第44話 會津女士の矜持

 西郷家の人々とは対照的なのが、籠城戦に加わり最後まで戦おうとした婦女子であり、それは実に六百人を数えていた。

 その中では、山川大蔵の母や、後に敵の砲弾で爆死した妻・トセ、そして後の捨松である妹・咲子が有名である。

 更に、大滝村で一族と伴に殉死した河原善左衛門の妻・あさ子は、実に壮絶だった。母と八歳の長女も連れて入城しようと試みるが、砲弾が猛烈に飛び交う中では困難と諦めざるを得ない。そこで、あさ子は母子二人を自らの手にかけて介錯し、首を墓地に葬って後に、敵の攻撃の間隙を縫って一人入城するという荒業を果たしている。まさに、想像を絶する試練を乗り越えて入城した者の代表格であった。

 これらの會津女士は皆、白鉢巻きに襷掛けで小袴を履き、薙刀を手にして城へと向かった。容保の義姉・照姫を、敵の砲弾から身を挺して守らんという、並々ならぬ決意での入城である。

 むろん、入城後は山本八重のように、銃を手にして戦闘に加わる者は稀であり、主に怪我人の看護や炊き出し、弾薬の搬入など後方支援的な役割が主となる。

 しかしこの時、襲い掛かる薩長軍に対して勇猛果敢に戦いを挑み、美しくも儚く散っていった一人の若い女性がいた。それが当時二十二歳の中野竹子である。

 半鐘が打ち鳴らされ、やがて方々から銃撃戦の音が鳴り響き、各地で火の手が上がる中、粛々と身支度を整える母娘三人の姿があった。江戸詰勘定方・中野平内の妻であるこう子四十四歳、そして娘竹子と優子十六歳の美貌姉妹である。

 三人は長く伸ばした髪を、結根から三寸ほど素早く切り落とし、額には白木綿の鉢巻、ちりめんの着物に白羽二重のたすきをかけ、義経袴よしつねばかまで身支度を整えた。得物はもちろん薙刀なぎなたである。

 三人は勇んで城門へと向かったが、その時既に城門は閉じられており、入城が果たせないことが判明する。

 同じように入城出来なかった依田まき子・菊子姉妹、それに岡村咲子の三人と一緒に向かった先は、鶴ヶ城下の西方三里にある坂下宿だった。

 照姫が戦火を避けて坂下宿に立ち退いた、との噂を耳にしたからだ。しかし、それは全くの誤報でしかなかった。そぼ降る雨の中、落胆した六人が仕方なく一夜を明かしたのは、虚空山法界寺である。

 翌日、彼女たちは鶴ケ城の危機を聞きつけ、昼夜兼行で駆け戻った各方面からの會津軍との合流を試みるが、悉く断られてしまう。

 何故、断られ続けたのか。それは「会津は困り果てた挙句、遂には婦女子まで駆り出したか」と笑いの種にされては、藩の名折れと思ったからである。

 また、女士を率いていては、足手まといになるだけでなく、格好の的になることを嫌ったためだった。まして、最新の銃砲を装備した敵に、薙刀で立ち向かうなど、到底敵うわけがない。

 それでも、こう子以下の六人は諦めなかった。ようやく、合流許可を得たのは、越後方面から東進してきた、旧幕軍の古屋作左衛門率いる衝鋒隊である。

「もう断られ続けて、どこにもお願い出来ない。駄目ならここで自害して果てる」

 こう子から、ここまで言われては、さすがの古屋も断り切れなかった。

翌二十五日、中野こう子率いる娘子隊は衝鋒隊四百人に加わり、鶴ヶ城を目指すことになった。

 衝鋒隊と行動を共にした娘子隊が、坂下から高久へと東進し、敵軍と遭遇し戦闘に入ったのは、湯川にかかる柳橋の近くである。

 柳橋は、北は米沢街道、西は越後街道に通じる分岐点近くにあるために、米沢や越後方面から鶴ヶ城に戻るためには避けて通れない場所である。このような通行の要所を薩長軍が看過するはずがなかった。長州と大垣藩兵が陣を構築し、迎撃態勢を取って待ち構えていたのだ。

 激しい銃撃戦が展開される中にあって、当初は銃弾を避けて後方待機を勧められ、それに従っていた中野こう子ら娘子隊だった。

 しかし、一向に戦況が進展しないことに痺れを切らしたこう子は、ここで意外な行動に出る。雨あられのように降り注がれる弾丸の中を潜り抜けて、陣頭指揮を取る古屋に近づき、放った一言は思いも寄らぬものだった。

