第37話 長岡軍の激闘
「昨日、小千谷にて土佐の岩村精一郎なる軍監と談判いたすも、我が藩の大義と至誠が届くことなく決裂に至った。朝命を語れども、我が藩領を侵し、我が領民に迷惑を及ぼし、田畑を荒らす者は官軍にあらず。これただ奸賊とみなすのみ。本日ここに我ら長岡藩は、薩長土佐軍に対し宣戦を布告する」
五月三日夕刻、長岡城二の丸広場に集めた藩の全隊長を前にして、継之助は薩長土佐軍を相手に、決戦を挑むことを宣言した。
その数日後には、長岡藩が正式に同盟軍の一員となったことを知った諸隊が、続々と長岡城に集結してきた。一度は締め出しを食らった、會津藩・士中朱雀四番中隊を率いる佐川官兵衛、宇都宮から転戦してきた桑名藩士を率いる立見艦太郎、衝鋒隊を率いる古屋佐久左衛門らである。
既に越後各地では火の手が上がっている。越後はもともと、各藩領の他に会津領・桑名領・旧幕府領・旗本領が入り組んでいる国である。既に、駐屯する旧幕軍や同盟軍と、薩長軍との小競り合いが頻発している中での、小千谷談判決裂だった。
薩長に和睦の意思がないと分かった以上は、徹底抗戦しか途は残されていない。しかも、継之助の頭の中には、戦いの止むなきに至った場合の確たる戦略が、既に出来上がっていった。
長岡や旧幕軍の一部が最新兵器を装備していても、それは同盟軍の中では、ほんの一部に過ぎない。會津・米沢の藩兵が所持する大半の銃砲が,依然旧式である以上、薩長軍には到底敵うはずがない。国内に三台しかないガトリング砲のうち、二台所持する長岡藩だったが、継之助にしてみればわずか二台なのである。いくら一分間に二百発の弾丸を撃てるといっても、戦いの大勢を支配するほどの効果はないことを、戦前から十分に認識していた。
そこで戦略で大事になるのは先制攻撃であり、如何にして集中攻撃を加えて、戦果を最大限に引き上げるか、であった。
最初に長岡・會桑・旧幕の同盟軍が向かった先は、長岡藩領の南端であり小千谷に近い榎峠である。ここには薩長土佐の手先に成り下がった尾張・上田・松代の藩兵が陣取っており、先ずこれらの軍勢を峠から駆逐後、小千谷の本営を壊滅させるという作戦だった。これが五月十日のことである。
同盟軍は二方面作戦で、この榎峠を奪取することに成功する。三国街道から正面切っての戦いを挑む同盟軍本隊と激戦を繰り広げる中、別動隊が横撃を仕掛け、それに驚いた薩長側の尾張・上田・松代藩兵が、思わず遁走してしまったためである。別動隊の攻撃は、金蔵山中を掻き分けて進み、みごと敵の搦手に回り虚を突いた形だった。
思いがけない攻撃を喰らって退却したと知った小千谷本営は、翌日、薩長の精鋭部隊を先頭に、信濃川を渡河して押し出し、榎峠を奪還せんと攻撃を仕掛けてきた。薩長軍としては一度の敗戦で、おめおめと引き下がるわけにはいかなかった。
しかし、この日も同盟軍は奮戦する。山の木々を楯として、薩長の攻撃を凌ぎ、峠を守ることに専念したのだ。更に隣に聳え立つ朝日山の争奪戦にも、果敢な攻撃で同盟軍は勝利を収めることになる。
この連日の敗戦に危機感を募らせ、更なる増援部隊派兵のために、朝日山山麓の横渡から小千谷本営へと戻ったのが、薩長軍参謀の山県狂介(有朋)である。山県は本営に戻る前に、同い年で盟友の時山直八に対して、一つ言い残していた。それは、自分が増援部隊を率いて戻るまでは、攻撃を絶対に控えるよう、との軍令だった。
五月十三日早朝、起床した時山は、辺り一面が濃霧で覆われているのを目の当たりにして呟いた。
「この霧に乗じて山頂の敵を攻撃すれば、必ず勝てる」
確信した時山は、山県の軍令を無視して、直ちに傘下の奇兵隊と薩摩軍小隊に対し、山頂を目指すよう命を下した。
当初の同盟軍は、時山の読み通り、霧が晴れ始めた山頂付近に突如現れた薩長軍に驚き、押され気味だったが、それでも潰走することなく踏みとどまった。
この時、山頂で指揮していたのが、桑名藩の立見艦三郎である。後に陸軍大将にまで上り詰める奇才・立見を相手としたのが、時山直八の運の尽きだった。
立見は奇襲にも決して慌てなかった。薩長軍を山頂まで十分に引きつけて、一斉射撃を繰り出したのだ。この攻撃で、立見直轄の雷神隊・三木重左衛門が放った弾丸が、時山直八の顔面を直撃していた。
この指揮官憤死により動揺した薩長軍は、一斉に山を駆け下り、敗走を余儀なくされてしまう。こうして、榎峠と旭山の攻防戦は、同盟軍側の連戦連勝で幕を閉じた。
しかし、この後、継之助が目指した小千谷本営の壊滅作戦は、実現することなく頓挫することになる。何故ならば、自軍の本営である長岡城が、いとも簡単に敵の手に落ちてしまったことで、作戦の大幅な見直しが必要となったためだ。
