第4話:モフモフと冒険者
霧の濃度が増していき見通しがきかなくなる中、鉢合わせたのは三名の男女だった。こちらの気配に気づいていなかったようで、彼らは大いに驚き、そして素早く抜剣した。
先頭で、長剣を構えるのは金髪の青年。その隣、少し距離を置いた位置に立ち、前傾姿勢で細剣を突き出しているのは赤髪の青年。やや後方、装飾過多なローブをまとった白金の髪が印象的な女は、杖を構えて魔法を詠唱している。
七海の胸の中、剣先を向けられる形となったムー太は、不安からボンボンをわたわたと動かした。
「むきゅう……」
弱々しい鳴き声が漏れると、七海は視線を落とし、優しく包み込むようにボンボンを握ってくれた。不安を和らげようと気遣ってくれたのだろう。その気持ちが嬉しくて、ムー太はちょっぴり安堵した。
もう片方のボンボンで、七海の頬を撫でてみる。すると、彼女はくすぐったそうに微笑み、しかし、険しい表情に戻ると顔を上げ、キッと睨みを利かせた。
「何、問答無用ってわけ?」
金髪の青年は緊張を解くと、剣を収めて歩み寄ってきた。
「ああ、いや……魔物だと思ってな、失礼した。俺の名はアヴァン、A級の冒険者だ」
アヴァンと名乗った青年は、手首に光るブレスレットを掲げて見せた。細かい装飾が成された黄金の腕輪で、霧の中にあっても輝きが見て取れる。
「私の名前は、七海。戦う意志はないよ」
「ナナミか、美しい名だな。ところで、ナナミは何者だ? 一見して冒険者といった風に見えるが」
七海は困ったように眉を寄せ、口元に手を当て少考した。その間、もう片方の手でボンボンをにぎにぎされて、ムー太はちょっぴりくすぐったい。
「うーん……宛てもなく世界を放浪してるだけだよ。そういう意味では、私も冒険者ってことになるのかな」
「魔樹の森に入るぐらいだから、腕は確かなんだろうな。ところで、冒険者ならば身分証を見せてもらえるか?」
意味がわからなかったのか、彼女は首を傾げて、
「……冒険者になるのに資格がいるの? てっきり、冒険してれば冒険者だと思ってた」
「ああ、さては田舎から出てきたな? 冒険者になるには登録が必要なんだよ。登録すると腕輪がもらえて、それが冒険者の身分証って訳さ」
アヴァンは誇らしげに金の腕輪をジャラリと鳴らした。
親しみやすそうな好青年で、悪意や敵意といったものは感じられない。友好的な態度に安心して、ムー太はホッと一息ついた。
しかし、七海は違ったようだ。
「そっか、それなら私は旅人ってところかな。ところで――」
と、一旦言葉を区切り、アヴァンの後方へ鋭い視線を向ける。
「後ろの二人は、今にも飛び掛ってきそうだね」
アヴァンは眉をひそめながら振り返った。
そこには、剣先をこちらへ向けたまま、警戒を崩さない二人の姿があった。
「おい、二人ともやめないか。人間相手に戦うつもりか?」
批難するアヴァンに一瞥をくれて、赤髪の男は吐き捨てるように言った。
「てめーの目は節穴か、そいつが抱いてるのは何だ? 魔物じゃねーか」
「ああ、そうだな。だが、襲ってくるでもないし、そう目くじらを立てなくていいだろ」
「おまえの腕は信用してるが、そういう甘いところを見てると反吐がでるぜ。人間が魔物と仲良くしてるんだぞ、ありえるか? 魔族だと疑ってかかるのがフツーだろうがよ」
「それは……」
アヴァンは言葉に詰まると、口を噤んでしまった。
場の雰囲気が急速に重くなるのを感じる。平和な方向で話が進んでいただけに、ムー太は落胆せずにはいられない。
「私は魔族じゃないし、この子とは友達になっただけ。決め付けないで欲しいな」
「はぁ? ふざけたこと抜かしてんじゃねーよ、魔物は人族の宿敵だろうが。それを友達と抜かすおまえは、魔族かそうでないならイカれた女だよ」
発せられた暴言、その矛先は七海に向かっているが、憎しみ溢れる視線はムー太に向けられている。その悪意を敏感に感じ取って、ムー太は怖くなって萎縮してしまった。
