第31話:モフモフと死の山脈

 ボッと空気を焼いて、眼前に花びらのような炎が咲いた。


「むきゅううう」


 とっさにムー太はボンボンを使って、目元をガード。戦闘の一切を七海に委任し、自らは殻に篭るように防御の姿勢。戦闘とは無縁の平和主義、無抵抗に等しい哀願動物を抱きながら七海は自らの魔力を使って、迫り来る炎を相殺した。


 普段の柔らかな微笑みは消え失せて、今の彼女の顔は険しさに歪んでいる。殺気と共に魔力を放出し、敵対行動を取った魔物を睨みつけた。

 見た目は犬のような魔物だ。全身の毛は赤黒く、黄色く光る双眸を持っている。そんな魔物が群れを成して三人を取り囲んでいるのが今の状況だった。アヴァン曰く、火炎喰犬フレイムイータードッグという魔物らしい。


 灰色の山地、高低差のある開けた空間。山脈の多くは活火山のようで、灰色の原因は降り積もった火山灰にあるようだ。


 針のように尖った岩が無数に存在し、その隙間や天辺に火炎喰犬は陣取っている。四方だけでなく、上下の空間までもが彼らの支配下にあるのだ。絶体絶命かに思われる状況だけれど、ムー太は心配していない。ただちょっぴり怖いので、目を瞑っているだけだ。


 同様に、七海の顔にも焦りの色はない。ただ彼女は短く一言、


「片付けるよ、アヴァン」


 言って、彼女は地を蹴りダッシュした。目を開けていれば視界が目まぐるしく動き、ムー太はきっと怖がったことだろう。しかし、すでに目を瞑っているムー太にそんな隙は無かった。

 一撃、というよりも触れただけで火炎喰犬は冷凍され、華々しく散っていく。迎撃に回された火炎の息吹は、避けるまでもなく七海とムー太に届くことはない。彼女の持つ絶氷の魔力に触れた瞬間、炎は炎でなくなってしまうからだ。


「うりゃあああっ」


 危なげなく敵を倒していく七海に負けじと、アヴァンは気合一閃。長剣を振り落とし、火炎喰犬を縦に一刀両断する。迫り来る炎を横薙ぎに払い、炎の花びらを散らす。そして次の目標に向けて狙いを定め、返す刃でその首を刎ねた。

 アヴァンが二匹の火炎喰犬を倒す間、七海はその五倍を倒している。が、敵の数は減るどころか増えてさえいるようである。


 二人は一旦背中を合わせ、息をついた。


「ちっ、数が多すぎる。火炎喰犬フレイムイータードッグはB級の魔物だが、こうも多くては厳しい」


「同感ね。こんなところで魔力を消耗するのは避けたいな」


 初めは十数匹だった火炎喰犬は、今では三十匹以上の大集団へと成長していた。更に続々と集結しつつあり、このまま倒し続けても終わりが見えない。そんな状況を鑑みたのか、七海はふっと吐息し、


「私が道を切り開くから、しっかりついて来てね。準備できたら教えて」


 転がしてあった大きなリュックサックを拾い上げ、アヴァンが頷く。


「いつでもいいぞ」


「オーケー。行くよ!」


 ムー太を左腕で抱えたまま、七海は器用に刀を引き抜いた。透明に輝く刀身は、灰色の地を反射して黒く霞んでいるように見える。

 そして彼女は刀に魔力を篭めると、何もない空間を切り裂くように振りぬいた。否、実際に空間は切り裂かれた。右から左へ斜めに走った刀の軌道に合わせて、斬撃が空を伝わり、前方に集結していた火炎喰犬の集団に迫る。


 瞬きするよりも短い時間。

 避ける暇も与えられず、斬撃は灰色の大地ごと火炎喰犬の命を削り取った。そして斬撃が通り過ぎた後には冷気が舞い、削られた地面を凍結させる。斬撃を逃れた火炎喰犬も、結局、その冷気からは逃れられず氷像と化す。


