第16話:モフモフにできること
倒れたランプの灯が、周囲をオレンジ色に染めている。
純白であるムー太の毛並みは、その素直な心のように他の色に染まりやすい。灯が揺れるたび、橙色の明暗が変化してその模様を変えていく。
ムー太は笑顔のまま、クッキーを差し出したままだ。ボンボンに貼り付くように付着しているクッキー。それも、又、橙色だった。
少女は戸惑いがちではあったが、前屈みになって手を伸ばそうとした。けれど、とつぜん苦悶に顔を歪め、
「痛っ……」
浮かしかけていた腰を下ろしてしまった。桃色の瞳には、思い出したかのように涙が浮かぶ。
少女は、スカートの裾を捲り上げて痩せ細った足を露にすると、膝小僧にふーふーと息を吹きかけ始めた。よく見れば、膝には赤い血が溜まっていて、とても痛そうだ。
ムー太は心配になり、クッキーを一旦仕舞うとぴょこぴょこと駆け寄った。痛みを我慢しながら、歯を食いしばっている姿が痛々しい。
「むきゅう」
心配そうに鳴いたムー太を見つめながら、少女は弱々しく笑い、
「転んじゃったの。てへへ」
育ち盛りの少女の顔は、栄養が不足しているのか少しやつれて見える。着ている服もボロボロでつぎはぎの跡が無数にあった。
引きつった笑みと共に、桃色の髪の毛が揺れる。無造作に伸ばした長髪は耳を完全に覆い隠し、背中の中ほどまで届いている。栄養不足からか少し傷んでいるようだ。
少女の目元に浮かぶ涙を拭いてあげたくて、ムー太はボンボンを近づけた。まるで慰めるかのように優しく撫でれば、彼女の目元からは涙の跡が消えている。スポンジの如き吸水力を、柔らかなボンボンは備えているのだ。
そして桃色の瞳からは、涙と共に怯えの色までもが完全に消えていた。ムー太の行動が不思議だったのか、首を傾けながら何か言いたげだ。
今一度、少女の膝元を見る。傷口がぱっくり裂けており、とても痛そうである。
悲しそうな泣き声は、痛くて辛かったから発していたのだと、ムー太は結論付けた。そして、痛みを除去すれば、彼女の問題を解決できるのだと理解する。
――それが可能だということを、ムー太の本能は知っていた。
魔物は生まれながらにして、何かしらの魔法を習得している。普通は、生きていく中で必要になれば、本能のままに振るわれることになる。
例えば、肉食系の魔物であれば獲物に追いつくために加速の魔法を使用したり、獲物を仕留めるために攻撃魔法を使用することがある。追われる側の魔物であってもそれは同じで、加速するものもいれば、他の方法――例えば、幻術を使用して敵を惑わし、その隙に逃げるものもいる。
このように、魔物によって使える魔法も発動条件も様々であり、習得している魔法は生きるために必要になれば自動で発動する。が、裏を返せば、生きるために必要にならなければ、自動で発動することは決してない。
従って、習得している魔法を『生きるため以外の何かに使う』場合、明確に使うのだと意識する必要がある。
そしてムー太の本能は、少女を助ける
ここで重要なのは、知らない魔法をどのようにして明確に意識するのか、その方法である。が、ムー太はそれを無意識の内にやってのけた。具体的には、自分が使える魔法を頭の中でイメージしながら、他の魔法へと意識を繋げることだ。
すでに習得済の魔法だから、接続自体は難しいことではない。実際のところ、それは次第に形となって、頭の中に浮かび上がってきた。
・引力制御
・斥力制御
・ヒーリング
更に意識を集中させれば、魔法の効果までを知ることができる。
【引力制御】は、ボンボンに微弱の引力を発生させて、主に、食事を取るために使用する。【斥力制御】は、ボンボンに微弱の斥力を発生させて、主に、食事で汚れたボンボンを綺麗にするために使用する。
どちらも、ムー太が内包する米粒のような魔力では、他に使い道のない魔法である。しかし、最後の魔法は違う。
【ヒーリング】は、対象の傷を癒すことができる。回復量はムー太の魔力に依存するので、大怪我を治すことはできない。けれど、足の怪我ぐらいならば、治すことができるはずだ。
「むきゅう!」
