第33話 白河口攻防戦の大敗

「放て」

 轟音ごうおんとともに五門の大砲が一斉に火を噴いた。

 薩長軍参謀の伊地知正治率いる本隊は、払暁に白坂を発つと江戸街道を北上し、小丸山集落を占拠し、そこから同盟軍の主力が籠る稲荷山に砲撃を開始した。五月一日午前五時のことである。

 前日放った斥候からの報せで、敵の陣地は全て掌握している。東西の方向からも、ほぼ同時に砲声が聞こえてきた。予定通りの刻限での攻撃開始だ。

 會津藩と仙台藩を中心とする同盟軍は、この稲荷山に軍を集中させている。対する薩長の兵は全軍でも七百余りと限りがある。そこで、伊地知は大砲八門のうち、五門を集中させたうえに旗指物を多く立て、大軍で攻めているように自軍を偽装した。

 暫くは砲撃で、同盟軍をあざむき時間を稼ぐしかない。斥候の報せによると、同盟軍は東西の陣地には、兵の数をあまり割いていないとのことだ。把握出来ていない伏兵がいれば話は別だが、東西に迂回した味方の兵が、確実に敵陣を突破し、この稲荷山に進撃してくることは間違いない、と伊地知は自信を持っている。その時からが勝負だ、と自分に言い聞かせていた。


 東の雷神山を守備する純義隊の小池周吾は、大砲の轟音で先制攻撃を受けたことを知った。被弾したのは棚倉藩兵の陣地の辺りだ。棚倉藩兵が薩長軍の大砲の威力の凄まじさを経験するのは、初めてのはずだ。今頃、大混乱に陥っているかもしれない、という不吉な予感が頭を過ぎった。

 こうなると、当初計画していた會津・仙台兵との挟撃作戦も実行は難しい。とにかく応戦するしかない。小池は敵の捕捉が遅れ、攻撃開始が後手を踏んだことを悔んだ。そうしている間にも、敵からの容赦ない銃撃は続いている。

 やがて、敵の銃から降り注ぐ弾丸の間を掻い潜ってやってきた、會津と仙台の藩兵から伝令を受けた。既に棚倉藩兵は算を乱して潰走、會津・仙台の両軍も壊滅的被害を蒙り、戦闘継続は困難につき、退却のやむなきに至るという。仙台藩参謀の坂本大炊おおいは、弾丸が頭を貫通し即死だったらしい。

「そんな馬鹿な」

 小池は思わず叫んでいた。まさかこんなに早く撤退することになろうとは、夢にも思っていなかった。

 急に鳥肌が立った。薩長軍は同盟軍の裏をかいて、東西に多く軍勢を割き、両陣地を占領した後に、両側から本軍である稲荷山に攻撃を集中させるつもりに違いない。そうなれば味方の損害は計り知れないほど、大規模なものとなるに違いなかった。

「稲荷山本営に伝令」

 小池は、稲荷山本隊に敵の計画をいち早く報せるために、三人の脚力に自信のある兵を選抜し伝令を命じた。せめて一人だけでも、敵の銃弾を掻い潜り、命令を成し遂げて欲しい、その一心だった。

「我らはこれから、一旦、向寺方面に逃れて再起を期する。貴様たちも無事目的を達成したら、直ちに下山し我らとの合流を目指せ。よいか、命は無駄にするな。何を言われても、稲荷山に止まることは許さぬ。必ず戻ってこい」

「承知」

 三人の伝令を命じられた者が、それぞれ思い思いの方向に走っていくのを見届けた小池周吾は、直ちに陣払いを命じた。


 西の原方街道方面でも、同じような戦況に陥っていた。

 薩長軍は先ず會津藩兵が籠る中山を、激しく銃砲攻撃で攻め立てて、瞬く間に潰走させると、仙台藩兵が籠る古天神山にも集中砲火を浴びせて、これも難なく占拠した。

 残る立石山には、薩長軍が山麓の下新田に散兵して、同盟軍との激しい銃撃戦を展開していた。そこに、中山と古天神山を征した軍勢が、背後の三方向から奇襲攻撃を加えたから、同盟軍は堪らない。たちまちのうちに総崩れとなり、山を捨てて北に逃れる他なかった。これが午前十一時頃のことである。

