第10話 長州軍上洛

 六月五日の池田屋事件により、吉田稔麿としまろを筆頭とする自刃を含む、多くの同志が殺害ないし捕縛されたことで、長州藩の藩論は一挙に進発に傾いていった。それまで、周布すふ政之助や高杉晋作らがしきりに唱えた慎重論は、自ずと鳴りを潜めざるを得ない。遂には進発に消極的であった久坂玄瑞も、長州藩の失地回復のため、嘆願を前提とした進発に同意するに至った。

 六月半ば、山口を進発した長州勢は、京とその周囲三方に分かれて布陣した。家老・国司信濃くにししなのと来島又兵衛は嵯峨天龍寺に、家老・福原越後は伏見長州屋敷に、そして家老・益田親施ちかのぶに久坂玄瑞と真木和泉は山崎天王山に、それぞれ陣取った。まさに朝廷の回答次第では、一戦をも辞さない覚悟である。

 六月二十七日、長州兵の入京を確認した容保は、未だ病が癒えぬ身体にも関わらず、自らに鞭打って参内し、孝明帝に拝謁した。

「容保、長州が兵を率いて、入京しようとしているのは真実の話か」

「畏れながら真実まことに相違ございませぬ。既に嵯峨天龍寺をはじめとして、伏見と山崎天王山に陣取っております」

「兵の数はいかほどか」

「総数およそ三千とみております」

「大軍ではないか」

「ご心配には及びませぬ。我が會津藩をはじめ、桑名藩、越前藩、大垣藩、筑前藩などが、必ず御所をお守りいたします。更に近々薩摩藩らも上洛する手筈となっておりますので、どうかご安心くださいますよう」

「それにしても、長州の恫喝どうかつとも取れる仕業、朕は如何なる申し開きがあろうとも、断じて許すことは出来ぬ」

「畏れ入り奉ります。臣・容保、先ずは方々に兵を差し向けて、これ以上、宸襟しんきんをお騒がせすることなきよう、全身全霊をもってお守り申し上げる所存でございます」

「なんと頼もしき言葉よ。朕が心底から頼りとするは容保のみぞ。しかしながら、未だ顔色が悪い。病は癒えておらぬのであろう」

「有難き御言葉、恐悦至極に存じ上げ奉ります。しかしながら、かかる天下国家の一大事に、床に伏してなど、おられませぬ。なんの、病が如き、我が気合で乗り切る所存でございます」

「容保が忠義、嬉しく思うぞ。しかし、くれぐれも無理だけはせぬよう労わるがよい」

「ははっ」

 容保は感涙にむせぶ思いで、孝明帝の前にひれ伏した。

 こうして、會津・桑名両藩兵を中心とする官軍と、長州軍との緊迫したにらみ合いが、その後暫くの間続くことになる。

 途中、あくまでも長州藩の名誉を平和裏に回復しようという久坂玄瑞の嘆願書が、親長州派である鷹司卿を通して朝廷に届けられたが、孝明帝が首を縦に振るはずもない。會津藩を通して撤去命令を繰り返すだけだった。

 この時、撤兵勧告を無視して、強硬姿勢を崩さない長州軍に対する措置を、どうするかにおいて、見解の違いからちょっとした事件が起こる。それは容保と一橋慶喜の間で起こった議論が、その火種だった。

「藩主のための哀訴と言う気持ちは、理解出来ないことではない。しかし、大軍をもって京に押し寄せ、宸襟を悩ましたうえに、撤退命令に従わないというのは、もう不敬不忠以外の何物でもない。これ以上諭しても、撤退しないのであれば、武力をもって掃討する他ない」

