名誉挽回の処方箋4

「嘘でしょ」


 画面に表示された数字を凝視し、私は絞り出すように呻いた。

 それはにわかには信じがたい光景だった。

 天を仰ぐとはまさにこのこと。目の前が真っ暗になった。




 ◇◇◇◇◇


 少し時をさかのぼる。

 ムー太を寝かしつけた私は早速【Plant Farm Online】を起動し、農場の再建に取り掛かることとした。

 まずは荒れ放題となった畑を耕さなければならない。この作業は、くわをキャラクターに装備させ、畑の上で左クリックすることで耕していくことができる。地形によって、耕すために必要なクリック回数が決まっているのだけれど、今回は元々畑だったということもありクリック回数のノルマは少なめだ。

 とはいえ、ムー太が育て上げた農場は結構な規模となっており、そのほぼすべてを耕し直すとなると、なかなか骨が折れる作業と言わざるを得ない。結局、作業を終えたのは開始してから二時間後の午前一時すぎだった。


 欠伸あくびを嚙み殺す。

 まだまだここでは終われない。眠気を覚ますためにコーヒーを淹れる。ティーカップに口をつけ一口すする。伸びをするとまた一つ欠伸が出た。振り返ると、ムー太がすやすやと寝息を立てているのが見えた。


「次に目が覚めたら農場は元通りだからね」


 次の作業は種蒔たねまきだ。

 PFOの畑は、ショップで販売されているものとガチャで入手するものの二タイプがある。違いは育てられる作物の種類にあり、これを畑の属性と呼ぶ。ショップで販売されている畑の属性は平凡なもの(ジャガイモ、キャベツなど)が多く、ガチャで入手可能な畑の属性は希少レアなものが多い。当然、希少な作物ほど高く売れる。


 さて、私は荒れた畑を耕しただけで既存の畑を削除した訳ではない。必然、畑の属性は消えることなく残っている。つまり、どの種を蒔けば良いのかは、畑の属性を調べれば一目瞭然いちもくりょうぜんというわけだ。

 私は手頃な畑の属性をチェックし、早速作業に取り掛かろうとした。しかし、所持品インベントリを覗いてみて、妙なことに気が付いた。


「あれ? おかしいわね。種が一つもないわ」


 PFOは[畑を耕す→種を蒔く→水をまく→作物が実る→収穫する→販売する]のサイクルを繰り返し、生じた利益で新しい畑を購入して農場を大きくしていくゲームである。同じ工程を繰り返す利便上、何度も使うアイテムはインベントリに入れたままにしておくほうが効率が良い。例えば、畑を耕すくわを専用の倉庫へ収納した場合、最初の工程(畑を耕す)を迎えるたびに倉庫へ走って取りに行くはめとなり、非常に効率が悪く面倒となるが、インベントリに鍬を入れたままにしておけばその手間は省け、装備を切り替えるだけで速やかに作業へ移れる。


 この考え方は、種に対しても同様だ。種は数十種類あるので、その一つ一つをいちいち倉庫から取り出し、事が済んだらまた仕舞しまうなどとやっていては、くわの時以上に面倒で、非効率的でもある。


 ムー太はドジっ子だけれど、決して頭が悪いわけではない。何度も試行錯誤を繰り返して、この事に気づかなかったはずがない。


 ならば、どう考えても種を持っていないのは不自然だ。


「在庫不足ということもありえるっちゃありえるけど……」


 種はショップで購入することができ、ゲーム内のお金さえあればいくつでも購入することが可能だ。つまり、在庫の補充はいつでも簡単に必要な数だけ、迅速に行えるということ。だから、数十種類とある内の数種類が不足するだけならまだしも、すべての在庫がなくなるというのはやっぱりおかしい。


 念のため、倉庫を覗いてみる。

 そこには予想通りというべきか、種の在庫はなかった。

 に落ちないまま、私はショップを開き、種を購入しようとした。そして驚愕きょうがくすることとなる。


 何に驚愕したか。

 種の購入ができなかったのである。


 なぜ購入できなかったのか。

 所持金が足りなかったのだ。


 それまで私は、所持金をよく見ていなかった。意識の端では見ていたとは思う。ただしかし、数字が並んでいるとしか認識していなかった。だからその数字を見た時、私は悲鳴のような声をあげていた。


「嘘でしょ」


 そこにはこう表示されていた。


 -15,000,000G


 数字の先頭にマイナスがついている。

 これは表示がバグったのではない。仕様だ。PFOは、畑を担保に借金をすることができる。


 私は焦った。


 借金には返済期限が決められていて、期日までに返せない場合は担保、すなわち畑を返済に当てられ売却される。


 そして、今、私は種を購入することができなかった。

 この事実は、ある切羽詰まった状況を示唆しさしている。


 通常、ゲーム内マネーが不足している場合「銀行に融資を依頼することができます。融資を受けますか?」というメッセージがポップアップされる。しかし今回、その表示はされず、単純に「資金が足りません」とだけ表示され、購入を拒否された。これはこれ以上借りることができない、つまり、借金の上限に到達していることを意味する。

 借金ができないということは新たな担保を用意することができないということだ。逆に言えば、現在所有している畑はすべて担保に指定されているということ。そして返済期日を超過した場合、担保の畑は自動売却されて消滅する。すなわち、


「期限内に返済ができなければ、ムー太の農場は完全に失われる」


 ちらりと返済期日を見る。

 最初の返済期日はちょうど一週間後。その後、毎日細かい返済が続き、最後の返済は一か月後のようだ。

 しかし、短い。短すぎる。1500万は相当な大金だ。一か月で返済するのはどう考えても難しい。私がプレイしていた時の一日の売り上げは、だいたい6000~8000Gほどだったが、それでは全然足りない。ムー太の農場は私がプレイしていた頃より大分大きくなっているので、売り上げもその何十倍とあるだろう。けれど、それでも1000万には遠く及ばないと思われる。


 というかそもそも、所持している種はゼロで、ショップでの購入もできないのだから、新しく作物を作って売ることなどできないではないか。


 詰んでる。完全に詰んでいる。


 しかし、なぜムー太はこんなにも借金を膨らませてしまったのだろうか。


 普通にプレイしていて借金が必要になる場面は、ほぼほぼないと言える。

 もちろん、私は借金などしなかったし、私にこのゲームを紹介した京子でさえも「急速な発展のため序盤に使うことはあっても、ゲームが安定する中盤以降に使うことはまずない」と断言していた。

 ムー太の農場は利益度外視で経営していた面はあったものの、安定したサイクルは確立していたので、借金の必要性があったとは思えない。それなのにどうして借金をしたのだろうか。


 借金をするということは農場経営が赤字に転じたということ。

 赤字になるパターン。

 考えられるのは、高級な種を大量に購入し、その栽培を失敗した場合になるだろうか。畑の維持には定期的な水まきが必要で、それを怠ると畑が荒れ果て作物が全滅してしまう。当然、作物が全滅すれば収入はゼロとなり、購入した種の費用だけ赤字となる。種が高級なら高級なほど、損失も比例して大きくなっていく。


 そこまで思考した時、私は心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを覚えた。


「畑がダメになった原因なんて明白じゃない」


 畑が荒れ果て、ダメになる原因は他にもある。

 私は昨日、その光景をこの目で見たばかりではないか。

 明滅する画面。響き渡る轟音。派手なエフェクト。そして大地に大斧を突き刺す全身鎧のアバター。それは底なしの悪意をまき散らす荒らしと呼ばれるプレイヤーの暴挙である。そしてその結果、畑は見るも無残な姿に……。


 そもそも、一度や二度の失敗で借金が必要になるなんてことは、このゲームにおいてまず考えられない。通常プレイで借金が必要となるのは、京子が言っていたとおり、序盤に限られているからだ。にもかかわらず、ムー太の農場経営は借金が必要になるほど赤字が続いた。それはなぜか。答えは明白だ。


 継続的な妨害を受けたから。それ以外に考えられない。

 荒らしプレイヤーの嫌がらせは、私が見た昨日だけの出来事ではなかったのだ。

 おそらくそれは長期間に渡ったはずだ。


 妨害を受けるたびにムー太は農場を立て直そうと一生懸命に頑張った。畑を荒らされ作物をダメにされても、何度も愚直にやり直した。収入を閉ざされ、借金を背負うことになっても、それでも諦めることだけはしなかった。その結果、借金は膨らみ返済ができないまでに至ってしまった。


 これでインベントリに種を所持していなかった理由も説明がつく。

 ムー太は最後まで勇敢に戦ったのだ。最後の一粒を蒔き、それが散らされるその瞬間まで諦めることなく戦い抜いた。だから、インベントリにはただの一つも種が残されていなかった。


