府や神奈川(横浜)、それに信濃上野の碓氷峠の警備である。
そのような主戦派の動きをよそに、慶喜は身勝手な助命嘆願の動きを加速させる。
一月十七日、慶喜は影響力絶大な二人の女性を、得意の饒舌と泣き脅しによって、自らの味方につけることに成功している。一人は第十三代将軍家定の妻・天璋院であり、もう一人は第十四代将軍家茂の妻・静寛院宮(和宮)である。天璋院は前薩摩藩主・島津斉彬の養女であり、静寛院宮は明治帝の叔母にあたる。慶喜はこの二人に鳥羽伏見の顛末を、虚実を交えて話したうえで、みごとに憐みと同情を買い、朝廷への嘆願書を持たせて使者を発して貰うまで漕ぎつけていた。
この使者は上臈女房である土御門藤子というが、慶喜は出立前の藤子にも、抜け目なく親しく声をかけている。
「すでに聞き及びのこととは思うが、全ては予の不徳の致すところであり、かかる仕儀と相成った。残された途は恭順のみにて、予の進退は全て帝の仰せに従うつもりだ。たとえ、それが切腹との命であっても、予は静かに受け入れよう」
こう言って、姑息にも藤子の同情をも取りつけていた。本当に切腹を受け入れる覚悟があるのであれば、戦う以前から彼の姿勢と態度、そして言動は、自ずと違っていたはずであろう。
更に慶喜は、一月二十一日、尾張・越前・安芸・土佐・肥後の諸侯に対して、鳥羽伏見の弁明(言訳)と真意を理解して欲しい旨を記した手紙を送付した。恐らく、自らの保身のため、
このように情けないほど、必死の助命嘆願を行う幕府最後の将軍を後目に、一人の
慶喜が天璋院と静寛院宮に会い、自己弁護を必死に行っているちょうどその頃、信州須坂藩主であり若年寄の堀直虎が、同じ江戸城内の片隅で自害して果てたのである。
直虎は慶喜に薩長への再戦を説くも、受け入れては貰えなかった。生真面目さのあまり、若年寄という重責を担いながら、この国の難局に当たっても、何も出来ない自らの無力さを痛感し、思い詰めた結果が自害と言う形だった。
この堀直虎の自害を、勝海舟などは「乱心」という一言で片づけているらしいが、決して、そんな簡単に片づけられることではないはずだ。この自害を知った時、慶喜はどう思ったのか。あまりにも慶喜の生き方とは対照的である。唯一確かに言えるとすれば、堀直虎という幕閣が、慶喜の自己保身の犠牲者第一号であったことだ。
慶喜は更に高まる主戦派の声をよそに、城内の人事を恭順派で固め、自らは正式に隠居恭順を奏上することにした。一月二十三日のことである。結局、主戦派の小栗上野介は解任され、陸軍総裁職を勝安房守(海舟)に命じた。以降、勝が事実上の幕府総責任者となった。勝はここから江戸の無血開城に向けて、一挙に舵を切ることになる。
この頃になると、鳥羽伏見の戦いで敗れた兵士が、陸路を辿って続々と江戸に到着していた。會津藩でも、和田倉門内の上屋敷と三田の下屋敷内が、溢れんばかりにごった返していた。
鳥羽伏見の戦いに負けたうえに、藩主から何も報せされずに置き去りにされても尚、心の拠り所として一路東帰したのは、偏に江戸での再起再戦を信じていたからである。
容保は、身も心も疲れ果てながらも戻ってきた、将兵一人ひとりに対して、詫びの言葉を掛けて
いずれは言わざるを得ないにしろ、必死の思いでようやく江戸まで戻って来た者たちに、この時点で慶喜が謹慎恭順の意向を固めたなどとは、あまりに酷で言うことを
(第二十二話『帰国』に続く)
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