第33話:モフモフと本棚の森
「なるほど、感知魔法によって魔法式が存在しないことを確認した、と」
「うん、そうなの。でも、魔力に反応して扉が開いてしまった」
「つまり、魔法式が存在するのに見逃してしまった、と言いたいんだな。それで呆然と立ち尽くしていたわけか」
相反する二つの事象、発生した矛盾の狭間で七海は混乱していた。
そんな彼女の肩を揺らし、現実へと引き戻してくれたのはアヴァンだった。一部始終を語って聞かせると、彼はすぐさま要諦を理解してくれた。
普段は鈍いぐらいのアヴァンだけれど、こんな時だけ頭の回転が早い。それが少し頼もしくて、七海は話しながら次第に落ち着きを取り戻していった。
感知魔法は成功した。それは間違いない。
念には念を入れて、二重、三重のスキャンを行った。見逃しはありえない。
結界等による妨害があったのか。否、空間魔法のエキスパートである七海が、感知魔法を妨害するほどの結界に気づかないはずがない。
では、なぜ"該当なし"という結果が出たのか?
原因のわからぬ堂々巡りの迷宮。そこに片足を突っ込んでいた七海は、気恥ずかしげに頬を掻き苦笑を返した。
「結果から見たら、感知魔法が失敗したのは明らかなんだよね。自分の力を過信しすぎて、判断ミスを犯してしまったってこと。反省しないと、だね。ムー太が無事で本当に良かった」
己の未熟を痛感し、顔に熱が昇ってくるのを感じる。しかし、真剣な面持ちで話を聞いていたアヴァンは、腕を組みなおすと思いもよらぬことを口にした。
「感知魔法は失敗していないと思うぞ。だからそこに魔法式は無いってことだ」
なぜか自信満々の彼の言葉に、七海の細長い眉が八の字に曲がる。
「なんでそう思うの?」
「難しい理論のことはわからんが、俺はナナミの力を信じてる。ナナミが魔法式は無いと結論付けた以上、そこに魔法式はないんだよ。それが理由だ」
まったく理由になっていない超理論に、七海は思わずプッと吹き出した。
しかし、例えお世辞であったとしても"信じている"だなんて言われれば嬉しいものである。自然と頬が緩んでしまう。
「なによそれ、本気で言ってるの? おだてたってなにも出ないんだからね」
「本気に決まってるだろ」
心外だと言わんばかりの即答が返り、七海は目をパチクリさせた。そして、だんだんと普段の調子に戻ってきた彼女は、少しだけ意地悪く笑い、
「なら、どうして魔力に反応して扉が開いたの? アヴァンの意見を聞かせてよ」
「それは……」
「それは?」
元より、正解を期待して聞いたわけではない。
ただ少しだけ、困った顔を見たくなっただけだ。
しかし、そうとは知らないアヴァンは、白旗を揚げずに長考を始めてしまった。生真面目な彼は、答えられなければ"信じている"という言葉が、嘘になるとでも思っているのだろうか。
だんだんと可哀想になってきて、話を切り上げようと思った時、渋い顔のアヴァンが言った。
「魔力に反応したように見えたのは偶然なのさ。魔法式とは関係のない別の理由。俺には見当つかないが、そういう何かがあるんじゃないか。例えば、風車は風を動力として動くだろ」
それが苦し紛れの発言であることは、苦渋に歪む彼の顔が何よりも雄弁に語っている。そもそも、感知式のセンサーでもあって、人が来たことにより扉が開いたのならば、もっと早くに開いても良かったはずだ。あれは明らかに魔力に反応して開いたように見えた。
と、そこで七海の脳裏には閃きにも似た何かが走った。繋がりかけた何かを見失わないように、呟くことで思考を整理する。
「センサーに反応して扉が開いた……? そうね、私の生まれ育った世界なら……自動ドアなんてものがあったけど」
七海の生まれ育った世界には、『自動ドア』という電気をエネルギーとして使った自動で開閉するドアがある。しかし、もちろん目の前の扉が自動ドアであるとは思っていない。重要なのは自動ドア、ではない。それは、
「電気を使った現代社会における装置……うん、私はそれに乗った」
