第32話 白河口大戦前夜
「来ました。間違いなく敵軍です」
山口以下新選組は、宇都宮城攻防戦で負傷した土方歳三を伴って会津に移動して後、あらためて松平容保の指揮下に入っていた。
閏四月二十日に白河城を摂取した會津軍は、近々宇都宮城から軍勢が押し寄せて来ることを予測し、城の郊外に陣を張って二日目を迎えていた。閏四月二十五日
梅雨の長雨が小休止したとは言え、辺り一面の草木から発せられる湿気が覆い被さり、不快感が全身を包んでいる。しかし、山口次郎は、この不快な状況を、むしろ好機と捉えていた。宇都宮から北上してくる敵は、泥濘で足元が悪く我が軍勢と遭遇する頃には、疲労の蓄積も相当なものとなっているはずだった。
昔から白河の関として名高く、陸奥国の玄関口と言われた要所であるこの地を、両軍ともに重要視しており、會津藩としても、この地を絶対に死守する必要がある。
一方の薩長軍も、この地を奪取すれば、会津攻めの展望が一挙に開けることになる。會津軍が白河城を占拠したと知れば、直ぐに軍事行動を起こしてくることが想定されていた。
「棚倉口と原方に伝令。敵は白坂口を突破する目論見につき、それぞれ側面攻撃のために白坂口に向かって至急移動せよ、とな。行け」
遠山伊右衛門が指令を出した。
「承知」
伝騎が、それぞれ東西に分かれて駆けていった。
白河城を攻略するとすれば、三つの街道から攻め上がることが考えられる。一つは中央である白坂を北上する江戸街道があり、東は棚倉街道、そして西は原方街道である。この三方向から軍勢が攻め寄せる可能性がある以上は、それぞれに兵を配置する必要があった。そこで、中央の白坂口を守備していたのが、遊撃隊と新選組だった。
昨日からの作業で、土壕を積み重ねて胸壁は出来上がっているから、敵の最新式銃にも対抗出来る自信はあった。
やがて敵の姿が目視で確認出来るまで迫って来た。奇襲攻撃をかけるつもりが、見破られたことで、敵の指揮に動揺が見られる。敵兵は泥濘に足を取られながらも、左右に広く展開すると同時に銃を射かけて来た。
「未だだ、俺が声を掛けるまで撃ってはならぬ」
山口次郎は新選組隊士と會津兵を制した。
味方のゲーベル銃は射程距離が短く、撃っても弾丸が無駄となるだけだ。胸壁に命中する弾丸の音だけを聞きながら堪える時間が続く。
敵はこちらからの攻撃がないことで、甘く見ているのか、どんどん無防備に前進して来る。距離がみるみるうちに近づいてきた。
「よし、撃て」
味方の銃口から一斉に火を噴いた。敵は一斉射撃に驚いて、転ぶように伏せる者、背中を見せて逃げる者が相次いだ。しかし、銃弾に倒れた人数は少ない。立て直して攻撃を再開するのに時間を要することはなかった。
味方に胸壁がなければ相当の犠牲が出ていたことだろう。暫く、双方の交戦が続いた。
すると突然、敵の左翼が乱れた。足軽朱雀一番中隊長である日向茂太郎率いる百人が、側面攻撃を仕掛けたのだ。続いて棚倉口から到着した旧幕・純義隊を率いる小池周吾らも攻撃に加わったから、一挙に流れは味方に傾いた。
「間に合ったぞ」
山口次郎は叫んだ。
続いて、敵の右翼も崩れた。原方街道を守っていた士中青竜一番中隊長である鈴木作右衛門が率いる百人も到着している。混乱状態に陥った敵は、後方に向けて敗走するしかなかった。
山口次郎は刀を抜いた。
「我に続け」
逃げる敵を追いかけて、新選組隊士は胸壁を飛び越えて斬り込んでいった。
「見事な迎撃戦だったそうではないですか。緒戦とは言え、まことに目出度き限り」
こう言って、山口次郎を労ったのは西郷頼母である。
會津藩の精鋭を引き連れて、頼母が白河口の総督として白河城に入ったのは、前哨戦で勝利を収めた日の翌日だった。副総督の横山
仙台や棚倉、二本松といった各藩からの増援部隊が続々と到着し、既に全軍で二千五百という大軍勢に膨れ上がっている。
早速、近々挽回を期して再度北上してくると予想される、薩長軍に備えての軍議が招集された。
「先ずは、敵軍と一戦を交えた方々から、ご意見を伺いましょう」
頼母は進攻役を横山主税に任せた。主税は家老横山常徳の養子である。昨年十一月までは、パリ万博使節団の一員として、慶喜の異母弟である徳川昭武に随行していた。国難を憂いて急きょ帰国した前途有望な若者であり、山川大蔵に並んで欧米文化の先進性を、熟知している一人でもある。
口火を切ったのは、遊撃隊長の遠山伊右衛門だった。
「敵を寡兵と侮ってはなりませぬ。初めて敵の銃砲を目にしましたが、予想以上の射程距離と精度を誇っております。我らが所持する銃は遥かに及びません。山口殿の進言で胸壁を設けていなければ、我らの損害は計り知れませんでした」
「そこまで威力が違うのですか。山口殿は如何ですか」
戦経験のない、少し驚いた様子の横山主税は、話の矛先を新選組の山口次郎に振り向けた。
「我らは伏見における戦で、薩長軍が所有する銃砲の威力を、まざまざと見せつけられております。従来の正攻法では太刀打ち出来ぬ故に、先日の戦では胸壁で敵の砲撃を食い止め、側面攻撃で敵を混乱に陥れた次第。しかし、敵は同じ轍を踏むことはないはず。我々としても迎え撃つには、数に頼らない一工夫が必要と考えます」