 即ち、それは前方にたむろしていた火炎喰犬の全滅を意味し、同時に彼らの包囲網が瓦解したことを意味する。ぽっかりと空いた空間を指差して、七海が叫んだ。


「まっすぐ走って!」


「お、おう」


 二人は同時に走り出す。

 左右からは火炎喰犬の群れが逃がすまいと押し寄せる。そこに向けて斬撃を一つ二つと飛ばし、追っ手の炎ごと両断し退ける。しかし、絶対強者である七海に戦いを挑んだ火炎喰犬たちは、それでも全く怯むことなく追撃を続ける。


 その死をも恐れぬ果敢な攻撃は、執拗なまでに続いた。

 すでに包囲網は突破し、その背を追われる形となっている。永遠と鬼ごっこが続き、足場の悪い斜面を東に向かって駆けて行く。背後を振り返ったアヴァンが舌打ちして、


「五十匹以上は、ナナミに葬られたはずだ。それなのに一向に減る気配がない」


 後ろに斬撃を飛ばすフリだけをして、七海は吐息と共に前を向く。すでに学習しているらしく、斬撃のモーションに入ろうとすると、火炎喰犬の群れは左右に割れるように広がってしまうのだ。

 そこに斬撃を浴びせても倒せるのは一部のみ。仮に一網打尽にできたとしても、別の個体が集まってくるのでは効果は薄い。


 所々、ひび割れた地面からは血のように真っ赤なマグマが噴き出している。それらの一つを指差して、七海が言った。


「この山、火の魔素が強いから、次々に生まれてるのかも」


「そいつは厄介だな。どうする」


「このまま斜面を登って。考えがあるの」


「了解した」


 緩やかだった斜面は次第にその険しさを増していき、頂上付近は垂直に近い絶壁となっていた。突き出した岸壁を蹴り飛ばし、涼しい顔のまま上がっていく七海とは対照的に、アヴァンは地を這うようにして壁面に噛り付いている。

 大荷物を背負ったまま、それでも落ちずに登っていけるのは彼が一流の冒険者だからだろう。


 しかし、地面を蹴ることには長けている火炎喰犬の足は、垂直に近い斜面を登るには適していなかった。次々と滑落し、斜面を転がり落ちていく。それでもいくつかの個体は、しぶとく猛追してくる。


「残念だったね。もう詰んでるんだよ」


 無慈悲な笑みを浮かべ、七海が風魔法を放つ。

 突風が吹き、残っていた火炎喰犬は為す術もなく斜面を転がり落ちていった。


 追っ手が消えたことで余裕ができ、悠々と頂上に到着。

 そこは火口となっていた。


 中央には山をくり貫くように大きな穴がある。その陥没の中では、高温に滾った真っ赤なマグマが池のように広がり煮えている。

 ボコボコと不気味な音が耳に届く。ムー太はその音がすごく怖い。心細くなって目を開ける。不安げに見上げると、七海の顔色も余り良くないように見えた。彼女はその蒼白な唇を引き結び、ムー太をぎゅっと抱き締めて言った。


「ねえ、ムー太。気になるだろうけど、危ないから大人しくしててね」


「むきゅう?」


 見渡す限り、ムー太の興味を引くものは見当たらない。

 なので、彼女が何を懸念したのかわかず、疑問符を浮かべた。

 そんな疑問に答えるように、火口を指差して七海が懇願するように言った。


「赤く煮立ってるけどね、あれは食べられないんだよ。だから大人しく、ね?」


「むきゅう」


 流石のムー太も、そこまで食いしん坊ではない。

 頷き、ボンボンでぽふっと目を隠し、興味がないことをアピール。更には身を縮めるようにして小さくなれば、それを見た七海が首をひねり思案顔になった。


 しかし、ムー太にはより深刻な問題があった。


 暑い、のだ。


 火口から吹き上がる熱風が周囲の温度を異常なまでに上げている。熱に当てられたムー太はぐったりと元気がなくなっていき、スライムのように脱力してしまう。しかも、抱かれているので、暑さは三割増しといったところである。


