第12話:モフモフと母なる魔樹2

 時刻は昼。


 魔樹の脇に広がる芝生地帯。頭上から降り注ぐ木漏れ陽を一身に浴びて、ムー太は芝の上に寝転んでいた。


 あれだけ寒かったのが嘘のようで、春の陽気に戻っている。ポカポカとした陽の恵みを受けて、何だか眠たくなってきた。ボンボンで体を触ってみると、湿気はほとんど乾いており、さらさらとした毛並みを実感できる。

 同じく芝の上に腰を下ろし、隣に座った七海が額の辺りを撫でてくれる。彼女はその勇士を讃えるようにムー太を賞賛した。


「よく我慢したね。偉いよ、ムー太!」


「むきゅう!」


 ただ寒さに耐えていただけなのだけれど、褒められると嬉しい。その場でポンポンと跳ねて喜びを表現してみる。彼女はボールのように跳ねる丸い体をぎゅむっと掴み、自身の体に押し付けた。自由を封じられ、ムー太は少しびっくりした。


「洗濯直後のバスタオルみたいな良い匂い! ムー太はモフモフだね~」


「むきゅう?」


「うーん! その首を傾げるような仕草。何度見ても癒される」


 しばらくじゃれ合っていると、ふいに七海の手が止められた。もっといっぱい構って貰いたかったけれど、いつの間にか彼女の視線は上空に向けられている。残念に思いながら、ムー太も視線を上げてみる。


 魔樹が栄える広場の上空には、巨大な魔法陣が浮かんでいた。それは、魔樹が見せしめに使ってみせた、映像を映し出す魔法陣だ。


 映像はいくつかに切られ、複数の場所を定点から映している。


 力のない開拓民から先に撤退を始め、冒険者たちは怪我人の手当てを行っている。重傷者に関しては担架に乗せて、荷車まで運んでいるようだ。


 その中には、アヴァンの姿もあった。彼は全身傷だらけではあったが、致命傷には至っていないらしく、他の冒険者に指示を出しながら自らも奔走していた。


 映像の中には、ムー太に酷いことをしようとしたロッカとミスティの姿もある。魔樹の計らいで、森の各地に飛ばされた人間を元の場所へ戻したのだ。一番初めに襲われたはずだが、どうやらアヴァンの言う通り、二人は相当にしぶといらしい。


 と、ムー太の前方の地面が隆起して、ボコッと人の頭が生えてきた。そのまま素早く人型へと成長していき、美しい女性の形へと変わる。植物の成長を早送りで見ているような、目まぐるしい変化だった。