 この後、西の三山を征した薩長軍は軍を二手に分けた。一手は白河城を奪取する軍であり、もう一手は稲荷山攻撃に向かう軍である。

 白河城に向かった一隊は、勢いそのまま白河の街中に侵入した。手向かう同盟軍は銃殺し、降伏した者も問答無用で斬殺するという非情である。最新兵器を備えた薩長軍にとっては、手薄となった街中と城を制圧することなど、造作もないことだった。城を守備していた白川藩家老の阿部内膳は、銃弾を蜂の巣のように浴びせられて即死し、残った僅かの兵も北側の裏門から慌てて逃亡する他なかった。

 薩長軍の大勝利は目前に迫っていた。


「ご注進、ご注進でござる」

 息も絶え絶えの兵士が一人、稲荷山の山頂に到着した。どうやら、雷神山を守備していた純義隊の一員らしい。応対したのは、副総督の横山主税と新選組の山口次郎である。

「如何した」

 その兵士に水一杯を与えた横山主税は、問い質した。

「敵の主力は正面の小丸山にあらず。東西に迂回した敵兵でございます。既に雷神山の軍勢は敗走、やがて西と東から敵の主力が、この稲荷山に押し寄せて参ります」

「何と」

 主税は絶句して、山口次郎と目を合わせて頷いた。

 ここは一刻も早く、総督に報せて退却を促さなければならない。西郷頼母は、床几に腰掛け南方の戦況を見つめている。

 主税は頼母に駆け寄り、東の戦況と東西から挟撃に遭うことを説明した。

 こうなれば、勝利は難しい。味方の損害を少しでも小さくするには、急ぎ白河城に退却して、籠城戦に持ち込むしかない、と主税は考えた。もちろん、敵が白河城を攻略に向かっていることを、把握している者は誰もいない。

 しかし、この期に及んでも味方が大軍という軍勢を過信している頼母は、この策に首を縦には振ることはなかった。

「我が軍は敵を高所から攻めているから優勢には変わらぬ。それが証拠に前方の敵は徐々に退却しているではないか。今から、東西それぞれに、朱雀・青竜の精鋭を回して備えれば勝てぬ戦ではあるまい。局地戦で負けても、ここ稲荷山で勝利を収めれば問題なかろう。あと一押しなのだ。大軍を擁しながら、退却など考えられぬ」

「総督、退却は敵の策略かもしれませんぞ。それに敵の銃砲を侮ってはなりませぬ。我が軍精鋭の朱雀や青竜でも、激しい銃弾の前では、残念ながら無力でしかありません。ここは一旦、兵を退いて籠城戦に持ち込みましょう」

 主税は必死に頼母を説得するが、それでも頼母が翻意することはなかった。

 一発の砲弾が頼母の十間前に着弾し、大爆発したのはその時である。

「退却した敵は、与惣小屋山の陰で立て直し、砲撃を再開しております」

 物見の声に、頼母は頭に血が上り、思わずかっとなり叫んだ。

「こちらからも打ち返せ。何をぐずぐずしている」

 その様子を見て諦め顔の山口次郎は、主税に耳打ちした。

「総督が首を縦に振らない以上は、玉砕覚悟で戦うしかない。我ら新選組は西から攻め上がる薩長軍を何とか食い止めよう。貴殿には東の備えをお任せいたす」

「分かりました。山口殿は寄合朱雀一番中隊と共に、防戦をお願いいたす」

 中隊の長は、以前、仙台藩と土湯峠で空砲を撃ち合う密約を交わした一柳四郎左衛門である。

 説得を断念した横山主税は、東から攻めてくる敵の迎撃態勢を構築すべく、下山に向かった。しかし、その指令すら山麓で迎撃している軍勢に届くことはなかった。

 雷神山から急行した薩長軍は、既に米山越にまで到達しており、味方の軍勢の横合いから砲撃を仕掛け始めたのだ。命中度の高い銃砲で、突然側面からの集中攻撃を浴びせられた同盟軍が敵うはずがない。防戦する間もなく、忽ち死者の山が築き上げられてしまう。

