第32話:モフモフと地底洞窟

 火口のマグマを凍結させ、その上にひらりと七海は舞い降りた。


 目標が近いことを感じ取っているのだろう。ムー太は嬉しそうにボンボンを揺らして、はしゃいでいる。お餅のように柔らかな丸い体が動くたび、シルク生地にも似た上質な感触が肌に擦り付けられる。それがまた心地良い。


 冷却され、ただの岩となった火口の表面を注意深く見渡す。と、少し登ったところに洞窟らしき穴が空いていることを視認。七海は一足飛びに岸壁を駆け上がり、洞窟の前までやってきた。

 火口の内側、それもマグマすれすれのきわに位置する洞窟だ。いかにも何かありそうな雰囲気を感じ取り、七海は少しばかり緊張した。


 山頂で待機するアヴァンに合図を送り、垂らしたロープを伝って彼が降りて来るのを待つ。その間、


「もう、暴れたらダメだって言ったでしょ。めっ、だよ」


「むきゅう……」


 叱られ、はしゃいでいたムー太は、力なくボンボンを垂らした。喜んでいたところに水を差すのは気が引けるし、しょんぼりとしたムー太を見るのは心が痛む。しかし、注意するべきことは注意する。それがムー太のためだから、である。

 当然、ムー太の元気を奪うことが目的ではない。その後のケアを怠らず、その白毛を梳くように撫でながら、


「きっと探し物は見つかるよ。私が付いているからね」


「むきゅう」


 七海が怒っていないことを理解したらしいムー太は、ぽふぽふとボンボンを当ててくる。少しばかりズレてしまった三日月の髪飾りを挿し直し、整えてあげる。

 と、そこでようやく到着したアヴァンがこちらへと歩み寄り、


「待たせたな。しかし、マグマに向かってダイブした時は、さすがに焦ったぞ」


「無謀に見えても、すべて計算尽くなんだよ。アヴァンと違ってね」


「むう……気のせいか、ナナミからの風当たりが強くなっているような」


「だって、アヴァンったら本当に後先を考えないんだもの。その上、鈍いし」


「いや、俺だって一応は考えてるんだぞ。ん、鈍いって何がだ?」


 七海は舌をペロッと出して、あっかんべえをした。そしてそのまま破顔して、


「教えてあげない。ムー太ならわかってくれるよね」


 同意を求めようとムー太を見れば、七海を真似したのか同じように舌を出して笑う練習をしている。自分を見下ろす視線に気がつくと、舌を出したまま「むきゅう?」と体を傾けた。


 その愛くるしい姿を前に七海が受けた衝撃は凄まじく、眩暈と供に足がふらつき背は仰け反り転倒寸前。立ったままブリッヂするような不思議な体勢で踏ん張って、器用にバランスを取りながらその姿勢を元へと戻し、


「くうう! 私の弱点を突いた的確な攻撃。危うく昇天するところだったよ、ムー太は手強いね。ああ、もうなんてことなの!」


 完全にモフスイッチが入ってしまい、ムー太のモフ毛を蹂躙することしか考えられなくなる。毛並みが乱れるほどに強く激しく撫で回し、余りに熱烈な愛撫にムー太が悲鳴をあげる頃になって、ようやく我へと返る。


 と、そこで、さりげなく洞窟に踏み入ろうとしているアヴァンに気がついた七海は、その襟首を掴み、


「ちょっと待った」


 襟首がその場に固定され、直進しようとしていたアヴァンの首は必然的に絞まる。彼は喉に手をやり咳き込みながら、


「ぐぇ……!? 何するんだ、苦しいじゃないか」


「何度も言うけど、私は護衛役でアヴァンは護衛対象でしょ。なんで先頭を行こうとするのよ。勝手なことされたら守れないじゃない」


「しかしだな、女の子の影に隠れて進むというのはどうにも……」


「ダーメ。悔しかったら、私より強くなることね!」


 肩下げ鞄からランプを取り出し、洞窟の内部を照らす。

 道幅は一定間隔に揃っており、長方形の空間がまっすぐ奥へと続いている。

 炭鉱のような整然とした道に、七海は違和感を覚えた。


「まるで人が通行するために掘られた穴みたい」


 呟き、一歩を踏み出す。

 その後にアヴァンが続き、慎重に進んで行く。

 が、すぐに行き止まりに辿り着いてしまった。


 袋小路となった洞窟の終点は、道幅より少しだけ広い。そこだけは剥き出しの火山岩ではなく、加工された黄土色の床が設えてあった。円形の魔法陣を思わせる床で、複雑な紋様が刻まれている。