思い出されるのは、地下深くまで七海たちを運んだエレベーターに似た装置。あれが電気で動いていたのか、魔力で動いていたのか、はたまたその他のエネルギーを動力源としていたのかはわからない。ただ一つ確かなことは、この世界にエレベーターという概念は存在しない、ということ。そこから連想されるのは、
「エレベーターという概念を知る人間が、この遺跡を建てたということ。例えば、宇宙人であったり……異世界人であったり……」
この世界の魔法技術では、直径三メートルを超える石の塊を浮遊させることはできない。七海の生まれ育った世界――地球においても、それは同様である。
もしもその正体が科学力であるならば、地球よりも科学力が進んでいるということだ。もしもその正体が魔法であるならば、この世界よりも魔法技術が進んでいるということだ。
目の前の扉は魔力に反応したので、後者ということになるだろう。超古代文明、という文字が脳裏に浮かぶ。そこまで考え至り、七海はある結論に辿り着いた。
「アヴァンの言う通りだったんだ。感知魔法は成功したし、その理論に欠陥があったわけでもない。それでもやっぱり、魔法式を感知することはできなかった。答えはそういうことだったんだ」
ブツブツ独り言を呟き、終いには意味不明なことを大声で叫んだ七海に、アヴァンは眉をひそめて怪訝顔を向ける。これだけでわかる人間は、エスパーか何かだろう。当然、彼は問うしかない。
「どういうことだ?」
「例えば、こことは違う世界――つまりは異世界がいくつもあったと仮定して、その中に魔法の発達した世界があったとするでしょ。彼らが使う魔法は、果たして私たちの使う魔法と同じだと思う?」
「難しい例えだが、そうだな……育った環境が違うなら価値観は異なるのが普通だし、地域ごとに文化の違いなんていうものも見られる。同じように考えれば、異世界で発達する魔法体系は異なるものになるんじゃないか」
「うん、私もそう思う。異なる魔法体系から創られた魔法式は、当然だけど私たちが使う魔法式とは異なるものになる。それはつまり、魔法式を組み立てる上での規則が異なるってことなんだ」
「規則が異なる? そういえば、感知魔法の原理は……」
「アハハ、今日は随分と察しがいいね! その通り、私の使う感知魔法は魔法式に含まれる不変の規則――つまり、共通パターンを検索するの。だから、規則の異なる魔法式があったなら、魔法式があるにも関わらず、該当なしって出るだろうね」
この世界の魔法体系を文字列として記したものが魔法式である。とすれば、魔法式とは魔法を使うための言語であると言い換えることができる。
異世界人たちの使う言語が、七海たちが使う言語と異なっていたならば、そこに想定される共通パターンは含まれない。例えば、"英語"で書かれた文章の中から"日本語"を検索しても該当しないのと同じ理屈だ。
「ふむ、謎は解けたということか。異世界人という突飛な発想も、ナナミという前例があるからか、不思議と違和感がないな」
「アハハ、すべて推測に過ぎないけどね」
因果関係がはっきりしないと人間は不安になる生き物だ。無論、それは七海も例外ではない。納得する答えが導き出せたことで、得体の知れぬ恐怖は感じられなくなった。
しかし、現実問題としては、何一つ解決していない。隠された魔法式を感知することができない時点で、彼女が思い描いていた探索プランは瓦解してしまったからだ。
けれども、一時の高揚を得た七海は、無邪気にも喜んでいた。その顔には笑みが戻り、つい先程まで青ざめていたのが嘘のように血色の良い肌を上気させている。
と、やけに静かであることに気がつく。
視線を落とすと、悲しそうにムー太がこちらを見上げていた。くりっとした黒目が物言いたげに向けられている。
果たして、なにゆえムー太は悲しげなのか。
記憶を遡り、視界の端、意識の外に捉えていた映像を呼び起こす。
扉が開いて喜ぶムー太。
誇らしげに胸を張り、こちらを見上げるムー太。
中に入りたいのか、あるいは喜びを共有したいのか頬を叩いてくるムー太。
しかし、動揺する七海に構ってあげる余裕はなく。