「これではいつまで経っても、膠着状態のままでお城への入城は叶いません。ここは討って出ましょう」

 こう子の提案はあまりに無謀であり、古屋は反対する。

「敵の銃砲はかつての火縄銃とはわけが違いますぞ。これまでも、狙い打ちで数多の同志を亡くしております。ましてや、貴女たちはおなごの身。目立ちすぎる立ち姿は恰好の的になります」

 しかし、それでもこう子は退くつもりはない。

「それはもとより覚悟のうえ。むしろ、生け捕りにしようと、敵も銃砲での攻撃を止めるのではありませんか。貴方たちも旗本であれば、多少刀に自信がおありでは。そこに活路を見出すしかないと思うのですが」

「我々にとって、白刃戦は望むところ。しかし、貴女たちはどうするのです。お助けする余裕はありませんよ」

「助けて頂かなくても結構です。我らの薙刀の腕を見くびらないでください。活路は自分たちで見出しますので」

 そこまで、こう子が言うのであれば、もう古屋が迷う必要もなかった。

「これから、白刃戦を決行する。前方の二百人は銃で我らを援護しながら前進。敵陣近くまで行ったら我らが突っ込む。突破出来れば、そのまま城に向かう。もし、失敗したらここに戻って立て直す。では参る」

 古屋は大刀を抜き振り下ろした。それが突撃の合図だった。衝鋒隊の面々の後方にこう子ら娘子隊が続く。やがて、敵陣が迫ると銃隊と抜刀隊が入れ替わった。

 敵陣からも腕に覚えのある大垣藩兵を中心に抜刀して応戦してきた。忽ちのうちに両軍入り乱れての混戦模様となった。こうなると、お互いに銃での集団攻撃は出来ない。しかし、やはり遠くからでも目立つのは、浅黄色や紫色の艶やかな服装を身に纏い、薙刀を振る娘子隊の面々である。

 とりわけ、美貌の持ち主である中野竹子・優子姉妹が、恰好の標的となった。竹子は江戸詰めの頃、照姫の薙刀指南役でもあり、相当の腕前である。獣の如き眼をした敵兵が姉妹を生け捕りにしようとするが、瞬く間に数人が竹子の薙刀の餌食となった。妹の優子も負けてはいない。果敢に薙刀を振るい、敵に傷を負わせている。

「優子、私と背中合わせで敵に向かえば、背中を狙われる心配はありません」

「はい、お姉さま」

 優子が返事をしたその時だった。一発の銃声とともに背中に感じていた竹子の気配が消えてなくなっている。振り返ると、地面には額を撃ち抜かれて、身動きもしない竹子の姿があった。

「お姉さま」

 思わず薙刀を投げ捨てて、優子は竹子を抱きかかえようとした。

 その優子に襲い掛かろうとする敵兵をみつけたのが、母のこう子である。こう子は敵を薙ぎ払いながら、優子に近づいて叫んだ。

「危ない、ここは母に任せて薙刀を持ち少しの時間を稼ぐのです」

 こう言うと、こう子はすぐさま、小刀を抜き竹子の身体に近寄り、胴体から首を切り離した。悲しんでいる暇はない。竹子の御首と共に、ここは一旦撤収するしかないが、御首を抱えていては薙刀が振るえない。どうしようかと迷っている時、そこに手を差し出した者がいた。上野吉三郎なる農兵らしい一人の男だった。

「俺が大切な御首を持ちます。逃げましょう」

 こう子はその男を信じた。

「優子、戻りましょう。姉上を丁重に葬ることが先です」

 二人はどうにか乱戦の中を潜り抜け、無我夢中で駆けた。気がついた時、三人は坂下の法界寺の前に立っていた。浅黄色の着物に鮮血が滲んでいる。竹子の血だと思うと、急に止めどなく涙が出て来た。

「竹子」「お姉さま」

 あらためて二人は、竹子が本当に死んだのだ、ということを実感し、いつまでも慟哭し続けた。その傍らには静かに手を合わせる吉三郎の姿があった。

 その後、竹子の御首は、その法界寺に手厚く葬られた。

 残った女士五人が、敵弾の中を掻い潜り、家老・萱野権兵衛が手配した護衛の藩兵と共に入城したのは、それから三日後のことである。

 萱野は中野竹子憤死の噂を聞きつけて、すぐさま、法界寺にいるこう子らの下に、護衛の藩兵を手配してくれたのだ。その後、彼女たちが薙刀を振るって、戦場に出ることは二度となかった。

 なお、古屋率いる衝鋒隊も、二十五日の戦闘で敵陣を突破することは出来ず、鶴ヶ城への入城を諦めていた。彼らは新たな戦場を求めて、仙台、そして箱館へと転戦することになる。


(第四十五話『彼岸獅子』に続く)

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