ムー太は決意を込めて、力強く鳴いた。それが伝わったのかは不明だが、少女は首を傾げ、少しだけ笑ってくれた。
ボンボンに魔力を込めて、【ヒーリング】を使用。淡い純白の光がぼわっと広がる。少女は驚いたようだけれど、逃げたりはしなかった。桃色の双眸を見開いて、神秘的で優しげなボンボンの先を見つめている。
ぽふっとボンボンを少女の膝に優しく当てれば、見る見るうちに傷口が塞がっていく。その切り口が完全に閉じたのを確認して、ムー太は嬉しそうに鳴いた。
「むきゅう」
「あれれ? 痛みがなくなったかも」
おそるおそる傷口に触れてから、痛みがないことを確認したのだろう。少女は満面の笑みを浮かべて「ありがとう」と言った。
元気になった姿を満足げに見上げると、次に、ムー太はごそごそと布袋を漁り、再び取り出したクッキーを少女の前へ掲げる。
「むきゅう」
「え? やっぱり、くれるの?」
「むきゅう!」
縦に何度も頷くムー太。少女がクッキーを手に取ると、嬉しそうに鳴いて、自分の分も取り出してから豪快にかじりついた。
ガリガリガリガリガリ。
ばりんぼりんばりんぼりん。
小さな子供のようにボロボロと破片を落としながら、幸せいっぱいに食べ進める。呆気に取られていた少女だったけれど、ふと我に返ると真似するようにガリガリと食べ始めた。
「わぁ、おいしー」
「むきゅう」
そうだろう、とムー太は頷く。七海のクッキーは世界一おいしいのだから。
狭い通路で仲良く隣り合い、壁を背にしてクッキーを食べる。ランプは二人の間に置かれ、今ではお互いの顔がよく見える。ニコニコ笑顔を絶やさずに、一枚ずつ均等に分け合いながら食べ進めた。
すると、布袋の中にはクッキーが一枚だけ残った。
困り顔でお互いを見つめ合う。
そこでムー太は閃いて、二つのボンボンをクッキーの両端に接着させ、左右に引っ張って半分に分ける。が、きっちり半分にならず、大きさに偏りができてしまった。
三分七分と言ったところだろう。大きい方の塊を名残惜しそうに見送りながら、少女の前へ差し出す。当然、大きい方を食べたかったけれど、そこはぐっと我慢した。彼女は驚きから目を丸くして、遠慮がちに、
「いいの?」
「むきゅう!」
潔く鳴いて、キリッとした表情のムー太である。自分の取り分は少なく、友への取り分は多く――それが、七海の行動を通じて学習した答えであり、『友達』の在り方なのだ。
そうとは知らない少女は破顔して、
「優しいんだね、小さな魔物さん」
しばらく、クッキーを貪る音だけが響き、最後の一欠片を食べ終えると沈黙が降りた。満腹でうとうとし始めたムー太を見つめ、少女がはにかみながら言う。
「わたしの名前はサチョっていうの。助けてくれてありがとう」
サチョと名乗った少女の意図を、ムー太はすぐに察した。
人間や魔族には、出会った者と名前を交換する文化がある。そして自分には、七海がつけてくれた立派な名前がある。是非とも名乗らなければ、そんな想いが過ぎって、
「むーきゅ」
と、名乗った。『太』の部分がうまく発音できないのは仕様である。
今までと違うニュアンスが伝わったのか、サチョは首を傾げる。
ムー太は、自分自身をボンボンで指しながら、何度も何度も「むーきゅ」と鳴き続けた。その必死な気持ちが伝わったのか、彼女は眉根をくっつくほど寄せながら、
「もしかして、お名前?」
「むきゅう!」
うんうんと力強く首肯。奇跡的に意図が通じて、ムー太は嬉しい。年端もいかない少女だからこそ、感受性が強いのだろうか。
サチョは両手を合わせ、閃いたという風に頷いた。期待を膨らませながら、ムー太は次の言葉を待つ。彼女は自信満々に、
「むーきゅちゃん!」
期待に膨らんでいたムー太の体は一気に縮み、ぺしゃんこに潰れてしまった。お饅頭を高いところから落としたら、丁度このような形状になるだろうか。その落胆ぶりに気がついて、サチョは再び首をひねる。
ムー太は空気を吸い込み、体を風船のように膨らませて元に戻ると、
「むーきゅ!」
自信満々に宣言した顔は、どこか誇らしげだ。これでも、しっかり『ムー太』と発音しているつもりなのだ、本人は。
先程の失敗から自信を失くしたのか、今度は控えめな感じでサチョは言う。