 こう主張する容保に対して、慶喜は違って消極的だった。

「万事、荒立てるだけが解決方法とは限るまい。対話を進めれば、穏やかに事が解決する場合もある。武力をもって制するのは、やむを得ない事態となってからでも遅くはない」

 このように、慶喜が長州に対して穏健的な意見を主張して、容保と対立していると知った藩兵と新選組隊員は激怒した。

「畏れ多くも、禁裏御守衛総督などという大任を仰せつかっている者が、このように他人事の如き意見を主張しているとは、何とも情けない」

「事態の緊迫性が何にもわかってはおらぬ」

「こんな弱腰では御所をお守りできるわけがなかろう」

「いつ長州兵が襲ってくるかわからぬ時に、何を寝ぼけたことを言っておる」

「これだから何も知らぬ温室育ちの御殿様は困る。我が殿の爪の垢を煎じて飲ませねば気が済まぬ」

「何が対話だ。対話を聞き入れるほどの連中であれば、誰も苦労はせぬ」

「禁裏御守衛総督の名が聞いて呆れるわ」

 まさに現場の危機感をよそに、何も感じず目出度い言動を繰り返す、現代の愚かな経営者や指導者を見ている思いである。

 しかし、事はこのままでは済まなかった。慶喜への不満を口にしているうちに、誰かが声を上げたことから、事態が急展開することになる。

「ここで言っておっても始まらぬ。実際に戦場で戦うのは我らだ。この思い、直接一橋公に一言申し上げに参ろうではないか」

「そうだ、そうだ」

 もうこうなると、興奮した藩兵や新選組隊員に対する制止は効かない。事態を知った藩の大目付である梶原平馬や近藤勇・土方歳三らが、鎮撫しようにもその勢いは止まらず、直談判しようと慶喜の屋敷に押し寄せる始末だった。

 この事態を収拾するには、もう容保の力に頼るしかない。梶原平馬は容保のもとに馬を飛ばした。容保は御所近くの清浄華院に控えていたが、相変わらず体調は芳しくない。直ちに事態を収めるために、容保は公用人の外島機兵衛を遣わし、自らの言葉として諭すことにする他なかった。

 外島機兵衛は梶原平馬と伴に馬で、慶喜の屋敷に急行した。幸いにして、まだ屋敷内に踏み込む等の狼藉は行っていない。一部の藩士が何やら屋敷前で叫んでいる様子だ。

「待て待てえ。下がれ、下がれ。殿からのお達しである」

 その機兵衛の一言で、辺りは静まり返った。

「よいか、殿は皆の気持ちには理解を示しつつも、かかる行動はお望みではない。これから言うことは、殿の御言葉として聴いて欲しい」

 機兵衛は慶喜の屋敷前でこう告げ、皆の顔をゆっくりと見回して後に、再び口を開いた。

「今の切迫した状況を理解すれば、必ず一橋公も同意下さるに相違ない。むしろ、皆の此度の行動は、一橋公のお気持ちをかたくなにするかもしれず、決して得策にはあらず。まして、戦うのは我ら會津であり桑名である。畏れながら、主上も我らに同意し、頼みとして下さっておる。決戦を前にたかぶる気持ちはわかるが、今は来るべき時に備え、英気を養うことこそが肝要。直ちに陣屋に戻るべし。このように仰せである」

 容保の言葉として、こう告げられては、勇んできたものの全員が引き下がるしかなかった。こうして事なきを得たが、一番胸を撫で下ろしたのは他でもない、屋敷内に潜んでいた慶喜であったはずだった。

 これが七月六日の出来事であったが、それ以降も長州藩の撤兵は実現せず、尚も會津・桑名両藩兵との睨み合いは続く。

 事態が一変したのは、西郷吉之助(隆盛)率いる薩摩軍が入京した七月十二日である。この薩摩藩兵入京によって、これまで穏健派と思われた一橋慶喜が態度を急変させ、長州討伐へと強硬路線に転じさせた。

 何のことはない。慶喜は長州に負けた場合を恐れて、臆病風を吹かせていただけなのだ。そう皆が思ったが、そこは誰も口に出さない。少なくとも、これで意思統一が図れたことに、容保は一先ず安堵した。


(第十一話『送戦状』に続く)

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