第30話 世良修蔵誅殺

「間違いありません、奴は金沢屋に入りました」

 仙台から伴って来た田辺賢吉からの報告である。姉歯武之進は世良修蔵の後を密かに追って、福島まで足を延ばしていた。

 小心者の世良修蔵は、但木土佐から差し出された嘆願書の受け取りを拒否して以来、自分なりに危機感を憶えている。会津征伐が遅々として進まないばかりか、奥州諸藩が会津救済に向けて、一致団結しそうな気配をひしひしと感じていた。

 このままでは、自分の身も危ないと思った世良は、一刻も早く江戸に赴き、状況を説明すると同時に、別途征討軍を派遣して貰う必要があると考えた。ここまで考えると、居ても立ってもいられない世良は、直ぐに行動を起こした。福島に着いたのが閏四月十九日のことである。

 金沢屋は世良が福島を訪れた際に、既に幾度も使っている、いわば常宿である。その度に福島藩士が接待饗応を強要され、酒席の乱暴狼藉に対し腹に据えかねていることも、仙台まで漏れ伝わっていた。

 夜の宴会を前に、世良は既に金沢屋に詰めている福島藩士・鈴木六太郎に、密書を手渡し、飛脚を発てて送るよう命じた。世良は、鈴木が姉歯と繋がっていることを知らずに、大事な密書を渡してしまったのだ。

 その密書は庄内藩鎮撫のため秋田口に詰めている、もう一人の下参謀である大山格之助に宛てたものである。当然、鈴木は姉歯が詰めている茶屋に、その密書を届け、一緒に披見することになった。

 その内容を読んだ姉歯武之進は激昂した。

『奥州諸藩は皆敵と思って間違いない。が、会津と繋がっていそうだ。そうなると面倒になるかもしれない』

 こんな危ない内容を認めた書状を、信用出来るか分からない福島藩士に渡した時点で、世良の命運は尽きたというべきであろう。

 姉歯は今すぐにでも金沢屋に乗り込みたい気持ちを抑え込んで、ひたすら夜が更けるのを待った。

 その夜も、世良はいつも通り、美妓をはべらせての大宴会である。行動を伴にしている報国隊の勝見善太郎を交えて、痛飲した世良が寝静まったのは深更だった。

 世良の下品な接待から、ようやく解放された鈴木六太郎は、直ちに姉歯のもとに走り報せた。

「お待たせしました。ようやく、奴が寝静まりました」

 この時をまんじりともせずに待ち続けた姉歯武之進は、逸る気持ちを抑えて訊いた。

「奴の様子を教えてくだされ」

「さすがの奴も今日に限っては、相当酔っていると思われます。我らがいつも以上に饗応していることを全く怪しまず、むしろ喜んでいる様子でした。白糸なる飯盛女を連れて二階の寝所に上がっていったのは、一刻ほど前になります。つい先ほど、二階に耳を澄ませたところ、大きないびきが二つ聞こえて参りました。世良と勝見の鼾に間違いありません」

 鈴木の話を聞きながら、鎖帷子くさりかたびらと額に鉢金を付けた姉歯は、満足そうに頷いて言った。

「よくぞ、面倒なお役目をお引き受け下された。礼を申し上げる。世良の奴、これが浮世の見納めとも知らず、なんとも呑気なことよ」

「我らは如何いたそう」

 福島藩士は鈴木の他、二名が接待饗応役として金沢屋に詰めており、万が一異変があっても、報せが入るようになっている。全員が味方だった。

「鈴木殿ら福島藩の方々には階下と外で、後詰めをお願いしたい。我ら六人が二階で奴らを捕縛する所存。万が一、取り逃がした場合でも、貴藩には迷惑をお掛けするつもりは毛頭ござらぬ」

 姉歯は田辺賢吉を含め、刺客として他に五人を連れて来ていた。

「迷惑などと、今更言われても、些か遅いですぞ。我らは既に志を同じくする者。これからが本番ではござりませぬか。共に手を携えて戦い貫きましょう」

 鈴木六太郎は冗談を交えて応えた。緊迫する闘いを前に、姉歯には少しでも肩の力を楽にして貰おうとの、心遣いだった。

「忝い。それでは参ろうか」 

 金沢屋に着いて宿内を確認し終えたのは、翌閏四月二十日の午前二時を回っていた。

 確かに二階からは大きな鼾が二つ聞こえて来ている。既に白糸なる飯盛女はこっそりと連れ出し、帰らしているという。

 二階の寝所に入ると、素っ裸の世良が何も知らずに大の字となり、情けない姿で寝ているのが目に入った。

『こんな下郎のどこが参謀か、聞いて呆れるわ』

 そう心で呟いた姉歯は、隣で寝ている勝見善太郎を襲う田辺賢吉に声かけようとした。

 その時である。いきなり人の気配で目を覚ました世良が驚いて、敷布団に忍ばせていた短銃に手を掛けて、慌てて引き鉄を引いたのだ。

『カチャッ、カチャッ』

 しかし、それは不発に終わった。当然である。酩酊していたために、銃弾を籠めずに寝てしまっていたからだ。

 それでも、世良は諦めない。二階から裸のまま飛び降り、その場から逃げようとした。しかし、咄嗟に飛び降りた結果、庭石に頭部を打ちつけて流血するという大怪我を負ってしまう。周囲が暗いうえに半分寝惚けていた中で、そのような強硬手段を取ってしまえば、その結果は自業自得といえた。

 かくして、抵抗することも出来ずに容易に捕縛された世良修蔵と勝見善太郎は、そのまま阿武隈川の下河原に引き出された。

 その場には、世良捕縛の報せを受けて、別宿で待機していた瀬上主膳の姿もあった。

 既に観念した勝見とは対照的に、世良は執拗に食い下がった。

「こんなことをして、貴様らどうなるか分かっているのか。ただでは済まされぬぞ」

「もとより承知のこと。貴殿に言われずとも知れたこと。神妙にしなされ」

 瀬上主膳は諭すように声を掛けたが、世良は収まらない。

「頼む。お願いだ。助けてくれ、今ならまだ間に合う。何事もなかったことにしてやる。嘆願書のことも検討する」

 今度は哀願だった。

「世良殿、往生際が悪すぎますぞ。それに、これまでの貴殿のなさり様からは、今の言葉さえ信用出来ませぬ。秋田の大山殿への書状も、我らについては酷い書き様でしたな」

 余りにも情けない世良の態度に、姉歯武之進が追い討ちを掛けるように言い放った。

「何故、書状のことを知っておる。おのれ、福島藩まで、仙台と繋がっておったか」

 世良は自らが甘かったことを悔んでいた。

「今更、そのような恨み言を連ねても、全ては詮無きこと。せめて最期だけでも、武士らしく覚悟なさいませ」

 武士の情けとばかり、瀬上主膳が声を和らげて話しかけると、さすがの世良も顔をうな垂れて、抵抗する意欲すらなく、遂に観念したようだった。

 三月の松島上陸以来、これまでに世良が行ってきた悪事を書き連ねた斬奸状を、田辺賢吉が読み上げている時も、一度も顔を上げることはなかった。

 我が世の春を謳歌したのも、わずか二か月。官軍として意気揚々と乗り込んできた自分が、まさかこのような屈辱に満ちた人生の終焉を迎えることになるとは、夢にも思わないことだったであろう。

 奥羽鎮撫総督府下参謀・世良修蔵が、勝見善太郎と共に斬首されたのは、閏四月二十日午前六時頃のことである。享年三十四歳。胴体は阿武隈川に流され、その首は白石城へと送り届けられた。


(第三十一話『奥羽越列藩同盟』に続く)

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