少女に抱かれて行く異世界の旅 ~モフモフの魔物は甘えん坊!~

火乃玉

本編

プロローグ:とある日の日常風景

 森の中を進むのは、可愛らしい一匹の魔物だ。


 まず目を引くのは手足のない丸っこい体と、全身を覆うフカフカの白毛。綿のような毛先が風に靡いて揺れていて、触らなくてもその柔らかさを想像することができる。


 頭に生えた二本の触角の先端には拳大サイズの丸いボンボンが付いていて、これもまた柔らかな白毛に覆われている。総じて大小三つの毛玉を持つのが、この魔物の特徴だ。


 額には黒い三本線が縦に走り、そのやや下に少し離れてつぶらな黒目が二つある。小さな口の中には、牙と呼ぶには頼りない小粒な歯が並ぶ。


 外見の通り、魔物に戦闘能力はない。平和主義で温和な性格な上、他の魔物に襲われると怖くなって目を瞑ってしまうほどに臆病だ。


 そして、手足のない魔物はぴょんぴょんと飛び跳ねて移動する習性を持っている。一生懸命になって体を上下に動かして、ぴょんぴょんと跳ねながら移動するのだが、そのペースはお世辞にも速いとは言えない。


 今もまた、息を弾ませ跳ねながら少しずつ森の小道を進んでいく途中である。そんな魔物の後ろ姿を温かく見守りながら、同行する者がいる。歩幅を小さく刻み、魔物の歩みに合わせるようにしてついてくる。


 それは冒険者のように身軽な格好をした人間の少女である。付かず離れずの距離を保ち、まるで魔物を見守るようにしてついてくるのだった。


 しばらく進むと、開けた場所に出た。木々の途切れたその先には、切り立った崖が横に広がり行く手を阻んでいる。ほぼ垂直に伸びた崖は、城壁に負けないぐらいの高さがある。到底、魔物の力で登れるものではない。


「むきゅう……」


 進めないことを理解したのか、魔物は弱々しく鳴いた。後ろに控える少女を振り返り、助けを求めるように困った顔を向ける。その意図を汲み取り、少女が問う。


「崖の上に登りたいのかな、ムー太?」


「むきゅう」


 こくりと頷いた魔物を確認すると、少女は膝を折ってその場に屈み、両手ですくうようにして丸い体を抱き上げた。ぎゅっと抱きしめられて柔らかな球体がぐにゃっと変形する。


「落ちないようにしっかり掴まっててね」


 そう言うと、少女は少し下がって崖との距離を取った。十分な助走スペースを確保すると、彼女は崖に向かって猛然とダッシュした。


 風に乗るように加速して、躊躇ちゅうちょすることなく崖に向かって跳躍。激突の瞬間、岩肌を蹴り飛ばし垂直にジャンプ。三角跳びの要領で、突き出た岩のブロックを登っていく。


 そして、いとも簡単に崖の上へと到着。


「はい、到着。もう大丈夫だよ」


 高速移動が怖かったのか、魔物は触角の先に付いたボンボンで目を覆って震えていた。それを愛おしそうに眺めながら、少女は優しく魔物の毛並みを撫でた。


 おそるおそる、という風に魔物はボンボンをどけて辺りを見る。崖の上に移動していることに気がつくと、嬉しそうに鳴いて笑顔になった。お礼のつもりなのか、少女の頬を柔らかなボンボンでぽふぽふと叩き出す。


 少女はくすぐったそうに目を瞑り、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。


「世の中はね、ギブアンドテイクなんだよ。それでは、対価を頂こうと思います」


「むきゅう?」


 意味がわからない、という風に魔物は丸い体を傾けた。


 すると、少女は柔らかな白毛に顔を突っ込み、ぐりぐりと顔を擦り付け始めた。今度は魔物の方がくすぐったそうに身をよじる。


「くうう! このモフモフボディを独り占めできるなんて、私は今、この世の誰よりも幸せを感じている! うーん、ムー太のモフモフは世界一だね~」


 熱中する余り、少女の抱擁は次第に強く激しくなっていった。柔らかな体は潰れたり伸びたりと忙しそう。堪らなくなったのか、魔物は悲鳴を上げた。


「むきゅううう」


「ごめんごめん、少し夢中になっちゃった」


 少女は舌を出して苦笑すると、懐に括り付けられていた布袋を取り出した。結び目を解き、ごそごそと中身を漁るのを魔物は大人しく見つめる。そうして彼女が取り出したのは、薄茶色の物体。丸くて薄い、まるで銀貨のような形状のお菓子。