 ボンボンをふりふりして風を送り、体温を下げようと試みる。しかし、それは気休め程度の効果しかなく、助けて欲しくてムー太は鳴いた。その変化に気づいた七海が頷いて、


「冷やすのは得意だから任せて」


 その言葉通り、周囲の温度が見る見るうちに低下していく。冷風が舞い、ムー太の白毛を優しく撫でる。体温が下がり、ムー太はすっかり元気になった。


 それを見ていたアヴァンが衣服をパタパタとやりながら言った。


「ナナミ、俺にも頼む」


「もう、仕方ないわね」


 七海が指先をくるくると回転させれば、冷気を含んだ風が発生してアヴァンの顔面を叩く。その最中、ムー太が感謝の印にぽふぽふと頬を叩いたものだから、七海は余所見することになり、結果、アヴァンの眉に霜が下りるというハプニングに見舞われることになった。

 彼のリアクションが面白かったのでムー太は喜び拍手を送った。


 小休止を終えた一行は、火口のふちを歩き反対側へと向かう。足を踏み外せば命はない断崖絶壁。切り立った崖の下からは熱風が吹き上がり、黒煙と供に天に向かって昇っていく。

 緊張の中進んで行くと、広場のように開けた空間へと行き当たった。丁度、向かう先の中間地点に該当し、ここならば吹き上がる熱風の直撃を浴びることもない。


 重荷を背負って汗だくになるアヴァンに冷風を送り、七海が言った。


「少し休憩しましょう。疲れたでしょ」


「あ、ああ。そうだな」


 二人は荷を下ろし休憩に入った。

 大きなリュックサックを背もたれに、アヴァンが水筒の水をぐいっと飲む。ムー太が羨ましそうに眺めていると、彼は口を袖でふいてから水筒を差し出して、


「飲むか?」


「むきゅう!」


 七海が水筒を受け取り、ムー太の口に持ってきてくれる。それをぐびぐびと飲みながら、アヴァンに向けて"ありがとう"とボンボンを振った。

 アヴァンはそれに頷きを返し、一息つくと口を開いた。


「それにしても、異常な数だったな。火炎喰犬フレイムイータードッグは単体では脅威とならないが、群れを成すのが厄介だ。それもあれ程の数とは……もしかして、冒険者が誰も帰らないのはそれが原因か?」


「確かに厄介だとは思う。けど、誰一人として帰ってこない理由にしては不十分だと思わない?」


「ふむ、火の魔素が強いとすると……他にも強力な魔物がいるのかもな」


「うん、その通りだと思う。だってここは、多分だけど――」


 その時、上空から熱風が去来した。

 誰よりも早く反応した七海が、愛刀を引き抜き氷の斬撃を合わせて相殺。心地良い清涼な風がムー太の頬を撫でた。何が起こったのかわからないムー太を抱き上げて、七海が殺気の篭った漆黒の瞳を上空へ向ける。


 ワンテンポ遅れて、それを見上げるムー太とアヴァン。


 そこには、巨大な鳥が飛翔していた。

 羽毛の一つ一つが炎を宿し燃えており、あれでは熱いのではないかとムー太は思った。けれど、もちろんそんなことはない。鳥が燃え盛る翼をはばたかせれば、熱風が生まれ周囲を焦がす。


 それを見たアヴァンが驚きの声を上げた。


「あれは、火の鳥ファイアバードだ。S級の中でも最高峰の魔物だ。ナナミの実力を疑っちゃいないが、油断はするなよ」


「わかってる。ムー太を傷つけるやつは絶対に許さない」


 ギリッと七海の奥歯が鳴った。


 火の鳥は続けて、第二波、第三波と熱風を放つ。

 が、いずれも七海の前ではそよ風も同然だった。危なげなく全ての攻撃が無効化されていく。


 業を煮やしたのか、火の鳥が怒りの咆哮をあげる。


「突っ込んでくるぞ、カウンターで仕留めるんだ。俺が囮になる」


 そう言うと、アヴァンは火の鳥の真下まで猛然とダッシュした。その場で上段に長剣を構え、腰を低く落とし迎撃の態勢を整える。


 七海は愛刀の氷雨を納刀し、左脇でしっかりとムー太を抱え直した。フリーになった右手の拳を浅く開き構える。その周囲には魔力が立ち昇り、ムー太を守る鉄壁の鎧が出来上がった。


