第48話 會津魂の終焉

「総督、御老公からの親書です」 

 佐川官兵衛が降伏決定の報せを受けたのは、九月二十一日のことである。

 長命寺の戦い以降、官兵衛らが郭外の融通寺口や川原町口の守備と、城の補給路を確保出来たのは、ほんの数日間のみで、後は薩長軍の猛攻に耐えかねて、郊外でのゲリラ戦を余儀なくされていた。

 この日も遠く日光口に近い田島に、在陣中のことだった。

 親書が届いたと聞いた瞬間に、来るべき時が来たか、と覚悟する気持ちと、憤怒の気持ちが混ざり合い、抑えようのない興奮が官兵衛の身体中を駆け巡った。

『いっそ、敵陣に斬り込んで死のうか』

 一瞬、浅はかな思いが脳裏を掠めたが、それは直ちに打ち消した。

『至らぬ自分を家老にまで引き上げてくれた御老公(容保)に、自分は何をやってきたのであろうか。別撰隊を率いながら伏見での負傷、長岡での敗走、長命寺決戦での失態と、むしろ迷惑をお掛けしてばかりだったではないか。何とかしてこの御恩に報いなければならぬ。そうだ、戦いの責任を追及される時が必ず来る。その時に、御老公の身代わりとなって腹を斬ればよい。それまでは、例え生き恥を晒すことになったとしても、何としても生き抜かなければならぬ』

 こう思い直した官兵衛は、残って着いてきてくれた隊士全員に、明日に迫った降伏を報せ、こうも伝えた。

「我が気持ちは皆と同じだ。今も怒りの気持ちを収めることは出来ない。しかし、短慮はならぬ。自刃も禁ずる。やがて、この悔しさを晴らす時が必ず来よう。生き残った自らの命を、どこかで役立てるのだ。それが殿と藩への恩返しだと思え。いいな」

 その官兵衛の言葉に、その場の隊士はひれ伏し、または天を仰いで、いつまでも泣き続けた。

 一方、鶴ケ城内ではどうしても降伏を受け入れられない藩士がいたのも事実であり、それらは皆、老壮の藩士だった。恐らく、彼らの頭の中は、降伏すなわち藩の滅亡であり、残念ながら絶望感しか見出すことが出来なかったのであろう。

 若い時は江戸の昌平黌に学び藩校教授でもあった秋山左衛門・五十七歳は、夜半の寝静まった城内の木陰で、胸に銃を当てて自裁した。

 また、庄田久右衛門・六十四歳と遠山豊三郎・五十六歳も、降伏への抗議から自刃して果てしまった。


 九月二十二日午前十時、遂にその時がやってきた。

「降参」の文字を大書した白旗が北追手門に掲げられた。その旗の後ろを梶原平馬・内藤介右衛門・秋月梯次郎らが麻の上下を身に着け、甲賀町通りに設営された降伏の式場に向かって歩いた。

 薩長軍が式場に姿を現したのは正午である。参謀の板垣退助を筆頭に、軍監である薩摩の中村半次郎、軍曹の山県狂介らを迎えたのは、白旗を手にした秋月梯次郎だった。

 その後をゆっくりと入場した二人、それが松平容保と喜徳の父子である。上下の礼服に小刀のみを帯び、大刀は袋に納めて後方の家臣に持たせている。

 決して卑屈な態度ではなく、その堂々とした立ち振る舞いは、最後まで戦い貫いた會津藩の主としての佇まいを、全うしようという姿そのものに違いなかった。

 その會津藩父子の姿を目にした途端、一人の男に異変が起きていた。「人斬り半次郎」の異名を持つ薩摩の中村半次郎が、人目も憚らずなんと大粒の涙を流しているのだ。

 半次郎は容保の京都守護職時代から、その筋が一本通った生き様と、孝明帝に対する忠義を目の当たりにしている。ましてや、少なくとも禁門の変までは、会津と薩摩の間柄は蜜月の関係であり、間違いなく盟友関係にあった。

 奇しくも、半次郎が師とも仰ぎ兄とも慕う西郷隆盛や、大久保利通、小松帯刀ら薩摩藩の重臣が幕府を見限ったことで、敵対関係となってしまったが、半次郎個人の本音は、最後まで会津藩に同情的だった。

 そのかつての盟友の主が、こうして降伏書を携えて、自分たちの前に屈している。数年前までは考えられない出来事であり、それを思うとあまりにも会津藩と容保が不憫でならず、涙せずにはいられなかったのだ。

 その降伏書の受取役が半次郎だった。

「確かに頂戴いたした」

 降伏書を載せた三方を捧げ持った半次郎は、他には聞こえない声で容保に囁いた。これが半次郎としての、敗軍の将に対する精一杯の礼節だった。

 半次郎は、城の明け渡し後も会津藩士に対して、礼を尽くし親身になって接してくれ、他藩の失礼な態度の者に対しては、斬り捨てるほどの勢いで激昂したという。


 降伏の儀式を終えた容保・喜徳父子は、再び鶴ヶ城へと戻った。道すがら、あらためて仰ぎ見る城の天守閣は、何百という砲弾を浴びせられながらも、その痛々しい姿形を留め会津若松の大地に晒している。

