第14話:モフモフとルカスの街
ルカスは、円状に広がる城郭都市である。
人間の領土の中では最南端に位置しており、西へ三日ほど歩いた位置に魔樹の森、南には険しい山脈が聳えて並び、東の先は永遠と荒野が続く。北上すれば王都へ辿り着くが、馬車を使った長旅を覚悟しなければならない。
辺境の地にありながら、入植者が次々とやってきて急速な発展を遂げたという歴史がある。
第一陣が入植した時点では、石の城壁で囲まれた小さな円状の村だった。それが第二陣、第三陣と入植を繰り返すうちに、第二城壁、第三城壁と増築していって、現在の巨大な都市が形成された。
五層からなる城壁に守られた堅牢な都市に見えるが、これは増築する際の都合から生まれた副産物であり、中央を守るためのものではない。
その証拠に、第一城壁が最も脆弱であり、石の大きさも不揃いでみすぼらしい物となっている。そして、外側の城壁になるほど堅牢さを増していき、最も頑丈なのは第五城壁である。
城壁ごとにエリアが区切られていて、内側から順に第一エリア、第二エリアと数えていく。全部で五つのエリアが存在し、第一エリアから第三エリアまでが居住地区、第四エリアから第五エリアまでが農業地区となっている。
この居住地区を総称して、ルカスの街と呼ぶ。
これが王都ならば、中央に近づくほど身分の高い者が住まうのだろうが、ルカスに関しては当てはまらない。とはいえ、立地による地価の差はあって、貧富の差による住み分けはされているのだが……。
東西南北には城門が設置されていて、四つの門を繋ぐように十字の道が走っている。街を四分する十字の道は、ルカス大通りと呼ばれていて、ルカスを代表する老舗たちが軒を連ねる。当然、地価も高い。
第五城壁の西門へ七海が到着したのは、夜も更けた頃だった。西門はすでに閉ざされていて、城壁の上には、見張りの兵士が一人だけ立っている。
七海の接近に気づいた兵士が、上方から鋭く呼び止める。
「何者だ。止まれ!」
地図で確認していたので、大きな街だと知ってはいたけれど、想像以上に警備が厳しいようだ。胸元で寝息を立てるムー太を見つめ、アヴァンの話を思い出す。
――冒険者以外は魔物を連れて街に入れないんだ。
他人の肩書きを借りるというのは、あまり良い気分ではない。七海はため息をつくと、金の腕輪を掲げて、相手に届くよう大きな声で言った。
「怪しい者じゃないよ。一応、冒険者なんだけど」
「そ、それはA級の証! し、失礼しましたぁ!!」
恐縮してしまった兵士を見て、七海は少しだけ申し訳ない気持ちになる。兵士に合わせて一礼を返し、質問を投げかける。
「通行できる時間を過ぎてしまったのかな? それなら明朝、出直してくるけど」
「はい、確かにその通りであります。しかし、A級の冒険者であれば通行は可能です! 少々お待ち下さい、すぐに縄梯子を用意しますので」
城壁の隙間から身を乗り出し、兵士は声を張り上げて応答した。その姿が壁の向こうへ消えようとしたので、七海は慌てた。これ以上、気を遣ってもらうのは心苦しい。
「大丈夫、梯子は必要ないです!」
兵士が「え?」という顔で振り返り、再び顔を出す。それを確認後、七海は城壁に向けて猛然とダッシュした。全速力で駆け抜けて、壁に向かって跳躍――そのまま、斜面を登るかのごとく垂直な壁を蹴り飛ばし登っていく。
兵士が驚きに目を見開く頃には、城壁を大きく超えて、月光を背に降下中。そのまま兵士のすぐ脇に降り立ち、振り乱れた黒髪を整えながら立ち上がる。
近くで見れば、まだ若い兵士のようだ。彼は、目をキラキラと輝かせながら、
「さ、さすがA級の冒険者ですね! 跳躍の魔法式をブーツに仕込んでいるのでしょうか? それにしても壁を走るなんてすごい!!」
興奮冷めやらぬのか、鼻息荒く羨望の眼差しを送ってくる。
実際は、魔力が反発する力を利用しているのだが、本当のことを説明したところで理解してもらえるかわからない。普通は魔力を直に操作しようだなんて考えないものだからだ。なので、
「ま、まあね。それより、見張りは君一人なの?」
さり気なく話題を逸らし、質問を投げかける。少年は気にも留めていないようで笑顔のままだ。短く刈られたブロンズの髪の毛を、気恥ずかしげにかきながら、
「は、はい。新入りなので人の倍以上、働かないといけないんです」
新入り一人に見張りを一任するだなんて、おかしな話である。
どうも意地の悪い先輩方に、貧乏クジを押し付けられているのではないか。そんな予感が過ぎったけれど、本人は気にしていない様子。
「そうなんだ、大変だね」
「いえいえ、これが仕事ですから。それにしても、まだお若いのにA級の冒険者とは凄いですね。僕と大して年齢も変わらないだろうに」
七海は苦笑いするしかなかった。そもそも、アヴァンも大して歳を取っていないはずなのだが……。
