名誉挽回の処方箋2
――東京都立
高校に無事進学した私は――推薦入学だったので大して苦労もしていないのだけれど――なんの因果か腐れ縁か、再び同じクラスとなった六角橋京子と机を寄せ合い、昼食を取っていた。中学校までとは異なり、高校からは給食がなく、私たちは仕方なしにお弁当を持参している。
陽のあたる窓際の席。
昨夜の出来事を愚痴ると、たこさんウインナーを摘まみながら京子が言った。
「それは荒らしっしょ」
「荒らしなんて生ぬるいもんじゃないわ。あれは破壊活動……テロよ」
不愉快な光景を思い出し、苦虫をかみつぶすように私が応じると、京子は「ちっちっちっ」と右手に持った箸ごと指を振り、紙パックのコーヒー牛乳をじゅるるとやった。
「荒らしっていうのはネット用語っしょ。故意に相手の嫌がることを繰り返して、相手を不愉快にしてやろうっていうやつ。そこにあるのは純然たる悪意だけだから、要するに、えーと、不浄な……じゃなくて、んー?」
「不条理な?」
「そうそうそれっしょ。とにかく動機がねじ曲がってるから、相手に正当性を求めても無駄なわけで」
「それは昨日、痛いほど実感したわ」
元々不条理な行為であるのなら、話し合いなど何の意味もなさない。昨夜の光景が目に浮かび、妙に納得がいく反面、えらく不快な気分になった。この苛立ちすらも、荒らしが意図した結果なのかと思うと無性に腹が立ってくる。
「何か対策とか立てれないかな」
「おやおやー? ナナっちがわたしに助言を求めるなんて珍しいねい」
「茶化さないでよ。オンラインゲームは京子のテリトリーでしょ」
「んー、でも実際のところ難しいっしょ」
「お願い。京子だけが頼りなのよ」
拝むようにして頭を下げる。
京子は困ったように眉を寄せた。
「や、一応案は二つほど、あるにはあるんだけど」
言い淀むその様子から、二つの案にはどうやら問題があるようだ。それでも、一晩考えてなんの光明も見いだせなかった私よりかは、オンラインゲームに詳しい京子のほうが頼りになるだろう。私は先を促した。
「聞かせて」
京子はこくんと頷き、説明を始める。
「一つはブラックリストに入れる方法。ブラックリストに登録されると、そのプレイヤーはルームに入れなくなる。ただし、ブラックリストに入れたいプレイヤーを直接クリックする必要があって、少し面倒」
PFOのプレイヤーは自分専用のプライベート空間(ルームと呼ぶ)を持っており、農作物の生産や販売はこの中で行われる。つまり、ブラックリストとやらの登録を行えば、登録された者はルームから締め出され、畑に手出しできなくなるということらしい。それは朗報に思えた。
「つまり、荒らしが来るまで待機する必要があるってことね。それで平和になるのなら大した手間じゃないわ」
「そそ。けど、この方法には欠点があって、キャラクターを変更されると意味がないっしょ。まったく、何でプレイヤーデータに紐づけないで、キャラクターデータに紐づけてしまったのか……運営のセンスを疑っちゃうね」
憤慨した様子で運営批判を始める京子。
農場経営ゲーム【Plant Farm Online 通称:PFO】は、同じ会社が運営するMMORPG 魔法の王国【Magical Kingdom Online 通称:MKO】と提携しており、収穫した作物を狩りゲーム主体のMKOプレイヤーに売却することができる。MKOでは複数のキャラクターを育成することができ、また二つのゲームは自由に行き来ができるため、必然的に提携先のPFOにもその仕様は反映されることになる。結果、畑仕事が主体のPFOでもなぜか複数のキャラクターを所持することができるのだ。
どうやらブラックリストは、登録したキャラクター単体に対して"のみ"有効であるらしく、荒らしプレイヤーが所持する他のキャラクターに対してはその効果が及ばないようだ。確かに京子のいうとおり、なぜそんなややこしい仕様にしたのか疑問を呈したくなるところではある。
けれども、今重要なのは荒らしを撃退できるか否かである。
多少手間であっても、キャラクターを変更するたびにブラックリストに入れていけば、いつかはすべてのキャラクターの登録が終わり、荒らしは入ってこれなくなるだろう。なぜなら、プレイヤーが所持できるキャラクターの数には上限があるからだ。
そのことを伝えると、京子はゆるゆると首を振った。
