名誉挽回の処方箋

 前書き

 ムー太が悲しみ、七海が奮闘する話です。

 最後はハッピーエンドで終わります。

 全10話。

 1日2話ずつアップしていきます。

 ――――――――――――――――――――


 その日、異変はすぐに察せられた。

 いつもなら私が帰宅すると同時に、喜び勇んで玄関先まで迎えにきてくれるムー太。その愛くるしい姿が、今日はいくら待ってみても現れる気配がなかったからだ。聞こえなかったのかと思い、もう一度「ただいまー」と声を掛けてみたけれど、結果は同じ。何の反応も返ってこない。

 今までも似たようなことは何度かあった。その時は決まって、外に遊びに出かけている時だった。余り遅くならないように言い聞かせてはあるのだけれど、好奇心旺盛のムー太は、たびたび時間を忘れて遅くなることがあるのだ。


「でも」


 私は廊下の先のリビングの窓を、遠目に見やった。


「今日は雨なのよね」


 灰色の雲が空を覆い、しとしとと小雨が降っている。雨脚こそ強くないものの、今日は朝からずっとこの調子だった。このような悪路の中、体が濡れることを嫌うムー太が、果たして外出するものだろうか。

 靴を脱ぎ、冷たい廊下に足を下ろす。

 耳を澄ましてみても、テレビの音は聴こえない。ならばリビングにはいないのだろう。私は真っ直ぐ、自室へ向かった。


 ドアを開けるとすぐに、パソコンモニターの裏側でうごめく白毛が目に入った。

 私はほっと胸を撫で下ろす。面倒事に巻き込まれた訳ではないようだ。ゲームに熱中していて気づかなかっただけなのだろう。

 後ろ手にドアを閉める。まだ、ムー太は気づかない。ふと私の胸の内に、悪戯心が湧き上がった。足音を立てないようにおこたトップ(こたつ+デスクトップパソコンの略称)を大きく迂回し、私はムー太の背後へと回る。


 ふっふっふ。

 後ろから抱きついて驚かしてやろう。

 ムー太のリアクションを想像し、私はそっとほくそ笑む。


「むきゅううう」


 不意に、不満げなムー太の鳴き声が耳に入った。私はまだ何もしていないというのに。


 そこでようやく私は、ムー太の様子がおかしいことに気がついた。何度も何度も、柔らかなボンボンを指紋採取するみたいにモニタ画面へ叩き付けている。一見して埃塗れのモニタを掃除しているようにも見えるが、それは違う。不満そうな鳴き声と、駄々をこねるような所作がその証拠。

 どうしたのだろう。ゲームが思うようにいかず、お冠なのだろうか。しかし、私が知る限り、ゲームがうまくいかないぐらいでムー太は癇癪かんしゃくを起こしたりはしないはずだ。人の手とボンボンという違いからくるハンデキャップを物ともせず、忍耐強く操作方法を覚え、亀の歩みのごときスピードでマウスを操作して、マイペースで遊ぶのがムー太のスタイルだからだ。当然、そのプロセスの中には、思うようにゲームが進行できないことも含まれている。


 嫌な予感を覚え、私はゆっくりと歩み寄る。ムー太の後姿が近寄るにつれて、モニター画面の映像も拡大され鮮明となっていく。そしてそこに映し出された映像へ目を移した瞬間、私はすべてを悟り大声を出していた。


「何やってんのよ、こいつ!」


 びくっとムー太は身を震わせた。

 ムー太からすれば、突然背後から大声を出されたのだから当然だ。

 振り返ったムー太の黒目は、薄っすらと濡れていた。悪戯いたずらの見つかった子供のようにぎこちなく下を向き、私と目を合わせようともしない。ボンボンはしおれて力なく垂れ下がり、心なしか毛並みも乱れているようである。


「むきゅう……」


 叱られたと勘違いしたのか、あるいは惨状を訴えたかったのかムー太は涙声で鳴いた。きゅっと胸が締め付けられるように痛む。私は奥歯をぎりっと噛み鳴らし、諸悪の根源であるモニタ画面を睨みつけた。


 画面には一面の人参畑が広がっている。(無料で引けるガチャから出た希少レアな畑で、その作物は高値で売れるのだそうだ)

 その中に佇むのは二つのアバター。

 一つは、ムー太の操るウサギ(人型)のアバター。

 もう一つは、畑の中央で仁王立ちとなっている全身鎧のアバター。

 その全身鎧のアバターは、大斧を振り上げ、地面に突き刺すモーションを繰り返している。そのたびに稲光いなびかりのようなエフェクトが発生し、画面が大きく揺れる。

 そしてこれは私の気のせいだと思いたいのだが、畑に実った作物も同時に吹き飛ばされているようなのだ。


 もしかするとムー太は、この残酷な行為をやめさせたくて画面をぽふぽふ叩いていたのではないだろうか。そう思った途端、私は激しい怒りに襲われた。


「許せない」


 うな垂れるムー太を膝へ乗せ、烈火の如くキーボードを叩く。


 ムー太:ちょっと! 何やってるのよ

 ムー太:やめなさい

 ムー太:聞いてるの? やめなさいって言ってるでしょ

 ムー太:こんなことして何が楽しいわけ!?


 ムー太のキャラクターを操っているので、ゲームの中でしゃべっているのは「ムー太」ということになる。しかし、実際にチャットを打ち込んでいるのは私だ。

 それにしてもこの男(と勝手に決めつけた)は、私の抗議に対して何の反応も示さないばかりか、破壊活動を止めようともしない。なんてふざけた奴!


 ムー太:ねえ、ちょっと。聞こえてないの?

 ムー太:コラ! 無視すんなって言ってんのよ!!


 鎧のアバターはその動きをしばし止め、


 暗黒卿:なんだ

 暗黒卿:やっぱりしゃべれるじゃねーか

 暗黒卿:なめやがって


 こいつは何を言っているのか。いまいち理解が追いつかない。怒っている? なぜ? ムー太が何かした? いや、それはありえない。


 ムー太:なんでこんなことするの

 ムー太:理由を教えて

 暗黒卿:気持ちわりーんだよ!

 暗黒卿:死ね!

 ムー太:気持ち悪い? なんでそうなるのよ

 暗黒卿:黙れ雑魚

 ムー太:怒ってる理由を説明してって言ってるの

 ムー太:それとも

 ムー太:自分が悪いから何も言えないのかしら

 暗黒卿:はあ? ふざけんな

 暗黒卿:エモーションだけで会話しようとか

 暗黒卿:きめーんだよ

 暗黒卿:頭お花畑か?


 カッチーンッ!

 私は元々、忍耐強いほうではない。

 頭がお花畑? 事情も知らずによく言ったものだわ!


「むきゅう」


 私の怒りを感じ取ったのか、ムー太が心配そうにボンボンを伸ばしてきた。その先端を頬で受ける。


 ぽふぽふ。ぽふぽふ。


 慰めるように撫でられて、私は冷静さを取り戻した。


 相手の言葉足らずを補って総合するに、どうやらムー太に話しかけたところエモーションが返ってきて、それを『無視された』あるいは『ふざけた反応をされた』と解釈し、怒っているらしい。どちらにせよ、ふざけた話だ。

 そもそも、ムー太はチャットを打てないのだから、エモーションを使ってコミュニケーションを取る以外やりようがないのだ。それに今までは、その方法で他のプレイヤーとやりとりをしてうまくいっていたのだから、何も問題はなかったはずだ。言いがかりとしか思えない。

 とはいえ、まずは破壊活動を止めさせなければ。ネットである以上、言葉しか相手には届かない。話し合うしかないだろう。


 ムー太:この子はまだ小さいからチャットが打てないだけなの

 ムー太:だから無視した訳じゃなくて

 ムー太:何も悪気はなかったのよ

 暗黒卿:は?

 暗黒卿:誰だよおまえ

 ムー太:この子の保護者よ

 暗黒卿:なになに? ママの登場?

 暗黒卿:ママ~助けて~ってか

 ムー太:私は真面目に話してるの。ふざけないで

 暗黒卿:は~~~~

 暗黒卿:親が出てくるとか

 暗黒卿:きっも☆

 暗黒卿さんがルームから退出しました。


 好き勝手言った挙句に捨て台詞を吐いて、鎧アバターの男は去って行った。

 ひとまず破壊活動は止めることができた訳だけど、どうにも納得がいかない。


「なんて自分勝手なやつなの。異世界人よりも非常識だわ」


 何より、有効な一手を打てなかった自分に腹が立つ。あの調子では、またやって来かねない。

 しかし歯がゆいことに、私にはその対策がさっぱり思い浮かばなかった。


 これがもし現実リアルの話なら、いくらでもやりようはある。

 例えば、陰湿なイジメを実行する女子が相手ならば、嫌がらせを受けるたびに教師にチクってやればいい。なぜか学生たちの間では、チクるのが悪いという風潮があるけれど、『犯罪の被害にあった時に警察へ通報するのと同じ』と考えれば、真っ当な行為だと割り切れるだろう。

 あるいは、不良の男子生徒が相手の場合は、もっと話が簡単だ。私は喧嘩で負けたことがない。


 しかしどうだ、ネットゲームというのは実に厄介極まりないではないか。

 相手に届くのはチャットの文字列のみ。被害を訴える警察機構のようなものは存在しないし、実力行使でやめさせることもできない。姿の見えない匿名ゆえか、倫理観が欠如している。言うならば、狂人を相手にするようなもので、話し合いすら難しいのは先刻体験した通りだ。


 打つ手がない。その事実が、どうしようもなく心をささくれ立たせる。


「むきゅう」


 ムー太がゴシゴシと、お腹の辺りに顔を押し付けてきた。ひどい目にあったから慰めてほしいのかもしれない。


「よしよし。ひどい目にあったね。もう大丈夫だからね」


 モフモフの頭を撫でると、ムー太は「むきゅううう」と鳴きながら何度も身をよじった。辛かったのだろう。私の目尻にも涙が浮かぶ。

 しばらく撫でていると、泣き疲れたのかムー太はスースーと寝息を立て始めた。いつの間にか、私の怒りも収束しつつある。慰めていたつもりが逆に癒されていたことに気づき、ふと苦笑が漏れる。


 私はそっと立ち上がり、ムー太にタオルケットをかけることにした。


「あ、夕飯の準備しなきゃ。何かムー太の好物がいいわね」


 台所へ向かいながらつぶやく。


「とにかく何とかしないと」

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