第45話 彼岸獅子
「まさか、お城が。信じられぬ」
山川大蔵は伝騎からの報せに、一瞬茫然と立ち尽くした。
あっさりと母成峠が破られ、十六橋から城下に敵が押し寄せてきているという。それ以上の詳しい内容は全く分かっていない。八月二十四日早朝のことだった。
「ここを守備していても、もう意味がない。直ぐに会津に引き上げるぞ」
大蔵は即断した。大蔵は今市における敗戦後に北上し、藤原からここ田島にかけて陣を張り、三ケ月以上もの間、薩長精鋭軍の猛攻を凌ぎ、日光口からの侵攻を防ぎ続けてきた。しかし、既に
一刻も早く会津へと取って返し、反撃の機会を伺うしか残された途はなかった。
山川大蔵率いる精鋭部隊が、休む間も惜しみ大内を経て、会津近郊の小松村に辿り着いたのは、二十四日の夕刻である。
そこでは、あらたな城下の詳細が、次のように明らかとなって来た。
甲賀口外郭門で激しい戦闘が行われ、古畳を胸壁として士中白虎一番隊が防戦するも、敢え無く抜かれてしまい、城下への侵入を許してしまったこと。
容保も士気を鼓舞すべく、陣頭指揮に立っていたが、敵の集中砲火を浴びるに至り、城内へと退避し無事であること。
街の方々は敵の放火によって、未だ黒煙が燻り鎮火していないこと。
六日町口で防戦していた家老の神保内蔵助と田中土佐が、敵の侵入を許した責任を取り刺し違えて果てたこと。
多くの婦女子は入城して無事だが、一部は自宅に火を放ち自刃して果てたらしいこと。
敵は攻城戦の準備が不足していたために、強襲による攻略を断念し、兵を内郭から一旦外郭まで退かせて、今は桂林寺口から天寧寺口に至る東北方面に軍を配置し、攻囲戦に転換していること。
これら悲報を含んだ状況を踏まえて喫緊の難題は、敵の厳しい包囲網の中を、如何にして突破し無事入城するか。この一点だけに的を絞って、大蔵は必死に頭を捻った。
「敵は薩長土佐を中心に、大垣・大村・佐土原と様々か。決して一枚岩ではないな」
独り言を発した時に、閃いたことがあった。
「御主人、この村で彼岸獅子が踊れる勇気ある若者を、十人ばかり呼んでは貰えぬものであろうか」
山川大蔵がこの日、宿としたのは小松村の大竹小太郎宅である。主の小太郎がすぐさま村の端々まで伝令を出すと、瞬く間に十一歳から二十歳の若者が駆け集まってきた。
「よくぞ、駆けつけてくれた。礼を言う。知ってのことと思うが、今、我が鶴ヶ城は、憎き薩長の軍勢に囲まれ、危急存亡の
「彼岸獅子がどんなお役に立つのでしょうか」
小太郎自身は、未だに大蔵の意図することを理解出来ていないようだ。
「彼岸獅子を踊りながら、我ら選抜五十人の前を進んで貰い、戦をせずに入城する作戦だ」
「果たして、上手くいくでしょうか」
そう口にしたのは朱雀隊の高野茂吉だった。既に踊り手の先導役を命じている。
「絶対とは言えぬ。ただ、敵は様々な藩の寄せ集めに過ぎぬ。少なくとも、武器を持たぬ若者が踊って通るのを見て、攻撃する者は少なかろう。何処かの藩の余興と見てくれればしめたものよ」
「なるほど。しかし、もし、攻撃してきたら如何するおつもりで」
「その時は、真っ先にお主が村の若者を逃すよう楯となってくれ。そうなれば策は破れたということ。我らも銃を手に取って戦い潔く散るしかあるまい」
「分かりました。その時は喜んで楯となりましょう」
大蔵の目線は、高野茂吉から集まった若者たちに移された。
「どうであろう。怖じ気づいた者は無理にとは言わぬ。敵に感づかれては元も子もない。ただ、徳川三百年の恩顧に応えるのは、今この時しかないと思っている。同じ気持ちの者は、是非とも我らと行動を伴にして貰いたい」
大蔵もこの時、未だ二十三歳でしかなく、集まった若者とそれほど歳の差はない。最終的にその場に残っていたのは、大蔵の言葉を意気に感じた十人だった。
翌八月二十五日早朝、小松村を出発した山川大蔵率いる五十人と彼岸獅子のお囃子十人は、飯寺村に入ると縦列を組んで進み始めた。
他の残された五百人余の藩兵は、途中から進路を北に取ったうえで萱野権兵衛の指揮下に入り、あらためて入城を目指す手筈となっている。
先導するのは高野茂吉、その後ろを笛と太鼓で彼岸獅子を踊るお囃子十人が進み、更に山川大蔵ら五十人の藩兵が整然と続いていく。
行く手を阻むはずの長州兵と大垣藩兵は、その南側を堂々と行進する彼岸獅子の一隊を、唖然としながら傍観するのみである。
まさか、この中に日光口を死守して、その名も轟いている山川大蔵がいるとは夢にも思わず、銃を杖代わりにして見物し、ただやり過ごすだけだった。
城内でも、遠くから近づいてくる一団が何者たちか分らずに、当初は怪訝そうな顔で見守っている。
やがて、誰か彼岸獅子を知る者が一言発した。
