第46話 決戦長命寺
平馬の予想は正しかった。
薩長軍は日々増援部隊を迎え入れ、兵力は今にも三万に達しようとしている。しかも、城の南東に位置する小田山を占領し、肥前佐賀藩のアームストロング砲を含む大砲九門で、天守閣への砲撃を加えるようになってきた。
一方の會津軍は、と言うと、山川が率いていた日光口部隊が入城した今でも、実質三千余という兵力でしかない。つまり、鶴ヶ城に籠り、およそ十倍の敵に立ち向かうという計算だった。
今や、若き軍事総督に押し上げられた山川大蔵だったが、あまりにも味方にとって不利な条件が整い過ぎている現状を、直ちに打破する必要に迫られていた。このままでは、やがて兵糧や弾薬が尽きてしまい、本当に全員が討ち死にせざるを得ない状況に陥ることは確実だった。
そこで、大蔵が試行錯誤の末に立案したのは、兵一千が夜明け前に討って出て、敵の寝込みを襲うという起死回生の作戦だった。その大きな賭けでもある作戦を任せるとすれば、百戦錬磨の佐川官兵衛しかいない。
しかしながら、大蔵にとって佐川官兵衛は、一回り以上も年上の三十八歳、むしろ父親に近い世代の存在でもある。
『果たして、年端もいかない自分が命じても良いのであろうか』
思い悩んだ挙句、相談した相手は梶原平馬だった。平馬とて十一歳年上の官兵衛は、苦手な部類の人間に変わりはない。
「ここは御老公に相談するに限る。御老公ならば良い方法を授けて下さるに違いない」
即断した平馬は、大蔵を連れて容保のもとに向かった。
「二人揃って何事かと思えば、左様なことであったか。そうか、今や我が藩の双璧とも言える二人だが、さすがに鬼の官兵衛は苦手とみえる。わかった、予に任せよ」
話を聴いた容保は、珍しく笑いながら応えてくれた。
八月二十七日、容保は佐川官兵衛に対し、大蔵が考えた作戦の詳細を打ち明け、その出撃総督を命じた。
出撃するのは、士中朱雀二番中隊・士中朱雀三番中隊・足軽組朱雀二番中隊・別撰組・進撃隊・歩兵隊・砲兵隊・正奇隊ら、錚々たる編成である。
むろん、佐川に異論があろうはずもない。
「謹んで、その御下命をお引き受け申し上げます。必ずや、ご期待に沿う戦果を披露してご覧に入れます」
作戦が困難を伴うことは百も承知だ。恐らく生きて戻ることはないと、誰もが決死の覚悟で臨む戦となろう。
佐川はその日のうちに、全隊長を集めて、出撃する全兵士に対し、法号と「慶応四年八月二十九日討死」を記した下着を身に着けて、出陣するよう通知した。
作戦決行の前夜、容保は佐川官兵衛以下の全隊長に対して、作戦の成功を期して酒を下賜した。佐川に対しては、手ずから政宗の佩刀を賜っている。
ここまでは、大蔵が思い描いた筋書き通りである。
しかしここからが拙かった。佐川は現代人でもありがちな過ちを、絶対にやってはいけない時と場面でやってしまっていた。
その晩、誰もが今生の別れと思い定め、涙を押し殺しながら痛飲した中、こともあろうに総督たる佐川自らが、予定時間を大幅に超えて寝過ごすという、大失態を演じてしまったのだ。
こうなると当初の作戦どころの話ではない。現代であれば、大いなる叱責を受けたうえで、仕切り直しで翌日あらためて決行となるところだ。この作戦の胆は、あくまで敵の寝込みを襲い、大混乱に陥れることなのだ。
しかし、残念ながらその時、佐川官兵衛を止める者はいなかった。佐川は刻限の遅れも気にすることなく、そのまま平然と喇叭を吹き鳴らしながら、西出丸から融通寺口方面へと軍を進めた。
この時の佐川の心境は知る由もないが、もう自暴自棄になっていたとしか考えられない。または、寝過ごしの失態を戦で挽回出来るという、過信があったのであろうか。