丸い体を小さくまとめて、ボンボンで目を覆い、怖いものを見ないようにして小刻みに震える。その姿は、本人には申し訳ないけれど、とても可愛らしい。
反論しようとしたのか、七海が口を開きかけた時、それよりも早く口を開いたのはローブの女だった。
「馬鹿だねぇ、あんたの目も節穴だよ。この子が持ってるのは、最上級レアの魔物――マフマフだよ!」
呆けた顔になった赤髪の男であったが、しばらくすると頭を抑えながら笑い声を上げた。
「ハッハッハ、そーいうことか。マフマフを捕まえたってんなら、大事に抱えてて当然だわな」
「全く、あんたは魔物と見たらすぐに攻撃するのが悪い癖よ。マフマフを攻撃しようだなんて、ありえない!」
「ハッハ、ちげーねぇ」
直接的な敵意が引っ込んだのを感じ取り、ムー太はボンボンをずらして前方を盗み見た。しかし、二人の目の色はギラギラと輝きを増していて、別種のよからぬ気配を放っている。
ムー太には難しいことがわからないけれど、人が持つ感情には敏感だ。好意を向けてくれる人は好きだし、悪意や敵意を向けてくる人は嫌いだ。そして今、彼らは良からぬ感情をムー太に向けているところだった。
「むきゅう……」
「大丈夫、ムー太は絶対守るから」
小声で呟き、七海の体が緊張で強張る。それを見て、アヴァンが肩をすくめた。
「ナナミ、残念だけど冒険者以外は魔物を連れて街に入れないんだよ。だから、君は報奨金を受け取ることができないんだ」
「……何の話? わかるように説明して」
警戒に眉をひそめながら七海が問うと、冒険者たちは顔を見合わせて苦笑。そして、三者が順番に口を開いた。
「何って本当に知らないのか? 王女がマフマフをご所望で、多額の報奨金が掛けられてるって話だよ」
「残念だけど、お嬢ちゃんはマフマフを連れて街に入れないの。だから、報奨金も受け取れないのよ」
「そういう訳だからよ、俺らが代わりに届けてやるよ。報酬は山分けってことでいいだろ?」
薄っすらとムー太にも彼らの言いたいことが伝わってきた。ちょっぴり不安になって、心細そうに七海の顔を見上げてみる。すると、ぎゅうっと強く抱きしめられた。
「……つまり、私がムー太を売り払うつもりで捕まえたと思ってるわけね? そしてそれに便乗して、売却して得たお金を自分たちの懐へ入れようとしている、と」
満足げにローブの女が頷いて、ムー太に視線を向ける。
「そうよ。何も知らないでマフマフを捕まえただなんて信じられないわ。その魔物は超希少種なのよ」
欲望むき出しの目に射抜かれて、ムー太は涙目になった。この場から逃げ出したかったけれど、七海を信じていたかった。彼女の好意は本物なのだから、自分を売り飛ばすような真似はしないはずだ。
そんな想いが伝わったのか、七海の黒い瞳に怒りの炎が宿った。
「この子は友達だって言ったよね? 君たちが何と言おうが、この子を売るつもりはないし、渡すつもりもないよ。街に一緒に入れないなら、迂回して野宿をするから大丈夫。そんなにお金が欲しいなら、他を当たることね」
突き放すような棘を含んだ言葉。
友好的だったアヴァンだけが肩を落として俯いた。
ふんっと鼻から怒りの息を吐いて、話は終わりだと言わんばかりの勢いで七海が踵を返した。そんな彼女の背中に、ローブの女が待ったをかける。
「独り占めしたいんだろうけど、そうはいかないわ。残念ながら、マフマフの捕獲には王命が下っているの。つまり、その魔物は国の所有物も同然なわけ。だ・か・ら、あなたがマフマフを所持することは許されないのよ」
その意見に同意とばかりに頷いた赤髪の青年は、面倒くさそうに、そして吐き捨てるようにして後を継ぐ。
「そーいうこった、わかったなら大人しくマフマフを渡しな。そして、二度と友達なんて言うんじゃねーぞ。胸糞わりぃ」
