第9話:モフモフと二人の選択

 草原へ向けた一本道、元来た道をアヴァンは引き返していた。


 その隣に七海の姿はない。


 濃淡ある霧の中を道から外れないよう気をつけながら、慎重に進んでいく。時折出現する魔物に一撃を見舞い、大地を揺るがし葬り去る。


 左腕に負った傷を止血し、アヴァンは悪態をついた。


「ちっ、この魔族モドキめ。個体数が多い割りにめっちゃ強ええ……」


 高い攻撃力と防御力を併せ持つ、戦士タイプの魔物であるとアヴァンは分析していた。このレベルの敵が村に押し寄せれば、被害は甚大――最悪、全滅もありうる。加えてこの霧で分断されれば、開拓民を守るなんて到底不可能である。


 惨劇が頭を過ぎり、それを振り払うかのように頭を振る。


 冒険先での生死はすべて自己責任と考えるのが、冒険者の常識だった。パーティを組んでいない限り、例え、同じギルドの仲間であっても助ける義務はないし、義理もないのだ。


 しかし、アヴァンはその中にあって異端だった。確かに彼自身、自己責任だとは思っている。姿を消したロッカとミスティを探しに行かなかったのも、それが理由だ。けれど、それは二人の実力を信頼しており、生還すると信じていた部分が大きい。


 目の前の死に行く仲間を見捨てられるほど、アヴァンの心は強くなかった。他の冒険者に甘いと言われることも数多くある。けれど、それでもやはり、目の前で困っている仲間がいたら手を差し伸べたくなるのだ。


 開拓の立ち上げを手伝っているのも、極力死者を減らしたいという思いからだった。


 ロッカとミスティは、なんだかんだと口は悪いものの、アヴァンと似ている部分がある。それは、アヴァン同様、無報酬で開拓を手伝っていることにも現れている。


「二人が、ナナミと揉めてしまったのは残念だったな」


 と、彼は後ろを振り返って独り言をこぼす。視界の先は白一色で何も見えない。


 その先にいるであろう七海を想い、ため息をつく。


 初めて七海と出会ったとき、単純にかわいいなと思った。彼女のことを知るに従って、その底知れぬ実力と、ミステリアスな雰囲気に魅かれていった。


 歳下のはずなのに、どこか超然としていて人間離れしているように感じる。その一方で、マフマフと触れ合う姿は、歳相応の少女にしか見えない。


 それらのギャップが魅力を生み、もっと彼女を知りたいと思った。


 マフマフを王家に献上せず、連れ回していれば、いずれ国を敵に回すだろう。それを考えると、居ても立っても居られず、気がついた時には同行を決めていた。


 少しでも力になりたいという気持ちと、七海と一緒に冒険をしたいという気持ちが合わさって、自分の地位が揺らぎかねない決断をしてしまった。


 ミスティが知れば、猛反対するだろう。逆賊になるつもりか、と叱られる光景が目に浮かぶ。


 そこまでの危険リスクを承知して選んだ道であったが、今ここに七海の姿はない。


 頭に浮かんだ走馬灯のごとき七海との思い出。再び前を向いて、アヴァンは悔しそうに唇を歪める。


「巻き込む訳にはいかないからな。これは俺たちの問題だ」


 七海の方が格上なのは間違いない。手伝ってもらった方が、生存率が上がるのもわかっている。実際、七海も手伝うと申し出てくれた。


 けれど、アヴァンは断った。先にルカスへ向かってくれと拒絶した。


 相手が魔将――つまり、魔族の将軍クラスの強敵であるならば、いくら七海が強いといっても危険であるからだ。


 伝え聞くところによれば、魔将の強さは王都を守る近衛騎士百人分の戦力に相当するらしい。王都の近衛騎士といえば、この国に暮らす者なら誰もが知るエリート集団である。国中から選りすぐりの精鋭を集め、王都防衛の要としているのだ。