このまま話を続ければ、ボロが出かねないと七海は考えた。最後に気になっていたことを訊く。
「ああ、それと、魔物を連れて街に入るけど、大丈夫だよね?」
「はい! A級の冒険者ですから当然であります」
七海は密かに胸を撫で下ろす。
アヴァンを信用していなかった訳ではないけれど、確認が取れたことで安心を得ることができた。これで大手を振って、街中を歩けるというものだ。
そして、ふと思う。金の腕輪を見せてからずっと、少年は『A級』という単語を何度も強調している。これは自分が思っている以上に、すごい資格なのではないか。ともすれば、アヴァンは結構すごい奴なのかもしれない。
「そっか、ありがと。夜遅くにごめんね。警備の仕事がんばってね」
少年兵士は破顔して、胸に手をあて敬礼した。再び、少年が口を開こうと、
「階段は向――」
言い終える前に、その場に微笑だけを残し、七海が大きく跳躍した。そのまま城壁から落下して、地面に着地。七海の残り香と少年の驚きだけが城壁上に残った。
大きくずれたリュックサックの位置を整えて、ようやく時が動き始めたらしい少年兵士へ向けて一礼。踵を返し、街中へ向けて歩を進める。
「むきゅう?」
と、ムー太が目を覚ましたようだ。目元をごしごしとボンボンで擦り、眠そうに瞼を開ける。どうやら、上下移動による振動で起こしてしまったらしい。
「ごめんね、ムー太。気をつけたつもりだったんだけど」
「むきゅう」
何やら、ムー太は興味津々といった様子で、辺りを見回している。先程までは、退屈な草原が永遠と続いていたから、様変わりした景色に驚いているのだろう。
現在地は、西門から入って少しのところ。石で丁寧に舗装された道路の上で、看板には『ルカス大通り西 第五エリア』と書かれている。等間隔で街灯が設置されていて、明かりに困ることはない。
ルカス大通りの左右には、畑が広がっており、民家らしき明かりがポツポツと灯っている。闇に浮かぶ明かりの数から考えて、残りの部分はすべて畑なのだろうと推測できる。
「夜だから、あんまりよく見えないね」
「むきゅう……」
ムー太は残念そうに脱力する。その様子を見て、衝動的に体がうずくのを七海は自覚した。
眠っているときに弄り回すのは気が引ける。だから、ずっと我慢をしていたけれど、起きてしまえばこっちのもの。ぎゅうっと強めに抱きしめて、モフモフ成分を補給する。
ふかふかの毛並みに腕が埋まっていく。極上の羽毛布団を抱きしめても、これほど柔らかくはないだろう。そんなことを考えながら、天国に昇る気分で叫んだ。
「モフモフエネルギー充電完了!」
「むきゅう?」
◇◇◇◇◇
第三城壁の西門には、兵士が十名ほど警備の任についていた。
ルカスの街までは思っていた以上に遠く、その入り口である第三城壁の西門に到着するのに、二時間弱はかかっただろうか。長旅でお疲れのムー太は、まどろみ夢の中へ没入しようとしている。
城門は開いており、金の腕輪を見せるだけで難なく通過できた。どうやら、第五城壁以外はすべて開門されたままで、自由に行き来ができるらしい。
門を潜ると、夜の街並みが広がっていた。基本的には石造りの家が多いようだが、木製の家もいくらか混ざっているようだ。オレンジ色の明かりが、四角い窓から溢れ出ている。
ルカス通りに面する建物は、商売を営んでいるものが多いようだった。掲げられた看板に『酒場』と書かれた店からは、一日の労働を終えた男たちの騒がしい喧騒が漏れ聞こえてくる。
営業を終えた店も多いようで、明かりが消えている建物も少なくない。中にはいくつか宿屋もあって、七海はその中から『移ろいの宿』という看板を探していた。
「多分、そう遠くないところにあると思うんだけどなぁ」
魔樹の森から真っ直ぐ東へ向かえば、当然、ルカスの西門から入ることになる。となれば、街の西側に位置する宿屋を選ぶはずだ。更にわかりやすい場所という条件を加味すれば、ルカス大通り沿いが大本命である。
もっとも、アヴァンが抜けた性格で、全く別の場所――例えば馴染みの宿屋を指定したということもありえるが……。
大通りには、出歩く人の姿がほとんどない。居たとしても、酔っ払いの類のみで道を訊けそうになかった。
西門の兵士に訊いておくんだったと後悔し始めた頃、ようやく目的の宿屋が見つかった。看板には『移ろいの宿』と書かれているので間違いない。
第二城壁のすぐ近くなので、成る程、待ち合わせ場所としては悪くない。
しかし、
「なんか、ちょっと高そう……」
他の宿屋に比べて、一段と豪華な佇まいの建物だった。高そうな雰囲気を敏感に察知して、七海の顔が曇る。
とはいえ、他の宿屋に泊まっていては、すれ違う可能性が高い。そうなれば、腕輪を返すのも遅れてしまうだろう。
自分の懐事情を鑑みて、足りるだろうかと頭を捻り、
「そういえば……」
腰に付けておいた布袋を手に取る。アヴァンから腕輪と共に受け取ったもので、宿代だと言っていた気がする。紐を解き、中身を確認してみると、