「なるほど。鈴木殿は如何でしょう」
主税が次に指名したのは、士中青竜隊一番中隊長の鈴木作右衛門である。
「我らが戦場に到着した時は、既に敵が混乱状態でしたので、それほどの脅威は感じられませんでした」
「日向殿はどう感じられましたか」
指名を受けた足軽朱雀隊一番中隊長の日向茂太郎は、明確に味方の銃砲との違いを認識している。
「遠山殿がおっしゃる通りです。我らは敵の猛攻を側面から見ることが出来ましたので、その威力たるや我が藩の兵器の数倍の命中力と射程距離があります。たとえ寡兵で攻めてきても、決して侮ることは出来ぬと判断しました」
「もしも、敵と同じ銃砲を貴殿の隊が所持していたらどうでしたか」
如何にも横山主税らしい問いかけである。
「間違いなく、敵を殲滅出来ていたはずです」
「それほどまでに違うのですか」
欧米事情に詳しい主税でも、兵器のことについては初めて聞くことばかりのようだ。
「はい」
そのやりとりに、水を差したのは頼母である。
「無い物ねだりを言っても仕方あるまい。我らには、この城があるではないか。それに精鋭二千五百という数的有利がある。城と兵力を活かせば勝利は間違いあるまい」
この時代錯誤的な発言に対し、最も危機感を覚えたのは、新選組の山口次郎である。
「畏れながら総督に申し上げます。敵の武器が優れているのは、銃だけではございません。大砲の破壊力も抜きんでております。高所からこの城にめがけて弾丸を打ち込めば、城内は瞬く間に火の海と化し、戦どころではなくなります」
「されば何とするというのか」
憮然とした頼母は、山口に些か強い口調で問い質した。
「敵は白坂辺りを拠点として攻め上がってくるはず。我らは敵より先に白坂手前に陣を張り、敵からの多方面攻撃を阻止します。更に斥候を出したうえで索敵し、切っ先を制することこそが肝要と心得ます」
頼母の言葉に屈することなく、山口は持論を堂々と展開した。京で死中を幾度も潜り抜けて来た山口(斎藤一)にとって、総督の一言であろうが気にするはずもない。
むしろ、頭に血が上ったのは頼母の方だった。一回り以上年下の、しかも氏素性も知れぬ新選組隊士に意見されたとあっては、総督としての面目丸潰れもいいところである。
「左様に、軽々に兵を進めるのは如何なものか。決して得策とは思えぬ」
頼母はこうなると感情論でしかない。激動の五年間を蟄居謹慎していた者としては、もう少し他の意見を素直に聞き入れる度量が必要なのだが、残念ながら、頑固一徹の頼母にはそれがなかった。
近代戦が如何なるものか知らない素人にも関わらず、会津の名門の出という誇りが、自説の過ちに気づくことを妨げたとしか考えられない。この時点で同盟軍の負けは決まっていた、と言っていい。
「総督殿に申し上げたい」
その声の主は旧幕・純義隊の小池周吾である。小池はその場の雰囲気を察知した。先日戦った會津藩士は、総督の前では反対意見を言えないのだ。その旧い因習を打破すべき今となっても、多くの者がその殻を破れないでいる。こうなれば、自分が言うしかない、と即断した小池は続けた。
「先般の戦は、伏見での敗戦を踏まえて、山口殿をはじめとする新選組の方々の献策を、素直に受け入れたからこその勝利です。薩長軍は敗戦を踏まえて、今度こそという勢いで挑んで来るでしょう。如何なる戦法を用いるかも、今のところは全く計り知れません。ここは山口殿の策を採り入れて頂くことこそが、我らに勝利をもたらすものと心得ます。是非とも再考頂きますようお願いいたします」
「総督、ここは小池殿の申し立てを受け入れて、山口殿の策で勧めては如何でしょうか」
横山主税が小池の発言を後押しした。この時、二十二歳の副総督は、自分が調整役を買って出なければ、拙い方向にいく、という危機感を持っていた。
しかし、頼母にも意地というものがある。さすがに籠城策だけは捨てたものの、最終決定した策は、実に中途半端なものであった。
先ず、中央の江戸街道から進撃する敵に対しては、稲荷山に陣取る主力兵で迎撃する。棚倉街道から攻め上がってくる敵に対しては、雷神山に陣取る兵で迎え撃つ。原方街道の敵には立石山・中山・古天神山から攻撃し、侵入を食い止めるという策である。
この策には、どこか一つの陣地が破られてしまった場合、挟撃を受ける危険性を孕んでいた。しかし、現実はそんな甘いものでは終わらなかった。
繰り返しとなるが、歴史に「もしもこうだったら」はないが、敢えて言う。もし、西郷が山口の策を受け入れて、白坂方面まで全軍で繰り出し、三方面攻撃を阻止していれば、少なくとも戊辰戦争史に残る大敗の汚名を蒙ることだけは、防げていたはずだ。
西郷頼母という戦知らずの家老が、詰まらぬ意地を張ったばかりに、まさか六百八十人以上の死者を出す大敗に繋がるとは、この時誰も思いもしないことだった。
(第三十三話『白河口攻防戦の大敗』に続く)
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