 そんな連中と単騎で互角に渡り合ったとされる魔将。


 それはアヴァンが生まれる前のことなので、どこまで本当なのかはわからない。しかし、伝説に残るほどの強大な敵であることは間違いない。そんな強敵を相手に、無関係の七海を巻き込むわけにはいかなかった。


 これは森の主である魔樹を怒らせ、敵に回した自分たちの過失である。決着は、種を蒔いた者たちで着けなければならない。


 それに、とアヴァンは思う。男ならば、惚れた女を守ることはあっても、危険に晒すことは許されない。安全な場所で待ってて欲しいと願うのは、当然のことである、と。


 だから、アヴァンは一人で戻る。


 生還して七海と再会できることを信じて、その歩を進める。


「キシャアアッ!」


 不細工な叫びを上げる魔物を叩き潰し、都合六体目を倒したところで東門に到着した。霧の中、薄っすらと木製の門が浮かんでいる。


 肩で息をしながら、門へと近づく。


 地面に倒れた門番を発見して、すぐさま駆けつけ脈を取る。


「――クソッ!」


 腹部からおびただしい量の血が流れ出ていることから、予感はしていたものの、悪態をつかずには居られなかった。


 二人いるはずの門番は、けれど、一人しか見当たらない。


「――霧に飲まれたか」


 アヴァンは門へと近づき、両開きの扉を引いてみる――が、しっかりと錠が下ろされ、固く閉ざされていた。


「門は破られていないが……安心するのは早計だ」


 ブーツに刻まれた魔法式を起動して、アヴァンは大きく跳躍。木の柵を飛び越えて中へと入る。


 真っ先に感じた異常は臭いだった。吐きたくなるほど不愉快な、多くの人間が流した血の臭い。


 耳を澄ませば、遠くから人の叫びなのか悲鳴なのか、判別できないものが聴こえてくる。霧による空間歪曲がもたらす影響だろうと、アヴァンは結論付けて先へと進む。


 朝飯時には多くの冒険者と開拓民で賑わっていた広場――そこは今、見るも無残な有様だった。長机や小椅子はひっくり返り、高名な画家が描いた芸術作品の如く、鮮血で着色されている。


 喉の奥から不快なものが競りあがってきて、アヴァンは思わず口元を押さえる。


「……遅かったか。まるで地獄のようだな」


 頭を貫かれた屍が、皿に顔面を突っ込んだまま事切れており、その様子が血をすする悪鬼のように映る。転がる死体の数々は、鋭利な刃物で全身を串刺しにされて絶命していた。


 魔族モドキの仕業であるとアヴァンは断定し、七海の言葉を思い出す。


 ――この緑のやつは、普通の魔物じゃないよ。魔眼狼より強い化け物が、食物連鎖のピラミッドの頂点に、これほどの数いるわけない。多分、魔樹が生み出した魔物……差し詰め、魔樹の下僕ってところかな。


 その通りだとアヴァンは思う。


 事前の調査において、魔族モドキの存在は確認できなかった。これ程、頻繁に遭遇する魔物を見逃すとは考えにくいし、ベースキャンプを張るまでに倒した魔物の中にも含まれていなかった。