そのまま思考の中へと沈み。
復活してからは長々とアヴァンとディスカッション。
それはつまり、悪気がなかったとはいえ無視する形になってしまったわけで。
「そりゃ悲しいよね、寂しいよね!? ごめんね、ムー太。この通り謝るから、そんな顔しないで」
「むきゅう……」
空気の抜けたボールのように萎んでしまったムー太は元気がない。
扉を開いた功績を褒めてあげてもよかったはずだ。一緒になって喜んであげてもよかったはずだ。冷静さを取り戻した時、気がつくべきだった。様々な後悔が湧き上がってきて、胸が切なくなってくる。
七海に残された手段は、ただ謝ることだけだ。
「お詫びの、高い高ーい。あーんど、メリーゴーランド!」
「むきゅう……」
「それならそれなら、お詫びの高い高ーい。あーんど、ジェットコースター! からの、フリーホール!」
「むきゅう……」
「く、ダメか。かくなる上は、お詫びの高い高ーい。あーんど、フジサーン!」
「むきゅう?」
ムー太が元気を取り戻したのは、それからしばらく経ってのことだった。
◇◇◇◇◇
本棚の上に本棚が積まれている。
本の上に本が積まれているのではない。棚の上に棚が積まれているのだ。
それらの棚には本が一分の隙間もなく詰まっているので、要するに本棚の上に本棚が積まれている状態なわけだ。
室内に所狭しと置かれた本棚。更にその上に積み重なる本棚は、まるで幼児が適当に並べた積み木のように不揃いに積み上がっている。地震が発生しようものなら総崩れとなってしまいそうなほどにアンバランスに見える。
天井は果てしなく高い。垂直方向に伸びた空間の先にあるであろう天井を視認することは不可能だ。そして、その天辺へ向けて本棚たちは積み上げられており、まるで本棚で出来た森のようである。
床はガラス張りとなっており、透明な床面の下にも本がびっしり詰まっているのが見える。その上を歩けば、何だか本を足蹴にしている気分になり居心地が悪い。
図書館なのか資料置き場なのか、あるいは酔狂な魔導師の私室だったのか。遺跡の扉は、そんなよくわからない部屋へと繋がっていたのだった。
室内には、ぼんやりと光る円柱状の石が要所要所に配置されており、明かりに困ることはなかった。ランプを鞄にしまって、七海は本棚から一冊の本を抜き出した。適当に開き、
「読めないね……」
パラパラとページを捲りパタンと閉じる。
大荷物を床に下ろして身軽になったアヴァンは、興味深そうに辺りを見回したのち、自身も手近な本を手に取って、難解な記号を眺めながら首を傾げた。
「見たことのない文字だな」
「むきゅう」
二人で唸っていると、ムー太がぽふぽふと頬を叩いてきた。
先程の件があるからか不安げに黒目を瞬いている。
「どうしたの、ムー太?」
七海がすぐさま反応を示すと、ムー太は笑顔になって少し離れた本棚をボンボンで指した。気になる本があるのかと思い、示された本棚に近寄る。すると、ムー太はお目当ての本を見つけたのか、一冊の背表紙をぽふぽふと叩いた。
背表紙には、解読不能な文字と正八面体の図形が描かれている。
早速手に取り、最初のページを開いてみる。途端に、びっしりとページを埋め尽くす記号の羅列が目に入って、七海は眉をハの字に曲げて嘆息した。
「私には読めないよ。ムー太は読めるのかな?」
「むきゅう」
ページを捲る仕草をボンボンでやってみせ、ムー太は次を急かす。仕方がないので従って、ペラペラとページを捲っていくと挿絵のあるページに到達した。
描かれていたのは見通しの良い丘の上から望む眼下に広がる町並みだ。青空に浮かぶ太陽から
町で暮らす人々の様子までもが細かく描写されていて、誰もが笑って暮らしているようだ。挿絵からは温かく豊かな生活が伝わってきて、そこには確かな幸せの形が存在するような気がした。
文字が読めなくとも、これならば雰囲気ぐらいは読み取ることができる。そう思って、七海は他の挿絵も探してみることにした。
じーっと挿絵を見つめるムー太にお伺いを立てる。
「ねえ、ムー太。そろそろ次の挿絵を探してみない?」