「ノンノン。キャラクターは作成と削除が簡単にできるっしょ」
「え? せっかく育てたキャラクターを削除するの?」
「や、既存のキャラクターはそのままで、一つのキャラ枠を使って新規キャラの作成と削除を繰り返すだけっしょ。いつでも捨てられるキャラクター、俗にいうところの捨てキャラってやつ」
京子の説明によれば、以下のようなことらしい。
まず、荒らし
そして悪質なのが、育成を一切しないという点。
一般的に、キャラクター削除という禁じ手を行うのに最も大きな障害は、愛着のあるキャラクターを消さなければならないという未練にあるだろう。しかし、捨てるためだけに作られたキャラクターにはそれがない。自分の分身を消さなければならない、身を切るような想い、それがない。だから簡単に作り直すことができてしまう。
そこに感情の入る余地はなく、まるで大量生産されるロボットのように無機質だ。
その一貫した悪意に、
「そ、そこまでするわけ」
「それは相手次第っしょ」
相手の執念次第。確かにこれでは、根本的な解決とはいえない。
しかしそれでも、私が一緒にいる時なら、一時的にとはいえ荒らしを退けることができるだろう。ただし問題はムー太が一人でいる時の方こそなのだ。果たして、のんびり屋さんのムー太が、ブラックリストの設定を迅速に行えるものだろうか。
「多分、無理」
ボンボンを使ってゆっくりと操作する。かたつむりの如きスピード。あれでは動き回るキャラクターにマウスカーソルを合わせるだけでも大変なはずだし、ブラックリスト入りが遅れれば、それだけ畑が荒らされてしまう。それでは駄目だ。
私は心の中で却下した。
「二つあるって言ったわよね。もう一つは?」
ドカ弁としか形容のできないサイズのお弁当箱を斜めにし、がっがっがと白米をかき込むことに夢中で京子の返答はかえってこない。一般的な女子のこじんまりとしたお弁当箱に比べて、四つ分はあろうかというキングサイズである。しかも底が深い。通いの家政婦さんが腕によりをかけて作っただけあって、内容は豪華で、軽いおせち料理みたいになっている。
思春期の女子にありがちな『小食の美学』的な言葉は、彼女の辞書にない。
「もうひとふは、ばふふぃっくをぷふぁいべーとにふるっしょ」
「ちょっと京子、ごはんつぶ飛んでる」
京子はもぐもぐとやりながら「でへへ」と笑った。同じことをムー太がやればかわいいのに。私の頭の中は、ムー太のことでいっぱいだ。
と、不意に京子が呻き声を発し、胸のあたりをドンドンとやりだした。彼女は震える指で手元のコーヒー牛乳を掴み、ストローを口に含むと、そのまま一気に吸い上げた。
パックが内側に大きく変形する。
しかし、ストローの内側をコーヒー色の液体が登っていかない。
代わりに、ジュボボボボ、と哀愁を誘う空気音だけが響いた。
みるみるうちに京子の顔色が青く変色していく。
そして何かを求めるように虚空に手を伸ばし、金魚みたいに口をパクパクしだす。
「み、水……」
私は吐息し、水筒のお茶を渡してやった。
「ぷはぁ! 生き返るぅ」
砂漠で水を得た旅人のように喉を鳴らして一気飲みすると、京子は手の甲で唇をぬぐって満面の笑みを浮かべた。
いけない。彼女のペースに付き合っていたらお昼休みが終わってしまう。
「それで、パブリックとプライベートが何だって?」
「おおう。ちゃんと聞こえていたんだねい」
おどけた調子で京子が答える。顔色はもう戻っている。
「ルームのオプションには公開設定があって、
「個別に対応するんじゃなくて、一括でシャットアウトするってことね。誰も入ってこれないなら、もう荒らされることは……って、ちょっと待って! それだと荒らし以外のプレイヤーも入ってこれないじゃない」
PFOの醍醐味は作物の栽培と収穫、そして収穫物の売却である。
作物の栽培、収穫、売却のタスクを通じて生じた利益を、新たな畑を購入する費用に
そしてなにより、ムー太はこの売却作業を一番の楽しみにしている。相場よりも安く作物を提供することで、お客さんの喜ぶ姿を見られるのが、どうやら嬉しいらしいのだ。ムー太のことを思えば、この方法では問題は解決しないだろう。
私は熟考し、当面の方向性を決めた。
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