第12話 禁門の変

 翌七月十九日、戦端の火蓋が切られたのは、伏見街道である。

 伏見長州藩邸から進軍した福原越後軍は、嵯峨天龍寺に陣取る国司信濃と来島又兵衛率いる軍と合流するため、北上していたところ、迎撃部隊の大垣藩兵と交戦になった。

 福原越後自身、味方兵を大いに鼓舞して進撃し、一旦は大垣兵を退けたが、更に進軍の途中、藤ノ森で銃弾を頬に浴びて貫通し負傷、早くも戦線を離脱することになってしまう。この主将の負傷で動揺した伏見隊はこの後総崩れとなり、国司信濃と来島又兵衛の隊と合流出来ぬまま、伏見への退却中に多くの兵が捕縛されてしまった。

 一方、国司信濃と来島又兵衛率いる天龍寺隊は、御所西側の禁門(蛤御門)近くで、待ち構えていた會津・桑名兵と遂に激突した。

 闘いは乱戦の様相を呈し、一進一退を繰り返したが、長州勢が更なる矛先として、軍勢を向けたのは、筑前藩兵が守る禁門の隣に位置する中立売門だった。

 そもそも、戦闘意欲に欠ける筑前藩兵と必死の長州藩兵とでは問題にならない。あっと言う間に中立売門を突破し、長州藩の御所内侵入を許してしまったから、慌てたのは會津勢である。

 中立売門を抜けると、はす向かいには宜秋門がある。その奥はすぐ帝の住まいとなっているから、もし宜秋門を突破されれば、強引に帝が動座させられるという危険にさらされてしまっていた。しかし、この危機的状況に援軍として駆けつけた、心強い一軍があった。それは、乾門を守備していた西郷吉之助が率いる薩摩兵である。

 薩摩兵は駆けつけるやいなや、殺到する長州勢に向けて銃撃隊が一斉に発砲したから、長州兵は堪らない。勢いが削がれたところに、西郷は間髪入れずに抜刀隊を突入させた。

「チェストー」

 皆が口々に叫んで切り込んでいく。薩摩示現流の掛け声で、何も考えるな、無心で当たれ、という意味である。

 たちまち、中立売門内は刀と刀が火花を散らす乱戦となった。そこに長州勢の背後からは迫ったのが會津と桑名の精鋭である。さすがの長州勢も挟撃に遭ってはどうすることも出来ない。劣勢は明らかだった。

 その時、西郷は銃撃隊の中から川路利良を呼び戻した。

「川路、あの指揮官が敵の遊撃隊総督・来島又兵衛に違いない。やつを倒せば、敵は一挙に総崩れとなる。狙えるか」

「やってみましょう」

 川路利良、後の明治新政府で初代の大警視(警視総監)となるその人は、狙撃の名手として名を馳せていた。

 川路は来島ひとりに照準を定め、引き鉄を弾く機会を狙った。

ひるむな。主上のお住まいは直ぐ目の前じゃ。我らの正義を示すのは今この時、全員突っ込め」

 「鬼の又兵衛」の異名を持つ来島又兵衛は馬上にある。得意の槍を振り回しながら、大音声で味方の兵を叱咤激励した、その時だった。

 一発の銃声と共に、来島の身体が崩れ落ちるのを、長州兵は目の当たりにしていた。

「総督」「総督」

 周囲の兵が来島に声を掛けながら、後方に抱え込んで周囲を固めた。息はある。しかし、銃弾は右胸を貫通していた。

「武七はいるか」

「ここにおります」

 甥の喜多村武七だった。

「無念じゃが、儂はもう駄目のようじゃ。介錯を頼む」

「叔父上」

 聞くが早いか、又兵衛は、倒れながらも手に握ったまま、落馬しても離さなかった槍で自らの喉を突いた。血飛沫ちしぶきが辺り一面に広がった。

「御免」

 武七は涙ながらに見事に介錯し、又兵衛の首を刎ね、首桶に納めた。

「退け、退けぇ」

 西郷の狙い通りだった。この来島又兵衛の死によって、動揺した長州勢は総崩れとなり、御所からの撤退を余儀なくされた。

 一方の天王山に後詰めとして家老・益田親施を残し、攻め上がって来た真木和泉・久坂玄瑞らは、禁門での戦に間に合わず、来島の戦死と撤退を知ることとなる。

 しかし、このまま引き下がることを肯じない真木和泉と、鷹司卿を通して最後の嘆願を図ろうとする久坂玄瑞の方向性が一致し、向かったのは鷹司邸に近い堺町御門だった。

 堺町御門を守備するのは越前藩兵と、禁裏御守衛総督たる一橋慶喜率いる御所守備軍である。

 これがなかなか精強であり、長州藩の猛攻にも関わらず、突破出来そうもない状態が続いていた。真木和泉は、鷹司邸の塀を越えて兵を侵入させ、邸内からの攻撃で何とか局面を打開しようとしたが、それも決定打とは程遠いものだった。