「むきゅう」
ムー太の了解を得て、ページを次々に捲っていく。
そして次の挿絵を見つけた瞬間、七海とムー太の顔が同時に曇った。
それは先ほどと同じ町を描いたものだ。丘の上から見下ろすという構図も同じ。しかし、先ほど感じた優しく柔らかい雰囲気は一変していた。
民家が――否、町全体が燃えていた。
人々の顔には一様に恐怖が張り付き、迫りくる炎から必死になって逃げ惑っている。その光景はまさに地獄絵図。笑って暮らしていた人々の面影は、もはやない。
物語は急転直下を迎えたかのような有様で、一体数ページの間に何があったのか疑問を感じずにはいられない。
よく見れば、町の中心部にある広場で口論する男性二人が描写されている。自分の肩をパンパンと叩く男性と、大口を開けて罵るような仕草をしている男性。無情にも、その頭上には倒壊した塔が崩れ落ちる寸前である。
肩がぶつかって口論になったのかもしれない。いずれにせよ、些細なことが諍いの発端になったのは間違いないだろう。そのために死を迎えるはめになったという皮肉だろうか。
温かい物語を想像していただけに、七海は少し残念な気分になった。それはムー太も同じだったようで「むきゅう……」と意気消沈している。
それからしばらくは文字だけのページが続き、次の挿絵が見つかったのは物語の中盤に差し掛かってからだった。
空に浮かぶ逆三角形の浮島。その上に針のように尖ったビルらしきものが無数に聳え立っている。それは浮遊する島の上に築かれた都市のように見えた。
そして浮遊都市らしきものの周囲には、鋼鉄製の船体が浮いている。直角三角形を組み合わせて作ったかのような鋭利な外観と、砲台や機関銃にも似た物騒な装飾がところどころに散見される。
その形状はまさに空想科学小説の世界では、定番とも言える空中戦艦に他ならない。一隻、二隻……合計で六隻の戦艦が空に浮かんでおり、浮遊都市から架けられた長橋から続々と兵士が乗り込む様子が描かれている。
兵士たちは背に細長い棒のようなものを背負っているが、詳細な形状までは描かれていない。ただ、七海は直感的に長銃なのではないかと思った。
「興味深い挿絵だね。文字が読めないのが悔やまれるけど」
「むきゅう!」
いつも以上に激しく揺れるボンボンが、ムー太の興奮をよく表している。そんな二人のやりとりに興味を引かれたのか、歩み寄ってきたアヴァンが顔を近づけて本を覗き込み、
「これは何だ? 鉄の塊が空に浮いているのか?」
「むきゅう?」
自分も気になると言いたげにムー太はアヴァンの言葉尻を真似て鳴いた。そして、つぶらな黒目を上目遣いにすると、七海を見上げて答えを求める構え。
と、言われても七海にだってわからない。困った彼女は眉を寄せ、二人の視線に苦笑で応じる。
「私にもわからないよ。ただ、これが空想の産物でないのなら、物凄く進んだ文明だったのは間違いないね。科学の力にせよ、魔法の力にせよ、島を丸ごと一つ浮かしているんだから」
「おお! それが本当なら大変なことになるぞ。これほどの大発見、俺たちは歴史に名を残せるかもしれない!」
「むきゅう!」
二人は歓声を上げて喜ぶ。
息がぴったりの二人との間に温度差を感じて七海は苦笑。
テンションが最高潮に達しているムー太を地面に置けば、きっとぽよんぽよんと勢いよく跳ねることだろう。腕の中で暴れるムー太が落ち着くのを待ってから、七海はひやりと冷たいガラスの床に腰を下ろした。
膝の上にムー太を置いて、まるで絵本の続きが気になるやんちゃな兄弟を寝かし付ける母親のような口調で七海は言った。
「さ、二人とも。続きが気になるなら大人しく座りなさい」
すると、ムー太の動きはピタリと止まり、本に視線を移して大人しくなった。それを見たアヴァンも慌てて座り、ムー太に習って口を噤んだ。
七海は「よろしい」と微笑んで、二人に見えるようガラス張りの床に本を置く。
そして、ページを捲り始める。
しばらくの間、紙の捲れる音だけが響く時間が続いた。