『まるで予の心の中を投影しているような姿ではないか』

 容保は自嘲するしかなかった。

 帰城後、真っ先に向かったのは、藩祖・保科正之以下、歴代藩主八人を祀る霊廟だった。

『ただいま、降伏の儀を執り行って参りました。しかしながら、ひたすらに家訓を守り抜き、徳川宗家と幕府の名誉のために、最後まで尽くして参ったことに、何ら恥じるところはございません。此度、君側の奸の企みにより、朝敵の汚名を蒙るに至りましたが、これまでの行いに、一片の悔いもございません。会津藩士の魂はこれからも脈々と受け継がれて参ります。唯一の悔いは、我らの代で藩を滅亡に追いやってしまったことでございます。かかる子孫の不忠を、どうかお許しください』

 容保は合掌して低頭しながら、心の中で、祖先の霊に向かい語りかけた。

『大儀であった』

 どなたであろうか。その時、容保の心の中に語りかけて来た方がいる。

土津公はにつこう

 思わず声に出していた。隣の喜徳が不思議そうに容保の方を見ているだけだ。

「済まぬ、気のせいだ」

 そう言ったが、容保には確信があった。間違いなく誰かが心の中に話しかけてくれたのだ。

 容保はあらためて、霊廟に向かって深く低頭した。

 その後、二人はこの戦で命を落として埋葬された空井戸と二の丸の梨畑墓地に、香華を手向け、更に大書院と小書院で手当てを受けている怪我人一人ひとりに、詫びと見舞いの声を掛けた。

 最後が家臣団との別れだ。

 容保が語る一言ひとことに、皆が天を仰ぎ嗚咽した。

 特に、敗戦の責任は全て自分にある、と思い詰めている梶原平馬は、その場に泣き崩れて、最後までその顔を上げることが出来なかった。容保に対して申し訳なく、自分の力不足が招いた今日が、悔しくてならなかったのだ。

 確かに平馬は、優れた外交官であり文官だったが、軍官としての力量は物足りないものがあった。間違いなく、敗戦の責任の一端が平馬にあることは、疑いようもない事実だ。

 ただ、西郷頼母を筆頭として、名門という家名の上に胡坐をかく口先ばかりの家老が多い中にあって、容保の意を汲んで孤軍奮闘した、少壮の傑物であったことには違いない。また、その後の生涯をかけて償った責任の取り方の潔さは、生き残った他の誰よりも見事というしかない。

 その後、容保・喜徳父子は滝沢村・妙国寺にひと月近く謹慎の後に、その身柄を東京と名を変えた江戸に送られ、容保は平馬らと伴に鳥取藩お預けとなった。

 江戸に護送される時の様子を、イギリス人医師のウイリアム・ウィルスが目にしたままを述べ、それをもって容保の民からの不人気を評する場合がある。

『家臣からの人望は厚く、皆が断腸の思いで見送るのとは対照的に、重税を課して恨みを買うことの多かった容保に対して、領民は冷淡な無関心を装い、振り返って見送ろうともしなかった』

 もちろん、この通り思っていた領民がいたことは否定できない。しかし、これは百五十年以上も経過した今日でも、脈々と流れる「慎み深い」東北人の気質を、全く理解出来ていない外国人の表面的な解釈でしかない。

 今や、天皇を頂き薩長を正義とする新政府が、容保父子を奸賊扱いしている以上、その「御上おかみ」に楯突くような態度を、敢えて自粛したことに他ならない。  何故なら、戦いが終結してひと月足らずの時点では、領民自身が「賊軍の民」として、卑屈になっていたことは疑いようもない事実なのだ。

 その証拠に、その後、領民たちはから「年貢半分」の布告を受けながらも、明治と改元されたその年の十月には、早くも薩長支配に反発し「ヤーヤー一揆」なる反乱を勃発させている。また、各町村惣代の名で、幾度も容保の「御赦免御帰城」の嘆願書を、会津民政局や江戸(東京)の太政官に提出しているのである。

 その嘆願書には「数百年の恩顧」「領民のために行ってきた政策や飢饉時の援助」「大勢の民衆の総意の嘆願」「悲しみに沈む民」「領民の安堵のため」などの言葉が並べられている。如何に容保や歴代藩主が、会津領民の精神的支柱だったかを、如実に表す証と言えよう。

 しかもこの嘆願は、斗南藩移封となった後も繰り返され、廃藩置県まで続いたというから、その想いが如何に深く真の願いであったかを物語る重要な証拠であろう。

 容保は、京都守護職という貧乏くじを引かされた挙句に、薩長の策謀により朝敵とされ、その汚名を雪ぐための戦を行う羽目になってしまった。その数年間、領民に掛けた負担は計り知れないものがある。

 しかし、領民はそれすら、藩の名誉であり、誇りを守るためならば仕方ない、これまでの恩顧に報いるのは今しかない、と耐え忍んだ者が多かったのだ。そのような健気な人たちが、数えきれない程多くいたことを我々は記憶にとどめておく必要がある。

 九月二十二日の降伏をもって、會津魂は終焉を迎えたが、それは会津領に生きる領民の魂の終焉ではなかった。領民はその後も、会津藩の民としての矜持を失わずに、廃墟となった街を再生し、粘り強く生き続けたであろうことを信じて止まない。


(第四十九話『首謀者』に続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る