第8話:モフモフと霧の中の攻防

 宿舎代わりのテント郡を抜けて、一同は東門へと向かった。門と言っても、即席で作られた簡易的な木製の門で、魔物の侵攻を阻めるのかと問えば疑問が残る。


 朝飯の時間は終わったようで、開拓民たちはそれぞれの道具を手に持ち、ぞろぞろと村の外へ出ていくところだ。


 東門の前には、二十名程の開拓民と護衛の冒険者が集まっている。


 それらを二名と一匹は見咎みとがめられることなく通過した。アヴァンが一声掛ければ、顔パスだったという訳だ。


 門の外に出ると、森を二分するように道が真っ直ぐ続いていた。馬車が通れるサイズの道幅で、街道とまではいかないが、よく整備されている。人の手によって切り開かれた人工的な道だった。


 アヴァンは歩を進めながら、得意顔で説明する。


「補給物資用の道を作るのには苦労したよ。これが完成したからこそ、こうしてベースキャンプを張ることができたんだ」


「ずっと同じ景色が続いてて、ループしそうな雰囲気だね。迷いの森って感じ」


「ここは森の外れだから、少し歩けばすぐに草原へ出るぞ。冒険できなくて残念だったな」


 アヴァンの言う通り、しばらく歩くと森の終わりが見えてきた。木々の連なりが途切れ、その先には緑の野原が広がっている。


 ムー太は新たな冒険を予感して、胸の高鳴りを感じた。七海が奏でる鼻歌に乗せて、自身も合わせて鳴いてみる。


「ふんふんふーん」


「むきゅむきゅむきゅーう」


 体を上下に伸ばし、リズムに合わせて伸縮させる。「ふ」で体を縮め、「ん」で体を伸ばし、これを鼻歌に合わせて繰り返す。それを見た七海が楽しそうにするものだから、ムー太はなおさら張り切ってしまう。