 この戦闘で會津藩軍事方の小松十太夫や、先日の闘いで活躍した鈴木作右衛門、日向茂太郎らが、相次いで銃弾の犠牲となっていた。

 仙台藩では姉歯武之進が銃弾に斃れている。世良修蔵を自らの手で葬ってから、十日足らずで自分も黄泉へと旅立ってしまったことになる。

 一方の新選組と寄合朱雀一番中隊は、稲荷山の西側斜面での防衛を試みたが、既に山の中腹まで潜行していた薩長軍が、樹木を楯にして猛攻を加えてくる以上は、全く身動きが取れない状態となっている。

 この戦いでも、激しい銃撃戦の中、隊長の一柳四郎左衛門が敵の銃弾の餌食になってしまった。隊員の動揺も激しく、これ以上の抵抗は無意味と知った山口次郎は、全員に退却を命じて、自らは山頂の横山主税のもとへと急いだ。

 こうなれば、薩長軍との脚力比べだ。息を切らしながら、必死に登った。主税の姿が見えてきた。

「副総督、伏せろ」

 思わず叫んでいた。別方向から主税を狙う銃口が見えたからだ。声に気がつき、こちらを見た瞬間だった。一発の銃声音とともに、横山主税の身体が傾き、やがて地面に叩きつけられるのが目に入った。

 何とも言えない憤怒の気持ちが、山口次郎の身体を駆け巡る。それは薩長兵に対する気持ちでもあり、自軍の凡庸な指揮官に向けられたものでもあった。前途有望な横山主税という人材を、失ってしまった悲しみは、如何とも処理し難いものだった。山口はその気持ちを押し殺したまま、山蔭を伝いながら撤退するしかなかった。

 相次ぐ指揮官の戦死に、西郷頼母は呆然と立ち尽くすだけだった。全ては自分が招いた失策による結果でしかない。こうなれば自らも死をもってあがなうしかない、と判断した頼母は、銃弾が飛び交う中、馬上の人となった。

 そこに異変を感じて、馬の前に立ち制止したのが、義兄であり、士中朱雀一番中隊の長である飯沼時衛だった。

「総督、早まってはなりませぬぞ」

「義兄上、武士の情け、行かしてくだされ。このままでは面目次第もない。全ては我が失策が招いた大敗。ここで死なずして、どうして生きられようか」

 頼母は義兄の時衛に懇願した。

「ならぬ。死ぬのはいつでも出来る。責任を痛感しているのであれば、生きて少しでも贖いなされ。今、総督が亡くなれば、後図こうとをはかる者がいなくなるではないか」

 このように諌止した時衛は、馬首を北の向寺方向に回すと、力の限り抱えていた槍で尻に鞭を入れた。驚いた馬は頼母を乗せたまま、狂ったように全速力で駆け去っていく。

「さて、わしらも脱出するぞ。敵に狙い撃ちされぬよう、固まって動いてはならぬ。ばらばらとなって駆けるぞ」 

 時衛は生き残っている朱雀隊士に声をかけ、死屍累々と横たわる味方の亡骸を乗り越えて、先頭を切って駆け出した。

 亡骸を収容することすら出来ない悔しさを今は、ただ噛み殺すしかない。先ずは一人でも多くの藩士を撤収させることだけが、自分に与えられた使命だと言い聞かせながら、時衛はひたすら駆けていた。


(第三十四話『今市白河からの撤退』)

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