「じゃあ、むーちゃん?」
ムー太は体をコテッと傾けた。
ニュアンス的には間違っていないような気がする。
二人の間に降りる沈黙。サチョは再び考える仕草を作る。
ボンボンをぐるぐると回しながら考えて、ムー太は妥協することに決めた。正解を称えるように元気よく。
「むきゅう!」
ボンボンを叩き合わせて、賞賛の拍手を送る。サチョの顔がパッと華やぎ、「やったー」と無邪気に万歳を始めた。何だかそれが楽しそうで、ムー太も真似してボンボンを万歳してみる。
漆黒の黒幕に浮かぶオレンジのスクリーン。大きく映し出されるのは、天に向けて突き出される四本の剣だ。傍目から見れば、そのような勘違いを抱かせてしまいそうな交流がしばらく続き、サチョはおもむろに切り出した。
「ねーねー、むーちゃん。触ってもいーい?」
「むきゅう」
「わー、やわらかーい」
ムー太は小型の魔物ではあるが、しかし、サチョから見れば小さいとは言えないサイズだ。小柄な少女の肩幅よりは大きいし、地べたに座っているなら、顎のすぐ下にムー太がいる状態だ。
だから、膝の上に乗せたりせず、寄りかかるようにして撫でる形となる。体重がかけられて少しだけ重い。
「むきゅううう」
次第に押しつぶされ、体が潰れ始めたので堪らず鳴き声をあげた。それには気づかず、モフモフを堪能していたサチョであったが、ムー太が必死に脱出しようと暴れだしたのを見て、ようやく悟る。
「ごめんね、むーちゃん。痛かったの?」
体を離し、今度は手だけでペタペタと触る。崩れた粘土を整えるようにペタペタと。
正直なところ、サチョは撫でるのが下手だった。希望を言えば、毛並みに沿ってゆっくりと撫でてもらいたい。そんな不満を抱きつつも、ムー太はそれを表に出さない。サチョの笑顔を壊したくなかったからだ。
と、その当人サチョの視線が上へ向けられた。首を少しだけ傾けて、ムー太の後ろを凝視している。疑問に思い振り向く前に、悲鳴に近い声が背中を叩いた。
「やっと見つけた。何で抜け出したりしたの、ムー太!」
条件反射で振り向けば、息を切らした七海の姿がそこにあった。急いで出てきたのだろう、身に着けているのは薄い部屋着が一枚だけだ。
呼吸のたびに上下する胸を押さえながら、七海は苦しそうに息を整えている。ようやく落ち着いた彼女は、肩を怒らせながら歩み寄り――ショートパンツから伸びた細い脚を曲げて、ムー太の目の前に屈み込んだ。
迷子になっていたムー太は安堵したのだけれど、同時に、叱責されることを恐れ不安になった。悪戯を叱られる子供のように俯き、力なく
「むきゅう……」
「むーちゃんをイジメないで!」
状況がいまいちわからない様子のサチョだったが、ムー太がイジメられていると判断したのか二人の間に割って入ろうとする。が、すぐにハッとなり固まった。
そして、何か温かいモノが頭にポツポツと降ってきた。
疑問符を浮かべながら、おそるおそる顔を上げる。
「心配したんだからね……。本当に本当に……すごく心配したんだからね」
それは涙だった。
目元から大粒の涙を零し、七海は声を押し殺しながら泣いていた。その雫がポタポタと頭の上に零れ落ちていたのだ。
「ううん、違うよね。ムー太から目を離しちゃダメだってわかってたのに……ごめんね、ごめん。全部、私がいけないんだ」
流れ出る涙は止まらなくて、熱い水玉が次から次へと落ちてくる。
ムー太は混乱していた。ボンボンをフル稼働させて、七海の体中を
【ヒーリング】
唐突に回復魔法を使用した。
白い光を発したボンボンを、七海の膝へ当ててみる。
けれど、彼女の涙は止まらない。
おたおたとしながら、次はお腹、胸元、肩……順番に体の各部へ【ヒーリング】の光を当てて回る。
自分の回復魔法では、治療できないほど大きな傷なのだろうか。そんな不安が過ぎり、ムー太はぶんぶんと頭を振る。
七海の『涙』を止めたかった。苦しむ姿を見ているのは、我慢できなかった。絶対に治すんだと意気込んで、ムー太は【ヒーリング】を使い続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます