第19話:モフモフとお礼の言葉
セロの実という赤い果実がある。
皮も実も赤い果実は甘酸っぱくて、それ単体で食べるには少しばかり酸味が強い。ゆえに、磨り潰したものに砂糖を加え、ジュースとして飲むのが一般的だ。
グラスに注がれた赤く透き通った液体。光を反射してルビーのように輝くセロジュースが三つ、七海たちの前へ置かれている。しかも、L字のストローが刺さっており、ムー太でも飲めるようにと配慮まで成されている。
ちらちら、と長椅子の上に鎮座するムー太から、窺うような視線が向けられる。険悪な雰囲気を察知して、サチョも首を傾げながらこちらを見つめている。どうにも二人とも、ジュースを飲みたいようだが、七海の許しを待っているようである。
「飲めよ。そのために注文したんだからな」
七海に睨まれていることなどお構いなしに、ロッカはそう言いながらフォークに巻いたパスタを口へ運んだ。
ルカス風パスタとメニューには書いてあった。赤、黄、緑からなる野菜が盛り付けられており、セロの実から抽出した酸味の利いた赤いソースがかけられている。更に香辛料で味を整えているらしく、少しだけ刺激臭が漂ってくる。
おそらく、ピリッと辛いさっぱりとした味わいなのだろう。どの辺りがルカス風なのか、七海には皆目見当がつかなかったが。
パスタをがっつく赤髪の青年の顔に険はない。
不信の眼差しを送りながら、七海は疑問を感じる。
魔樹の森で対峙したとき、彼は魔物を心底憎んでいる様子だった。それが一体どのような心境の変化で、ムー太を一人分とカウントした上で、四人分のジュースを注文したのだろうか。その意図がまず掴めない。
そんな疑念を肌で感じ取ったのか、ロッカはくるくるとフォークにパスタを巻きつけながら言った。
「アヴァンのやつに聞いたんだよ。おまえが友達だって言ってたのは本気なんだってな。そいつを無視して三人分注文したら、怒るだろうと思ってな。だからだよ、わかったら早く飲め」
店から出された飲み物だ。毒が入っていることはまずないだろう。しかし、七海は気が進まない。進みはしないが、眠気も忘れてジュースに興味津々のムー太と、生唾を飲み込み静観しているサチョのために言った。
「わかったよ。さぁ、サチョも遠慮しなくて大丈夫だよ」
まず、自分が一口。そして、ムー太の口が届くようにグラスを長椅子に置いてから、ストローを吸うように指示する。疑問符を浮かべたムー太だったけれど、言われた通りにストローを咥えて吸い込んだ。
ちゅーっと赤い液体が細い管の中を登っていき、小さな口に吸い込まれていく。すると、ムー太は驚きに目を見開いた。口を離せば、重力に引かれて赤い筋がつーっと降下を始める。
「むきゅう」
それが不思議だったのか、あるいはジュースが美味しかったからか、ムー太が嬉しそうに鳴いた。サチョを見れば、ニコニコ笑顔でセロジュースをすすっている。
今度からはジュースもセットで頼もう。秘かに心の中で決意して、当たり前のように食事を続けるロッカへ視線を戻す。
「で、聞きたいことって何」
皿にフォークを突き立てて、緑と黄色の野菜を順番に刺しながら彼は視線も上げずに言った。
「おまえなんだろ。魔樹の森で俺たちを助けたのは」
なんでそれを、と喉まで出掛かったセリフを七海は飲み込んだ。代わりに、興味の無さそうな風を装って無愛想に応じた。
「何の話?」
「とぼけるんじゃねえよ、めんどくせー」
乱暴に、そして投げやりにロッカは言った。
最初は敵意があるからこその喧嘩口調なのかと思っていたが、敵意が感じられない今でさえこんな調子なのだから、これが彼の性格なのかもしれない。そんなことを考えつつ、
「ふーん、話すつもりがないなら別にいいけど。私には関係のないことだし」
何事でもないかのようにとぼけて見せた。
わざわざ本当のことを伝える必要はない。歩み寄りを見せてきた相手とはいえ、そこまで丁寧に説明する義理があるとは思えないからだ。その上、アヴァンに知られてしまっては、彼の決意を尊重して秘密裏に魔樹を倒しに行った意味もなくなってしまう。
だから七海は、澄ました顔のまま突き放すように言ったのだ。
ロッカは俯いていた顔を上げ、そんな七海を値踏みするように睨みつけ、
「アヴァンのやつに聞いたんだ。俺たちを襲ったやつの正体は、魔樹だったってな。それも魔将級の実力を有した化け物だって話だ。それは間違いないんだろ」