「何か魔法式が刻まれているのかな。ちょっと調べてみるね」


 床の中央へと移動して膝をつき、床面に手を翳した時だった。七海が感知魔法を使うよりも早く、床がゆっくりと下降を始めた。


「ちょ、何これ!? まさかエレベーター!?」


「ちょっと待て。置いてかないでくれ」


 慌てたアヴァンが飛び乗って、三人を乗せて円形の床が地下深くへと降りて行く。床の上に在りながら浮遊するような感覚は、まさにエレベーターに乗っている時と同じものだった。

 その感覚が楽しいのか、ムー太が再びはしゃぎ出す。体の動きが控えめなのは、注意されたばかりだからだろう。その分、元気よくボンボンを振っているようだ。


「よしよし。大人しくしてて偉いよ、ムー太」


「むきゅう!」


 そして床エレベーターはその速度を上げて、一気に深層まで加速した。終点に到着すると、その動きを止めて沈黙。そこには大きな空洞が広がっていた。


 手元にある小さなランプの明かりでは、その全貌を窺い知ることはできない。ランプに照らされる狭い範囲にのみ七海たちの世界があり、見通しの利かない闇が不安を誘う。地面を蹴ってみれば、空洞から乾いた反響だけが返ってくる。


 天井を見上げても、降りてきた縦穴の入り口付近までしか見通しが利かず、その先は闇に遮られて見えない。まるで退路を絶たれたかのような錯覚を受ける。どのぐらい地下深くに潜ったのかもわからず、七海はどうしたものかと頭を悩ませた。しかし、


「むきゅう!」


 いつだって沈黙を破るのはムー太の役目である。ボンボンをちょいちょいと動かして、前方の空間を指し示した。早く早く、と言いたげに何度も鳴いている。


「悩むぐらいなら行動しろって言いたいんだね。なんだかムー太とアヴァンってちょっと似てるかも」


「そ、そうか?」


「むきゅう?」


 元来、慎重派な七海は冒険者に向いていないと思うことがある。

 どんなに危険な地であっても、己の好奇心を満足させるために挑み続ける。冒険者とはそのような勇敢な男たちだというイメージが、彼女にはあったからだ。


 しかし、七海は違う。冒険はしているけれど、極力危険には近寄らないように立ち回るのが、基本のスタイルだった。

 強敵と遭遇した場合であっても、相手の戦力を冷静に分析し、勝算が得られなければ撤退も辞さない。魔王との決戦にしても、勝算があるからこそ挑んだのであって、決して無謀な戦いではなかった。


 もしも今、七海が一人だったなら、先に進むことを躊躇したかもしれない。

 そんな臆病な自分を鑑みて、苦笑が漏れる。


「アハハ、二人そろって同じ顔してる。大丈夫、ここで止めたりしないよ。そんなこと、二人が許してくれないだろうしね」


「ああ、引き返すって選択肢だけはないぞ。マフマフが探し求める秘宝がなんなのか、この目で確かめなくちゃな」


「むきゅう!」


 こんな時だけ、二人の息はピッタリだ。

 好奇心旺盛な二人に背中を押され、暗闇の中へ踏み入る。


 地下深くに停滞する空気はどんよりと重い。多分に湿気を含んでいるようで、ムー太の白毛は潤いを取り戻しつつある。

 いくら歩いても状況に変化が生まれず、気が滅入りそうになるのを絶好調になった白毛を弄ることで解消。黙々と歩き続けて行くと、唐突に暗闇が途切れた。


「え、壁?」


 そう、それは壁だった。空洞を遮断するように聳え立つ黄土色の壁面が、視界いっぱいに広がっている。左右にランプを翳してみても、壁は永遠と続いていて、巨大な空洞を半分に区切っているように見える。

 壁に近寄り触れてみると、滑らかで冷たい感触が伝わってきた。明らかに人の手によって加工された、大理石のようにピカピカの壁面である。


 同様に、壁面へ片手を付いた状態でアヴァンが首をひねった。


「なぜ、洞窟の中に壁があるんだ……?」


 その問いに対する答えを七海も持ち合わせていない。「うーん」と唸り、首を巡らせ辺りを観察する。天井に目を向けたところで、


「あれ、これって……」


 火山岩の天井に突き刺さる形で壁は伸びており、完全にめり込んでしまっている。ここからでは確認のしようがないが、天井の先にも壁が続いているようである。そうして、その全体像を頭の中にイメージした時、ある閃きが生まれた。


