第7話:モフモフと悪夢

 ムー太は夢を見ていた。


 視界に映る全てのモノには色がない。モノクロの視界の先には、見慣れぬ室内が広がっていた。


 窓から差し込む月明かりだけが、部屋を薄く照らし出す。


 時刻は夜のようだ。


 ふかふかの絨毯の上に、ムー太は立っている。けれど、自分の意思で体を動かすことができない。夢の中のムー太は、窓の外のお月様をぼーっと眺めているだけだ。


 室内には、煌びやかな調度品の数々が並んでいる。その細工たるや職人芸の賜物で、繊細なタッチで描かれた装飾は、白黒の世界にあっても輝きが見てとれる。広い部屋の奥には巨大なベッドが置かれていて、人影が横になり寝息を立てていた。


 室内の様子からは、特権階級の館であることが窺える。貴族以上の住まいなのは間違いない。人影は、館の主だろうか。


 そんな中、夢の中のムー太が動きを見せた。悲しそうな顔で振り返り、扉に目を向ける。


 見慣れぬ室内のはずなのに、その扉が決して開かないことをムー太は知っていた。自分は閉じ込められていて、ここからは決して出られない。


 室内は快適で不自由はしないけれど、外に出る自由はない。豪華な部屋であるものの、巨大な牢屋に等しい無慈悲な空間なのだと知っていた。


 どうやら、夢の中のムー太とリンクしているようだ。もう一人の自分が持っている知識、現在進行形の思考、感情の起伏までもが鮮明に伝わってくる。


「むきゅう……」


 夢の中のムー太は弱々しく鳴くと、跳ねながら移動して大きな窓の前までやってきた。窓の外にはバルコニーが広がっていて、その先は闇に塗り潰されている。


 二本の触角がピクピクと何かに反応した。


 この先に進まなければならない――使命感のようなものが湧き上がり、焦燥だけが募る。


 脱出できるとすれば、この窓ぐらいだろう。分厚い壁は論外だし、固く閉ざされたドアを破ることも不可能だ。


 夢の中のムー太は、ボンボンを叩き合せて気合を入れると、窓に向かって体当たりを敢行した。


 ポヨンと跳ね返る。


 手応えはない。魔法による防御膜が張られているようで、窓へのダメージはもちろん、衝撃さえも伝わっていないようだ。


 夢の中のムー太は、ボンボンで額をなでなでしてから、諦めずに体当たりを続けた。


 何度も、何度も、何度もぶつかる。


 何度も、何度も、何度も跳ね返される。


 数え切れないほどの体当たりを実行すれば、いくら衝撃に強いムー太といえど、額はだんだんと痛くなってくる。


 けれど、夢の中のムー太は諦めない。


 何度も、何度も、何度もぶつかる。


 何度も、何度も、何度も跳ね返される。


 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も――




 ◇◇◇◇◇


「むきゅう」と悲鳴を上げて、ムー太は覚醒した。


 勢いよく跳ね起きて、勢い余ってコロコロと転がる。


 冷や汗を掻いており、体が少しだけ湿っている。恐る恐る、額をボンボンで触ってみる。痛みは無かった。


「大丈夫? 怖い夢でも見た?」


 声の主を見上げ、ムー太は途端に安堵した。力いっぱい跳躍して、温かい胸の中に飛び込むと、ぐりぐりと顔を擦り付ける。


「むきゅううううう」


「ちょっと、ムー太。くすぐったいよ……」


 目の前には、七海の困ったような笑みがある。


 そのまま天井を見上げれば、ここがテントの中だとすぐわかる。しなやかに弧を描く木製の骨格、その上を覆うように張られた厚手の布。夢の中に出てきた豪華な部屋とは、似ても似つかない程に質素な造りである。


 眠っていたのは短い時間だった。しかし、ムー太の体感では、何時間という単位で体当たりを続けていたように思う。未だに夢の中にいる感覚が残っており、額が痛むような気さえする。


 よしよしと慰めるように撫でられて、ムー太が落ち着きを取り戻した頃。入り口の布を左右に開き、アヴァンが帰ってきた。その姿を認めた途端、額の黒線を歪ませてムー太の表情が強張った。