「あれは小松村の彼岸獅子だ。味方に違いない」
城内では敵に気づかれることのないように、と祈りながら固唾を呑んでその行軍を見守った。
静かに城門が開かれ、彼岸獅子の一行が城内に吸い込まれようとした時、ようやく長州軍から声が上がった。
「あれは敵だ、撃て、撃て」
気がついた時はもう遅い。最後尾の兵が門内に吸い込まれていった後だった。
城内で一斉に湧き上がったのは大歓声だった。山川大蔵が、敵中を無血のまま突破し入城を果たすという、前代未聞の離れ業をやってのけたのだ。まして、ここ数日間、目と耳にするのは敗報と悲報という、暗く辛いものばかりだっただけに、この入城の成功は大いに城内を勇気づけるものとなった。
この日は更に、城南に位置する三の丸付近と北西部から、それぞれ約一千人の精鋭が敵の攻撃を掻い潜り入城に成功している。
これまでは玄武・白虎以外は婦女子ばかりで、戦の中核をなす朱雀・青竜隊が不在だった城内が、これら各隊の入城によって、一気に活気を取り戻すことになった。
ようやく態勢が整ったと判断した梶原平馬は、翌日早朝から、容保と喜徳を上座に据えて軍議を催した。
しかし、平馬の口から発せられた言葉は意外なものだった。
「これまで我らが目指して戦ってきたものは、容保公と我が會津藩の名誉回復です。そのために軍制改革を断行し、軍備増強にも邁進して参りました。しかし、その結果がこの有様です。それは偏に我ら重臣団の不徳のいたすところ。これ以上、被害を拡大しないためにも、容保公と喜徳公には、米沢にお移り頂くが得策と心得るが如何でしょうか」
突然の予想もしない提案に皆が押し黙る中で、猛然と異を唱えた家老がいた。佐川官兵衛である。
「今更、何を言うか。それは容保公のご意向か」
「いや、御老公にも未だに打ち明けてはおりません。あくまで私案です」
「ならば絶対に反対だ。それでは死んでいった多くの者が浮かばれぬ。ようやく、各方面から兵が集まり、迎撃態勢が整いつつある今、何故そのような弱腰になるのか」
「敵の兵力はこれから益々増大することは明らかです。傷がこれ以上広がらないためには最善の策と判断します」
「少しお待ち頂きたい」
平馬の答弁に水を差したのは、昨日付で家老に昇進した山川大蔵である。
「御老公と藩公が米沢にお移りになったからといって、敵が攻撃を止めるでしょうか。奴らは絶対に止めませんよ。我らは御老公の御無念を晴らし、會津の正義を世に知らしめるために、命を賭けているのではありませんか。命が惜しければ、最初からこのような戦を始めてはいません。薩長の悪業を糺せるのであれば、最後の一兵となっても戦う覚悟が必要と考えます」
梶原平馬が山川大蔵の固い決意と心意気に押し込まれ沈黙する中、口を開いたのは容保だった。
「予から皆に話がある」
その一声で皆が一切に容保の方向に身体を向けて、頭を垂れた。
「つい先ほど報せがあった。新選組の土方歳三から山口次郎に宛てた書状を見せて貰ったが、米沢はもう当てにならぬ」
「それはどういうことでございましょう」
梶原平馬が思わず訊ねた。
「米沢は近日中に薩長に降る。間違いない」
一同に動揺が走った。無理もない話だ。米沢は仙台と共に列藩同盟を立ち上げてくれた盟友でもある。
容保は更に続けた。
「土方が母成峠を離れ、援軍を求めて米沢に向かったところ、援軍どころか門前払いにあったそうだ。その後も大鳥圭介殿や我が弟の越前守(定敬)も、米沢に向かったが同じ運命であろう」
「畏れながら、それは米沢藩が土方殿をあまりよく思っていないから拒否した、とは考えられませんか」
平馬は未だ現実を受け入れられない。
「もしそうであるならば、そろそろ大鳥殿や越前守(定敬)から何らかの吉報が入ってもよさそうなもの。援軍どころか何の報せもないということは、米沢の変心が真実であることの証拠だとは思わぬか」
確かに容保の言う通りだった。良い報せをもたらそうとするならば、早馬であれば二日とは掛からない。土方の報せ、そして大鳥や桑名の定敬殿から何もないというのは、確実に米沢で異変が起きていることの証でもあった。
援軍も来ない。頼りとなる庄内や仙台も恐らく自藩のことで手一杯なのであろう。この時点で負けを認めることなどは、誰も受け入れるはずがない。孤立無援の中で戦い続けるのが残された唯一の途だった。
梶原平馬は決心した。もはや、會津士道を貫き通す他ない。
「ではあらためて、籠城戦について話し合いましょう」
何事もなかったかのように、平馬の目を見て大蔵が頷いてくれた。その眼の輝きが一瞬眩しく、羨ましくもあり妬ましくもあった。
(第四十六話『決戦長命寺』に続く)
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