「これはお人好しってレベルじゃないよね……」
布袋の中には、金貨がぎっしり詰められており、申し訳程度に銀貨と銅貨が混ざっているだけだ。
これほどの大金を、出会って間もない人間に預けるなんて、一体どのような思考が働いた結果なのか、七海には理解できない。自然とため息が漏れる。
お金の心配は無くなったけれど、果たして、この金貨に手を付けてよいものか悩ましい。当然、そのために渡されたのだから、誰に咎められるわけでもない。
が、大して親しくもない男性からの施しを受けるのに、大きな抵抗があるのも、また事実。彼女自身は、その『大して親しくもない男性のために、命を賭けてイゼラと対峙した』ことも忘れて、悩んでいるのだから面白い。
堂々巡りの思考に陥る前に、七海は「足りなかったら少し借りよう」と決断した。いざとなったら、手持ちの品で売れそうな戦利品もいくつかある。そう考え、宿屋の扉に手を掛けた。
重厚な両開きの扉、その片面を押して中へと入る。
「いらっしゃいませ、お客様」
入ってすぐの位置、メイド服姿の従業員によるお出迎え。眩い明かりに晒されて目を細め、右手で
「うっ、思ったより高そう……」
天井から吊り下がり、眩い輝きで室内を照らしているのは豪華なシャンデリア。貴族の屋敷を模したような内装。大理石の床の上、受付まで続いている赤い絨毯。
慣れない雰囲気に戸惑いながら、受付を済ませる。受付嬢にアヴァンへの伝言を頼み、二階の部屋へと案内された。
「御用の際は、なんなりとお申し付けください」
営業スマイルのまま一礼すると、メイド従業員は去っていく。
軽い眩暈を覚え、七海が額を押さえて立ち竦む。気疲れだろうかと笑い、ドアを開けて広々とした室内に踏み入る。
リュックサックを転がして身軽になると、そのままふかふかのベッドへ倒れこむ。
「ふー、疲れたー!」
「むきゅう?」
まどろんでいたムー太が目を覚まし、疑問の声を上げた。ふかふかのベッドに降り立つと、その感触が気に入ったのか、歓声を上げながら転がり始める。
白いベッドの上で、コロコロと転がり続ける白い毛玉。どちらが柔らかいのか、競うように体を押し付けて遊んでいる――ように七海には見えた。
胸に込み上げてくる衝動、血液がその勢いを増して膨張するような感覚。我慢できず、ヘッドスライディングでムー太へ抱きつく。
「もー! 可愛すぎぃ!!」
「むきゅううう」
遊びを中断されて、ムー太は少し不満げだ。が、熱く滾るこの情熱をぶつけずにはいられない。全力を以って抱きしめながら、頬ずりを連続で放つ。
途中から抵抗をやめたムー太は、されるがままだ。その諦め眼を見て、途端、七海は不安に駆られた。くんくんと自分の臭いを嗅いでみる。胸元を開けて、その臭いを嗅ぎながら、
「ねえ、ムー太。臭うかな?」
「むきゅう?」
ムー太は人間よりも鼻がいい。毎日、氷を使って清めてるとはいえ、お風呂にはもう何日も入っていない。今日は特に動いたのだから、自分でも少し臭うような気がする。
七海には最悪の未来が見えた。ムー太に嫌われてそっぽを向かれる未来が、だ。そうなれば、もうモフモフさせて貰えないかもしれない。モフモフ中毒の自分がそれに耐えられるだろうか、否、耐えられない。
そして何より、安全面の問題からも、ムー太を抱けないのは致命的といえる。
ならば、どうするのか? 解決方法は簡単だ、風呂に入ればいい。幸いここは宿屋で、大浴場も併設されている。が、ムー太は濡れるのを嫌うので一緒に入れない。
一人きりで部屋に残すのは不安だけれど、結界を張れば外部からの侵入は防げる。後は、ムー太に暇つぶしの道具を与えれば、とそこまで考えて、
「これをあげるから、少しだけ大人しく待っててくれる?」
差し出したのは、クッキーが入った巾着袋だ。
「むきゅう!」
その匂いを敏感に嗅ぎ取ったのか、ムー太はとても嬉しそう。ボンボンの間に巾着袋の輪っかを通しながら、
「すぐに戻ってくるから、大人しく待つって約束してくれる?」
「むきゅう!」
力強く頷く姿を見て、七海はようやく安心する。ムー太の知能は決して低くなく、約束の内容を把握しているし、それを簡単に破ったりはしない。
「結界を張っておくから、ここは安全だよ。万が一、破られたらすぐに駆けつけるからね」
部屋に手早く結界を張り、着替えを持ってその場を後にする。
長湯せず、体を洗い流してすぐに出よう。そんな風に考えながら。
しかし、ここに一つだけ大きな誤算があった。それは、七海が知り得ぬ情報であり、彼女のミスを責めることはできない。良かれと思ってしたことが、予期せぬアクションを生んでしまう。
部屋に戻った彼女は、もぬけのからとなった室内を見て唖然とすることになる。
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