 なぜ、悪夢を見たのか? 思い当たる節がムー太にはあった。目の前にいる金髪の青年が、七海に話して聞かせた話――マフマフが貴族の令嬢に捕まって、ストレスで死んでしまったという話――のイメージが、夢になって現れたに違いない。


 起きたばかりのぼんやりとする頭でそのように考えたムー太は、条件反射でぷくっと頬を膨らませて威嚇するように鳴いた。


「むきゅうううううっ」


 シュッシュとボンボンを素早く振りぬき、ファイティングポーズを取ってみる。やる気満々の姿勢ではあるけれど、その姿は傍目から見て、怒っているようには見えない。むしろその逆、構ってもらいたくてボンボンを振っているように見える。


 案の定、アヴァンは首を傾げて、


「……ナナミが遊んでくれないのか?」


「むきゅうううっ!」


 抗議するように強く鳴いてみたけれど、アヴァンは首を捻るばかりだ。言葉の壁は思いのほか厚いのである。


「それが怖い夢を見たみたいなの」


「むきゅう!」


 代弁に感謝し、ムー太は満足顔で頷く。


 が、しかし。


「そうか、マフマフも夢を見るんだな」


 見当違いの返事が返ってきて、ムー太はより一層頬をぷくっと膨らませる。それに気づいた七海は「かわいい」と笑いながら、膨らんだ頬をプニプニと触ってくる。


 それはムー太にとって不本意だったけれど、寝起きの頭がはっきりするにつれて、どうして怒っているのだろうという気分になったので、まぁいいかと忘れることにした。


 自分が恨まれていたとも赦されたとも知らず、アヴァンは奥に置いてある荷物をゴソゴソと漁り始める。鞄の深部に眠っていた地図を引っ張り出して、ムー太の前まで来ると床に広げた。


 その上に方位磁石を置いて、


「マフマフが指し示す方角を、改めて確認したい。より正確な方角を知っておくべきだろう」


 七海は頷き、ムー太を床に降ろす。頭をぐりぐりと撫でながら、


「ムー太、どっちに行きたいか教えてくれる?」


 胸を叩くようにボンボンで体をぽふっと叩き、ムー太は任せてくれと言わんばかりに鳴いた。さっそく触角を使って方角の確認に移る。


 が、ムー太は体をコテッと傾けた。


「むきゅう?」


 頭にビビッと来る感覚が、以前より弱い気がしたのだ。ムー太は頭を捻ったけれど、何度試しても結果は同じ。すっきりしない気持ちだったけれど、自分の勘を信じて、ある一点を指し示す。


 アヴァンは方位磁石とムー太が指した方角を見比べて、地図に視線を落とした。指先を地図に乗せて、つーっと右の方へとスライドさせる。


「ほぼ真東だな。ここから東に行くと、俺たちが拠点にしているルカスという街がある。その先には小さな村しかないから、ルカスで長旅の用意を整えた方がいい」


 七海は困ったように眉を寄せて、苦笑混じりのため息をついた。同じように地図をつーっとなぞりながら、ルカスを迂回するルートを作ってみせる。


「ムー太を連れて街に入れないから。このルートで行くよ」


 自分のせいで迂回するらしい。申し訳ない気持ちになって七海を見上げたけれど、気にしている素振りはなく普段通りの微笑を浮かべている。

 彼女はムー太を膝の上へと置いて「偉い偉い」と言いながら、乾いてフカフカになった白毛を撫でてくれた。


 自分専用の特等席に腰を下ろし、その寵愛を受ける。


 当たり前のように受け入れてくれる七海の気持ちが嬉しくて、ムー太はボンボンを使ってぽふぽふと撫で返した。


 そんな仲睦まじい二人を眺めながら、アヴァンは柔らかく微笑むと頭を振った。


「いや、ルカスには入れるから心配しなくていい」


「どういうこと? 君が入れないって言ったんだよ」


「むきゅう?」


 ムー太は七海に同意するように疑問系で鳴いてみた。実際、アヴァンの話では、冒険者以外は魔物を連れて街に入れないとのことだった。だから、二人が疑問に思うのは当然なのだ。