 それが突如として、ぞろぞろと出現するのはいくら何でも都合がよすぎる。


 つまり、誰かが操り、同時攻撃を仕掛けてきたと考えるのが順当だ。


「ナナミはすごいな。聡明で観察眼に優れたステキな女性だ。もっと彼女のことを知りたかったな」


 いつの間にか自分を囲んでいた十二体の魔族モドキを前にして、アヴァンは遠い目で呟いたのだった。




 ◇◇◇◇◇


「完全に死亡フラグなんだよねぇ……」


 七海は腕に回した金の腕輪を眺めながら呟いた。アヴァンと別れてから、彼女は一歩も動いていない。


「むきゅう?」


 疑問符を浮かべるムー太を鼻先に近づけて、顔をうずめながら七海は考える。


 正直なところ、見ず知らずの開拓民や冒険者を助ける義理はない。けれど、親切に接してくれたアヴァンを見殺しにするほど心は凍っていなかった。


「だから手伝うって言ったのに」


 その申し出をアヴァンはキッパリ断った。七海は食い下がり、押し問答になりかけたところで、彼はこう言った。


『ナナミにとっての最優先はなんだ?』


 間髪入れずに七海は『ムー太』だと答えた。それを聞いたアヴァンは笑い、そして言ったのだ。『なら、そいつのためにも危険に飛び込むのは避けるべきだ』と。


 何も言い返せなかった。その通りだと思ってしまったからだ。


 ムー太を危険に晒してまで、助けると断言するほど、二人は親密ではない。そもそも、出会ってまだ半日も経っていないのだから当然だ。


 打算的ともいえる論理的思考が、アヴァンの主張を正しいと認めてしまった。


 そして、二の句を継げずに立ち尽くす七海の両手を、突然、アヴァンは握り締めて言った。


『先にルカスへ向かってくれ。これを腕に付けておけば、街に入っても問題ないから。【移ろいの宿】という宿屋で三日だけ待ってて欲しい、宿代も渡しておく』


 離された両の手に視線を落とすと、冒険者の証である金の腕輪と、貨幣が入った布袋が置かれていた。


 どういう事かと問う七海に、アヴァンは当たり前のことであるように言った。


『もし、三日経っても戻らなかったら、死んだものと思ってくれ。それは大切なものだから、三日ぐらいは待っててくれよ?』


 決意が込められた勇敢な男の顔だった。少しだけ心が揺らぐのを感じた。


 その隙を突いて、アヴァンは踵を返すと霧の中へと走り去ってしまったのだ。


 恋人同士じゃあるまいし、固い決意を踏みにじって追いすがるのも気が引ける。結局、七海は気の利いた言葉一つ掛けることなく、無言のまま見送ったのだった。


 そして現在に至るわけであるが――七海はとにかく、もやもやしていた。


 借りた腕輪がどれだけ大切なものなのか七海は知らない。


 が、冒険者を生業とする者にとって、その証がどれほど大切なものなのかは想像に難しくない。七海の知る常識の範囲で考えて、身分証を貸すという行為は違法であり、その事実だけを以って資格を剥奪されかねない危険な行為であった。


 命の次に大切な物かもしれない。それを手渡されたことが心に引っ掛かり、もやもやを生んでいた。


「お人好し? ううん、格好つけすぎ!」


 ぐりぐりと両手を動かす。


「遠慮するなって言っておきながら、自分は遠慮するってどーいうこと!!」


 両手に力を込めて、もやもやを吹き飛ばすようにぐりぐりと動かす。


「三日経っても帰って来なかったら、後味最悪だよ!!!」


 更に強く、もっと強く、七海は両手を動かし続けた。


「むきゅううう」


 と、物思いに耽っていた七海は、ムー太の悲鳴でわれに返る。


 いつの間にか、ムー太の全身をぐしゃぐしゃに撫で回していたらしく、色んな方向に毛先が向いてしまっている。七海は慌てて、毛並みを整えながら謝った。


「ごめんね、ムー太」


「むきゅう」


 ムー太は頷くと、ぽふぽふと頬を撫でてくる。仲直りの印だろうかと七海は思い、右手で片方のボンボンを握り返す。


「ねえ、ムー太。ちょっと寄り道していい?」


「むきゅう?」


「アヴァンを助けようと思うの。だから、ちょっとだけ戻りたいな……って」


 つぶらな黒目を瞬いて、ムー太は眉間の黒線を歪めて沈黙した。考え事をしているのか、ボンボンがゆらゆらと揺れている。


 だんだんと不安になってきて、七海の表情が曇っていく。嫌なのだろうかと諦めかけた時、鼻先にボンボンが当てられる。「くしゅん」と可愛らしいクシャミが出たタイミングで、ムー太も合わせて鳴いた。


「むきゅう」


 それは肯定の響きを含んだ鳴き方。しかもコクリと頷く仕草。二つの意味するところは一つしかない。


 七海は間違いないと判断し、ムー太を顔の高さまで持ち上げた。


「ありがとう。流石、私の可愛いムー太!」


 チュッと額にキスをする。


「むきゅう?」


「一気に駆け抜けるからビックリしないでね? 私の記憶だと確かこっち。……行くよ!」


 七海は来た道を引き返すのではなく、森の中へ全速力で突っ込んだ。


「むきゅううううううう」


 迫りくる木々が怖いのか、ムー太は悲鳴を上げた。高速で迫りくる――正確には七海が高速で移動している訳だが――木々を紙一重で避けながら、最小のタイムロスで駆け抜ける。


 しばらくすると、ムー太は諦めたのか、ボンボンで目を覆い現実逃避モードへと移行していた。七海はクスッと笑う。


 枯れ枝を踏み抜き、乾いた音が響く。けれど、その音が周囲に伝わる頃、その遥か先にある別の枝が踏み抜かれる。地を蹴り、草を踏み倒し、落ち葉が舞い、風と一体となり疾走する。


 目指すはこの森の主――魔樹の元。


 アヴァンの決意を尊重した上で、彼を救う方法はただ一つ。


 ――魔樹を討つ。


 勝算はある。


 魔族と戦うことに忌避感はない。


 世話になった恩人の命を奪った魔族。怒りに駆られて根絶やしにしようとしたことさえあった。魔将を倒した実績もある。それらすべてを総合して出された結論が魔樹の討伐だった。


 しかし、ムー太の安全面を考えるとそれは絶対ではない。だから七海は固く決意する。ムー太を守ることが最優先、それが無理なら逃げ出すことも厭わない。


 頭の中でムー太を守るシミュレーションをしながら、森の中を駆ける。


 と、視界いっぱいに白い壁が立ち塞がり、七海は急ブレーキをかけた。


「濃霧の壁で行く手を阻むってことは、魔樹が近い証拠だね。さて、どうしようかな」


 濃霧の中を歩いても、七海は空間歪曲の影響を受けない。しかし、結局、濃霧の中では視界が利かず、方向感覚が狂ってしまうことに変わりはない。


 道に迷っている時間はないのだ。


 七海は顎に手をあて、空を見上げる。


「空からなら行けるかな?」


 と、その時。


「クォーン」


 敵意のない甘えるような遠吠えが耳に入る。後ろからだ。


 七海は振り返り、耳を澄ますと、遠くから草を踏み抜く足音が近づいてくる。


「むきゅう」


 ムー太は嬉しそうにボンボンを振っている。


 それを見て、七海は確信した。ムー太は魔物なので、人間より鼻が利くのだ。


 茂みを掻き分け、霧の中から姿を見せたのは案の定――包帯を巻いたままの魔眼狼だった。


 魔眼狼は腰を下ろし、地面に寝そべりうつ伏せとなる。鼻先のジェスチャーで何度も後ろを指し、更には背中を震わせて何かを伝えようとしていた。


「ポチだよね。後ろに乗れっていいたいの?」


「クォーン」


 魔眼狼は頷く。どうやら、ポチで間違いないようだと七海は判断する。


「魔樹のところまで行ける? この森で一番大きな木だよ」


「クォーン!」


 力強く鳴いたポチを信じて、その大きな背中によじ登る。七海はムー太を抱えたまま、馬乗りに跨るとポチの耳元に顔を近づけてから言った。


「濃霧を突っ切って大丈夫だからね。最短距離でお願いするよ、運転手さん」


「クォーン!」


「むきゅう!」


 なぜか同時に鳴いたムー太の号令と共に、ポチは走り出す。七海は感慨深い気持ちになり、誰に言うでもなく呟いた。


「やっぱり恩は返さないとってことなのかな。私もアヴァンに返さないとね」

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