第29話:モフモフと別れのルカス

 それから三日間、観光という名目でルカスに滞在することとなった。

 サチョと過ごす時間が大半で、主に、彼女との思い出を作るための時間だったと言えるだろう。


 そんな楽しい時間はあっという間に過ぎて、とうとう別れの日がやってきた。


 朝靄も晴れぬ早朝、冒険者ギルドの前に見送りに現れたのは全部で四名。


 桃色の髪の毛を揺らし、寂しそうにピンクの瞳を湿らせるのは友達のサチョだ。彼女が着る白いワンピースは七海がプレゼントした物で、小柄な少女にピッタリとよく似合っている。


「むーちゃん、また遊ぼうね。約束なの」


「むきゅう」


 涙ぐみながらそう訴えるサチョと握手を交わし、ボンボンで目元の雫を拭いてあげる。ムー太はすでに、彼女の見せた涙の意味を理解していた。自分との別れを惜しんで流されたものだと知っているのだ。


「また会いましょう。それまで元気でね、サチョ」


 ムー太に続き、七海がサチョと軽く抱擁を交わす。と、サチョのすぐ後ろに控えていた少年が一歩前へ出て、丁寧に一礼した。


「妹が大変お世話になりました。今までお礼にも伺えずに申し訳ありません。長旅を終えられ戻って来られるまでに、一人前になり、今度はみなさんを歓迎できるように努めたいと思います。なので、今回ばかりはご容赦を」


 そう謝罪を口にしたのは、サチョの兄だった。


 連日に渡って夜勤が続き、彼が帰宅するのはお昼頃。家に帰るとすぐに寝て、夕方に起きるとすぐに仕事に出かける生活。そんな家庭の事情から、別れの日を迎えるまで会うことはできなかった。


 少年が申し訳なさそうに頭を下げると、七海がゆっくりと首を横に振る。右手を差し出して朗らかに笑い、


「アハハ、本当に真面目なんだね。でもね、何よりも優先すべきは、サチョとの暮らしを守ることだからね。君なら大丈夫だと思うけど、妹をしっかり守るのよ。お願いね、サチョの騎士様」


 差し出された手を取り、サチョの兄は照れくさそうに頭を掻いた。


「参ったな。サチョのやつそんな事まで」


「ああ、そうそう。何か困ったことがあったら、このお爺さんに相談するのよ」


 冒険者ギルドの重扉の前、両手を後ろで組んで静観していた老人が一人。紹介に預かった彼は、愉快そうに笑い頷くと、こちらの方へと歩み寄り、


「ワシをこき使おうなんて考える不心得者は、お嬢さんぐらいじゃのう」


「その言い方だと、私が悪者みたいなんですけど」


「ほっほっほ、すまんのう。ほんの冗談じゃ」


「見ての通り、話は通してあるから遠慮しないで頼りなさい。いいわね?」


「あの、失礼ですがそちらの方は?」


「この人はギールさんって言って、現役を引退したお爺ちゃんよ」


 S級の冒険者だと言えば、サチョの兄は驚きひれ伏すことだろう。それを嫌ってか、七海は曖昧に答えた。その説明は間違っていないのだけれど、隣で成り行きを見守っていたアヴァンは納得がいかなかったようだ。


「ナナミ、その説明はあんまりだろう」


「そうね、付け加えるなら……すごく頼りになる人よ」


「ほっほっほ、細かいことはよいよい。おチビさんは、サチョと言ったかな。遊び相手に困ったら、いつでも尋ねてきなさい。面白い遊具もあるからのう」


 好々爺というイメージがぴったり合うような微笑を浮かべるギール。が、人見知りの子供がそうするように、サチョは兄の後ろへと隠れてしまった。彼女は顔を半分だけ出して、ギールを見つめている。その頭をサチョの兄がポンポンと叩き、