 甘い匂いが漂い、魔物は目を輝かせて少女を見上げる。


「ムー太の好きなクッキーをあげるから許してね。はい、あーん」


「むきゅう!」


 魔物は元気よく鳴いて、差し出されたお菓子を頬張った。


 ガリガリガリガリガリ。


 ばりんぼりんばりんぼりん。


 頬をパンパンに膨らませて、幸せそうに噛み砕く。


 もぐもぐと口を動かしていると、それを見た少女がくすくすと笑う。彼女は虚空に右手を翳し、何もない空間から布を取り出した。不思議な現象に興味を引かれたのか、魔物の目の色が変わる。ボンボンで布を指しながら興味深そうに鳴いた。


「むきゅう」


「驚いた? これは空間魔法の一つで、異空間に道具を収納できる便利な魔法なんだよ。でも、私は未熟だからあまり多くは収納できないんだけどね」


 説明しながらも少女は器用に指先を動かして、空中に文字を書き始めた。滑らかな動きで描かれる光の文字が宙に刻まれ、完成と同時に魔力が篭められた。すると、少量の霧雨が大気を舞って彼女が持つ布を濡らした。


「むきゅう?」


 柔らかな丸い体を傾けて、魔物は興味津々といった様子。少女はふふんと得意げに鼻を鳴らし、


「これはね、魔法式って呼ばれる魔法体系を文字として表現したものなんだ。例えば、石に魔法式を刻めば、あとは魔力を篭めるだけで誰でも魔法を使えるんだよ」


 そう言うと、彼女は手ごろな石を手に取り、新たな光の文字を刻んでいく。作業が終わると、文字を刻んだ石を魔物の方へと差し出して言った。


「ほら、試しに魔力を篭めてごらん」


「むきゅう!」


 玩具を与えられた子供のように喜んで、魔物はボンボンをぽふっと石に密着させると微弱の魔力を篭めた。しかし、


「むきゅう……?」


 何も起こらない。


 魔物はなんでだろう、と体を傾けて少女を見上げる。眉をハの字に曲げて、困り顔となった少女が唸る。


「うーん、発動に必要な魔力が足りないか……それなら」


 彼女は別の石を手に取り、もう一度光の文字を刻むとそれを魔物の前へと持っていく。再度差し出され、魔物はめげることなく再び魔力を篭めた。


 すると、魔力に反応した光の文字が輝きをみせて、石を中心にして風が渦をまき始めた。春風のように爽やかな清風が魔物の白毛を攫っていく。目を輝かせた魔物が嬉しそうに鳴くと、少女は微笑を返して言った。


「ムー太でも使えるように竜巻の魔法を極限まで薄めてみたんだけど、気に入ってもらえた?」


「むきゅう!」


「そう、それはよかった。っと、その前に。ほら、口が汚れてるよ。動かないで」


 そう言って、濡らした布を使って魔物の口元をゴシゴシと拭う。


 ぐりんぐりんと擦られて、魔物はちょっぴり不満そう。


 いやいやと体を振って逃れようとするが、少女は決して離さない。


「はい、終わりっと。よしよし、いい子だったね」


 いつの間にか、頬の膨らみはなくなっていて魔物は食事を終えていた。しかし、まだ物足りないのか、ボンボンで少女の頬をぽふぽふと叩いて甘えるように鳴いた。


「むきゅう」


「どうしたの? おかわりが欲しいのかな」


「むきゅう」


 魔物がコクコクと頷くと、彼女は「仕方のない子ね」と笑い、追加のお菓子を用意してくれた。それらをすべて平らげると、今度は満足そうな表情のまま転寝を始めてしまった。


 どこまでもマイペースな魔物に少女は苦笑。


「いい天気だし、私も寝ようかな」


 彼女はそう言うと、木陰に場所を移してごろんと寝転がる。どうやら、魔物を抱き枕にしてお昼寝するつもりらしい。胸に抱いて寝る分には丁度いいサイズであるし、肌触りも申し分ないほどに良好なのだろう。


 その証拠に、彼女は気持ちよさそうに寝息を立て始めた。




 ◇◇◇◇◇


 少女の胸の中、魔物は夢を見ていた。それは初めて出会ったときの夢だった。生まれてすぐに訪れた命の危機を救われた時の夢。


 それから幾度となく、彼女には助けられた。最も怖かったのは、人面の魔物に襲われた時だった。獅子の胴体にサソリの尻尾を持ち、背から生えた翼で空を舞う化け物だ。


 しかし結局のところ、どんなに強力な魔物であっても、彼女の敵ではなかった。平和主義で戦闘能力を持たない、丸くてモフモフで好奇心旺盛――最弱とも呼べる一匹の魔物が、今日まで生き永らえてこられたのは彼女のおかげなのだ。


 困った時は助けてくれて、身に危険が迫ったときは守ってくれる。それでいて優しく接してくれる少女のことが、魔物は大好きだった。

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