第13話:モフモフと故郷と旅立ち

 ムー太の思考は至ってシンプルだ。


 優しい人が好きで、乱暴な人が嫌いだ。楽しいことは好きで、辛いことは嫌いだ。好意を向けてくれる人は好きで、悪意を向けてくる人は嫌いだ。


 怒ることもあるけれど、疲れるのが嫌なのですぐ忘れてしまう。


 単純だからこそ、生まれてすぐ、本能に従って行進を始めた。それが間違っているとは思わないけれど、今一度、立ち止まってみると見える景色が違う。


「この森は、そなたの故郷だからな。いつでも戻って来てよいのだぞ」


 抱擁を終える際、イゼラは語りかけるように言ったのだ。


 今までは、目標に向けて邁進まいしんすることしか頭になかった。けれど、彼女の言葉で『故郷』という単語を認識し、自分はここから旅立つんだなと感じた。


 不思議なことに少し寂しい気持ちになった。


 数時間前、魔樹の森を出るときは、るんるん気分で熱唱までして上機嫌だった。それなのに、今はまったく違う感情を抱いてしまっている。だからこそ、不思議に思うのだ。


「さてと、私たちはそろそろ行くよ。アヴァンより先に、ルカスへ到着しないといけないからね」


 スタート地点に戻されたときはショックを受けたものだった。だからそれは、待ちに待ったことなのだけれど、何だか胸が苦しいような気がする。生まれて初めて感じた哀愁に、戸惑いを隠せないでいるうちに、話はどんどん進んでいく。


「ならば、迷宮の霧を使い入り口まで送るぞ」


「ううん、歩いていくよ。ありがとう」


「そうか。見納めだろうからな、ゆっくり見物して行くといい」


「むきゅう……」


 もう少しだけここに居たくて、ムー太はとっさに鳴いてしまった。その微妙な変化に気づいた七海が言う。


「どうしたの、ムー太。故郷を離れるのが寂しくなった?」


「むきゅう」


 コクンと頷くムー太。七海は、困り顔で頬をかく。


 それを見かねてイゼラが腰を折り曲げ、視線を合わせてきた。彼女は優しく、けれど、少しの厳しさを混ぜた声で語りかける。


「そなたには夢があるのだろう? それを叶えた後、戻ってくればよいだけだ」


「むきゅう……」


 駄々をこねる子供をあやすように、イゼラは優しくムー太の頭を撫でる。そして、自分の髪に付けてあった木製の髪留めを手に取ると、モフモフの毛に差し込んだ。


「では、これを預けて置くとしよう。妾の体から削り取って作った一品だ。この髪留めと共に在れば、それは即ち、妾と共に在るということであり、この森と繋がっているも同然だ」


 イゼラが何を伝えたいのかは、何となく理解できた。名残惜しさは拭い去れなかったけれど、心がほわわんと温かくなる。


 三日月を象った髪留めは、頭の天辺に付けられているので見ることはできない。けれど、目を瞑ってから髪留めに意識を集中させると、森の景色が頭に広がり、確かに繋がっているような気持ちになれた。


「むきゅう」


 お礼にボンボンを差し出し、握手を交わす。


「うむ、可愛らしい。よく似合っておるぞ」


「そうだね、ムー太の魅力が三割増しってところかな!」


 おだてられるのは悪い気分ではない。二人に代わる代わる撫でられて、だんだんと元気になってくる。


「むきゅう!」


「決心がついたのかな、ムー太?」


「むきゅう!」


「その意気、忘れるでないぞ? 再会の時を楽しみにしておるからな」


「むきゅう!」


「それじゃ、イゼラ。私たちは、この辺で失礼するよ」


「ああ、ナナミ殿も世界の覇権を取る気になったら、いつでも訪ねてくるといい」


「そんな条件付けられたら、ムー太と一緒に戻って来れないでしょ!」


「そうか? 妾は本気なのだがな。まあよい、達者でな」


「イゼラも元気でね。ムー太の故郷を守って頂戴」


「むきゅう」


 手を振って別れを告げると、七海は踵を返した。


 ムー太が一生懸命になって後ろを振り返ろうとしていると、それに気づいた七海が肩の高さまで持ち上げてくれた。


 肩越しに魔樹を振り返ると、その根元でイゼラが手を小さく振っている。それに応えるべく、ムー太の方もボンボンをふりふりして別れを告げた。森の茂みに入り、イゼラの姿が見えなくなるまで、別れの儀式は続いたのだ。