「うん、そうだね。命が惜しいならもう二度と魔樹の森には行かない方がいい」
あそこはムー太の故郷なのだから、再び帰るその日まで存続してもらわなければならない。だから、さりげなく釘を刺したのだが、ロッカは愉快そうに笑った。それは思惑通りに事が運ばれたことを喜んでいる、そんな笑みだった。
「なら、なんでおまえはそんな危険なやつのところへ向かったんだ?」
動揺は顔に出さなかった。けれど、即答もできなかった。
そんな七海の一挙手一投足を観察しながら、ロッカは続ける。
「濃霧の中でな、ミスティとも逸れちまった。迂闊に動くこともできずに居るとき、おまえがすぐ近くを通ったんだよ。魔眼狼の背に跨って颯爽と駆けて行った。最初は、やっぱり魔族の仲間なのかと思ったが、それは違った。その直後に霧が晴れたからだ」
ゆっくりと黒い瞳を瞬いて、平静を装った七海が問う。
「私が魔将クラスの魔族を倒したって言いたいの?」
「ああ、そうだ。そもそも、A級の冒険者では魔将級に太刀打ちなんてできない。それが唯一可能なギールさんは、キャンプ場を守るのに手一杯だった。状況から考えて……A級の冒険者である俺を、軽々と倒してのけたおまえしか、それが可能だったやつはいない」
なるほど、筋が通っているな……と七海は納得した。魔樹の元へ駆けて行くところを目撃されたのでは、もはや言い逃れはできまい。魔樹の下僕を易々と葬り去った実績も、きっとアヴァンから聞いているに違いないのだ。
ため息をつき、隣でチューチューと無邪気にジュースを吸うムー太を撫でる。
「……よくその結論に至れたね。私のことが憎いでしょう?」
ロッカは「ふん」と鼻を鳴らすと、つまらなそうに視線を落とした。セロジュースの入ったグラスを手に持ち、ストローを使わずに一気に飲み干す。氷だけが残り、カランと音が鳴る。
「霧が晴れて、俺は急いでキャンプ場へ戻ろうとした。だが、途中で再び霧に包まれて……気が付いたらキャンプ場の前に立っていた。俺だって馬鹿じゃない。そんな都合のいい偶然があるわけないんだ。どう考えても意図的に、俺たちは見逃してもらえた。その事実だけは動かねえ」
私情に囚われて事実を捻じ曲げるつもりはない、と言いたいのだろうか。思いの他、信念のしっかりした男なのかもしれない。七海は少しだけロッカの評価を引き上げた。
「でも、魔樹を討伐したわけじゃないの。話し合いで解決した……だけ。だから、命が惜しいなら魔樹の森に手は出さない方がいいよ」
「けっ、霧に見送られたんだから、そうだろうよ」
ロッカは悪態をつきながら大皿を持ち上げると、フォークをスプーンのように使って残りのパスタを口の中へ掻きこんだ。グラスを手に取ろうとして空であることを思い出し、追加でもう一つ注文。
そして彼は、納得がいかないとばかりに唸った。
「力がすべての魔族を説き伏せられるわきゃねーんだ。つまりおまえは、魔樹に認められるだけの実力を示したってことだ」
また図星である。随分と鋭い指摘に、七海は苦笑いするしかない。アヴァンが実力派の冒険者だとすれば、ロッカは頭脳派の冒険者なのかもしれない。人は見かけによらぬとはこのことだ。しかし、
「仮にそうだったとして、何が言いたいの? 問題があるようには思えないけど」
「俺が気に食わないのはな、"なぜ"それほどの実力を持ちながら隠してるのかっつーことだよ。認めたくねーが、おまえはS級冒険者になれるだけの実力を有している。冒険者なら誰もが憧れる高みにおまえは達してるんだ」
投げやりだったロッカの口調は、いつの間にか熱を帯びていた。
しかし、七海はあくまで冷静に答えた。
「私には興味のないことだから」
「四人だぞ。世界でたった四人しかいないS級の五人目になれるんだ。富も名誉も得ることができるだろう。しかも魔将と互角に渡り合えるなら、五番ではなく一番にだってなれる。それなのに興味がないだと!?」
テーブルがバンッと叩かれ、その音に驚いたムー太とサチョが身を仰け反らせる。そんなムー太をぎゅむっと抱き寄せて、鼻先を白毛に埋めて息を吸う。ストローから口が外れてしまい、ちょっぴり不満そうなムー太を撫でながら、