「これはただの壁じゃなくて、巨大な建築物の一部なのかも。噴火によって元々あった建物の上に岩が積もった……そして、その一部が空洞に露出している。そう考えれば、一応の辻褄は合うんじゃないかな」


「ふむ、なるほどな。一体なんの建物なんだって疑問は残るが……もしかしたら、太古の昔、人間の国が大きかった頃の施設なのかもしれない。とすると、古代遺跡ってことになるか」


 俄然、危険度が上昇したことを感じて、七海は内心で吐息した。

 ムー太の探し物が何なのか、依然として不明なままである。けれど、アヴァンの言うように秘宝が隠されているのだとすれば、古代遺跡には侵入者除けのトラップが仕掛けられていることだろう。


 そして問題は、ムー太とアヴァンの安全の確保にこそある。


 そんな心配を余所に、ムー太は目を輝かせて「むきゅう!」と興奮しているし、アヴァンは鼻息荒く意気込み「よし!」と気合を入れている。良く言えば恐れを知らない勇敢な、悪く言えば危機感のない暢気な二人に、七海は今度こそ吐息した。


「私の推測が正しければ、どこかに入り口があるはず。建物の一部なんだからね」


 実際、七海の予想は当たっており、その入り口である扉を発見するのに、そう長い時間は掛からなかった。薄闇の中に浮かび上がった大きな扉は、固く閉ざされているようだ。


 扉の前には三段ほどの段差があり、その最上段の床面には複雑な紋様の刻まれたタイルが、一つ埋め込まれていた。


「むきゅう」


 注意を引かれて、腕に収まった丸い愛玩動物に視線を落とす。何やら嬉しそうな様子のムー太は、ボンボンをちょいちょいと動かして地面に嵌め込まれた模様入りのタイルを指した。


「どうしたの、ムー太。タイルが気になるのかな?」


「むきゅう!」


 ボンボンを一生懸命に伸ばして触れようとするムー太。その意図を汲み取って、七海は膝を折ってその場に屈みこんだ。と、その前に。


「ちょっと待ってね。一応、罠がないか調べてみるから」


 床に右手をついて、感知魔法を使用する。


 感知魔法とは、魔法式に含まれる共通パターンを認識し、隠された魔法式を調べるための魔法である。


 魔法式はすべての魔法に対応するため、汎用的な構造を取っている。そのため、式を繋ぎ合わせるためには規則に従う必要があり、破るようなことがあれば魔法式の効果は発揮されない。

 従って、どんなに複雑怪奇な魔法式であっても、その中にはある共通パターンが含まれることになる。その共通パターンを探し出すことで、隠された魔法式を探し出すことができるのだ。


 床に接した右手を起点として、床面に赤紫の光が波紋のように伝播していく。半径三メートル程の小さい円の中、赤紫の波が何度も行き交う。ざざーっと光の波が過ぎるたびに、スキャンが行われているのである。


「……該当なし、っと」


 集中を解き、瞑っていた目を開くと、七海は小鼻からふぅっと息を吐いた。


 安全が確認されたので、ムー太を床に下ろしてあげる。

 すると、ムー太は嬉しそうに床を叩き始めた。ぽふぽふ、と何度か叩いたのち、


「むきゅう?」


 丸い体をひねって疑問符を浮かべた状態で停止。しばらくすると、閃いたという風にボンボンをぽんっと叩き合わせ、もう一度タイルへと触れて今度は微弱の魔力を篭めた。


 おそらく、移ろいの宿の大浴場に設置されていた石版と同じものだと思ったのだろう。魔力に反応してお湯が出る石版を思い出して、同じように魔力を篭めてみたに違いない。学習したことは素直に実践する。それがムー太の性格なのだ。


 しかし、そこに魔法式が刻まれていないことは先刻確認済みだ。魔法式が刻まれていない以上、魔力を篭める意味はない。再び疑問系で鳴く姿が目に浮かび、七海はつい笑ってしまった。


「アハハ! ムー太、それは――」


 言いかけ、すぐに自分が間違っていたことを悟り言葉を呑んだ。


 目の前の扉が、音もなく開閉を始めたのだ。


「むきゅう!」


 思った通りの結果が得られたようで、ムー太は満足そうにこちらを見上げた。


 しかし、それを称讃する余裕など今の七海にはなかった。得体の知れぬ恐怖が全身を包み、じわじわと這い上がってくる。

 安全だと認定した場所は、決して安全などではなかった。一歩間違えれば大惨事に繋がりかねない判断ミスが、彼女の背を凍らせる。


 そんな七海を見上げて、ムー太が寂しそうに鳴いたのだけれど、混乱の渦中にある彼女に届くことはなかった。

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