戦が始まったのは、八月二十九日の午前七時頃である。
融通寺口から郭外に出た佐川率いる會津軍は、近くに陣を張っていた備前・大垣・長州藩を急襲し、先ず、その前線陣地を確保し、更に敵が逃げ込んだ長命寺をも、三方面から突入して、これを占領した。
この無量寿山長命寺は、本願寺直轄の寺のひとつであり、当時、壕と土塀を三方に巡らしていた。その築地塀には、現在も浄土真宗最高の寺格を表す五條の白線が描かれている。北側は老木が
佐川はその長命寺に立て籠り、ここを拠点として戦線の拡大を図ろうとした。しかし、それも束の間のことであり、土佐藩の谷干城率いる精鋭部隊の援軍によって、戦況は逆転してしまう。
薩長軍から、長命寺内に間断なく撃ち込まれる榴散弾によって、佐川官兵衛の父親をはじめとして、多くの會津藩兵が落命してしまうのである。
このままでは全滅も免れないと判断して、佐川に対して、撤退を迫ったのは従軍していた藩士の平尾豊之助である。豊之助は容保と大蔵の意向を受けて、官兵衛が敗戦にも関わらず、撤退時期を見誤るような時は、諌止するよう密命を受けていた。
「佐川殿、ここは一旦撤退し、再起を図りましょう」
案の定、この一言で心が動く官兵衛ではない。
「いいや、このままでは御老公に対し奉り、申し訳が立たない。必ず勝ってご覧に入れると誓った以上、どの顔をして帰城しろと言うのだ」
「これ以上、戦っても犠牲が増えるばかり。ここは総督として冷静な判断が肝要ですぞ」
豊之助の必死の説得にも関わらず、官兵衛は応じようとする素振りすら見せない。
「ここを我が死に場所と決めている以上は、一歩も動くつもりはない」
頑として動かない官兵衛に対する手は、この手しかないと豊之助は、その場でどっかと腰を下ろし、脇差しを差し出した。
「そこまで言うのであれば、先ずこの脇差でそれがしを斬ってからにしてくだされ。昨晩、このようなことがあれば、何としてでも佐川殿をお止めだてするよう、との御老公より命を受けておる。それでもお聞き届け頂けないのであれば、是非もござらぬ。さあ」
平尾豊之助は脇差を差し出し、目を瞑った。
ここまで言われ、尚且つ御老公である容保の名前まで出されては、さすがの官兵衛も翻意せざるを得ない。
「分った。その脇差はお納めくだされ。ここは兵を退こう」
「おお、ご理解頂けたか」
安堵して目を開けた豊之助が、次に聞いた官兵衛の言葉は意外な内容だった。
「兵は退くが、儂は退かぬ。城に戻るつもりはない」
豊之助は官兵衛の言う意図が理解出来ない。
「それは如何なることか」
「城の補給路を確保するため、儂の一軍は融通寺口と川原町口方面に残り、このまま野営を続ける」
この言葉を聞いて、豊之助はようやく官兵衛の意図を理解した。
この敗戦はそもそも、佐川が寝過ごしたせいでの進発遅れが原因にある。自らの失態によって、分かっているだけでも多くの隊長を含む犠牲者を出してしまった以上は、大きな期待をかけて送り出してくれた容保に対し、会わせる顔などないのだ。
「分かりました。城に戻り次第、その通り御老公には報告申し上げましょう」
「宜しく頼み入る」
官兵衛は初めて、ここで頭を下げた。
この長命寺の戦いで亡くなった会津藩兵は実に百七十人に上る。中でも、田中蔵人・北原四郎・杉原丈左衛門・国府篤三郎・間瀬岩五郎・赤羽宇兵衛・高橋伴之助・内藤勇五郎・有賀勝助・鈴木丹下・小室金吾左衛門・庄田又助・井上八十郎といった伏見以来の隊長勇士級が次々と亡くなるという、まさに大惨敗だった。
(第四十七話『鶴ヶ城四面楚歌』に続く)
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