 定位置七海の腕の中に戻り、旅立ちの決意を込めてムー太は鳴いた。


「むきゅうっ!」


「偉いね、ムー太。君は今、寂しいって気持ちを理解した上で、次に進もうと決意したんだよ」


 褒められるのは大好きだけれど、なぜかちょっぴり照れくさい。


 と、ふいに視界が揺れた。


「――っと、危なっ」


 足がもつれたのか、バランスを崩したようだ。見上げると、額に汗を浮かべる七海の姿が目に入った。木にもたれ掛かり、浅い呼吸を繰り返している。気のせいか、彼女の体が陽炎のように一瞬だけ揺らぎ、透けて見えた気がした。


 心配になって、七海の体をぽふぽふと叩いて回る。漠然とした不安が過ぎるが、異常は感じ取れない。


「ごめんごめん、心配した?」


「むきゅう」


「ちょっと魔力を使いすぎて、眩暈がしただけ。もう大丈夫だから、ね?」


 支えとなっていた樹木から手を離し、七海は二本の足だけで立ってみせ、軽快にジャンプをしてみせた。その元気な様子をみて、ようやくムー太は安心できた。


 再び歩き始めると、突然、目の前の花が咲いた。純真無垢なムー太のように白い花で、まだつぼみだったものが唐突に開花したのだ。一輪咲いたのを皮切りに、他の花たちも次々と開花していき、白い道を形成するかのように咲き誇る。


 白い花の道に沿って歩く。道の終わりに差し掛かれば、次の道が作られていく。まるで、出口までの最短距離を先導しているかのようだった。


「イゼラの仕業ね。格好悪いところ見られちゃったかな……」


 ポリポリと気まずそうに鼻先を掻きながら、七海は苦笑い。


 対して、ムー太は目を輝かせながら、食い入るように白い絨毯を見ている。花の甘い香りが鼻腔をくすぐり、食べたら美味しいのだろうかと頭をひねる。


 花は十分綺麗だけれど、森の中の景色も重要だ。忘れないように、故郷の景色や匂いを脳裏に焼きつけたい。そんな想いが、今のムー太にはある。


 乱立する樹木。中には倒木しているものもあり、倒れた樹木の皮には苔が生えていて、森の緑に深みを与えている。


 背の高い木に実る赤々とした果実は、生まれてすぐに食した果実と同じものだ。ムー太がいくら頑張っても、決して届かないだろう。


 水のせせらぎが聴こえてくる。音のする方に目を向ければ、小さな沢があった。思い出されるのは、青緑に輝く湖。緑の葉が複雑に重なり合い、その姿を湖面が反射して、万華鏡のように映し出していた様子が脳裏に浮かぶ。


 特に感慨なく過ぎ去っていったものだったが、今となっては大事な思い出の一つだった。


 やっぱり少しだけ寂しいけれど、もう振り返ったりはしない。


 頭に付けた髪飾りが、七海の足並みに合わせて揺れる。曲がっていないだろうかと気になって、ボンボンでぽふぽふと触ってみる。異常がないことを感じ取って、ムー太は嬉しそうに鳴いた。


 そして、歩き始めて数時間が過ぎた頃。長いようで短かった終点へ辿り着いた。


 花の道が途切れた先は、森の終わりだ。その先には、地平線まで続く草原が広がっていた。

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