 こんな中で、久坂玄瑞は入江九一、寺島忠三郎を率いて、裏門から鷹司邸に入り、前の関白で尊攘派の輔煕に嘆願を要請した。しかし、屋敷内を踏み荒らされたうえに、勝手に戦場とされては、聞く耳を持つはずがない。

「久坂、どうなっているのだ。勝手に麿の屋敷に踏み込み、まるで前線基地のように扱うなど、決して許されることではありませぬぞ。ただでさえ、麿は長州派とみられているのに、屋敷から御所に向かって攻撃するなど、御上(帝)に対して申し開きの仕様もないではないか」

 これでは嘆願どころの話ではない。

「申し訳ございません。我らの本意は畏れ多くも主上に対し奉り、刃を向けようなどという、大それた意図はございません。ただ我が藩主の無実を晴らさんがため、訴えをお聞き届け頂きたい、この一点のみでございます」

「それは当たり前のこと。しかし、事実こうして御所に対し奉り、攻撃しているではないか」

「このお詫びはいずれ必ず藩が責任をもって行う所存。今は何卒ご容赦の程、お願い申し上げ奉ります」

「ここまで土足で踏み込まれ、屋敷内を荒らされてしまっては、容赦も何もあったものではないわ」

「本日、こうして罷り越したのは、鷹司卿にたってのお願いがあってのことでございます」

「なんと、ここまで好き放題にやって、まだ願いと申すか。長州のお歴々は余程の厚顔揃いとみえる」

「鷹司卿、どうか我ら三人と共に参内し、無実嘆願をお願いしたいのです。何卒、何卒」

 玄瑞以下三人は床に額を擦りつけるように、平伏して願った。

「思い返せば、攘夷実行するというので、長州藩に肩入れしたのが間違いだったようですね。おかげで関白の職も免じられた挙句、今日のこの始末。よくぞそのような願いを口に出来たものと、呆れてこれ以上言う気がなくなりました。そもそも、長州嫌いの御上が、左様な嘆願を受け入れるはずがありません。それに、去年の八月以前は、あれだけ偽勅を発して、好き放題にやっていたのですから、無実なわけがないではありませんか」

 その時である。轟音とともに砲弾が屋敷内に落下し破裂したのだ。この着弾によって忽ちのうちに屋敷内は火の海となり、鷹司卿は驚きと恐怖のあまりに、久坂らを置き去りに逃げ去ってしまっていた。

 この砲撃は越前藩が禁門での戦いを終えた會津藩から借用した大砲によるものである。

 屋敷内に燃え広がる炎を目前に久坂らは、これで完全に打つ手がなくなった、と観念するしかなかった。

「もはやこれまでか。嘆願能わずとなれば、もう途はない。俺はここで腹を切るしかないが、九一、お前には頼みがある」

 玄瑞は入江九一に託し事をしようとしたが、むろん九一は納得しない。

「いや、儂も共に腹を切る。託し事があるなら、お主こそ生き延びて自分でやればよい」

「かかる仕儀に至ったのは、我が力の及ばぬため。この責を負わずして何とする。事後はお主に託したいのだ」

 久坂は入江九一の脱出にこだわった。久坂の後を継いで大事を成し遂げることが出来るとすれば、萩に残る高杉晋作と入江しかいない、と考えたからだ。

「ならば、忠三郎に頼め。一番年下の忠三郎が適任だ」

 入江は依然として首を縦に振ろうとしない。

久坂も本音では寺島忠三郎も逃してやりたかったが、二人での脱出は目立って難しいと思った。

「駄目だ。これは世子様(定広)への言伝故に、お主に任せる他ない。頼む、こうしている間にも、いつ敵が押し寄せて来るか知れぬ」

 ここまで玄瑞に言われては九一も、渋々納得する他ない。

「では、何を伝えればよい」

「世子様は讃岐から海路播磨に渡った後に山陽道を上り、京に向かうことになっているが、決して上洛してはならぬと伝えてくれ。必ず山口に引き返すよう説得するのだ。いつか、再起を期す時は必ず巡ってくる。それまで、どうか耐え忍んで頂きたい、と」

「わかった」

 九一は玄瑞の真意を理解した。確かに世子様に会うことは忠三郎でも出来るが、説得して上洛を阻止出来るとすれば、玄瑞の他には九一しかいないからだ。

「一足先に松陰先生のところに参る。さらばだ」

 九一が裏口から出ていくのを目で追った玄瑞は、小刀を抜き合い、忠三郎と向かい合った。

「今となっては、松下村塾で学び、議論したことが無性に懐かしく思える。忠三郎、悔いはないか」

「あるわけがなかろう。短い人生だったが、精一杯生き抜いた。ともに参ろう」

 二人は同時に刀を左胸に当て、うなずきざまに刺し違えた。久坂玄瑞二十五歳、寺島忠三郎二十二歳の若さだった。

 一方、鷹司邸を出た入江九一にも、悲劇が訪れていた。炎上する鷹司邸を脱出したところを、越前藩の兵らに見つけられ、抜刀したところを長槍が襲った。槍がとらえた箇所は九一の顔面だった。即死だった。