言いたい放題にひどいことを言われて、ムー太は悲しかった。未だに『友達』が何なのかよくわからないけれど、それでも、七海と友達になったことは確かなのだ。それを真っ向から否定されれば、元気がなくなるのは当然だ。
「むきゅう……」
力なくボンボンが垂れ下がり、弱々しく鳴いたのはこれで三度目。それを合図に、険しかった七海の表情がスッと消えた。踏み出そうとしていた足を戻し、冒険者たちを振り返る。
「……ふーん。それで、私が指示に従うと思う?」
緊張で強張っていた彼女の体は弛緩し、無となった表情からは何も読み取れない。明らかに変容した雰囲気。その変化を警戒したのか、ローブの女が早口で言う。
「変な気を起こさないように警告しておくわ。A級以上の冒険者には特権が与えられていて、妨害する者を捕らえることができるし、抵抗が激しいようなら殺すことだってできるのよ」
「おい、ミスティ!」
と、アヴァンが声を荒げる。
今度は赤髪の青年が、
「つまり、俺たちがその気になりさえすれば、この場でおまえを処刑できるってことだよ。自分の置かれてる状況がわかったなら、大人しくマフマフを寄越せ。そうすりゃ、報奨金の大部分はおまえのものだ」
「おい、ロッカまでいい加減にしろよ。相手は年下の女の子だぞ、脅すにしてもやりすぎだ」
仲間割れする三人の口論が聴こえる。
ムー太からすれば、理不尽極まりない要求だった。自分の意思を無視する形で国に売られそうになり、その上、庇ってくれた友達にまで危害を加えようというのだから当然だ。
しかし、人間側の視点から見れば事情は異なる。
人には人の法がある。それがいくら理不尽なものであっても人の社会で暮らす以上、国が定めた法律は守らなければならない。背けば処罰されるのは当然であり、その一事を以って、冒険者たちに大儀を与えてしまっているのだ。
本来なら、人間である七海もまた、法律に従う必要がある。が、彼女はそれを認めなかった。
俯いた顔に影が差し、唇の端が吊り上がる。七海の怒りに呼応して、全身からじわじわと魔力が立ち昇り、マフラーの裾がゆらゆらと持ち上げられて顔の高さまで上昇した。
「弱肉強食を望むなら、その願い……叶えてあげようか」
怒りを滲ませた囁くような呟き。
聴こえなかったのか、三人は顔をしかめてこちらへ視線を向ける。
そして彼女は、今度こそ一同に届くように宣戦布告した。
「君たちさ、冒険者よりも盗賊と名乗ったほうがお似合いだよ。私からムー太を奪うというのなら、命を賭して試すがいい……死体が三つ転がることになるけどね」
冷たく静かな針のような殺気が、周囲に広がる。
その豹変に驚いたのか、アヴァンは言葉を失い、その場に立ち尽くした。それを押しのけるようにして、赤髪の青年ロッカが前へ出る。そして、剣先をムー太に向けた。
すると、彼が持つ刀剣に刻まれた魔法式――魔法体系を言語に変換して文字として刻み、魔力を篭めることで魔法と同じ効果を発動させることができる特殊な文字列――が光り輝き、細剣全体から炎が噴き出る。
威嚇するように炎を散らし、ロッカは意地の悪い笑みを浮かべた。
「ハッ! 友達ってのは本気らしいな。それならいいこと教えてやるよ! 大事に抱えてるお友達はこれから王女様に献上されて、王宮で大事に飼われるわけだ。おまえなんかに抱かれるより、ずっと幸せになれるんだよ」
七海が僅かに迷いの表情を浮かべたのを見て、ロッカは嘲るように笑った。そして、続けてこう言った。
「でもな、マフマフって種族は一箇所に閉じ込めておくと、ストレスで死んじまうって話だ。せいぜい二~三年の命って訳だよ、ハッハッハ」
嘲笑され暴言を吐かれ、怒る場面でありながら、七海は笑みを浮かべた。しかしそれは、金属のように冷たく無機質な笑みだった。
「全力でぶん殴るのに抵抗がなくなったよ。ありがとう」
魔力をまとった全力の蹴りを地面に浴びせ、七海が超加速と同時に跳躍する。先の言葉が届くより早くロッカの懐に入り込むと、ムー太を左手で抱きかかえたまま、右腕を大きく振りかぶり正拳突きを放った。