そうして次の挿絵があったのはページの後半部分。残りページから察するに、物語はクライマックスへ向けて佳境に入る頃合だ。そこに描かれていたのは、
「なにこれ、ブラックホール?」
「むきゅう?」
まず目に付くのは、空を覆い尽くすほどの大艦隊。百は超えようかという空中戦艦が、進軍先に向けて砲撃を行っている。先ほどの挿絵には六隻しか描かれていなかったので、他の部隊と合流したということだろうか。
そして大艦隊が放つ集中砲火を浴びるのは、巨大で真っ黒な球体だ。黒一色で塗りつぶされた厚みのないのっぺりとした黒丸は、遠方にあるにも関わらず空中戦艦よりも大きなサイズで描かれている。
球体は三つあって、大きさの異なる黒点が戦艦の砲撃に対抗するように強力な磁場のようなものを発している。空に揺れる波のようにうねる磁場の嵐が、鋼鉄の船体に打ち寄せる。
その影響か、球体の周囲に浮かぶ空中戦艦は、何か見えない力に引っ張られているようだった。操舵不能に陥ったと思しきいくつかの船は、漆黒の闇に吸い込まれるようにして船体が傾き、その深淵に姿を消す寸前である。
それを見て、七海は先の感想を言ったのだった。
「一体、なにと戦ってるんだ……」
そう呟くように漏らしたのはアヴァン。
想像さえ出来ず、七海も唸ることしかできない。
「むきゅう」
続きが気になる様子のムー太が次を捲ってとせがむ。その気持ちは七海も同じだったし、きっとアヴァンも同じだったに違いない。
速やかにページを捲る。
次の挿絵に描かれていたのは、終戦の様子。それも大艦隊の敗北に終わったことが一目でわかる構図。
空を覆い尽くすほど浮かんでいた空中戦艦はすべて地に落ち、鉄くずの山を築いていた。生存者が描かれていないことから、全滅したことが窺い知れる。
そして何より敗北を決定付ける理由は、黒い球体が健在であることだ。全体は相変わらずの黒一色で、のっぺりとした立体感のない平面図形からは、奥行きやダメージの有無を窺い知ることができない。
しかしなぜか、黒い球体が残忍な笑みを浮かべているような気がして、七海は不吉に肩を震わせた。挿絵には描かれていない闇の向こう側、敗者を悠然と見下ろして笑う何かがいる。そう直感したのだ。
無意識の内に両腕に力が入って、ムー太の柔らかな丸い体がひょうたんのようにへこむ。
「むきゅう」
呼びかけられ、七海が視線を落とすとムー太が心配そうに見上げていた。
ハッとして、腕の力を緩める。
「ごめんね、ムー太。ただの挿絵なのに動揺しちゃって、何してるんだろうね」
「むきゅう」
と、床に置かれた本に一人熱い視線を送っていたアヴァンが顔を上げ、
「なぁ、ナナミ。なんだかこの絵ってマフマフの特徴に似てないか?」
「え?」
その時、どこからともなく一陣の風が吹いた。停滞した室内の空気に動きを与え、風と風がぶつかってドミノ倒しでもするかのように、そこら中に新たな風が生まれては消えていく。
左頬を叩いた生ぬるい風。横髪が靡いて唇にかかる。
とっさに下を向き、乱れる黒髪を右手で押さえた。
自然、視線は床へ。
風が止み、顔を上げようとする前にそれが目に止まった。
床に置かれているのは本。
開かれているのは最後のページ。風によってページが捲られたのだ。
そして、そこに記されているのは難解な文字列ではない。
そう、挿絵だ。
正八面体のクリスタルのようなものが中央に描かれている。まばゆい光を発して輝く宝石のようなそれは、いかにも重要そうなキーアイテムに映る。しかし、七海にとってそれは重要ではなかった。
視線はただ一点に集中する。目が釘付けとなって動かせない。
もう一つ、挿絵の中に描かれているものがある。
光輝くクリスタルを見つめて嬉しそうに笑う見慣れた姿がそこにある。
白く柔らかな体毛。大きなモフが一つ。小さなモフが二つ。総じて大小三つのモフモフを持つ魔物。くりっとした黒目をクリスタルに負けないぐらいに輝かせ、正八面体の物体を見つめている。
それはまさに、ムー太そのものだった。
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