第29話 仙台藩の決意
仙台藩・主席奉行である但木土佐の手元に、会津藩からの嘆願書が届いたのは
その嘆願書を意訳すれば以下の通りであるが、冒頭部分を読んだ土佐は、つい吹き出しそうになってしまった。
『我が会津藩は、山谷に囲まれた僻地に在しております。夏は暑く冬は寒い、閉ざされた地域でございます。そのような風土ですので、人は皆頑固一徹で、一つのことに対してはいつまでも固執してしまう性格の持ち主です。また世情には極めて疎く、制御することが極めて難しい者ばかりで、いつも難渋しております。そのような者どもばかりの藩でございますので、畏れ多くも天朝に対し奉り、背こうなどという意思は、神に誓って皆無であることを申し述べます』
ここからは本文である。
『さて、伏見における戦いは、偶然起こってしまった突発的なものであり、我が藩に異心などあろうはずもございません。しかしながら、結果として、畏れ多くも宸襟を悩ませ奉りましたことは、申し上げるべき言葉もございません。かくなるうえは、主君容保は責めを一身に負い、城外に蟄居謹慎のうえ、御沙汰をお待ち申し上げることと相成りました。つきましては、天朝の寛大なる御沙汰を裁断くださいますよう、ここに嘆願申し上げます』
この嘆願書を読み上げた但木土佐は、腕を組んで
まさに会津衆が自らを評する頑固一徹の賜物である。
しかし、但木はこの嘆願書を差し戻すことは不要だと考えた。総督府が首謀者の首級に拘ってくれれば、その時に再提出を求めればよい。拘るということは、恭順の受け入れが前提にあるということである。今は嘆願自体を世良修蔵が、どう判断するかが一番大事であり嘆願書の内容ではないのだ。
仙台藩と米沢藩は、既に奥羽諸藩に対して、この嘆願に同意を求めており、多くの賛同を得ている。
閏四月十一日、白石には奥羽諸藩の重臣の姿があった。仙台・米沢両藩が主催した、会津救済の嘆願書に賛同を得るための会議である。この嘆願書への署名を反対する藩は皆無であった。
かくして、但木土佐が代表し、奥羽鎮撫総督府の世良修蔵の下を訪れ、諸藩連名の会津救済嘆願書を提出したのである。閏四月十七日のことである。
しかし、その結果は但木土佐の想定をも遥かに下回る、最低な扱いでしかなかった。
世良修蔵は、嘆願書を一読するどころか、受取すら拒否して但木土佐を罵倒したのだ。
「何を今更、嘆願書などと寝惚けたことを申しておる。会津の松平容保が罪悪人であることは、疑いなき事実であろう。嘆願など許されるわけがあるまい。既に幾度も会津討伐を急ぐよう、命を下しているではないか。何を愚図愚図しておるのだ。今からでも遅くはない。さっさと出陣し、容保の首を差し出せ。それ以外は一切認めるつもりはない」
ここまで侮辱されても、但木土佐は堪えた。
「参謀殿。せめて嘆願書を受理し、ご一読だけでもお願い申す。ここには奥羽列藩の署名があり、それに米沢藩主と我が仙台藩主の嘆願書も添えてございます。諸藩の総意でございます。どうか、受理だけでも」
土佐は必死に嘆願書を差し出したが、世良はそれを手で撥ね退けた。
「誰がさような謀議をせよと命じた。諸藩で集まる暇があるくらいならば、会津に攻め入ることくらい容易であろう。これ以上、我が総督府の命に従わなければ、皆同罪じゃ。会津と同じ運命を辿ることになろう。それが厭なら、今すぐに出陣するがよい」
床に落ちた三通の嘆願書を拾い上げた但木土佐の心の糸は、この瞬間に音を立てて完全に断ち切れた。
但木個人が責められるのは、未だ我慢が出来た。しかし、奥羽諸藩の総意すら踏みにじる世良の態度と行為は、腹に据えかねるものだった。奥羽諸藩に対する侮辱以外の何物でもなく、絶対に許すことは出来なかった。
更に、嘆願書は一通ではない。仙台・米沢藩主の嘆願書二通も添えられているのに、それすらも撥ね退けたということは、藩主を蔑ろにされたのも同然だった。
『もうこれ以上、話すことは何もない』
但木は拾い上げた嘆願書を懐に大切に収めると、ただ一度だけ黙礼し、振り返ることもなく、無言のまま総督府を後にした。
藩邸に帰った土佐を待っていたのは、
「結果は如何でございましたか、但木殿」
瀬上は、但木の顔色が優れないことから、大方の予想はしているが、一刻一秒も早く詳しい結果を知りたい様子で迫った。
「どうもこうもない。嘆願書の受取すら叶わなかった。手で弾かれてしまったよ」
「何と無礼な。あれは我が藩のみならず、米沢をはじめとする諸藩の総意ではありませぬか。それを受取すら拒否するなど、礼を失するにも程があります。これまでも奴の横暴には、総督府参謀ということで、隠忍自重を重ねて参りましたが、もう我慢がなりませぬ。我一人でも決起いたします」
姉歯武之進が
「待て、早まるな。先ずは但木殿の意向を伺おうではないか。どうするのです、但木殿」
瀬上は興奮状態の姉歯を制し、但木の本意を質した。瀬上も既に腹は決まっているが、但木の本心と結論を、聴いてからでも遅くないと思った。
「事ここに及んでは是非もあるまい。奸賊・世良を誅する他あるまい」
但木は迷わず答えた。
「その言葉を待っていました。しかし、殿が何と言われるか」
瀬上の懸念は唯一、藩主・伊達慶邦が反対しないか、ということである。しかし、その懸念すら払拭するような但木土佐の返答だった。
「心配するな。殿も世良の横暴には、かねてより腹に据えかねるものがあるようだ。松平肥後守殿への同情心も、並々ならぬものがおありだ。儂から説明すれば、必ずご納得して下さるに違いない」
「しかし、世良を斬るとなれば、総督府を敵に回すということ」
いつになく冷静な瀬上は、世良誅殺の後のことも念頭にある。
「むろん、それも覚悟の上だ。ひょっとすると、この奥州全土を巻き込んだ戦となるかもしれぬ。今から準備と覚悟を頼む」
但木土佐から、ここまでの言葉を引き出せば、もう充分だった。
「姉歯、やれるか」
瀬上は姉歯武之進に向かって言った。
「望むところ。今から世良の動向を探り、隙を見せたところを狙い、必ず成し遂げてみせます」
自信満々な姉歯に、一言だけ但木土佐は助言した。
「奴は小心で用心深い。いつも短銃を持ち歩いているから、気をつけろ。くれぐれも油断は禁物だ」
「ご忠告、
瀬上と姉歯が去った後、一人残った但木土佐は、自らに言い聞かせるように呟いた。
「もう後戻りは出来ぬ。我らの正義を貫くのみだ」
土佐は、持ち帰った嘆願書をただ見つめていた。
(第三十話『世良修蔵誅殺』に続く)
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