「私にとっての最優先は、この子と一緒に旅をすること。お金はあって困ることはないけど、多すぎたら持ち運べないし不便でしょ。名誉や名声なんて旅には不要だし、私には必要ないんだよ」
七海の腕の中でモコモコと
「おまえがきっちり実力さえ示していれば、アヴァンだって……」
呟き、七海の腕輪にちらりと視線が送られる。すぐにロッカは視線を外して、
「ああ、悪い。今のは忘れてくれ」
彼らしくないその態度に、七海は不穏なものを感じ取った。
七海がアヴァンの腕輪を借りていることは、ロッカもとっくに気づいている。それに全く言及しないばかりか、まるで腫れ物に触るような態度はどうにも不自然だ。嫌な予感が過ぎって、
「ねえ、アヴァンはどこにいるの。すぐに会いたいんだけど」
「そいつは無理だ。その腕輪を持って、さっさと街を出るんだな」
「それは無理。アヴァンに返さないと」
「ああ? おまえはつくづく人の忠告を聞かないやつだな」
「ねえ、もしかして腕輪を貸したことでアヴァンがまずい状況に陥った……とか、じゃないよね?」
「ちっ、無駄に勘のいい女だ」
「やっぱりそうなのね」
「これはおまえが気にすることじゃない。全責任はアヴァンのやつにある。それはあいつも十分わかっているし、後悔なんかしちゃいねー。腕輪を没収されれば、おまえはその魔物を連れて街を歩けなくなる。だからその前に、街を出ろ」
突き放すように言って、ロッカは席を立とうと腰を上げる。
確かに、争いを避けるためには、彼の言う通り街を出ることが最善の選択であるだろう。しかし、七海は目の前に垂らされた別の選択肢を見逃したりしなかった。
「……さっき言ったよね。私が実力を示していればって」
浮かしかけていた腰を元に戻し、ロッカは苦々しく言った。
「確かに、おまえがS級の資質を証明できれば、腕輪の貸し出しは不問になる。だが、今となっては魔樹を制したことも証明できない。戻って、魔樹を倒すってんなら話は別だが」
「むきゅうううっ!」
丸い体を膨らませてムー太が抗議の鳴き声を上げた。イゼラが傷つけられると思っての行動だろう。「大丈夫、例え話だよ」と宥めながら、白毛を撫でて落ち着かせる。次第に膨らみが萎んでいくのを見計らい、
「他に実力を証明する手立てはない?」
「手っ取り早いのはS級の魔物を討伐することだが、この辺りにはもう生息していない」
「そっか。一応聞くけど、討伐した証明はどうやって?」
「そりゃ、その魔物を倒さない限り手に入らない部位を提示すりゃいいわけだが……」
当たり前のことであるようにロッカは言った。その諦め漂う口ぶりからして、難しいことなのだろう。しかし、七海の心には希望の灯火が点った。なぜなら、彼女は売却できそうな戦利品をたくさん持っていて、その中には苦戦を強いられた魔物から奪ったものもある。
それがS級に該当するか七海にはわからないけれど、魔樹よりも強敵であったことは間違いない。倒さなければ手に入らないという条件にも一致しているように思う。
アヴァンへの罪悪感から
「討伐部位ならある……と思う。見れば多分、納得するはず」
「本当か!? それなら何とかなるかもしれねー」
七海の笑みに釣られてロッカの表情が和らぐ。すぐにハッとして彼は渋っ面を作ると、
「今すぐには無理だ。俺が話を通しておくから、明日朝一番に第一エリアにある冒険者ギルドに来い。ギールさんは公平な人だから、きっとなんとかなる」
七海が力強く頷きを返すと、ロッカは早々に席を立った。
立ち去ろうとするその歩みが七海の横で止められる。言い残したことがあるのかと思って振り向けば、サチョがちょこんとロッカの服を掴んでいた。彼女はあどけない笑顔を向けながら、
「ジュース美味しかったの。ありがとう」
礼を言われ、ロッカは困ったように頬を掻き、膝を折ってその場に屈んでサチョに目線を合わせてから、ピンクの髪の毛を撫でる。
「気に入ったんなら、またご馳走してやるよ。またな」
立ち上がり、ふと思い出したかのように七海の方へ視線を向ける。
「すっかり忘れてた。助けてもらった礼を言いたくて探してたんだったわ。そういうわけだ、じゃーな」
そう言うと、店主に勘定を渡し、振り返らずに去って行った。
案外、いいやつなのかもしれない。七海はそう思った。
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