油断をしていたのか、戦闘にならないと高を括っていたのか、尋常ではないスピードに反応できなかったのか――あるいは、それらの複合なのかもしれない。ロッカは、驚きで目を見開き、腕をぴくりと動かした以外には何も対応できなかった。
ぐしゃり、と鼻の骨が砕ける音。ふかぶかと顔面に突き刺さった拳を力任せに振り抜けば、ロッカの体は大きく後方へと吹き飛ばされる。
けれど、七海は攻撃の手を緩めることなく、再びの跳躍。水平に吹き飛んだロッカに追いつくと、腰を捻りながら肘鉄を顔面に叩きつけた。
ロッカの体は地面に叩きつけられて動かなくなり、瀕死になった虫のように体をピクピクと痙攣させている。
「ロッカ!?」とアヴァンが叫び、「こ、こいつ!」とミスティが魔法を発射した。放たれたのは雷の矢だ。バチバチバチと激しく放電しながら、空を切り裂き迫りくる。
高速で迫る
矢が衝突する刹那、掲げた右手の周囲にビュウっと冷気が舞う。すると、雷の矢は一瞬にして凍りつき、氷の矢へと変わってしまった。いや、どちらかといえば、細く長い氷の塊は、矢というより槍――つまり、氷槍と表現するのが妥当だろう。
時が止まってしまったかのように、空中で停止している氷槍。七海がぎゅっと手のひらを握ると、それを合図としたかのように氷槍は砕け散ってしまった。
「この程度の腕で、私を殺すとか言ったの?」
「う、嘘でしょ……雷を凍らせる魔法なんて見たことも聞いたこともない……」
と、ミスティは絶句。へなへなと腰を抜かして、その場に座り込んでしまった。
七海は、うめき声をあげる
「まだ生きてるんだ、なかなか強いんだね。でも、これで終わり……さよなら」
「むきゅう」
アヴァンの静止の声が掛かるより早く、ムー太が鳴いた。くりくりの目を瞬いて、悲しげに七海を見上げている。
「やめろって言いたいの?」
「むきゅう」
「こいつを見逃したら、きっと仕返しにくるよ。次もまた危険になるってわかってて、それでも助けたい?」
「むきゅう」
ムー太は何度も頷く。
確かに彼らは怖いけれど、平和主義のムー太は誰かが傷つくことを好まない。それに、いざとなったら七海がまた助けてくれる。そんな甘い考えが、修羅場を知らないムー太にはあった。
頑なに譲らないムー太を前に、七海は吐息して緊張を解いた。
「わかってる。うん、知ってたよ。ムー太が心の優しい魔物だってことを。だから守ってあげたい。君は戦うすべを持っていないんだからね」
頬を押し付けられて、ぐりぐりされる。
少しくすぐったくて、そして心地よい感触だ。
彼女は自分のために激怒してくれた。それが何だかとっても嬉しくて、ムー太はいつも以上に笑顔を咲かせる。
この胸の中に居れば、どんな困難が襲ってきても安心できる気がする。他力本願だけれど、ムー太はお構いなしの姿勢を貫く。
「むきゅう」
甘えた声で鳴き、頭を撫でてもらう。お腹回りを撫でられるのは、少しくすぐったいので苦手だ。
「モフモフしてて気持ちいい。はぁ、ムー太は可愛いね!」
彼女はそう言うと、モフモフする手を止めることなく顔を近づけて、柔らかな白毛に鼻先を埋めてぐりぐりしてきた。
二人がじゃれ合う中、こちらの様子を窺いながら近づく者がいる。それに気づいた七海が振り返り睨みを利かせると、金髪の青年アヴァンは頭を掻きながら、おずおずと切り出した。
「これ以上、争っても勝ち目がないことはよくわかった。虫のいい話なのは重々承知しているが、ちょっと話を聞いてもらえないだろうか?」
返事は返らなかった。険悪な状況で沈黙が降りるのは、非常に気まずいものがある。しかし、
「むきゅう」
その空気に耐えられなかったムー太が、勝手に頷いたのだった。
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