 こうして、禁門及び堺町御門での戦いに敗れた長州勢は、藩邸に自ら火を放ち逃走を図った。この火事による延焼に加えて、中立売御門付近の家屋に潜んでいた長州兵に、會津藩が砲撃を加えたことによって、それが引火してしまう。折からの風に煽られて、この二箇所からの火は瞬く間に広まった。結局、京の街は足掛け三日間の大火に見舞われることになってしまった。

 この大火中に、予期せぬ悲劇が起こっていた。火の手が六角獄舎にも迫るなかにあって、京都町奉行の滝川具挙たきがわともたかが取った行動は、未だ裁きの決まらぬ取り調べ中の過激派浪士ら三十三人全員の処刑だった。彼らを解き放つことで、もし脱走されるようなことになれば、責めを負うのは自分であり、責任を回避するには、この方法しかないと思った滝川具挙の浅はかさだった。

 後日、この不始末を知った容保は、滝川を厳しく叱責した。如何なる理由があろうとも法に則らない処断は、絶対にあってはならないことであった。

 一番の問題は三十三人の中に、前月の池田屋事件で捕縛された浪士も数多く含まれていたことである。この事実が後日白日の下に晒されると、会津藩と新選組が指示したものと、勝手に曲解され、更に余計な恨みを買うことにも繋がってしまっていた。

 さて、禁門で敗れた家老・国司信濃は、兵をまとめて大坂・播磨へと逃れている。また、天王山に後詰めとして残っていた家老・益田親施も相次ぐ敗戦を知ると、直ちに陣払いして向かった先は、山陽道を上るはずの世子・定広のもとだった。

 残されたのは合流に失敗した真木和泉・宮部春蔵ら天王山隊である。既に、久坂・入江・寺島は、もうこの世にいない。天王山に引き返した真木は、益田らの後詰めも陣払いしたことを知ると、直ちに隊を解散した。

 益田の後詰隊が残っていれば、この山を味方にしたうえで、もう一戦挑もうとした気持ちがあったが、それも叶わぬことになった以上は、無駄な犠牲を払いたくなかった。

 この時、真木和泉自身は死を覚悟している。この敗戦は自らが招いたものである以上は、生き恥を晒すつもりはなかった。残ったのは、供に死ぬことを決めた宮部春蔵ら二十名足らずの者のみである。

 土方歳三率いる新選組と、神保内蔵助が率いる會津藩兵が、天王山に攻め上がって来たのは翌々日の二十一日であった。前日には、大和郡山藩から降服勧告を受けたが、真木はそれを無視して相手にしなかった。

 大和郡山藩からの報せで、既に隊は解散し、寡兵となっていることは知っているが、それでも土方は慎重だった。小屋の中で何かを企んでいるに違いないと踏み、敵を侮るのは危険だと判断していた。土方の指揮で新選組と會津藩兵が、真木らが籠っている小屋を取り囲み、徐々に攻囲を縮め近づいていく。

 しかし、やはり何かおかしい。土方は違和感を覚え、一旦全員を止めた。

「弓隊に命じて、小屋に射かけてください」

 土方は藩家老の神保内蔵助にお願いした。直ちに三十人ほどが前に出て、小屋に向けて一斉に矢を放つ。小屋の至る所に矢が刺さり、針鼠のようになっているが、静まり返った小屋の中からは一切反応がない。

 更に攻囲を縮めようと合図をしたその時だった。土方の鼻が火薬の匂いを嗅ぎつけていた。

「危ない、全員伏せろ」

 土方の咄嗟の判断だった。大声で叫んだその時、突然、爆音とともに小屋丸ごと吹っ飛び、炎が高く舞い上がった。

 残っていた火薬を掻き集めての自爆だった。もし、安易に攻囲を縮め小屋に近づいていたら、味方にも相当の犠牲が出たであろう。

 多少、火の粉を被り軽い火傷をした者が数人いたが、會津藩兵と新選組隊員全員の無事が確認された。

 こうして、禁門の変と言われる長州藩の暴挙は、全て失敗に終わった。

 長州藩家老の益田親施は、長州に逃れる途中、未だ讃岐の多度津に留まっていた世子・毛利定広軍と合流し、全軍で山口に引き返した。久坂玄瑞からの口伝が、入江九一を通して、世子の定広に届くことはなかったが、その目的は益田親施によって果たすことが出来ていた。


(第十三話『転落の兆し』に続く)

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