何故、長岡城が簡単に陥落したか。それは、同盟軍の主力部隊を榎峠・朝日山に割いた関係で、長岡城を守備する軍そのものが、極めて手薄だったことに原因があった。しかもその守備兵の中身は、老兵が中心とあっては目も当てられない状態だった。
継之助自身も、長岡城の守備態勢が脆弱なことは当初から認識している。ただ、雨期のため信濃川が増水しており、薩長軍が西岸から
この状況を打破するために考えていたのが、二十日の奇襲作戦だった。これは信濃川上流から敵に察知されないよう渡河して回り込み、薩長軍の背後を急襲し撃退するというものである。
しかし、薩長軍にも焦りがある。榎峠と朝日山奪回に失敗し、小千谷本営が危機に晒されている状況を、すぐにでも打開する必要があった。
そのためには、敵の本営たる長岡城を先に攻め落とすしかないと考えたのが、薩長軍の軍監・三好軍太郎だった。
三好は継之助の作戦より一日早く、作戦を強行していた。この一日の違いが、両軍の明暗を分けることになる。三好軍太郎は、川霧で見通しが悪いことを利用して、依然水嵩の増している信濃川をものともせずに渡河し、一挙に長岡城下に進軍したのだ。
瞬く間に手薄の城下は破られ、長岡城も炎上の憂き目に遭ってしまう。藩主も家族と共に、慌てて会津へと落ち延びていくしかない、という惨めな状況だった。
継之助は地団駄を踏んで悔しがった。この時ほど自身の作戦の甘さを悔悟したことはない。気持ちの整理がつかぬまま継之助は、藩主が落ち延びている会津の方角に向かって詫びるしかなかった。
継之助にとって、藩主の牧野忠訓と親で前藩主の
『何が何でも、この失態を挽回して、再び主君を城にお戻ししなければ』
継之助は心に誓った。
三好軍太郎の起死回生の作戦で、長岡城を奪取した薩長軍の矛先は、その後、北の蒲原平野に移っていく。
それを察知した継之助は、榎峠と朝日山に陣取る軍勢を含めて、全軍を加茂に集結させ反撃の機会を伺うことにした。
継之助率いる同盟軍は、幾つかの戦闘を経て、徐々に三条まで南下した。次なる標的は今町に構える薩長土佐軍の本営である。長岡城を奪回するには、先ず今町を攻略する必要があった。
六月二日、継之助は軍を三隊に分けて、行軍を開始した。山本帯刀率いる一隊、これが街道の中央を進み、敵には本軍と見えるはずの牽制軍である。それに米沢藩兵を中心とする別動隊、これは牽制隊の背後から今町に回り、敵の側面攻撃を阻止するとともに、右翼から衝くことになっている。それに継之助率いる主力部隊は、途中まで大きく信濃川沿いに迂回し、今町本営を左翼から攻撃し撃退するという作戦だった。
この作戦は見事に成功し、継之助率いる同盟軍の大勝利となった。
薩長軍は、案の定、正面の街道から向かってくる山本帯刀率いる牽制軍を主力と捉え、三好軍太郎率いる薩長軍が大軍で押し出してきた。その山本帯刀率いる牽制隊も、會津桑名の精鋭を加えて強力であり、忽ち激戦となった。
しかし、前方の戦いを眺望している薩長軍の左翼から突然、継之助率いる主力部隊が本営めがけて出現したことで、薩長勢は忽ち大混乱に陥った。ガトリング砲二門の攻撃をまともに食らい、算を乱して遁走する兵が相次ぎ、収拾がつくはずもなかった。
継之助とともに主力として進軍してきた中には、會津藩の士中朱雀四番中隊を率いる佐川官兵衛もいた。官兵衛は薩長勢の中に尾張藩兵を見つけると、抜刀し自ら先頭に立ち、鬼の形相で切り込んでいった。もともと、尾張藩は幕府親藩の筆頭的立場にあり、今は亡き第十四代将軍の家茂も尾張藩の出である。その尾張藩が裏切って薩長の手先となり、同じ親藩である会津や譜代である長岡を、平気で攻めていること自体が、官兵衛にとっては
薩長軍の主力も背後の本営に敵の攻撃が回ったことを確認すると、兵の間には動揺が広がり、じりじりと後退し始めた。こうなると、正面の敵よりも退路の確保を優先させるのが人の常である。背後から挟撃に遭う羽目にでもなれば、到底壊滅は避けられなかった。
この戦いで三好軍太郎は重傷を負い、戦線離脱のやむなきに至っている。
戦いに敗れた薩長軍はやむなく今町を捨てて、関原へと本営を後退させた。一方の継之助率いる同盟軍は、この戦いの勝利によって、見附まで本営を前進させ、長岡城まであと一歩のところまで迫ることになる。
しかし、これ以降、暫く両軍の攻防戦は続くが、いずれにも決定的な勝敗が着くことはなかった。一進一退を繰り返すのみで、戦いは泥沼の様相を呈することになる。
この状態を打開するには、起死回生の一手が必要だった。
(第三十八話『北越戦争の終結』に続く)
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