「絶対に守って見せるから、私を信じて動かないでね」


「むきゅう」


 この状況でムー太にできることといえば、七海を信じてただ待つことだけだ。いつも通りにボンボンで目を覆って、嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかない。

 そんなムー太の耳に、上空から再びの咆哮が届いた。金属をこすり合わせたかのような高音で耳が痛い。


 次の瞬間、炎の翼をはばたかせた火の鳥が超空へと舞った。

 全身の炎が勢いを増して猛っている。


 やじりのように鋭いクチバシを地表に向けて、体をひねり回転を加えて一直線に降下。螺旋状に渦巻く幾本もの炎の帯。それは炎を伴う竜巻だ。


 この攻撃をアヴァンは横に飛んで避けたが、バランスを大きく崩しており反撃どころではない。着地と同時に転がり、息つく暇もなく立ち上がり、


「――、ナナミそっちに行ったぞ!」


 火の鳥は地面に衝突する寸前で向きを変え、そのまま七海の方へと直角に方向転換。隕石にも似た巨大な熱の塊が、瞬きを許さない速度で飛来する。


 七海はこれをジャンプで回避。自由の利かない空中と思いきや、高さ約三メートルの位置に氷が複数出現。これを順番に蹴り飛ばし、空中を滑空。地面すれすれに飛ぶ火の鳥に追いつくと、その首根っこを掴み岩が露出する地面へと押し付けた。


 火の鳥は抵抗し、再び飛翔しようと試みた。が、その翼は凍りつき二度と飛ぶことは叶わない。


 勢いはそのままに地面が抉れ、火の鳥の頬肉がそぎ落とされていく。骨と岩が擦れる音がゴリゴリゴリと響き、赤い線を地面に引きながら勢いよくスライド。それでも七海は力を緩めることなく、火の鳥に跨り乗ったままだ。


 壁面に衝突する刹那、ようやく七海は飛び降りた。


 ――轟音。


 壁面に大きな穴が開き、ガラガラと岩が崩れ落ちる。


 完全に停止し、永久に沈黙した火の鳥。荒い岩肌に磨り下ろされて、もはや原形をとどめていない。ぴくりとも動かないのを確認し、七海がムー太を撫でた。


「いい子だったね、ムー太。偉い偉い」


 ムー太が目を開けるよりも早く、七海は体の向きをさり気無く変えた。屍骸が視界に入るとムー太は怖がるので、その配慮からの行動だろう。


「むきゅう!」


 目を瞑っていただけなのだけれど、褒められてムー太は嬉しい。頭を撫でられると、何だかとっても誇らしい気分になれる。

 と、そこへアヴァンが駆け寄ってきた。


「大丈夫か? 怪我は……ないようだな。よかった」


「アヴァンの方こそ、あまり無茶はしないでよ。今のも紙一重だったじゃない」


「いや、しかしだな。ナナミの影に隠れてやり過ごすわけにもいかないだろ」


「あのね、私の任務はアヴァンの護衛なのよ? 護衛対象が危険に晒されたら、護衛役失格じゃない」


「むう……」


 アヴァンが七海に言い包められるのはいつものことだ。

 しかし、ムー太はいつもとは違う、違和感のようなものを覚えていた。


「むきゅう?」


 それに思い当たるのと同時、ムー太は喜びからその場で跳ねようとした。が、それを予見していたのか、七海にぎゅっとされて失敗に終わる。


「むきゅう! むきゅう!! むきゅう!!!」


「ど、どうしたのムー太!?」


 なんとかこの情報を七海に伝えようとムー太は必死だ。

 ボンボンを火口に向けて振り乱し、何度も何度も鳴いた。


 初めは首をひねって困惑していた彼女であったが、いくら宥めても一向に落ち着かないムー太から何かを感じ取ったのか、呟くように言った。


「もしかして、目的地はこの下だって言いたいの?」


 意図を読み取ってもらえたことに喜び笑顔になると、ムー太はボンボンを揺らして頷いた。


 頭にビビッと来る感覚は、今、真下を向いていた。

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