「すみません、妹は人見知りでして。悪気はないんです」


「気にすることはない。子供は皆、似たようなもんじゃ」


 緩やかな動作で頷き、ギールがアヴァンの方へと向き直る。恩師を前に、緊張したアヴァンの顔が引き締められ、彼は深々と一礼すると高らかに宣言した。


「ギール殿、それでは行って参ります。ナナミから多くのことを学び、次にお会いする時には、一層に成長した姿をご覧に入れましょう」


「そうじゃのう。その時は、冒険者アヴァンにしか語ることのできない冒険譚を聞かせておくれ」


 それぞれの挨拶が一巡し、挨拶を済ませていないのは扉の前で気だるげに座った赤髪の青年だけとなった。しかし彼は、右手をやる気なさげに振るだけで、その場を動こうとしない。


 その青年、ロッカはぶっきらぼうに言った。


「この街のことは任せておけ。その娘もついでに面倒みてやる。じゃあな」


 そんな素直でない態度に七海は苦笑いとなり、「お願いします」とだけ言って頭を下げた。面倒臭そうにロッカは片手をひらひらと振って応え、今度はアヴァンに視線を向けて無言のまま頷いた。それを受けて、アヴァンも同様に返す。

 二人の挨拶はそれだけで、すぐにロッカは興味を失いそっぽを向いた。


 そして、さてそろそろ出発しようかという頃。ムー太の耳には、街路を走る足音が届いた。息を弾ませながら冒険者ギルドの前へと走ってくる人影。


 装飾が派手に施されたローブを着込み、高貴に輝く白金の髪が印象的な美女――ミスティだった。彼女はアヴァンの元へと駆け寄り、胸を押さえ、息も絶え絶えに言った。


「今度ばかりは、あたしの方が分が悪いみたいね」


「俺の監視をするように親父に言われてるんだろ? だけどな、もう俺たちは大人なんだから、いい加減に自分の意志で行動するべきだと思うぞ。家の決まりに縛り付けられたまま生きて、その先に何があるって言うんだ」


「わかってるわよ! でもね、うちの家系は代々あんたの家に仕えてきたのよ。それを簡単に覆せるわけないじゃない」


「時間は有限だ。若い時にしかできないこともある。だから、お互いに自分の人生を歩むべきなんだよ。女として一番輝く時期を俺の監視で終えるなんて勿体無い、そう思わないかミスティ?」


「そんなこと……ないわ。鈍感なあなたにはわからないでしょうけどね」


「どういう意味だ?」


 そう言って、鈍感な男は首をひねる。


 ミスティは大きく吐息して、諦めを表すように首を横に振った。


「そうね、あなたから見たら、あたしはただの監視役なんでしょうね。息が詰まるのも仕方のないことなのかもしれないわね」


「何を言いたいのかよくわからないが……冒険には連れていけないぞ。ナナミが嫌がるからな」


「あーもう、うるさいわね! わかってるって言ってるでしょ。今更、どの面下げて同行を申し出るって言うのよ。腹立つわね、そんなにその子が気に入った?」


「ミ、ミスティには関係ないだろ」


 再び大きな息を吐き、ミスティは「フンッ」と鼻を鳴らすとアヴァンの前を横切って、冒険者ギルドの扉を開けた。半身だけ中に入った状態で歩みを止め、


「いい女になって後悔させてやるわ。後になってからじゃ遅いんだからね」


「ミスティはお淑やかにしていれば、十分いい女で通ると思うぞ」


「この鈍感男! さっさと行っちゃえば」


 扉が力いっぱいに閉められて、静寂漂う朝の調和が切り裂かれた。

 ロッカは苦笑いで肩をすくめると、面倒臭そうに立ち上がり、その後を追って扉の中へ消えていった。


 唖然と立ち尽くすアヴァンに、呆れた様子の七海がため息混じりに呟く。


「本当にアヴァンって鈍感なんだね。ちょっと同情しちゃうかも」


「え、ナナミ? いつの間にミスティの味方に」


 それには答えず、七海は肩をすくめると、もう一度ため息をついた。アヴァンはただただ当惑するだけで、彼が自力で答えに辿り着くことは無さそうだ。ギールは愉快そうに笑い、サチョの兄は苦笑い。ムー太とサチョは疑問符を浮かべている。


 しばらく妙な沈黙が続き、それを打ち破るように七海が両手を叩き合わせて、パンッと大きな音を立てた。


「締まらない最後になっちゃったけど、そろそろ行こうか」


「お、おう。俺が悪いみたいな空気が漂ってて、納得いかないが……」


「むきゅう」


 最後にもう一度だけ全員と握手を交わし(ムー太はボンボンで)、三人は冒険者ギルドを後にした。力の限り手を振るサチョに向けて、ムー太もまたボンボンを一生懸命に振ることで応えた。


「むーちゃん、ナナちゃん。またねー!」


 その姿が見えなくなってからも、遠方よりサチョの声が聴こえる。ムー太も力の限り鳴いて別れを惜しんだ。


 向かうは東。来たときとは逆で、第一エリアから順番に東門を通って、外側へと歩いていく。商業が盛んな第二エリアは、東側も活気に満ちていた。


 第四エリアへと差し掛かり、農業地区へと入る。

 陽は昇り、頭上には雲一つない青空が広がっている。


 数日前、ルカス入りした際は夜だったので、全体を見通すことができなかった。しかし今は、カーブを描く城壁の内側にある田畑が一望できた。


 農民の家がポツポツとある以外は、ほとんど畑で埋め尽くされている。その他にも、家畜を扱う家屋や牧場なんかがあるようだ。


「むきゅう!」


 畑ごとに異なる色の絨毯が敷き詰められているように見える。そのカラフルな景色が物珍しくて、サチョとの別れで寂しい気持ちだったムー太は、少しばかり元気を取り戻した。


「前回は夜で何も見えなかったからね、良かったね」


「むきゅう」


 肩口から伸ばしたベルトに支えられ、七海の腰辺りで新品の鞄が揺れている。腰にぶら下げていた布袋の数々は姿を消して、今では腰に回した小さなポシェットが、その役目を一手に引き受けていた。

 左腕には金の腕輪が嵌められており、これは彼女の実力が認められた証に他ならない。太陽光を反射して、誇らしげに輝くそれは勲章のようなものなのだ。


 唯一変わりないのは、左腰に差した彼女の愛刀ぐらいだろうか。


 何かと人間には装備が多いものだとムー太は思う。自分には頭に差した髪飾りぐらいしか、装備と言えるものはない。


 身軽になった七海とは対照的に、テントなどの重荷を引き受けたアヴァンの方は大変そうだ。大きなリュックサックを背負っているけれど、流石は一流の冒険者、息を切らす気配がない。


 彼はその軽快な足運びのまま、七海に話しかけた。


「しかし、S級の冒険者を個人的に雇うなんて前代未聞なんだぞ。ギール殿は冗談だと言っていたが、こき使うという表現はイメージにぴったりかもしれないな」


「なによ、今になって文句言わないでよね。【赤竜の逆鱗】を報酬に渡したんだから、ギールさんだって文句ないはずだよ」


「文句じゃないさ。型破りって言葉は、ナナミのためにあると思ったら可笑しくてな。しかし、その【赤竜の逆鱗】は王都で競売にかければ、おそらく大きな屋敷が買えるぐらいにはなるんだぞ。本当にあれでよかったのか」


「あの兄妹がちゃんとご飯を食べていけるか心配だったの。でもこれで、その心配がなくなったわ。その安心を買えたんだもの、十分だと思わない?」


「妹の方が成人するまで、影ながら手助けするって契約だったな。簡単だとも言えるし、大変だとも言える。現役を退いたギール殿だからこそ可能で、そしてこれ以上の適任はいないかもな」