 土を払いのけて開かれたのは真紅の瞳。

 向けられた視線にはムー太に対する慈しみが込められている。魔樹がムー太に敵意を持っていないことは知っていたから、彼女を見て怖いと思ったことは一度もなかった。

 ただ、"わが子"という主張はよくわからなかった。だからムー太は、不思議そうに魔樹が人化した女性を見つめる。


 そんなムー太に微笑みを返すと、魔樹は七海を真っ直ぐに見て言った。


「外界では魔樹などと呼ばれているが、妾の名はイゼラ・エネスリアである」


 その真紅の瞳は清く澄んでいて、先刻見せた怒りや蔑みのような色は含まれていない。そこに込められた意図を読み取って、七海が応じる。彼女は立ち上がり、


「私の名前は、七海。この子は、ムー太」


「むきゅう」


 自分の名が呼ばれると、ムー太は透かさず鳴いた。

 イゼラと名乗った女性の表情が緩む。


「あの氷縛は見事であった。あれは魔法ではなく全く別の何かであろう」


「ふーん、面白いことを言うね。なら、何だと思う?」


「妾の目には、魔力自体が冷気を帯びているように見えたがな」


 そう語るイゼラの表情は柔らかい。それは探っているというよりも、会話自体を楽しんでいるかのようだ。


 降参とばかりに七海が苦笑する。


「初見でこれを見破られたのは初めてかな」


「防げなければ意味があるまい」


 と、イゼラが愉快そうに応じる。そして、彼女は少し開けた胸元に手を当て、深々と一礼して言った。


「ナナミ殿、人間と侮ったことをここで詫びよう。貴女は立派な魔族であった」


「――え? ちょっと待って、私は人間だよ」


「謙遜するな。貴女の持つ桁外れの魔力は、魔族こちら側の領域。見事であった」


「なんでそうなるの! 魔力が高いから魔族って滅茶苦茶だってば」


 イゼラはくすりと笑い、首を振る。


「人間と魔族は長きに渡り、争いを続けてきた。互いの領土を奪い合い殺し合い、広大だった人間の領土は次第に狭くなっていったものだ。今でこそ人間側の勢いが再燃し、魔族のほとんどは北方に撤退を決めた。が、劣勢だった時期の人間の暮らしは凄惨なものだったと言えよう。ゆえに、人間は魔族を憎んでいる。ナナミ殿が人間ならば、妾を生かす道理がない」


「だから、それはさっき説明したでしょ。今回の件は人間に落ち度があるって」


 イゼラは微笑のまま頷いて、


「魔物に情けをかけられる人間は滅多にいない。それが魔族となれば尚のこと。その上、人間の罪を認めるなど、とてもとても人間にできるとは思えん」


 大きなため息が、ムー太の毛並みを押しのけた。なんだろう、と思って見上げると、七海が不快そうに口を尖らせていた。


「人間は多様性のある生き物なの。例外の一人二人、生まれて然るべきなんだよ。それに、私は魔族と敵対してるんだから、一緒にしないで」


 イゼラの唇が笑みを形作る。


 風に流され、三日月を描いた唇に張りつく緑の髪。横髪の塊ごと片手でいて、後ろへ流す。それを横目で見送って、突然、イゼラはひざまずいた。


「重要なのは力だ。それさえ示せれば、他は瑣末なことに過ぎない。ナナミ殿ならば、魔王を倒し、世界の覇者になることも可能だろう。貴女が望むのなら、このイゼラ、忠誠を誓おう」


「――って、ちょっと!? 何の話してるのよ!」


「魔族と敵対している以上、魔王とは雌雄を決するのだろう? 決闘で負けた妾への寛大な処置に心打たれた。貴女こそ魔族の王に相応しい」


「一応言っておくけど、私、女の子だからね? 魔王とか憧れてませんから」


 それはずっと冷静を通してきた七海らしくない慌てた様子。これが地の姿なのかもしれない。ムー太は思考ではなく、直感でそう思った。


 こうべれながら、説得するようにイゼラが言う。


「魔族の社会で重要なのは力……その一点のみだ。決闘の敗者は、命を奪われるか隷属契約を強いられるかの二択しかない。第三の選択肢を与えてくれたナナミ殿こそ、わが主に相応しい。魔王ベリゼルには従えぬが、貴女になら忠誠を誓える」


 イゼラの弁は熱を帯び、次第に力強くなっていく。


「力だけがすべてではない新しい社会を見てみたいのだ。だがそれも、魔王ベリゼルが健在のうちは決して叶わぬ夢。魔王に勝るとも劣らないその魔力があれば、魔王を討つことも可能だろう。ナナミ殿ならばきっと、良き指導者になれる」


 それは迫真の演説だった。己の掲げる理想を成就させるために、降って湧いた七海という希望に縋り付くしかないのだろう。その想いは何十年、あるいは何百年、何千年という長期に渡るものなのかもしれない。


 ムー太にはよくわからないけれど、イゼラが本気だということだけは理解できる。そして同じようにそれを感じている七海の顔も、次第に真剣味を帯びていく。跪いたイゼラに手を差し伸べ、


「魔王ベリゼルが討たれることで魔族の社会が変わるなら、もう変わっているかもしれないよ。なんで魔族が北方に撤退したんだと思う? それはね、私が魔王を討ち滅ぼしたからなんだよ」


「…………」


 絶句。


 イゼラは言葉が出ない。


 構わず、七海は続ける。


「でもね、魔族の王にはなれない。私は魔族に恨みがあるから、魔族のために働くのは無理。でも、イゼラみたいな人間に近い魔族がいるのもわかった。それは覚えとく。それと、これが一番大きな理由だけど、私はムー太と一緒に旅をする約束があるの。この子を放っておくわけにはいかない」


「むきゅう!」


 同意するようにムー太は元気よく鳴いた。

 七海と一緒に旅をするのだ。これからもずっとずっと一緒にいるのだ。"友達"とは、そういうものなのだ。そんな想いを込めて、ムー太は七海に握手を求める。


 ぽふぽふ、と振るわれたボンボンを七海は左手で握り返し、差し出した右手を催促するようにずいっと出して、


「さぁ、跪いたりしないで立って。あ、それと年齢のことは聞いちゃダメだからね? 私は永遠の十六歳なんだから」


 魔族が撤退してから随分と時が経っている。その年月はおおよそ三十年余り。しかし、誰がどう見ても、本人の申告通り十六歳の外見である。その矛盾を指摘されないうちに、先回りした上で釘を刺したらしい。


 イゼラは苦笑を浮かべ、差し出された手を取った。助けられる形で立ち上がり、残念そうに顔を伏せる。が、すぐに顔を上げ、今度はムー太を見つめた。


「残念ではあるが、同時に嬉しくもある。ナナミ殿と一緒ならば、その子はきっと安全だろうからな」


「ムー太を心配する気持ちだけは認めるよ、イゼラ。君がムー太に構わず本気を出せば、ここまで簡単に勝てなかったと思うからね」


「結局、結果は同じであろうがな。わが子を頼むぞ、ナナミ殿」


 それには応じず、七海は両手を差し出した。


「むきゅう?」


 両の掌に収まるムー太の体は、必然的にイゼラの目の前へ置かれる形となった。その意図がわからず、ムー太は体を傾けて疑問符を浮かべる。同様に、イゼラも首を傾げた。その意図を補足するように七海が悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「自分の子供なら、一度は抱いてみたいんじゃない?」


 虚を突かれたのか、真紅の双眸そうぼうが見開かれる。片方には期待が、片方には困惑が、それぞれ浮かんでいる。


 緊張からかイゼラの肩が震えだし、焦点を結ばない紅い瞳が宙を彷徨う。彼女は自らの動揺を鎮めるように肩を抱いた。


「一人の子だけを特別扱いはできぬ。己で課した掟とはいえ、軽軽けいけいに破るわけにはいかんのだ」


「……嘘つき。私の攻撃が届く前、魔眼狼を止めたのはイゼラでしょ? 無数の葉による幻覚魔法のことだよ」


「…………」


 雨のように舞い落ちる木の葉を思い出す。強風が吹いたわけでもないのに、魔眼狼の周囲を舞っていた多くの葉たちだ。それを見て、ムー太は不思議に思ったものだった。


 けれど、同時に出現した氷像に気を取られ、深く考えることはしなかった。あの時、自分を助けてくれたのは七海だけではなかったのだ。それを理解し、ムー太は感謝したくなった。


「むきゅう」


 ボンボンを伸ばしてみるが、イゼラには届かない。けれど、それを見た七海が一歩踏み込むと、ボンボンはイゼラの頬へと届いた。


 ぽふぽふ。


「今を逃せば、次はないかもしれない。だから早く抱いてあげて」


 イゼラの胸の前に押し付けられる形で置かれた愛玩動物。赤子のように触角を伸ばし、その先端でじゃれてくる。困惑していたイゼラであったが、覚悟を決めたのか固く口を引き結び、両手を広げて迎え入れた。


 鋭く尖った爪で傷つけないように、手の平を目一杯ひろげて抱きとめる。それは、少しぎこちないものだったけれど、自分のことを大切に想う気持ちが伝わってきて、ムー太は嬉しかった。


「むきゅう!」


 歓喜の鳴き声を上げると、イゼラの方も、優しく微笑を返してくれた。今までの端然としたものではなく、慈愛に満ちた表情だった。


「愛おしいわが子よ。そなたの未来に祝福あらんことを」

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