 七海の胸の中は、暖かくて良い匂いがする。とっても心地良いムー太専用の特等席だ。しかも、外敵を排除してくれるのだから、これ以上の環境は望めない。

 よく考えてみれば、魔眼狼に襲われたときに助けてくれたのも彼女なのだ。そして更に、ムー太の探し物を一緒に探してくれるという。


 言葉では言い表せないほどの感謝がムー太にはあって(しゃべれないけれど)、だからこのぐらいのことで七海が喜んでくれるのならば、お安い御用なのである。


「ふんふんふーん」


「むきゅむきゅむきゅーう」


 気分は最高。ムー太はご機嫌だ。


 が――


 鼻先を掠めた湿気を敏感に感じ取り、ご機嫌モードは終わりを告げた。体が濡れるのを想像してしまい、ムー太の元気はなくなってしまう。


「むきゅう……」


「どうしたの、ムー太?」


 七海は問いながらも、すぐにその原因に気がついた。霧が左右の森から押し寄せてきており、二人を飲み込もうとしている。


「ちっ、濃霧とは厄介だな。だが、道に従って真っ直ぐ行けばすぐに出口だ。慎重に進めば問題ないだろう」


 が、鋭い叫びが背中を叩き、アヴァンはビクッと足を止める。


「アヴァン、動かないで!」


 七海は叫ぶと同時、濃霧に向けて風魔法を放った。強風が吹き荒れ、小規模の竜巻が発生。竜巻はそのまま濃霧の中へ割って入り、そして濃霧を――


「――ッ!」


 声にならない驚愕の吐息がもれる。アヴァンのものだ。


 結論から言えば、濃霧は吹き飛ばなかった。それどころか、暴風を伴っていた竜巻が跡形もなく消え去っている。まるで、霧の中に吸い込まれてしまったかのように。


「やっぱり、これはただの霧じゃない。空間歪曲を伴う魔法の霧だよ」


「空間歪曲? どういうことだ」


「空間を歪ませる霧ってことだよ。例えば、一歩進んだだけで別の場所に出てしまったり、その逆でいくら進んでも全く進めなかったり」


「……ふむ。つまりこう言いたいのか? 風魔法が前触れなく消え去ったのは、別の場所へ転移したと」


「理解が早くて助かるよ。竜巻を他の魔法で打ち消したのなら、その余波が発生するはず――けど、そんなものは無かった」


 額から吹き出る汗を拭い、アヴァンは周囲を油断なく見回す。緊張からかその表情は険しいものとなっている。


 霧は道を塞ぎつつあり、進路も退路も窮まろうとしていた。


「教えてくれ、対処法は?」


「濃霧に飲まれても、ぜったい動かないことだよ。座標が変わらなければ、空間も移動しないはず。その証拠にアヴァンはさっき大丈夫だったでしょ?」


 難しい話が続いていて、ムー太にはよくわからない。七海の腕の中で、ぼーっと成り行きを見守るしかなかった。


 まん丸の黒目をパチパチさせて、状況を把握しようと努めるアヴァンを眺めてみる。彼は、一つ一つの答えを吟味して頷いていたが、何かに気づき、ハッとして顔を上げた。


「待てよ? ということは、ロッカとミスティもこの霧で?」


「……多分ね。一流の冒険者二人が、霧の中で無闇に動いて遭難なんておかしいと思ったんだ。それと――」


 七海は地を蹴り、大きく跳躍して回し蹴りを放った。弧を描く優美な曲線が、濃霧を切り裂くように左から右へと走る。


 ビュウッと冷気を含んだ突風が吹き、七海は着地。


 突然の回転にムー太は目が回る。ぐわんぐわんと揺れる視界の先、見慣れぬ氷像が三体出現していた。


「むきゅう!?」


「なっ、これは魔物……いや、人型だから魔族か? いつの間に……」


 緑色の肌を持ち、緑黄の瞳を見開いた人型の生物。肌はラバースーツを着ているように滑らかで、胸部に膨らみがあることから雌のようにも見える。


 爪先はサーベルのように鋭く尖り、今にも振り下ろされんという所で止まっていた。


 七海の合図と共に、三体の氷像は砕け散る。


 敵の奇襲に驚いたのか、あるいは仲間を案じてなのか、アヴァンの顔色は優れない。長剣を引き抜き構えるが、肩には不自然な力みが発生していて緊張が窺える。


 そんな様子を察してか、七海は努めて明るい表情を作ると、アヴァンの口調を真似して得意げに言った。


「空間が歪んでいるからな、霧を伝って敵が転移してくることも可能だ――、なんてね」


 照れ隠しからか、舌をペロッと出して笑ってみせる。


 アヴァンもつられて笑い、肩をすくめる仕草を作る。どうやら、いくらかの緊張が解れたようだ。


「まったく、ナナミには驚かされるな。しかし、霧の中で襲われたらまずくないか? 応戦する他ないし、ロッカたちもそうしたはずだ」


「確かにマズイけど――」


 濃霧が迫りつつあるのを横目で確認すると、七海は迷わずアヴァンの元へ駆け寄った。そして、その手をぎゅっと握る。


「な、なにを」


 照れるアヴァンとは対照的に、七海は涼しい顔を崩さない。


「私は空間固定の魔法式を組んでるから、強制転移系の魔法は効かないんだ。こうして手を繋げば、アヴァンにもお裾分けできるんだよ」


「……空間固定だって? 聞いたこともない魔法ばかり出てくるな」


 問いには答えず、彼女はウインクして、


「でも、ずっと手を繋ぐわけにはいかないからね。君にも同じ魔法を掛けてあげるよ、即席のやつだけどね」


 七海が魔法を唱えると、淡い光がその華奢な体を包み込んだ。続いて、胸の辺りには円形の魔法式――魔法陣ともいう――が浮き上がり、赤色の光は布地を貫通して像を成す。魔法式は極小の光の文字から形成されていて、複雑な魔法式をいくつも重ねることで一つの魔法を発動させる。


 光の文字は胸から腕へ、腕から手、手から指へと広がっていく。それは体内に刻まれた魔法式を順番に起動しているに過ぎず、現在進行形で記述している訳ではない。


 やがて全ての魔法式が起動して、七海の全身が光の文字で埋め尽くされると、今度は握った手を伝わってアヴァンの腕へと伸びていく。


 息を飲む音が聴こえた。


「こ、これは……」


「心配しないで大丈夫だよ。一時的に魔法式のコピーを貸すだけで、時間が来れば勝手に消えるから」


 浮き足立った自分を戒めるように、アヴァンは大仰な動作で頷いてみせる。やがて魔法式がその全身に行き渡ると、空間固定の魔法が発動し、強烈な光が明滅する。 


 しばらくすると光は消えて、沈黙が降りた。


 最後の光が眩しくて、ムー太はしょぼしょぼする目をボンボンで擦る。再び目を開けると、七海がそっと手を離すところだった。


 アヴァンは手の平を顔の前へ持っていき、しげしげと見つめる。


「……成功したのか?」


「うん。それと、効果は約一時間だから気をつけて。もっとも、敵さんは物理的に私たちを仕留めるつもりみたいだけど」


 濃霧は二人を取り囲むように漂っていて、それ以上迫ってくる気配がない。上空から見れば、そこだけぽっかりと穴が空いている状態だ。


 ふいに、新たな人影が霧の中から現れる。その数は五体。


「キシャアアッ!」


 知能の欠片もないような叫びを上げ、緑の魔物はサーベルのように鋭い爪を一つにまとめ、アヴァンに向けて振り下ろした。


「来るってわかってれば、対処はできる!」


 振るわれた斬撃を長剣で受け止め、右へと流す。同時に間合いを一気に詰めると、がら空きの懐へと侵入。これを横に一閃する。


 金属がぶつかるような高音が耳をつんざく。


 その胴を二分するはずだった長剣は、しかし、わき腹を少し傷つけただけで、その刃を止めていた。


「キシャアアッ!」


 再び振るわれた爪サーベルの一撃をアヴァンは紙一重で避ける。頬が浅く裂け、じわりと血が滲む。


「言い忘れてたけど、そいつ結構つよいからね」


 と言いつつも、七海はすでに二体の魔物をほふっている。


「ナナミは化け物か……。いや、俺も負けてられないな」


 誰にも聞こえない独り言を呟くと、アヴァンは長剣に魔力を込めた。刀身に刻まれた魔法式に光が灯り、剣全体が青白く輝く。


 上段の構えを取りつつ、地を蹴りダッシュ。互いの間合いに入った瞬間、アヴァンは長剣を思いっきり振り下ろした。


「キシャアアッ!」


 緑の魔物は長剣の軌道に目もくれず、アヴァンの心臓目掛けて突きを放った。その刹那、アヴァンの斬撃は加速して魔物の鎖骨に命中――否、命中する前に魔物の体は大きくひしゃげた。


 まるで巨大な岩に押しつぶされたかのように、ぺしゃんと縦に潰れたのだ。魔物が放った必殺の一撃ごと沈み込み、その切っ先は届かない。


 そのまま長剣を振りぬけば、魔物は絶命するほかない。そして、剣先が地面に激突した瞬間、轟音と共に大地が揺れた。地響きを伴うほどの大きな揺れだ。


 アヴァンは得意顔で振り向くが、


「ちょっと、アヴァン! 地面揺らすなら先に言ってよね!」


「むきゅう!」


「す、すまん……」


 大地を揺るがす強烈な振動に、ムー太は心当たりがあった。あれのせいで何度転んだことか、と苦々しく思う。幸い、今は七海に抱かれているので大丈夫だけれど。


 そんなやり取りを間に挟みつつも、戦闘は継続している。


 残った魔物二体のうち、右側の敵に七海は跳躍した。凄まじいスピードで視界が移り変わるが、ムー太の体には風圧や重力などの負荷が一切掛からない。七海の魔力が保護膜のように働き、守ってくれているのだ。


 一瞬にして魔物との間合いを詰めて、七海が掌底を放つ。


 掌底は魔物の腹部に命中。瞬間冷却と打撃が合わさって、その胴体は二つに砕けて空を舞う。その残骸は、地面に落ちることなく、空中で氷塊へと変わり粉々に砕けて消えた。


 そこで足を止めたりせず、すぐに次の標的へ向けて跳躍。迎撃に回された爪サーベルが七海の肩へと迫るが、彼女はこれを避けようとしなかった。


「ナナミ!」


 稲妻のように鋭い爪サーベルの一閃が、小柄な少女の肩へ突き刺さる。が、命中した先端から順番に、まるでドライフラワーのようにボロボロと崩れていく。その崩壊は爪だけに留まらず、腕へと伝わり、胸へと広がり、体全体を蝕んだ。


 為す術なく崩れ去る魔物の体。それを見たムー太は不安になって、自分の体が崩れたりしないかボンボンで触ってみる。変わりのない柔らかな感触を確認して、ホッと胸を撫で下ろした。


 そんなムー太を撫でながら、七海の方も一息ついて、


「そうとう厄介なやつを敵に回したみたいだね」


 アヴァンは歩み寄りながら、肩をすくめて苦笑。


「その割に、随分あっさり倒していたように見えたが」


「ううん、親玉の話だよ。ちょっと待ってね」


 疑問符を浮かべたアヴァンに断りを入れて、七海は片膝をついて屈むように座ると掌をぺたりと地面につけた。目を瞑り、何かを探るように意識を集中。すると、掌から赤紫の光が発せられ、水面を伝わる波紋のように地面に流れ広がっていく。


 本物の波との違いは、直立する木々でさえも登り伝わっていく点にあるだろうか。同心円状に広がる光の波紋は、隣接するものすべてを飲み込んでいくかのようだ。


 緑の大地に浸透する赤紫の波は、半径十メートルほどに広がったところでその拡大を止めた。と思いきや、ふいに光の水面みなもが爆ぜて空中に四散。光のプールは一瞬で消滅した。


 賞賛の拍手を送るムー太に微笑を返しながら、七海は立ち上がり、


「やっぱりね。地面におびただしい数の魔法式が埋め込まれてる」


「どういう……ことだ?」


 事態を飲み込めない様子のアヴァンが唸る。

 それに対し、七海は少し考えてから言った。


「転移魔法や空間歪曲は、空間魔法と呼ばれる系統の中でも最高峰の魔法なんだけど、どちらにも共通するのが、複雑で高度な魔法式を事前に準備しておくことなんだよ。だから、感知魔法を使ってみたんだけど、思った通り地面に魔法式が張り巡らされてたってわけ」


 一拍置いた後、彼女は結論を言った。


「つまり、霧が掛かっている範囲すべてに魔法式が刻まれている」


 渦を巻き周囲を漂う濃霧と、見た目にはなんの変哲もない地面を交互に見比べ、アヴァンは信じられないという顔を浮かべる。俯き、


「俺たちをるために、そんな大掛かりな魔法式を組んだっていうのか……」


 神妙に七海が頷き、補足する。


「でもね、複雑で高度な魔法式を仕込むとなると、すごく時間がかかるんだ。森全体ともなれば尚更。だから事前に仕込んであったんだと思う」


「一体、誰がそんなことを……やっぱり、魔族か?」


「例え魔法式が事前に組まれていたとしても、これほどの高等魔法を広範囲に渡って展開、かつ、維持するなんて並の魔族じゃないよ。相手は魔将クラスの強敵だろうね」


「魔将!? 魔族の将軍がこんな辺境の地にいるっていうのか!?」


 事も無げに言った七海に、納得がいかなかったのかアヴァンが食ってかかる。冷静を欠いた剣幕に、しかし七海はあっさりと応じた。


「ううん、魔将じゃなくてそれと同等の力を持つはぐれ魔族がいるってこと」


 一瞬だけ安堵を浮かべ、そしてすぐに驚愕を浮かべ直す。実際のところ、彼女の言う通りならば最悪の状況であることに変わりはない。それを再確認したのだろう。アヴァンは頭を抱えた。


「そんな化け物がいるなんて信じられん。いや、事実異変が発生している以上、信じるべきなんだろう。だが……一体何者なんだ。ナナミは知っているのか?」


 地面に視線を落とし、七海が答える。


「魔法式は地脈に沿って網の目のように走っていた。まるで木の根のようにね」


「まさか……」


「そう、敵に回してしまったのは樹齢千年を超える大樹。この森の名前にも冠されている――魔樹だよ。森全土に根を下ろしていればこそ、魔法式を森全体に仕込むことが可能だったんだ」

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