ムー太のお留守番(後編)

 目が覚める。

 時計は十三時二十分を指していた。

 少し肌寒い。


 ムー太はぶるっと身震いし、斜めに転がっていた体を起こした。

 ボンボンで目元を擦り、リビングを見回す。


 代わり映えのしない室内は静まり返っていた。いつもはおしゃべりなテレビ画面も、今はその口を閉じて沈黙している。無機質な黒塗りのディスプレイが、いやに余所余所しく感じた。


 まだ、七海は帰ってきていないようだ。


 広い部屋にぽつんと一人。ムー太は少し寂しくなった。


「むきゅう……」


 この時間、テレビをつけても面白い番組はやっていない。

 ムー太は七海の部屋へ戻ることにした。


 彼女の部屋はそれほど広くない。その大部分をベッドとこたつが占拠しているから狭く感じるのかもしれない。「寒い時期はやっぱりこたつよね」と彼女は言っていた。有用なスペースが潰れたとしても置くだけの価値があるということらしい。

 こたつとは、テーブルと布団が合体し、見事に融合を果たした画期的な家具である、とムー太は思っている。テーブルの隙間から下ろされた布団を持ち上げると、中は空洞になっていてポカポカと暖かい。この中でお昼寝することもある。


 布団部分をサンドするようにして置かれたテーブルの上は、整然としていて余計なものが置かれていない。あるのは薄型液晶のディスプレイとキーボード、それからマウスぐらいのものだ。パソコンと呼ばれる本体部分の箱は「圧迫感があって邪魔」という理由で、こたつ脇の床に併設されている。


「むきゅう!」


 勇ましく鳴いたムー太は、余計な物が置かれていない平面テーブルの上へジャンプ。赤いマウスにボンボンをぽふっと当てて、持ち上げるのではなく押すようにして動かす。すると、省エネモードで消えていたパソコン画面に明かりが灯った。

 期待通りの反応にムー太は満足。ボンボンをマウスに添えて、拙い動きながらもマウスカーソルを操っていく。そうしてデスクトップの中から稲穂のアイコンを選択。こっそり魔法を使ってダブルクリックすると、画面いっぱいに稲穂の映像が表示された。オープニングムービーが始まる。


 これは農場を経営するオンラインゲームで、世界中の人たちと繋がっているのだと七海は言っていた。

 最初は小さな家庭菜園レベルの畑からスタートし、作物を売ることでお金を稼ぎ、どんどん畑を拡張していくことが基本戦略のゲームである。


 二ヶ月ほど前、七海がパソコンでゲームを始めた。それを興味深そうにムー太が眺めていると、「ムー太もやってみる?」と声を掛けられた。もちろん、首を縦に振った。操作方法を教わりながら、少しずつゲームのルールを覚えていった。今では一人でも遊ぶことができる。


 キャラクター名はムー太。七海が入力し、登録してくれた。

 外見は農夫の格好をした二本の足で歩くウサギである。人間のキャラクターもあるにはあるのだが、これが一番ムー太に近いという理由で七海が選んだ。同じチャームポイントを持つ白毛仲間として、ムー太も気に入っている。


 小さかった農園は、二ヶ月という時を掛けて少しずつ、本当に少しずつ大きくなっていった。そしてその歩みは、カタツムリのようにゆっくりとしたものだった。なぜなら、ムー太はマウスを上手に扱うことができないからだ。側面にボンボンを当てて押すようにして動かすので、人間のように素早い操作ができない。

 加えて、楕円のマウスを斜めに動かそうとすると、ボンボンを押し当てる接地面積が狭いことから、力が上手く伝わらず、マウスが回転してしまい操作が安定しない。そんなわけで、斜めに動かしたい場合であっても、基本的には横、縦という具合に動かす必要がある。


 けれども、ムー太はそんなことは苦にもせず、コツコツとマイペースにゲームを進めてきた。その結果として、トマト、キャベツ、じゃがいも、人参と四種類の畑を持てるまでになった。

 その規模はまだ大きいとは言えないし、一般的なプレイヤーの平均レベルにも届いていないだろう。だけれど、ムー太は現状に満足している。自らが行ったアクションによって、農園が成長していく。その過程がとても楽しいのだ。


 いつものようにゲームへログインしたムー太は、せっせと収穫作業に移る。

 しばらくの間、無我の境地でじゃがいもを掘っていると、画面右上にピコンとビックリマークが表示された。これは、他のプレイヤーの来訪を意味する。


 このゲーム【Plant Farm Online 通称:PFO】は、同じ会社が運営するMMORPG【Magical Kingdom Online 通称:MKO】と提携しており、収穫した作物を狩りゲーム主体のMKOプレイヤーに売却することができる。その方法は二つあって、一つはマーケットに委託手数料を支払って物品を登録し、店頭に並べてもらって不特定多数のプレイヤーに売却する方法。そしてもう一つは、プレイヤー同士が話し合い値段を決めて、直売する方法だ。