 目頭が熱くなるのを感じた。

 ムー太の無念を思うと、胸が張り裂けそうなほどに痛い。


 どうして気づいてあげられなかったのだろう。

 思い返してみれば、ムー太の様子がおかしい日は確かにあった。けれどもまさか、オンラインゲームで嫌がらせを受けていたとは夢にも思わなかった。


 それにしても、一体いつから嫌がらせを受けていたのだろう。

 私の記憶によれば、借金の返済期限はぴったり三十日のはずだから、返済期日から逆算して最初の借金は三週間前にしていたということになる。


「三週間前というと……」


 私は記憶を呼び起こそうと目を閉じた。


「そう。確か、雪が降っていた」


 まぶたの裏にしんしんと降り積もる雪の映像が蘇った。

 あの日は、記録的な大雪で積雪は二十センチを超えていた。私はムー太を連れて近所の公園へ出向き、一緒に雪だるまを作って遊んだりした。ムー太を雪の上へ置くと、寒いからなのかあるいはそういう習性からなのか、雪にお尻をこすりつけて穴を掘ろうとする姿が可愛かったのをよく覚えている。


「あれ? なんで外に出ようとしたんだっけ」


 記憶をさらにさかのぼる。

 雪だるまを作る前は……確か……そう、ムー太とかくれんぼの勝負をしていた。ムー太が鬼で、私は隠れ役。勝負の結果はいつもどおりムー太の勝利に終わったのだけれど。そしてその後――


 ざわりと心がざわつく。

 嫌な予感がした。

 そして私はすべてを思い出した。

 吐息が漏れる。


「ああ……」


 ムー太がパソコンの前でうな垂れていた。ボンボンはしおれて垂れ下がり、明らかに元気がない様子だった。


「なんてことなの……」


 スクリーンセイバーが解除されたばかりのディスプレイには、荒れ果てた畑が映し出されていた。その時は、それが特段変わったことだとは思わなかった。私は単純に、ムー太が水をまくのを怠り、畑を荒廃させてしまったのだと考えた。

 だから私は軽い気持ちで励ましてしまった。


「残念だったね。大変だろうけど、今度は枯れないように気をつけて育て直そう。諦めなければそのうち願いは叶うんだからさ。今までもそうだったじゃない。ムー太はがんばり屋さんだから、きっとすぐだよ」


 それがどんなに残酷な言葉だったのか、今になってようやく理解した。

 ムー太を苦しめた張本人は私だったのだ。


 私の発言がムー太へ及ぼす影響は決して軽微けいびなものではない。ムー太が私のことを信頼してくれているからこそ、その信頼に比例して、私の発言はムー太に多大な影響を及ぼすことになる。


 例えば、私が一言「大丈夫」と言えばムー太は無条件で安心するし、また反対に「危ない」と言えば、びっくりして私の方へ逃げてくるだろう。

 同様に、私が「がんばれ」と言えば、ムー太は本当に頑張るだろう。言われた通りに、素直に真っすぐな心で、頑張り続けるだろう。それこそ農場が借金まみれとなり、完全に詰んでしまうまで。


 何が「諦めなければ願いは叶う」だ。

 いくら頑張ったところで、荒らしプレイヤーに妨害され続けたら、永遠に報われるはずがない。種を購入して畑に蒔いたとしても、育てているところを片っ端から攻撃されるのだから、どう頑張っても収穫まで辿り着けないのだ。ともすれば、購入代金だけがかさみ続け、農場の経営が急速に悪化していく。


 これなら何もしない方がまだマシというもの。


「ムー太の一番の理解者だと自負していたのに。それなのに」


 無責任な一言がムー太を苦しめた。

 望んでも決して叶うことのない無間地獄むげんじごくへ私が突き落としたのだ。


 これでは信用を失って当然だ。


 すべては私のせいだった。



 ◇◇◇◇◇


 あれからどのぐらいの時が経ったのだろう。

 カーテンの隙間から覗く空は白み始め、ベランダからはすずめたちのさえずりが聴こえてくる。

 一睡もできなかった。私は気だるげにまぶたをこすると、置時計に目をやった。


 ――4時46分。


 思考をまとめようとかぶりを振る。

 決断は早い方がいい。それはわかっている。

 否、決断はすでにしている。あとはどうやってそれを実現するかだ。

 プランはある。

 しかし、それは本当に可能なのか?

 経験のない私には推し量ることができない。

 はっきり言って自信はない。けれど、絶対にやり遂げなければならない。

 それこそが唯一とも言える名誉挽回めいよばんかい処方箋しょほうせんなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る