「アハハ、ギールさんにこの話を持ちかけたときの驚きったらなかったよ。【赤竜の逆鱗】で最強の武器が作れるって喜んでたもん」


「男はいくつになっても最強って言葉に弱いのさ」


「私にはわからないな。ねえ、ムー太?」


 最弱とも呼べる魔物のムー太だけれど、強くなりたいという欲望はなかった。頭にビビッとくる何かを求めて進んでいければそれでよい。後は、毎日が楽しければそれで満足だ。


 七海の胸の中は最高の安全地帯。力が無くても、彼女と一緒にいれば安心できる。他力本願だけれど、それが嘘偽りのない本心なのだ。


 自分を守ってくれる優しい人間。かけがえのない友達に今までの感謝を篭めて、同意するように鳴いた。




 ◇◇◇◇◇


 冒険者たちの姿が見えなくなると、我慢していた涙があふこぼれた。


 止め処なく流れ落ちる、悲しみの感情を抑えることはできなかった。立っているのも辛く、サチョは兄の腰にしがみついてわんわんと泣いた。


 兄のズボンに顔をうずめて、涙やら鼻水やらを恨めしげに押し付ける。純白のワンピースを汚さないように、サチョは遠慮なく兄のズボンを鼻拭きに使っているのだった。


 白のワンピースは、ムー太とお揃いにしようと七海が買ってくれたものだ。薄汚れたボロボロの服から新しい服へと着替えた時は、お姫様になれた気がして、自分が特別な人間のように感じられたものだった。 


 初めてできた人間と魔物の友達。見送るのは、幼いサチョにとって本当に本当に辛かった。


「偉いよ、サチョ。よく我慢したね」


「おにいが我慢しろって言ったの!」


 頭を優しく撫でる兄を恨めしげに見上げて、サチョは口を尖らせた。


 本当は引き止めたかった。けれど、兄に説得され引き止めてはいけないことを悟った。だから、とっても辛かったけれど、サチョは耐え抜いたのだ。


 怒りなのか悲しみなのか、心を締め付ける謎の感情が渦巻いている。我慢を強いれば心の中で大きくなるそれは、次第に行き場をなくして暴れだす。それを何とか発散したかったけれど、サチョにはその方法がわからない。


 兄をポカポカと叩いてみると、何だかちょっぴり気持ちが楽になった。


 しばらくすると、涙も枯れて、兄を叩くのも疲れてきた。ふと気がつくと、せっかく綺麗に整えてもらった髪の毛が乱れかけていた。


 無造作に伸ばしていた桃色の髪の毛。長い時間をかけて七海が丁寧に梳いてくれたことで、艶のあるサラッとした毛先に仕上がった。


『女の子なんだから、しっかり手入れしないと』


 と、七海が言っていたのを思い出す。


 サチョは両手でペタペタと髪の毛を整え、友の顔を思い出してまた泣いた。


 涙を出し切るほどに泣けば、ようやく気持ちが晴れてくる。そして、帰路に着こうとした時、それまで冒険者ギルドの前で二人を見守っていた老人が歩み寄ってきた。


「冒険者ギルドの職員として働かんか? 賃金は正規のものを支払おう」


 老人の真意がわからないのか、兄は戸惑う。


「え? あの……」


「おまえさんは冒険者に憧れておるそうじゃな。冒険者ギルドで働けば、冒険者たちの話が聞ける特典付じゃぞ。それに、空き時間でよければ、ワシが直々に冒険のイロハを教えてやってもよい」


「ナナさんには頼るように言われましたが、そこまで頼るわけには……」


 頑なに遠慮して距離を置こうとする兄。

 しかし、老人は気分を害するでもなく、屈託なく笑った。


「なあに、これもワシが楽をするためなんじゃよ」


 そう言うと、老人は兄の手を掴み、強引に冒険者ギルドへと引っ張って行った。


 サチョは首をひねり、後を追う。


 この後、二人は冒険者ギルドの一員に迎え入れられる。そして簡単なお手伝いを通じて、サチョはギルド職員と仲良くなり、新しい友達ができるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る