 その直売会場となるのは、農作物を収穫しているPFOプレイヤーの本拠地ホームである。この本拠地はプレイヤーごとに固有の空間が割り振られていて、その中には宿舎となる小屋(増築が可能)と所有する畑(拡張が可能)が含まれている。

 然るに、PFOプレイヤーの本拠地にMKOプレイヤーが訪ねてくることは珍しいことではない。ムー太の本拠地にも、何人かのお客さんが来たことがある。今度もまた、そうだろう。


 てってって、とウサギのキャラクターを走らせて入り口へと向かわせる。そこには、着物姿の可愛らしい女の子のキャラクターが立っていた。背中からは天使の羽が生えていて、和と洋をごちゃ混ぜにしたみたいな格好だ。


 椿姫:こんにちわ

 椿姫:素敵な農園ですね


 チャット欄に文字が打ち込まれた。

 女の子のキャラクターは椿姫という名前らしい。


 ムー太は文字を読むことができないけれど、なぜだか不思議とその意味を理解することができる。モニターの前のムー太の顔が、にこりと笑顔になる。


 さて、当然だけれどもムー太は文字を打つことができない。一見して、意思疎通はできないように思える。しかし、PFOにはエモーションというキャラクターの感情を表す機能が備わっている。このエモーション機能を使うと、自キャラクターの上に様々な絵文字を表示することができ、それを見た人に、笑っているとか怒っているなどの情報を発信することができるのである。

 そして、絵文字はショートカットとしてF1~F12キーに割り当てが可能。従って、ムー太は専用のキーボード制御棒(割り箸)を使って、予め登録しておいた絵文字のキーを押すことでコミュニケーションを図ることができるのだ。

 元より、言葉を話せないムー太は、己の仕草だけで七海とコミュニケーションを取ってきた。その実績から見ても、エモーションを使った会話は有効である。

 現に、


「むきゅう」


 嬉しそうに鳴いたムー太は、F1キーを押下。【ニコニコ】と笑っている絵文字が表示される。すると、椿姫のほうも【ニコニコ】エモーションを返してくれた。


 椿姫:こちらではどんな野菜を栽培してますか?


 との問いに、ムー太はインベントリからアイテムを取り出して、床に並べる。F6キーを押下して、【指差し】エモーションを発動。からの【ニコニコ】エモーションで場を繋ぐ。


 椿姫:チャットが苦手なのかな?

 椿姫:えーと、トマトにキャベツ……それからじゃがいも

 椿姫:って、これは高麗人参!?


 何か驚いているようだけれど、ムー太にはよくわからない。F3キーを押して【疑問符】エモーションを発動させる。ウサギの頭の上に、はてなマークが浮かぶ。


 椿姫:高麗人参を知らないってことかな?


 すかさず、F2キーを押して【頷く】エモーションを発動。


 椿姫:高麗人参はそのまま食べればステータスが大幅にアップするんです

 椿姫:エリクサーの材料にも使えるレアアイテムなんですよ

 椿姫:高麗人参の畑を持ってる人は初めて見たかも


 珍しいということなのだろうか。ムー太にはよくわからない。確かこの畑は、毎日ログインすると貰えるチケットを貯めて、七海に促されるままにくじ引きをして手に入れたはずだ。背景がピカピカと光っていて綺麗だったのを覚えている。

 返答に困った時は、とりあえず【ニコニコ】エモーションを返す。


 椿姫:高麗人参は直売していますか?


 との問いには【頷く】エモーションで対応。


 椿姫:おいくらですか?

 椿姫:希少な品なので少しぐらいなら多めに出せます


 相場というものをムー太は知らない。なので、いつもは原価に少しだけ上乗せした金額を設定している。上乗せが少ない方が、お客さんが喜んでくれてムー太も嬉しいからである。だから、今回も同じようにして金額を提示した。


 椿姫:え?

 椿姫:180Gって間違いですよね?


 間違ってはいない。原価が150Gで少しだけ上乗せするから180Gなのだ。高いということなのだろうか? ムー太は更に値段を下げることにした。しかし、


 椿姫:170Gって、下がってるぅ!!?


 なんだか不満そうである。笑顔を見たいムー太はさらに値段を下げる。


 椿姫:って、言ってるそばから160Gにっ

 椿姫:な、ななななんでー!?


 これ以上、値を下げてしまったら原価割れしてしまう。敏腕経営者であるムー太もこれにはお手上げだ。赤字覚悟の出血大サービスを要求されているのだろうか。苦渋の決断を下す一歩前に、椿姫が次のチャットを打ち込んだ。


 椿姫:さっきも言いましたけど、高麗人参はレアアイテムなんです

 椿姫:だからこの値段じゃ安すぎます

 椿姫:高麗人参の産出量は少ないはずだから、この値段じゃ利が出ませんよ

 椿姫:わたしは嬉しいですけど、タダ同然ではさすがに……


 どうやら価格設定が低すぎるということらしい。

 経営者として一つ賢くなったムー太は、ありがとうの印にF4キーを押して【お礼】エモーションを出した。そして再設定した価格を提示する。


 椿姫:200G……

 椿姫:いえ、なんというか……根本的に桁が一つ違います


 ムー太は困ってしまった。どのぐらいの価格を付けたら良いのか皆目見当がつかない。安くするのは簡単だけれど、高くするのは難しい。今までのお客さんはみんなこの値段で満足していたというのに。

 ひとまず、F5キーを押して【驚き】を表現した後、F7キーを押して【困惑】を訴えてみることにした。すると、


 椿姫:では、このぐらいでどうでしょうか?

 椿姫:安くしてもらえるという意を汲んだ上で

 椿姫:相場から乖離しない値を設定してみました


 画面には5000Gと表示されていた。

 ムー太は驚いて現実リアルの方で飛び上がる。


 これは人参一本辺りの値段だから、一度に収穫できる十本を全部売れば50000Gになる計算だ。こんな大金は見たこともない。ムー太が飛び上がるのも無理からぬことである。ゲームの中でも【驚き】エモーションを出して、ウサギをびっくりさせておく。


 椿姫:問題なければ取引ボタンをお願いします


 無事、取引が終わる。

 ムー太の懐は温まってホクホクだ。

 F4キーを押して【お礼】エモーションを出す。

 次いで【ニコニコ】エモーションを連打して喜びを表現。

 椿姫のほうも同じように【ニコニコ】エモーションを返してくれる。お客さんが喜んでくれるこの瞬間が、このゲームで一番楽しい。

 現実リアルのムー太もニコニコ笑顔だ。


 椿姫:取引ありがとうございました

 椿姫:また機会がありましたら、お願いしますね

 椿姫:ではでは


 椿姫が【さよなら】エモーションを出してきたので、慌ててムー太もF9キーを押して【さよなら】エモーションを返す。画面上では、着物を着た天使のキャラクターと可愛らしいウサギのキャラクターが、互いにバイバイと手を振っている。


 椿姫がログアウトしたのを確認し、ムー太は一息ついて画面から目を離した。一仕事終えた気分のムー太は、ボンボンで額を拭う。ふと、喉が渇いていることに気がつく。お昼にカップ麺を食べて、塩分を多めに摂取したせいかもしれない。


 水分補給は重要だ。

 体を軽く後ろに倒してムー太は視線を上げる。

 パソコンの本体である長方形の箱。その上にもう一つ、長方形の箱が置いてある。七海はこれを「USB冷蔵庫」と呼んでいた。大きさは500mlのペットボトルがぴたりと収まるぐらい。何より驚くべきは、内部に収納した飲み物が冷やされて出てくるという点にある。まるで魔法のようだけれど、魔法ではないのだと七海は言っていた。


 そしてこの中には、毎日違う味のジュースが入っている。日替わりで色々なジュースを楽しめるのは、冷蔵庫の力ではない。良い子でお留守番をするムー太のために、七海が毎日入れ替えてくれているのだ。


 今日は何かなーと思いながら、小さな扉を開ける。


 入っていたのはオレンジジュースだった。

 甘いようで少し酸っぱい。慣れると癖になる味だ。


 緩めに締められたキャップを開けて、付属のストローを挿してから頂く。

 透明のストローをオレンジ色の液体が這い上がる。

 チューチューと音を立てながら、ムー太はご満悦の表情。


 実は、勉強机の上にクッキーも用意されているのだけれど、あれは「三時のおやつ」と七海が言っていたのでまだ食べることはできない。ムー太はお利口さんだから、ちゃんと時間の概念を把握しているし、それを守ることもできるのだ。

 もっとも、「三時のおやつ」は言葉の綾であり、七海は時間を厳守させるために言ったわけではない。本当は小腹がすいた時に食べても良いのだけれど、そうとは知らないムー太なのだった。


 喉の潤ったムー太はモニターに向き直り、ゲームを再開。

 途中、クッキーを貪りながら三時のティータイム(オレンジジュース)を挟み、ひたすら収穫作業を続けた。インベントリがキャベツで満杯になったところで、


「ただいまー」


 鉄製のドアが開かれる音と共に七海の声が耳に届く。

 ピコン、とボンボンが嬉しそうに起き上がる。

 ムー太はゲームを放り出して、弾丸のように部屋を飛び出した。

 勢い余って壁にぶつかり跳ね返り、バウンドしながら玄関へ向かう。


 そして、彼女の胸に飛び込むと甘えるように鳴いた。


「むきゅう」


 お留守番している時間はそれはそれで楽しいけれど、やっぱり七海と一緒の時間が一番楽しい。ぽふぽふ、とその存在を確認して、ムー太はにこりと微笑んだ。

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