 アヴァンは誇らしげに自身を親指で指した。青い眼が悪戯っぽく笑っている。


「俺が一緒に着いていくからな。冒険者なら魔物を連れて入れるって言ったろ? 厳密にいえばもう少し条件があるが、俺なら問題ない」


「……気持ちはありがたいけど、そこまで迷惑かけれないよ」


「迷惑なんかじゃない。元々、街に戻る予定だったんだ。それが少し早まるだけさ」


 暖炉で赤々と燃える炭が、カランと音を立てて崩れた。小さな火の粉が舞い、そして消えていく。暖かい室内が、少しだけその色を失い、寒くなったような気がした。


 七海は俯き加減で、ムー太のボンボンを指先でつつきながら、


「あの二人はどうするの。アヴァンは信用してもいいけど、あの二人は無理だよ。だから、私は一人がいい」


 アヴァンは「ああ」と頷き、


「あの二人はギルドの仲間だが、パーティを組んでる訳じゃない。あの二人も俺と同様、ギルドの手伝いに来たに過ぎないんだ。だから、同行するのは俺一人だよ」


「でも、あの霧で遭難したかもしれない。アヴァンは二人を放っておけるの?」


 七海は顔を上げ、問うような視線をアヴァンへ投げた。それを真っ向から受け止めて、しかし、彼は静かに首を横に振った。


「ナナミは勘違いしているな。君に容易く敗れたとはいえ、あの二人は一流の冒険者だ。この程度の霧で参るほど、軟弱じゃあない」


「でも、あの霧は何かが――」


 言いかけた言葉を遮るように、アヴァンの声が被さる。


「ナナミが二人を心配して、足を止める義理はないだろ?」


「そうだけど……」


「さあ、行こう。あの二人が戻ってきたら、ルカス行きを反対されそうなんだよ」


 アヴァンの声には焦りの色がある。

 それを好意的に解釈したのか、七海が微笑んだ。


「アヴァンは二人を信用してるんだね」


「ああ、そうだ。生き残るという点だけで見れば、ナナミより余っ程しぶといだろうよ」


「私も相当に執念深くて、しぶといんだけどな。ま、それは置いておくとして――アヴァンの申し出は正直、ありがたい話だよ。でも、お礼をするほどお金もないし……」


 七海は遠慮がちに目を伏せる。それを見たアヴァンは破顔して、


「遠慮するなよ、金も必要ない」


「なんで親切にしてくれるの? 借りとか言ってたけど、ここを通れるだけで十分だよ」


「俺が手伝いたいからさ。ナナミのことをもう少し知りたいんだ」


「なにそれ……普通なら裏があるって疑うところだよ、それ」


 上目遣いに睨まれ、アヴァンの視線が宙に浮く。


「いや、決してやましい気持ちがある訳じゃないからな」


 視線を合わせようとしないアヴァンを、彼女はジト目で見る。


「何だかちょっと怪しいんですけど……」


「そ、そんな事はないぞ!」と、なぜか慌てるアヴァン。


 七海は疑念に満ちた瞳で凝視していたが、やがて観念したかのようにため息をついた。


「でも、信用するって決めたしね。アヴァンの提案を断る理由はない、かな?」


「わかってくれたか」


「でも、エッチなことしたら承知しないからね」


「ちょっと待て、ナナミは俺のことをそんな目で……」


 耳まで赤くなったアヴァンを置いて、七海はリュックサックを背負うと足早に入り口へと向かう。垂れ幕を持ち上げると、外気が入ってきて室内の暖気だんきさらっていく。


「ほら、行くよ」


 逆行で七海の姿が影となり、眩しさにアヴァンは目を細める。慌てて、自らの鞄を肩に掛け、転げそうになりながら後を追う。


「いつの間に主導権が逆転したんだ……」


 口を衝いた愚痴は、誰の耳にも届くことなく寒気かんきに流されて消えた。

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